日伊相互文化普及協会 HPはこちら
横浜のスローフードフェアに、宮崎・綾スローフード協会の濱田さんが焼酎を紹介しました。とってもいい焼酎がたくさんありました。
1日目が終わって、濱田さんと、濱田さんの連れの三木くん、そしてうちのスタッフと一緒に夕食を食べました。
三木君が「近くにいる出展者がさあ、1本買うからまけろって、しょっちゅう来て言うんですよお、明日も来るって、まけるまで粘るらしいです」とこぼしました。
「苦労して作ってんのに・・・。買わなくっていいよ、もう来んなよっ、て言いたいの、我慢してんですよ」
「うーん・・・」と濱田さん。
ミラノからトスカーナへの移動中、私たちの専用バスの中で「emiさん、まけてくれって、イタリア語でなんていうんですか?」と訊いてきた女の子がいました。
即答できませんでした。
「Sconto perfavore(スコント ペルファヴォーレ)と丁寧に言ってみたら・・・」
「マンマミーア、ケ ベルゴーニャ(なんて、まあ、恥ずかしい・・)」
私の隣で運転しながら私のイタリア語を聞いたGianluca君は、赤い顔で低くつぶやいてから、ハハハッと笑いました。
「生まれてから一度もまけて、って言ったことない?」とGianluca君に訊くと、「ノー、ノー、マイ!!(ない、ない、1度だって!!)」と首を激しく横に振りました。
↑ Gianluca君
イタリアでは値引き交渉の習慣がありません。商売の駆け引きの場は別ですが。
欲しい物があっても、それがなければ、どんなにお金を積んだって買えません。
これは世界中誰もが知ってること。
イタリアでは物を生産する人や、供給する人はとても尊敬されています。
生産者は自分が一所懸命作ったものに、自分に見合った価値をつけます。
値切りを言われることは「あんたには、この値の価値はないよ」とケンカを売るようなものでしょう。
まあ、日本人が値切ったところで、そんなに悪意には取られないと思いますが。
「法外な値ではないの」と思ってもイタリア人は決して面と向かって「高い」とは言いません。黙って買うのをやめるだけです。
では値切りは絶対ないのかというと。
昔は今と違って誰もが平均的な暮らしをしていたわけではありません。
相当に貧しい人は生産者に安くしてくれと頼んだそうです。
これは施しを請うのであって、恥もプライドも捨ててホントに捨て身になるわけです。
生産者は哀れんで値を下げてあげたり、ただであげたりしたそうです。
アラブ地域には値切りがありますが、この値切りは「コミュニケーション中心の遊びの文化」なので、他の意味になります。アラブの人たちは異文化のヨーロッパでは値切りません。
トスカーナで日本の隣国のアジア人グループに遭遇したことがありました。
彼らは自由時間のようで、3人の女性がチョコレート屋さんに入って行きました。
私もそこのチョコが欲しかったので中に入りました。そのチョコ屋さんは世界大会でいくつも賞を取ったお店でした。
3人の女性は楽しそうに、チョコを選んでいましたが、なにやらレジでもめ始めました。
「ノー、ノー」と言って最初は困り笑顔で対応していた店員さんは、やがてむっつりと黙り込んでしまいました。
3人の女性は更にまくし立てています。
と、突然、奥から真っ赤な顔をした、チョコレート職人が飛び出てきて、入り口のドアを開けて、3人に出て行くようにあごをしゃくりました。
3人は母国語で職人に言葉を投げながら店を出て行きました。
イタリア(ヨーロッパ)だけでなく、皆さんは値切りそのものをどう思いますか?
日伊相互文化普及協会 Emi
横浜のスローフードフェアに、宮崎・綾スローフード協会の濱田さんが焼酎を紹介しました。とってもいい焼酎がたくさんありました。
1日目が終わって、濱田さんと、濱田さんの連れの三木くん、そしてうちのスタッフと一緒に夕食を食べました。
三木君が「近くにいる出展者がさあ、1本買うからまけろって、しょっちゅう来て言うんですよお、明日も来るって、まけるまで粘るらしいです」とこぼしました。
「苦労して作ってんのに・・・。買わなくっていいよ、もう来んなよっ、て言いたいの、我慢してんですよ」
「うーん・・・」と濱田さん。
ミラノからトスカーナへの移動中、私たちの専用バスの中で「emiさん、まけてくれって、イタリア語でなんていうんですか?」と訊いてきた女の子がいました。
即答できませんでした。
「Sconto perfavore(スコント ペルファヴォーレ)と丁寧に言ってみたら・・・」
「マンマミーア、ケ ベルゴーニャ(なんて、まあ、恥ずかしい・・)」
私の隣で運転しながら私のイタリア語を聞いたGianluca君は、赤い顔で低くつぶやいてから、ハハハッと笑いました。
「生まれてから一度もまけて、って言ったことない?」とGianluca君に訊くと、「ノー、ノー、マイ!!(ない、ない、1度だって!!)」と首を激しく横に振りました。
↑ Gianluca君
イタリアでは値引き交渉の習慣がありません。商売の駆け引きの場は別ですが。
欲しい物があっても、それがなければ、どんなにお金を積んだって買えません。
これは世界中誰もが知ってること。
イタリアでは物を生産する人や、供給する人はとても尊敬されています。
生産者は自分が一所懸命作ったものに、自分に見合った価値をつけます。
値切りを言われることは「あんたには、この値の価値はないよ」とケンカを売るようなものでしょう。
まあ、日本人が値切ったところで、そんなに悪意には取られないと思いますが。
「法外な値ではないの」と思ってもイタリア人は決して面と向かって「高い」とは言いません。黙って買うのをやめるだけです。
では値切りは絶対ないのかというと。
昔は今と違って誰もが平均的な暮らしをしていたわけではありません。
相当に貧しい人は生産者に安くしてくれと頼んだそうです。
これは施しを請うのであって、恥もプライドも捨ててホントに捨て身になるわけです。
生産者は哀れんで値を下げてあげたり、ただであげたりしたそうです。
アラブ地域には値切りがありますが、この値切りは「コミュニケーション中心の遊びの文化」なので、他の意味になります。アラブの人たちは異文化のヨーロッパでは値切りません。
トスカーナで日本の隣国のアジア人グループに遭遇したことがありました。
彼らは自由時間のようで、3人の女性がチョコレート屋さんに入って行きました。
私もそこのチョコが欲しかったので中に入りました。そのチョコ屋さんは世界大会でいくつも賞を取ったお店でした。
3人の女性は楽しそうに、チョコを選んでいましたが、なにやらレジでもめ始めました。
「ノー、ノー」と言って最初は困り笑顔で対応していた店員さんは、やがてむっつりと黙り込んでしまいました。
3人の女性は更にまくし立てています。
と、突然、奥から真っ赤な顔をした、チョコレート職人が飛び出てきて、入り口のドアを開けて、3人に出て行くようにあごをしゃくりました。
3人は母国語で職人に言葉を投げながら店を出て行きました。
イタリア(ヨーロッパ)だけでなく、皆さんは値切りそのものをどう思いますか?
日伊相互文化普及協会 Emi
いい革を見るととイタリア人はどんな靴を作ろうと考える。
あるアジアの国の人は同じ革を見て金になると思う。
国ごとの価値観がそのまま行動や、言動に表れるんですね。恐らく何の違和感も感じずに・・・。
個人的には値切りもTPOだと思います。
創造が湧き上がる人と、直に生活に結び付けたい抽象的なイメージを抱く人ということでしょうか。
価値観といえば日本では、創造者や生産者たちに、どれほどの価値観を持って接しているのか関心があります。
まあ否定はしませんが、売り手に不愉快な思いをさせてまで、自分の損得を考えたくないですね。
せっかくいい物を買っても、それが値切って買ったものなら、値切った分の価値しかなくなってしまう・・・。ちょっと悲しいですね。
中国では最初から値段はふっかけてあります。
韓国ではジャパニーズプライスがあるそうです。
「郷にいらば郷に従え」かな。
私の観察ですが、イタリア人は値切られると一様に戸惑いの顔を見せたり、冷ややかな態度になるようです。
中にはできるまでの過程を熱心に説明してプライスの正当性を示す人もいます。
個人の客相手にじゃんじゃん売って、儲けようという気がないのか、結局はプライスダウンしませんね。
でも、品物を褒められたり、たくさん買ったりすると会計の時、「えっ、いいのお~」というほどズバッと安くしてくれますね。
「この値でいいよ」といわれるのを、黙って心待ちしているイタリア人もけっこういますよ。
モッチさん
大阪の値切りはコミュニケーションを楽しむアラブの文化に似ている気が。
私はめんどくさがりやで、買い物はパパッと済ませたいほうなので苦手かなあ。
中国の商人は、あわよくば的なのでしょうか。
買い物する人たちは疲れるのじゃないでしょうか。
品物をじっと見て何も言わないでいたら、値段がどんどん下がりましたね。
韓国のジャパニーズプライスには過去の政治的な背景が影響してるのでしょうか。
ただ、単に「儲け」重視なのでしょうかね。
韓国では食べるだけで、まだ買い物をしたことがありません。
鹿児島では値切りはあるのですか?
こんにちは。今日は、幸いお休みで半日眠ってしまいました。
今回の話題「値切る」って事ですが、お国柄や様々あるのはわかりますが、わたしはした事がありません。
特にイタリアでは、(フランスでもっとそうですが、、)emiさんのおっしゃる通り 商品そのものの美しさや価値がわかる(わかりあえる)ところから、楽しい時間がはじまるように思います。(わたしは、お買い物が大好きなんです。)
わたしも自分のデザインがどう思われたのか、相手がそれをどう思ったのか、、は、とても気になるし、わからない方とは、2度と口もききたくないし、相手もそうでした。。
個人のパーソナリティーや専門性、技量、そしてエステティック(美学)が大事なんだと思っています。(格好をつけてるわけではありません。なまいき に聞こえたらごめんなさい。)
なので「値切る」事は、わたし自身の価値?を下げる事にもつながってしまうと思っています。
商売上、不当な値段と思われるものもありますが、そう感じたら欲しくても買いません。。
そんなことで、わたしは、値切りませんが、いろいろな意見がでそうな今回の問いかけでしたね。。
あらためて考えさせられました。
シュン拝
そうですね。創るということ、芸術だと思います。
それを作る人、売る人が理解しようとするところから、双方のリスペクトが生まれるのではと思います。
本当にいいものを作っている人たちには、儲けようという考えは見られませんね。
でも結果的にはきちんと経済につながってますね。
「お客様は神様です」という言葉ができてから、消費者は生産者側を無視してどんどん傲慢になり、無視された生産者は良いものを作る気を失ったとよく聞きます。
正当な値に対して値切るのは傲慢さのひとつかも・・・。
でもやはり何でもかんでも値切るのは売り手(生産者)に対して失礼であるし、価値が分かってくれる消費者に購入してもらうことが一番なのではないかと思います。
ありませんが、仕事でブラン品を買い付けに
行った時は大量に買うので値切りました。
グッチ、プラダなどは値切りに応じてくれましたよ。
ルィ・ヴィトンは絶対にダメでした。
エルメスも値切りに応じてくれましたよ。
しかし、日本で有名でなくても製品はとても
良いものがたくさんあります。
職人さんのプライドもありますよね!!
そういう店では値切らないほうが楽しく買い物が
出来るのではないでしょうか!?
アジアに遊びに行った方々が、値切らずにバカに
されていると聞いたかたが、何処の国に行っても
値切らないとバカにされてしまうという誤解から
始まったように思いますが。。。
八百屋さんや魚屋さんで「端数はおまけだよ」とか「これ持ってきな」っていうのは値切りではなくて、提供者からのサービスではないでしょうか。
値切りに応じるのは提供者がリスクを背負う(正当な値の場合)ことになりますから、gioiaさんのいうように価値の分かってくれる人に購入して欲しいでしょうね。
viviさん
仕事での買い付けなら、同じ仲間同士になります。
売るほうは相手の利益も尊重します。
viviさんのいうように、日本では有名でなくてもよいものはたくさんありますね。
プライドを持って仕事をしているところでは値切らない方が楽しく買い物ができると思います。
正当に思われる値の場所で値切ると、いっぺんに双方の信頼関係が崩れるような気がします。