10月9日(日))~10日(月)
秋晴れも久しぶりなり十府ケ浦
紅葉がいよいよ最盛期になって来た八甲田山は、快晴の空も手伝って酸ヶ湯付近から睡蓮沼方向は大混雑大ラッシュでした。下北郡社会福祉大会(横浜町)の「野田村復興支援交流ボランティア活動報告」を13日に控えて、頭を整理するつもりと野田村での「塩の道を歩こう会」での野田村の方と一緒に映っている写真を届けることを目的に出かけてきました。
前述の八甲田から思いの外時間がかかって、結局7時30分に宿舎に到着して夕食に間に合いました。国民宿舎「えぼし荘」は連休ということもあってか、家族連れも含め結構宿泊客で混雑していました。
えぼし荘は災害発生直後から6月いっぱいまでは、野田村の避難所の一つでした。結婚披露宴などを催す大広間も被災者で溢れかえっていたそうです。
ここの温泉は「マリンローズの湯」という人工温泉で、マンガン鉱脈より湧出する弱アルカリ性のわかし湯で、太平洋が一望できるのがまた売りのようです。翌朝6時に入浴をしましたが、露天風呂からも朝日が上がっていく眺望はなかなかでした。

翌日チーム北リアスの仮設事務所を訪問し、所長の貫牛さんにお目にかかりました。塩の道を歩こう会のお礼を言って、色々お話を伺うことが出来ました。貫牛さんは久慈広域観光協議会の観光コーディネーターの肩書きを持っておられ、篠の道を歩こう会や「ナモミ」という秋田県の男鹿では有名な「なまはげ」に似た民俗芸能などを大切にされている方のようです。
なまはげやナモミは大船渡市三陸町吉浜の『スネカ』など、呼び名違えどみんな意味は同じだそうです。
囲炉裏ばかりにあたっているとできる火傷を方言で“ナモミ”といい、小正月に山から降りてきた神様の使いである鬼が家々を回り、怠け者のナモミを剥ぎ取るそう・・・。
秋田『なまはげ』は“なもみはげ”→“なまはげ”、『スネカ』は“(足の)すね皮たくり”が語源なんだとか。
“なもみ”は、この辺では野田村のほか、洋野町、岩泉町などの伝統的風習。
おじいちゃんおばあちゃんの生まれるずっと前から居るらしいですが、記録に残っていないため正確には分かっていないそうです。
昔は各行政区にいた「なもみ」も時代の移り変わりに伴い廃れ、いったんは途絶えたのを、村の若者の有志が30年ほど前に復活させたそうです。
現在、『野田村なもみ保存会』メンバーは20名程度。(以上野田村通信ブログからお借りしました)

お昼に野田村の道の駅で塩ラーメン450円也を美味しく頂いて、向かいの魚菜センターに立ち寄って鮭の腹子(イクラ)と刺身を購入して帰宅しました。写真は魚菜センターの立派なタコです。この他野田村では松茸も売っていましたが、さすがに香りだけ嗅いでオシマイでした。
きょうはいくら丼が待っているぞー。

秋晴れも久しぶりなり十府ケ浦
紅葉がいよいよ最盛期になって来た八甲田山は、快晴の空も手伝って酸ヶ湯付近から睡蓮沼方向は大混雑大ラッシュでした。下北郡社会福祉大会(横浜町)の「野田村復興支援交流ボランティア活動報告」を13日に控えて、頭を整理するつもりと野田村での「塩の道を歩こう会」での野田村の方と一緒に映っている写真を届けることを目的に出かけてきました。
前述の八甲田から思いの外時間がかかって、結局7時30分に宿舎に到着して夕食に間に合いました。国民宿舎「えぼし荘」は連休ということもあってか、家族連れも含め結構宿泊客で混雑していました。
えぼし荘は災害発生直後から6月いっぱいまでは、野田村の避難所の一つでした。結婚披露宴などを催す大広間も被災者で溢れかえっていたそうです。
ここの温泉は「マリンローズの湯」という人工温泉で、マンガン鉱脈より湧出する弱アルカリ性のわかし湯で、太平洋が一望できるのがまた売りのようです。翌朝6時に入浴をしましたが、露天風呂からも朝日が上がっていく眺望はなかなかでした。

翌日チーム北リアスの仮設事務所を訪問し、所長の貫牛さんにお目にかかりました。塩の道を歩こう会のお礼を言って、色々お話を伺うことが出来ました。貫牛さんは久慈広域観光協議会の観光コーディネーターの肩書きを持っておられ、篠の道を歩こう会や「ナモミ」という秋田県の男鹿では有名な「なまはげ」に似た民俗芸能などを大切にされている方のようです。
なまはげやナモミは大船渡市三陸町吉浜の『スネカ』など、呼び名違えどみんな意味は同じだそうです。
囲炉裏ばかりにあたっているとできる火傷を方言で“ナモミ”といい、小正月に山から降りてきた神様の使いである鬼が家々を回り、怠け者のナモミを剥ぎ取るそう・・・。
秋田『なまはげ』は“なもみはげ”→“なまはげ”、『スネカ』は“(足の)すね皮たくり”が語源なんだとか。
“なもみ”は、この辺では野田村のほか、洋野町、岩泉町などの伝統的風習。
おじいちゃんおばあちゃんの生まれるずっと前から居るらしいですが、記録に残っていないため正確には分かっていないそうです。
昔は各行政区にいた「なもみ」も時代の移り変わりに伴い廃れ、いったんは途絶えたのを、村の若者の有志が30年ほど前に復活させたそうです。
現在、『野田村なもみ保存会』メンバーは20名程度。(以上野田村通信ブログからお借りしました)

お昼に野田村の道の駅で塩ラーメン450円也を美味しく頂いて、向かいの魚菜センターに立ち寄って鮭の腹子(イクラ)と刺身を購入して帰宅しました。写真は魚菜センターの立派なタコです。この他野田村では松茸も売っていましたが、さすがに香りだけ嗅いでオシマイでした。
きょうはいくら丼が待っているぞー。

昔よく聞いた地名が沢山出てきました。
「マリンローズの湯」という名の露天風呂
写真を拡大してみたら本当に素晴らしい
眺めですね。
我家はついこの間お風呂の電気が切れて
暗いまま入りました。
もちろん露天風呂のような感じでしたよ。
スベッテ転ばないうちが花とすぐに出ました。
お風呂の暗闇の話で、思い出したこと。ハーブの入ったろうそくを浮かべて、キャンドルの湯を楽しんでいる人がいましたっけ・・・。
昨日はまんまるお月さんも空に出ていましたから、そういう昔の風情もいいですね!