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越谷(埼玉)タウンウオーキング,NO4

2016年05月22日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 水路の土手を歩く
水路の街・ウオーキングの前方には、常に水路あり

 知らない人は分からない
知っている人だけが分かる番号合わせの画像です。

分からない、I don't know
地元の人でなければ、分からない土手歩きでした。


○番号は、写真撮影場所です


① 駅前商店街


② 新平和橋


③ 土手を歩くふじクラブ員


④ 土手下の花壇、花の名前不明


⑤ 新神宮前橋


  ⑥逆川橋


⑦ 新土橋付近 


⑧ 前方の森はキャンベルタウン公園


⑨ キャンベルタウン公園入り口のラクウショウの並木


⑩ ゆったり流れる逆さ川(葛西用水路)


⑪ ノビルを見つけて取るYさん

 

 葛飾区内、曳き舟川考察 

 

この葛西用水路(越谷付近では逆川)は、墨田区まで流れ?ていた。

この間都内では、足立区に入り環状7号線を横断し、葛飾区に入る。

葛飾区に入ると曳き舟川と成って田地田畑を潤し、江戸絵図によれば舟を浮かべ上り下りを楽しんだ。

向島の芸者さん達が、舟遊びを楽しんだと言う一文を見たことがある。

したがって、曳舟川は業平橋あたりから旧中川にほぼ南北一直線に引かれた堀割である。

 

荒川放水路までの曳舟川は昭和の初め頃までは残っていた。

荒川の開削により、曳舟川は大きな変化をする。明治40年・43年の大洪水を機に、

荒川放水路の開削が始まった。曳舟川は葛飾側と向島側とに分断された。

川の流れは止まり、人家が密集して下水の溜まり場となった。

 

東武博物館に展示されている昔の航空写真に川筋が見える。今は埋め立てられて曳舟川通りとなった。

曳き舟川は、東京スカイツリー付近を流れていたことになる。

向島近辺は仕事の関係からくまなく歩いたので、曳舟川絵図を片手に歩いてみたい。


江戸東京百景 曳き舟川・四つ木付近絵図

舟を曳くことから≪曳き船川≫と成ったのでしょう。

葛飾区内は、現在は親水公園となって、

現在では、
昭和・平成の曳舟川の面影・風情を楽しんで居ます。

 

コメント (4)
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