山形の森 保守醒論

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タブー視されてきた「対北朝鮮の闇」の点と線 3

2007-12-16 20:44:49 | Weblog
1971年に入り、北朝鮮関連で多くの動きが出てくる。日教組委員長に槙枝元文が就任(総評議長1976~83)、許宗萬(現責任副議長)が、総連中央本部国際局に入り、政界工作を担う、 中核派の尾上健一(群馬大)を中心に、「群馬朝鮮問題研究会」が結成され、(金日成)主体思想の工作拠点となり全国に組織展開を計る。
後に、このチュチェ思想研究会に参加した女性を選び、“よど号犯の妻”として北朝鮮に送り込むことになる。
槙枝日教組との教職員チュチェ研究会も結成、同様に全国組織活動を始める。中核派と日教組、朝鮮総連との連携関係が見えてくる時期だ。
(尾上健一による)チュチェ研の思想工作拠点の発祥地が群馬であることは、先に触れた政界工作と偶然では無いと思われる。
中核派の本部は法政大文学部内にあり、法政大と朝鮮総連本部が隣同志に所在しているのも実に悩ましい。
槙枝元文は、金正日誕生60年の祝賀メッセージで「わたしは訪朝して以降、『世界のなかで尊敬する人はだれですか』と聞かれると、真っ先に金日成主席の名前をあげることにしています」と述べ、平成三年には北朝鮮から「親善勲章第一級」を授与された。
さらに槙枝の「美しい朝鮮」という本には、北朝鮮を「バラ色の国だ、この世の楽園だ」と書いている。
つまり日教組は委員長以下、北朝鮮シンパ、「チュチェ思想」信奉者の巣窟となっている。日本は純情無垢な子供たちを、このような“黴菌一杯”の教育環境に委ねてきたのです。
この70年代というのは、丁度、団塊二世が修学するときにあたり、以降、戦後第二世代の人間力低下(身体・精神)が著しく見られるようになってくる。
また、槙枝委員長就任を機に、日教組は「週休2日、週40時間制の実現」の運動方針を採択、いわゆる「ゆとり教育」を推し進める。
本音は「子供の教育問題」と巧みに摩り替えた“日教組の労働運動”だった。

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