趣味(に生きたい)人の戯れ言。

趣味のことや、日々の移ろいなぞを細々と。

CB1100 で生駒高原再訪。。

2011-10-30 20:00:32 | インポート
皆様、お疲れ様です。
南九州あたりだけ雨、という嫌がらせみたいな天気ですが、去年も訪れた
宮崎の生駒高原が満開、との報を受けて出かけてみました。
ルートは、どういう風に行っても距離的に大差がないので、前回取り付けた
ガイラ・シールドの高速道路での感じをを試すべく、九州自動車道の、えびの
JCT 経由、宮崎自動車道・小林 IC で降りて、県道 1 号でサクッと到着。
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が!て、てんきが。
毎度、まいどの曇り空。。
時折、雨なんか降ってくれちゃってですね。
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曇りの場合、光りが万遍なく回るので、単独の被写体を撮影する場合は
そんなに悪くなかったりしますが、風景画の場合は。。
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因みに、去年がこちら。
どんだけ違うねん!
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頑張ってみたのですが、雨雲が。
日頃のおこないか?今月何とかの予言で滅亡するためか?
(↑何の話やねん!)
しかも、寒いし。。
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来てしまったので、取り敢えず、入場料 400 円也を支払い、園内に。
圧倒的な本数の前には、曇りでも何とか絵になりますか。
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群生状態を演出していますから、数が物を言います。
百万本だそうで。。
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夷守岳をバックに。
富士山みたいですね。
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キバナコスモスの方が、先に開花を迎えるようです。
しかし、凄い数です。
綺麗ですよね!
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あんまりクローズアップは得意ではありませんが。
ちょっとだけ撮影。
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色カブリしているように見えますが、白色では無く、実際にこんな色でした。
一口にコスモスと言っても、色々な種類があるようでした。
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個人的には、コスモスと言えば、この色です。
配色のバランスがとても良い感じです。
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八重桜みたいに、花弁が折り重なっていますね。
(風で被写体ブレを起こしています。面目無い。。
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女性の一番人気はこちらでしょうかね。
定番であります。
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今年は、去年より植えてあるエリアの面積が多少、少なかったように
思いました。(厳密に調べた訳ではありませんが、去年、花が咲いていた場所
に出店が結構、あったので。
ま、商売、ショーバイっと。(笑)
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同じ道を帰るのはつまらないので、みやまきりしまロード(広域農道です)を
国道 223 号線に抜け、お馴染み”御池”に。
このまま、霧島神宮方面から霧島市内に向かいました。
最早、天気をどうこう言う気にもなりませんでした。。
ガイラ・シールドは、高速道路では効果バツグンです。
ビキニカウルより確実に防風力がありました。
図らずも雨天走行になりましたが、上半身胸元以下、腰のあたりまで殆ど
濡れることはなく、両肩と上腕外側だけ濡れたのが、このシールドの効果
だと思います。
(但し、風切り音はそれなりに大きいです。また、最大サイズの L 型での話
ですから、他のサイズは判りませんが。)
ん~、たまにはスカッと晴れて欲しいですなー!
(シフト勤務ですので、1 回”ハマる”と、中々天気の巡り合わせが。。

CB1100 にガイラ・シールドを装着しました。

2011-10-28 08:53:56 | バイク

寒っ!

最近、晴れるとこの辺、朝は 10 度を切ります。

T シャツで寝ていると寒くて目が覚めます。(←バカです。。)

さて、先日、万世特攻記念館前で立ちゴケして、ビキニカウルをやられたため

(実は、このカウル、2 個目でありまして。。

色々考えて、以前から気になっていた、シック・デザインのガイラ・シールドを

購入しました。

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サイズが 3 段階あって、こちらは最大サイズの L です。

ベースのステーをまずライトの釜と共締めし、ハンドルには角度調整用ハンドル

を取り付け、その上にコイツを固定する、という段取りです。

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隣が、今まで装着していた。ワールド・ウオークさんのビキニ・カウルです。

ガイラの方が、幅が大きいのが判るでしょうか?

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取り付け位置を並べると、このくらいか。

先述のように、角度は変更出来るので、街中・高速で色々、試してみようかと。

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で、実車に取り付けました。

(装着は、30 分くらいでしょうか)

比較のために、”びふぉあ”がこちら↑。

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でもって、”あふたぁ”がこちら。

シールドの色がスモーク→クリヤーとなり、更に特別仕様のハードコート仕様で

カメラも時間もアングルも違うので何ですが、取り敢えず、雰囲気だけでも。

会社の後輩から”○車みたい”と言われましたが、気にしなーい!(爆)

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ライディングポジションから見た景色がこちら。

ハンドルポストのダイヤルを緩めて、前後に動かすと、シールドの角度が

変更出来ます。

さて、走ってみますか!

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上野原縄文の森のコスモスが綺麗、との噂で行ってきました。

シールドの感じですが、まず始めに、当方の CB1100 はハイシート( K STYLE

SEAT ) が装着されており、ノーマルより約 4 cm シート高が高くなっていることを

お断りした上での評価となります。

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と言いますのは、時速 50~60 Km 位から、胸元(正確には、クビ下くらいか?)

で風が巻きます。薄手の服なら結構、バタバタと煩わしいかも知れません。

シールドの角度を変えてもあまり変化が無かったので、着座位置との絡みだと

考えています。

コスモス、本数自体は少ないのですが、綺麗ですね!

(バイクの置ける場所の都合で、皆さん、あっち向いていますが。。

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ですが、上半身を伏せて、シールドの内側に頭を入れますと、ほぼ無風に。

また、高速域に速度を上げていくと、胸元の風はそのままで

(要は、当たる風のレベルが殆ど変わらず)速度だけ上がる、という不思議な

感じになります。(当然、ラクです!)

低速域ではネイキッドらしさの風を感じさせ、高速では他の風を御してラクに、と

設計で狙っているとしたら、かなりのレベルです。

コスモスと言えば、去年訪れた宮崎の生駒高原もそろそろ良さげ、とのことです

からいずれ行かねばなりませんね!

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さて、帰りに寄ったのがこちら。

霧島市内にあり、以前から気になっていたのですが、鉄道記念公園と。

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昔、JR 大隅線というのがあり、その時の”銅田駅”跡とのこと。

線路や駅舎は、道路になっているので残っていませんが

(でもそんなに昔でもないようです。1987 年 に用廃とか。。)

こうして名残を残してあるのは、関わった人たちの思いに答えた、ということ

でしょうかね。

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線路がないので、コンクリートの土台に車掌車が置いてありました。

(ヨ 8000 型とか呼ばれる物でしょうか?)

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内部はもう、荒れ放題ですが

置いてあることが重要ですから。

さて、次は何を換えようかな~。

(物欲は、勤労意欲の元である。←詠み人知らず。

なお、シールドの取り付けに関して、創造社シック・デザインさんには、大変

お世話になりました。この場を借りて、御礼申し上げます。


CB1100 で中薩摩に。(万世特攻平和記念館編)

2011-10-24 19:08:27 | バイク
昨日の豪雨は去りましたが、今日も曇り時々、滝でした。
数キロ走る毎に、濡れている路面と乾いている路面が交互に現れるので
すり減ったリアタイヤのせいもあり、結構、ヒヤヒヤです。
さて、前回の小松帯刀のお墓の後に、国道 270 号線を南下して
南さつま市は吹上海浜公園近くの、万世特攻平和記念館に行きました。
(中薩摩、と言うより南薩ですかね。。)
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知覧の特攻記念館あたりもそうでしたが、石灯籠が道の両端に建っています。
出撃した御柱の数かどうかは確認出来ませんでした。
この道は、当時の萬世陸軍飛行場の入り口だったそうです。
つまり、皆、この道を通って出撃して行ったと。。
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万世特攻平和記念館に到着。
建物は、航空学生が最初に飛ぶ複葉機”赤とんぼ”をイメージしていて、屋上の
とんがったモニュメントは、両手を合わせた合掌状態とのこと。
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当然、慰霊碑も建っています。
知覧があまりに有名なので、鹿児島県人でも、この基地のことを知らない人も
いるくらいですが、昭和 20 年 3 月から燃料の集積が始まった位、絶望的な
戦況の中、発足した陸軍航空隊の基地でした。
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慰霊碑両端の黒い石碑に刻まれているのが、ここから出撃していった人たちの
名簿です。20 歳前後の若者ばかりだった様です。
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国分基地もそうでしたが、相当な人数です。
これで半分くらいですから。。
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さて、中に入ります。
展示スペースは 1 階と 2 階にあります。
で、1 階には。。
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ここ吹上浜で、平成 4 年 ( 1992 年 ) 8 月に引き上げられた、零式 3 座水上
偵察機の実物が展示されています。
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少々見にくいですが、説明を載せておきます。
乗員さん、無事だったようですね。
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ストロボを焚いてしまうと、雰囲気が。。
水深 5 m の、海底の砂に着座していた状態を再現した展示になっています。
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本来なら、フロートが付いているんでしょうが、敢えて修復せず、そのままの
状態での展示です。
何せ、本物。凄みがあります。。
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金星 43 型空冷 14 気筒エンジン。
これで、1000 馬力くらい出すわけですからね。
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この機体は、当時極秘だった八木アンテナを使用した電探を装備したり
自動操縦装置を積んだ、最新鋭機だったそうです。
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建物の中にあるせいもありますが、かなり大きく感じます。
3 人乗りでもありますからね。
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フラップ付近です。
開発した愛知飛行機は、他の機体の設計で手一杯だったらしく、海軍の入札に
間に合わなかったので入札失格となったそうですが、応札した他社の機体が
公試中に墜落したため、今後の研究のために愛知が独自に開発を続けていた
この機体が急遽試験され、優秀とのことで採用された裏話もあるようです。
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水平尾翼付近です。
肉抜きまくりですが、下駄履きで 3 人乗りの全金属製機ですと、最高時速が
時速 385 km とのこと。頑張っている方ですが。
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この機体は、昭和 20 年 6 月 4 日に福岡の海軍基地を発進、沖縄方面の
偵察後、帰投中に会敵し、何とかかわした後に燃料切れで、ここ吹上浜に
不時着水。乗組員は泳いで岸までたどり着いて生還。
療養・帰隊後に終戦とのこと。
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これは、零式 3 座水偵に実際に搭載されていた、7.7mm 機銃です。
木製部分の朽ち果て方が、迫力。。
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このマークの持つ意味の大きさ、と言いますか重さは、今とは比べものに
ならなかったのでしょうね。
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鹿児島には当時、これだけの航空基地が。
その殆どから、特別攻撃隊が出撃して行きました。
(青字が海軍、赤字が陸軍です)
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こちらは、上が海軍零式 52 丙型艦上戦闘機の 20 mm 機銃、下が 13 mm
機銃です。
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鹿島沖で引き上げられた機体の方は、現在、鹿屋航空基地内に展示されて
いるそうです。行かねばなりませんね。
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こちらは、99 式襲撃機の模型。
当時の萬世飛行場は、戦争末期で資材もなく急ごしらえだったせいか
滑走路は舗装されていなくて、土を固めただけでしたので、引き込み脚機では
離着陸時に足が折れることがあったようで、特攻用に全国から固定脚機が
集められました。ここから出撃していった約 82 パーセントが、この機体だった
とのこと。
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落下式燃料補助タンク(ぞうそう、というヤツですか)です。
何と、竹製!
孟宗竹を編んで形を作り、和紙を何枚も貼り合わせて造られています。
和の技術は素晴らしいですが、しかしなあ。。
(因みに、200 リットル入るそうです)
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こちらは、98 式直接協同偵察機のエンジンとプロペラ。
1940 年に一度生産は終了した旧式の機体ですが、故障の少なさや運用の
しやすさ故に、再度ラインを立ち上げ直し、結局終戦まで使用されました。
茨城の鹿島灘沖で引き上げられたそうですが、98 式が特攻機としてここから
数多く出撃したとのことで、寄贈されたとか。
 
記念館の 2 階は、出撃していった隊員ゆかりの品々や、遺書(血書も。。)、
当時の様子などの資料が展示されています。
(個人名ばかりですので、当然、撮影禁止でした。)
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何か、こう、胸いっぱいになってしまい、この後、画面右側に立ちゴケ。。
モリワキのエンジンスライダーと、POSH のエンジンガードがガリガリに。。
クラッチ・レバーが折れ、ビキニ・カウルも傷だらけになってしまいました。
(割れなかっただけマシか。)
自分の不甲斐なさもありますが、怒る気も失せてしまい、さっさと帰路に。
何してんだろうなぁ、と考えてしまいましたとさ。。
(天気も、気分も晴れませんねぇ。

CB1100 で中薩摩に。(小松帯刀のお墓編)

2011-10-22 00:49:47 | バイク
いや、凄い雷雨でした。
何回か、照明が瞬きしましたし。
(転勤してきて判ったんですが、九州電力、停電が多いですね。。
竜巻注意報まで出ていましたから。
(そういう中で、桜島さんも噴火していましたよ!)
さて今回は、先の大河ドラマでお馴染み、小松帯刀のお墓に行った、の
巻であります。
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中薩摩地方と言えば、鹿児島市はもとより、いちき串木野市や日置市まで
入ってきますが、今回はヤボ用で北薩から南下してきましたので、県道 40 号
から 37 号で伊集院町方面に走ってきました。
で、見つけたのが、小正醸造日置蒸留蔵です。
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いつぞやの巻でご紹介した、世界初のノン・アルコール焼酎”コズル・ゼロ”の
発売元です。
こうしてみると、意外に(失礼)大きい蔵ですね!
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”師魂蔵”ですか。。
魂、こもっていると。
気合いと凄みを感じます。
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事前に工場見学等の予定もなかったので、サクッと走り出し、目的地に到着。
(以外に近くでした。)
小松帯刀の眠る墓地です。
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大河ドラマ”篤姫”の時は、休日ともなれば、この駐車場が一杯になっていたん
でしょうねえ。
今日は、管理作業の人と、私だけ。。
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今更、小松帯刀とは誰ぞや?でも無いでしょうが、一応、説明書きを。
薩摩の偉人の一人であります。
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元々、ここは園林寺という曹同宗のお寺だったそうですが、明治の廃仏毀釈
(はいぶつきしゃく、と読みます。)で破壊され、墓地だけが残っていると。
この像も、その時に壊されたようです。
(鉄骨の一部が出ていますが、後生、一度、頭部を付けたらしいんですが
考証がうまくなく、結局、また外されてしまったそうです。。
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お墓には、ここを登ります。
画面左側におじさんがいて、色々、歴史を教えてくれました。
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今度の大河ドラマで平清盛をやりますが、小松帯刀の系図を遡ると、何と
清盛公に突き当たる、と。
元々、帯刀は、小松姓では無かったのですが、こういうことがあるんですね。
因みに、まだお若い末裔が東京に在住とか。
(この方も、純粋な小松家の血筋では無いそうです。。歴史はややこしい。。)
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縦に長い墓地ですね。
小松家のお墓は、一番、奥の方です。
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園林寺の代々の僧侶もお墓もありました。
例の廃仏毀釈で破壊されたのを戻したんでしょうか、並べただけの感じです。
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こちらが、小松家代々のお墓です。
かなりの数です。
墓石の形が、独特ですね。
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帯刀の正妻、おちかさんのお兄さんのお墓です。
一番手前にあります。
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その隣が、おちかさんのお父さんのお墓。
帯刀と同じ大きさの墓石になりますね。
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そしてこれが、小松帯刀のお墓です。
最前列真ん中にあります。
さすがであります。
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その隣は、お墓でありませんでした。
何かというと、昭和天皇から賜った記念塔だそうです。
実は、小松帯刀の功績というのは当時、全国的には勿論、世間ではあまり
知られておらず、昭和天皇から認めて頂いた、ということで、新聞等に
大々的に報じられたりして、ようやく広く知られたようです。
(当時の天皇陛下と言えば、正に”神”として崇められていた時代ですからね。)
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その隣(最前列一番左奥になります)が、帯刀の正妻・おちかさんのお墓。
ご主人に負けない堂々たる、風情ですね。
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おちかさんのお墓の前からは、東シナ海が良く見えました。
(相変わらず、こんな天気ですが何か?
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手前がおちかさんのお墓で、全体を見渡してみました。
しかし、一族のお墓ともなれば、こんな規模になるんですね!
一個所に集めてしまうのも凄い。。
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最奥の方に、小さな墓石がありました。
誰のものか、と申しますと。。
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帯刀の、大坂(秀吉が建てた大坂城の”さか”の文字は坂でしたね)での
第2夫人、お琴さんのお墓です。
帯刀が 36 歳の若さで大坂で病死した数年後に、お琴さんも他界。
大坂で埋葬されていたのを、器のデカイ、正妻おちかさんが呼び寄せて
こちらに埋葬したそうです。(凄いですね。。
ただ、墓石の後ろに”妾”と彫られているのは、どうかと思うのですが。
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全体の配置は、こんな感じになります。
たまには、歴史の一端に触れてみるのも悪くないなあ、と思いますね。
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墓地の黄色い花が綺麗でした。
さて、この後は、国道 270 号を南下して、南さつま市は吹上町にあります
万世特攻記念館に行った、の巻に続きます。

CB1100 で南大隅に。(吾平山上陵編)

2011-10-19 10:00:42 | バイク

最近、パワースポットづいている無無無です。

鹿児島には、この手のスポットが目白押しですからね!

さて、今回は神ノ川大滝の後に、吾平山上陵に行きました、の巻であります。

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神ノ川大滝入り口の県道 561 号線から、県道 68 号を目指したんですが

これが結構、難儀しました。

地図上では、簡単な経路に見えたんですが、分岐のわかりにくさや

頼みの iPhone の電波が届かず、リアル地図との照合が出来ず。。

這々の体で、ようやくたどり着きました。

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休日のせいか誰もいない駐車場にバイクを駐車。

大隅広域公園の隣になりますので、そちらには物産館や、遊ぶところが

沢山あるようです。

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まるで、どこぞの親水公園、と言った趣ですが。

あの橋を渡ると、物産館に行けるとのこと。

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推定 2 尺以上の錦鯉がウヨウヨ泳いでいました。

パンフライを投げますとですね。。(←不謹慎なヤツ)

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しかし、こんなところに錦鯉なんか放して、逃亡しないんですかねえ?

この上流に陵があるようです。

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駐車場横の入り口から、入って行きます。

気のせいか、既に空気が”凜”としています。

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説明書きがありましたので、載せておきます。

他にも、行っておかねばならない場所がありそうです。(笑)

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初代天皇の親御さんのお墓ということで、昭和天皇もお参りに来られています。

その時の記念碑ですが、いつかの災害で流され、行方知れずになって居たのが

河川の浚渫工事(かせんのしゅんせつこうじ、ATOKのくせにこの程度の変換も

出来ないのは、お金出す意味がありませんね。ユーザーで辞書登録するなら

IME でも変わりませんから。)で、発見されたそうです。

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さて、先を。

都合 3 つの橋を渡って行くことになります。

まず 1 つめがこちら。

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2 つめがこちら。

”凜”とした空気感が良いですね。

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最後の 3 つめがこちらです。

実際は、駐車場からお墓のある場所まで、約 500 m くらいなので

さほど遠くはありません。

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3 つめの橋を渡りながら、上流を撮影。

お墓は、この奥です。

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3 つめの橋を渡り終えると、整備された道に。

奥に行くに従って、段々と広くなります。

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宮内庁管轄、ということで。

通常は誰もいないようです。

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逆光なのが、かえって良い感じ。

もうすぐそこです。

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見えて来ました、ここが、終点。

あの奥の鳥居の場所が、お墓のある場所です。

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こうして見ますと、かなりの山奥ですよ。

(水は、暖かかったんですが。さすが南大隅。)

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と、通常参拝出来るのはここまでです。

未確認ですが、建国記念日には、鳥居のところまで一般開放される、とのこと。

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ギリまで来てみました。

画面左奥の方から、滝の水音が聞こえるんですが、当然、そちらには行けず。。

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しかし、洞窟のお墓とは。

内部は約 100 坪(!)もあるそうで、初代天皇・神武天皇のご両親が眠っている

とのこと。(因みに、神武天皇が幼い頃に水遊びをしたのが、以前からちょくちょく

寄っている、御池とのこと。)

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さて、お参りを済ませて、戻ります。

玉砂利の広い道です。

ここは神社ではありませんが、お正月には、三が日で約 3 万人の人々が

初詣に訪れるそうです。

町の規模を考えると、凄いですね!

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相変わらず、私一人ですが何か?

でも、その方がかえって良かったりします。

(大騒ぎする場所でもありませんからね。)

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折角なので、ガチで CB1100 の写真を。

ガラスコーティング・アクリーを再施工して貰ったので、ビカビカです!

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さて帰りますか。

県道 544 号線から県道 68 号線に入り、鹿屋を目指します。

と、国道 220 号バイパスで、前方に雨雲発見!

ヤバイ!進行方向ではありませんか!

(南国特有の天気です。写真の、山の稜線部分はどしゃ降りです。)

イキナリこんな雲が、沸いて出てきます。。

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結局、海岸線に出たところで、少々降られ、革ジャンがビチョビチョに。

雨宿り中に、桜島さんがボコン!

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暫く走ったところで、またボコン!

最近はニュースでも取り上げられますが、溜まっている地下のマグマ量が

大正噴火時に迫っているとかで、予断を許さなくなって居ます。

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いつもの、定番撮影ポイントで一枚。

ここに来るのがいつも夕方なので、必ず逆光ですが。

この後、東九州自動車道(無料化実験、無くなりまして。。)→九州自動車道で

帰宅しました。

次回は、南薩でも行きますか!