戯言

をのこのすなる日記といふものを
漏れもしてみんとてすなり。

だぶるぶっきんぐ

2004年09月25日 23時06分29秒 | diary
 なんでさ、まだ2社しか受けてないのに日程かぶるかな。

 もう萎え~ですよ。業種は同じとはいえ志望動機なんか微妙に違ったりするだろ。もうやめやめ!自己分析も企業研究も志望動機もその場で考えますよ!一日に2社も受けたら頭爆発しちゃいそうですよ!



 …そうでもなかった。今日ばかりは自分で自分を褒めてあげたい気分です!

 まず午前はTSTの一次面接。ここは就職サイトには2次面接あり、と書かれているけど実際にはこれが最終面接という噂も。「面接官の質問に対して具体的エピソードを添えながらさりげなく自己アピールをしつつ返答」というのが面接での基本的姿勢だとは思いますが、いきあたりばったりで臨んだ割には驚くほどエピソードが浮かんできました。面接官が若くて緊張をほぐすように時折話を脱線させてくれたのも助かった要因。
 企業面接で絶対聞かれる「勉強以外の学外活動」。聞かれる寸前までサークルの事を喋ろうと思っていましたが、直前にバイトに転向。これが完全に当たりでした。この話についてはまた詳しく話したいと思います。

 午後はグッドウィル・エンジニアリングの2次選考。午後は完全に午前のエピソードの使い回しでした。しかもいきあたりばったりとは違い、ある程度用意されていたので話もよく練れてリアリティ満載ってカンジに仕上げときました。はっきり言って手応えばっちりキタ━━━━━(゜∀゜)━━━━━!!!!

 というわけで午前のTSTからは内々定を頂きました。もうすこしシュウカツを続けるつもりではありますが、シュウカツについて色々と感じる事も多々あったのでまたいつかシュウカツについて総括を出したい思います。

 

ほんめい

2004年09月22日 23時39分43秒 | diary
 本日はグッドウィル・エンジニアリングという会社の説明会でした。グッドウィルといえば皆さん耳にした事くらいはあるかと思いますが、人材派遣で有名な会社であります。そのグッドウィルが以前から需要の多かったエンジニアの派遣について2004年に新会社設立というかたちで独立させたのがグッドウィル・エンジニアリングです。
 さて、説明会ですが、ぶっちゃけ最初はあまりこの会社に興味はありませんでした。就職サイトに「説明会でグループディスカッションあり」と書かれていた事からハードル高そうだな、と思っていました。何を隠そう、オイラはグループディスカッションが大の苦手。授業でグループディスカッションをする時は大抵何もしゃべらずかずおみたいに腕を組んで話を聞いているだけです。なので社会見学くらいのつもりでした。

 ところが若い人事部の方の熱心な説明に触発され、オイラも徐々にヒートアップして行きました。仕事内容、諸手当、福利厚生と何をとってもやはり大手。抜かりはありません。実際技術系アウトソーシングなんてどこでもやってることは一緒さ、くらいに思っていた自分がアホでした。

 さて説明も終わり、一次選考を兼ねて筆記試験を行いました。これが散々の出来。こりゃ落ちたな、と思いました。無花果なんて読めねーよ!いちじくと読むらしいです、かずおに聞いたので間違いありません。

 かなり気持ちが萎えながらもグループディスカッションへ。お題は「あなたがたが幹部となって新しいサークルを作ってください。その際に運営を円滑にするための規則を3つ設けてください」というもの。KTC委員で培った運営の技量が試されるとき!今こそアピールしまくるのだ!

 …ぜんぜんだめ。みんな必死にアピールしようと喋りまくり、何か話がまとまってないカンジ。そこでオイラは駄目元で「規則を提案する」という行為を諦め、他人の提案した規則にダメ出しを入れるというある意味一番簡単でオイシイ役回りに定着する事に成功する。なんか冷静さをアピール、みたいな?グループディスカッションは喋りまくってりゃいいってもんじゃないんだよ( ̄ー ̄)ニヤリッ

そんなこんなで先程一次選考の合格通知がメールで届きました。今日からはこの会社を第一志望にガンバって参りたいと思います。

セツメイカイ

2004年09月19日 00時05分43秒 | diary
 今日はTSTという技術系アウトソーシングを扱い、エンジニアを様々な企業に派遣する会社のセツメイカイでした。この企業はまだできて間もないアウトソーシンングという業界でも10年の歴史を持つと唱っており(それでも10年ではあるが)、売り上げも創業以来ずっと右肩上がりなんだとか。オイラにとってはこれが生まれて初めてのシュウカツとなります。いささか緊張しますた。この時期の採用は、当たり前ですが人数も少なくあまり大規模には行われないため、セツメイカイにいたのはオイラの他には一人しかいませんでした。しかも金髪でした。

 淡々と会社の説明を受け、ふんふんとうなずくだけのオイラ。事前からもしやとは思っていたけどやっぱセツメイカイって自分の会社の長所しか話さないのかなあ?オイラとしては会社の欠点とまでは言わないにせよこれから改善すべき点なんかもきちんと教えてくれるといいと思うのですが…。

 そんなこんなで説明終了。春はここで解散だったみたいだけど、時期が時期だけに筆記試験もやる?みたいな流れになり、入社試験と銘打たれたテストを受けました。機械系の問題をチョイスしましたが、オイラの専門分野である燃焼の問題は一問も出ませんでした。問題は主に機械系で使いそうな簡単な法律の問題や、材料の材質についての知識、材料力学、設計の知識、みたいなカンジでした。出来はまあまあといったところでしょうか。次は面接なので今一度志望動機などをまとめておきたいと思います。

 ここからは余談ですが、オイラの勝手な思い込みとして「セツメイカイの帰りはラーメンでしょう」というのがあります。普段ラーメンだけの理由で東京に行く事をヒヨるオイラはここぞとばかりに東京のうまいラーメン屋巡りをしようと考えていました。で、今日食べたのが六角家。やっぱ家系だよね。六角家はスープは豚骨が効いててうまいけど、醤油が少し弱いかなとも思うので味濃め固め推奨。

シュウカツですが。

2004年09月13日 22時57分55秒 | diary
 とりあえずリクナビからエントリーしまくってセミナーを予約してます。オイラのような下々のモノには到底感じる事のできない事ですが、どうやら昨今は景気も上向いてきているようなので秋採用という枠も結構あるみたいです。太一氏の教えに習って、「焦って推薦」という事態は避けようと思ってるんですが、この時期の推薦は早いもの勝ちなため嫌でも焦るんです。春の採用と違って贅沢も言ってられないので、数年後の転職も視野に入れて当面は己のスキルを伸ばしてくれるような教育熱心な企業に入りたい所存。ただ、企業サイトなんかじゃそこいらへんの実態は掴めないので実際に見聞きして判断したいと思います。シュウカツとかやっちゃうと己が如何に世間知らずが思い知らされて赤面しちゃいそうだね!

もう2日も前の話ですが

2004年09月12日 15時12分54秒 | diary
 院試に、落ちた。

 正直言って今までの人生において、自分の将来について深く考えることなく「とりあえず大学に行っておこう」とか「大学院に進学しておけば間違いないんじゃないか」とか思ってた。
 ただ、すでに企業に就職している人の話を聞いても教授の話を聞いても、皆一様に「必ずしも今研究している内容と同じ事を仕事に生かせるとは限らない」なんてことを言われていて、院に進学する意味について疑問に思っていたのも事実。また給料についても、初任給は学部卒より修士了のほうが良いに決まっているが、学部を出てから2年も働けば修士を出た人の初任給に追いつけるなんてのはよくある話で、それなら2年分給料を得られる学部卒のほうがいいし、企業で本当に必要となる知識を得ることのできる時間が2年間も長い学部卒のほうが有利だ。

…というのは負け犬の遠吠えです。

 まあ、どんなときでもポジティブシンキングは大切だって成功者はみんなテレビで言ってますし…
 これからは就職活動というやつに励まなくてはなりませんが、内定の一つでも決まったときには皆さん飲んでやってくださいな。

幸福量保存則

2004年09月09日 21時35分09秒 | column
 オイラがまだ幼い頃から信じてやまない法則が一つあります。それが「幸福量保存則」。「人間が一生のうちに消費できる事のできる幸福量は生まれながらに決まっていて、かつ万人同じ量である」というものです。幸福と不幸はプラスマイナスの関係で打ち消し合います。仮に人が一生のうちに消費できる幸福量を10として、例えば好きな人と付き合えたので幸福量5消費。残る幸福量は5です。ここで財布を落としてしまったら幸福量は-3となり、残った幸福量は8となりました。…と、大体こんな感じで、人間は一生で生まれた時よりほんの少し幸せになって天に召されるのです。

 これになぞらえば、今現在幸せそうにしている人も晩年にはどんな不幸が待っているか分からないし、万が一宝くじで一億円でも当ててしまおうものなら、今後どんな不幸が襲いかかってくるか考えただけでも恐ろしい。一生分の幸福量を使い切ってしまえば、余生は不幸、もしくは幸せでない状態が継続する訳です。逆に今はとてつもない逆境に立たされていても、辛抱して精進を重ねればいつかは花開くというもの。夢と希望に満ち満ちた法則じゃあありませんか☆

 ただこれは、幸福量が個人のなかで補完されるかどうかは微妙。例えば現在とても幸せな人が交通事故などで突然逝ってしまった場合、その幸福量に見合うだけの不幸量はその人には訪れません。ただ、その人のまわりで悲しむ人は多い訳で、結果的に巨視的に見れば幸福量は保存しているんです。

 これを見ている貴方。貴方にも覚えがあるはずです。ある社会で、仲間と過ごした時間が楽しければ楽しいほど、別れは辛くなるものです。ただ、オイラとしては一生分の幸福量を生きられる時間で割って、断続的に微少量の幸福を得るよりは、一気に幸せになったり、その分不幸になったりと起伏の激しい生涯のほうがきっと楽しいと思います。皆さんはどう思いますか?この法則に対する意見や、「もし幸福量が保存しているならどんな生涯が理想か」など、意見お待ちしています。

己を磨くってコト

2004年09月08日 22時29分15秒 | diary
 一日が過ぎてゆく。

 今日は学校行って研究して、少し中間発表へ不安を覚えて、家庭教師して寝るだけだ。去年までの華やかな生活から考えれば、信じられないくらい質素で平凡な一日だが、こうして少しずつ学生という世界一優雅な職業から「オトナ」になっていくのだろう。遊べないのは正直つらいけど、今しかできない事もあるはず。発表やら何やらでパソコンに向かう時間が多いので、あきら氏に教えてもらった「spybod」なるアンチスパイウェアソフトなどでノートパソコンの環境を整えたり、日記を整理したりする時間はある。将来を見据えて(今更)自分と向き合う時間だってある。何より豪遊してる時は絶対に作れない時間が得る事ができる。それは、「自分を磨く時間」。

 もとより自分だけの時間を持つ事が大好きなオイラにとって、ピアノだの料理だの自分の好きな事をしてスキルを身につけることができる時間を持てる事は極上の喜びなのです。また、健康に気を使って、カラダの中から美しくなることも自分を磨く事になると思う。さらにダラケきった肉体を引き締めるべく筋トレなどに励む事も己を磨く事。

 こうして考えてみれば一見何もないような一日でも充実して過ごせるような気がしてきた♪これからの数週間は修行僧の如く質素な生活でがんがってみたいと思います。

たび ー続編ー

2004年09月05日 22時36分42秒 | diary
 前日に続いて今日は奈良に行く事にしました。オイラは中学の修学旅行でメジャーどころ京都に行ったあと、翌日にはなぜか広島に飛ばされ、原爆ドームと語り部さんの戦争体験記を見聞させて頂き、子供ながらにすげーブルーになったのを覚えていますよ。まあそれも今となっては貴重な体験でした。そんな訳でオイラは奈良に行った事がなかったのです。

 「奈良と言えば鹿と東大寺の大仏」と安直に考えた一行は、迷わず東大寺に直行しました。公園には鹿、鹿、鹿…。鹿せんべいをあげれば人懐っこく付いて来るし、最初はかわいいな、と思っていましたが、ものの5分で飽きた。あまりにも多数いらっしゃるので有り難みもない。臭いし。

そういえばあきら氏はそこいらじゅうに転がっていた鹿のフンに対して「こんなものはほとんど繊維だ」などどぬかしながら、踏みしだいて歩いていました。

 東大寺の正門をくぐると本殿までの道が開けて、とても奇麗でした。特にこの日は曇りで、「寺社には曇りが似合う」などと自分勝手に思っているオイラには絶好の天気でした。本殿には写真でしか見た事のなかった大仏が悠然と座禅を組んでいて、その表情はとても穏やか。何とも表現しがたいまったりとした雰囲気を味わう事ができますた。
 そして本殿には、柱に人がやっと通れるくらいの小さな穴が開いている箇所があり、いかにも「通ればゴリヤクがありますよ」的なムードが満載なスポットなのですが、果敢にも挑戦した中国系の父っつあんがつっかえて、危うく一大事になりかけていた。そのあとオイラ達にそそのかされたあきら氏が恥ずかしそうにスルっと通り抜けていました。…つっかえればよかったのに。

 本殿の見学を終え外に出ると、雨が降っていました。かなり強い雨だったのでしばらく本殿で雨宿りすることに。雨降りの奈良というものもなかなか風流でした。

 雨も弱くなったという事で、しとしと雨の中、正倉院に向かう事に。やれ「しとしと雨は風流だ」だの、やれ「正倉院は校倉造りだ」だのとわいわい歩いていても、なかなか正倉院にたどり着かない。やっとの思いで発見したら、閉まっていた。

 きちんとはかった訳ではないですが、東大寺周辺だけで4~5キロくらい歩きすっかり身も心も萎えたオイラ達は東大寺だけ見学して奈良を後にしました。ほら、他に見学したい場所を残しておいた方が、また来ようって思うでしょ?

 という訳で車を走らせ三重にやって参りました。三重はGWに引き続き2度目の上陸です。が、相変わらず「CoCo壱」以外何もない所でした。何気に移動時間がかかったのでもう夕方。さっそくお目当ての松坂牛を食べに行く事にしました。昨日の近江牛と比べた結果…全体としては松坂牛の勝ち!やはり値段と肉の質の関係を考えれば松坂牛のほうが上です。ただ、ホルモンは近江牛の方がうまかったと思う。

 腹もふくれたということであきら氏の家に舞い戻り、しっぽりと飲む事にしました。ここで熊さんともお別れ。熊さん、本当に色々とお世話になりました!

 あきらの家では色々な事がありましたが、それはまた今度の機会という事で。強いて言うなら、地震すげー怖かった…あきら氏の家にいると退屈しないね!

たび

2004年09月04日 22時48分42秒 | diary
 旅行が、好きだ。

 旅先には、なんと言っても都会にはない安らぎがある。訪れる先訪れる先で文化が違う、歴史が違う、雰囲気が違う。その安らぎに触れるために人は旅をする。
 人間を「安らぎを感じる瞬間」というカテゴリで分類すると、2種類に別れるそうだ。一つは、自分より小さなモノを見て安心する人。他方は、自分より大きなものを見て自分の存在の小ささを思い、悩みを飛ばす人。僕は、後者です。



 という訳で、京都に行きました。院試面接が終わったその日の夜から、くつ氏と二人で夜行バスで上洛を開始しました。前回京都に来たのは中学校の修学旅行の時。そのときは金閣寺だの清水寺だのと有名どころを回りましたが、今回は前よりもオトナになり「ワビサビ」ってもんがちょっとは分かるようになったので、オトナな回り方をしてみるつもりです。

 京都に着いたのは早朝の6時半。まだどこの寺も開いてません。なのでくつ氏が事前に調査してきた「京都のうまいラーメン屋巡り」第一巡として、朝の5時から開いている「第一旭」という店に飛び込みました。「滅多に来れないお店では一番高いものをオーダーすべし」というマイポリスィーに乗っ取り、特製ラーメンを頼みました。すると…
ただの大盛り(にしか感じられない)ラーメンでした…
味の方は結構おいしい中華そばって感じでした。九条ねぎがバリうま。

 続いて京都駅そばでレンタカーを借りて平等院まですっ飛ばしました。「えっ!京都なのにレンタカー!?バスじゃないの?風情がねーな」と思うかも知れませんが、普通の回り方じゃ諦めてしまうような所まで見に行きたかったのです。
 平等院は鳳凰堂が改装中で入れなかったものの、オープンと同時にはいったので、客がうちらしかいなかった。そりゃこんな朝早くに宇治なんてクソ遠い場所から京都見物を始める輩なんてうちらぐらいしかいなかったんだろう…

 続いて伏見稲荷大社に逝きました。JRのCMでも有名な、鳥居がいっぱい並んでるアレです。ほんとは山の頂上まで鳥居が1000個並んでいて、全部くぐるからこそご利益もあるんでしょうが、往復で1時間20分とか萎える数字を提示されたので、3合目で引き返してきました。

 お次は慈照寺、通称銀閣寺です。ここは金閣寺という中学生なら逃せない見目麗しい建造物から遠い地に隔離されてしまっているし、銀箔も予算の都合上カットになってしまっているのでミーハーな中学生にはなかなか縁のない寺ですが、そのシブさでは京でも1、2を争うものであり今回の目玉といっても過言はありません。感想としては、義政マンセーって感じでした。多くは語りますまい、言葉にはならない迫力というものがこの世には存在するのです。興味のある方は御自分の目で確かめなされ♪

 ここで銀閣寺の周りにあるお店でちょっと興味深いものを発見しました。京都といえば「パチもん」でも有名ですが、あまりに面白すぎるパチもんと遭遇しました。銀閣寺周辺のお店ではハンドタオルしか売られていなかったのですが、くつ氏はそのキャラクターにぞっこんラブとなり、そのキャラクターがプリントされたTシャツを求めて後に清水の麓まで探しに行くはめになったのですが、京都にはハンドタオルしか置いておらず、しかも生息数はたったの3匹でした。需要と供給が全くかみ合ってませんね。京都のパチもんにはさすがに「神の手」は作用しないんですかね。  この日、パチもん探しという京都の楽しみ方の新しい形がうちらによって確立されたのであった…そうまでしてうちらが求めて止まなかったキャラクターについて興味がある方は祥多までご一報下さい。写メを送りますどすえ。

 さて、続いては「哲学の道」という銀閣寺から平安神宮を抜けて三十三間堂あたりまで10キロ以上延びている道を500メートルくらい哲学しながら歩いてみました。まさに「哲学の道」という名前にふさわしい道で、川沿いにそってあるくとさながら芥川龍之介や川端康成や岸辺露伴にでもなったような気になれます。ぼさっとした髪型でヨレヨレの浴衣に下駄というスタイルで、クシャクシャの煙草を吹かしながら歩くのが合うと思います。それでいきなり何かを閃いてダッシュで家に帰って先程考えたフレーズを書き留める、そんな風にして名作と呼ばれる文学作品はできたのでしょう(ベタだな)。

 そのあと平安神宮に5分間程度立ち寄るなどして、気づけば夕方。目当てだった龍安寺も閉まってしまいました。まあ楽しみは残っていた方がまた京都に行こうと思えるしいいか。今日は大津の熊さんの家にお泊まりして宿泊費を浮かす魂胆なので、京都を後にしました。そのあとあきら氏を大津まで呼び出して近江牛を食しました。明日の松坂牛とどっちがおいしいかな?


 京都のまとめ。やっぱり京都はいい。そりゃ名のある戦国武将どもがこぞって上洛する訳だ。建物や街並がいままでに過ごしてきた何百年何千年という月日から考えればオイラの悩みなんて実にちっぽけなもんさ。
院試がどうとかもうどうでもいい。

院試面接当日

2004年09月03日 23時00分00秒 | diary
 今日のオイラはひと味違うぜ。パリっとしたスーツを身に纏い、いかにも知的でクールな感じだ。そう、今日は面接当日。教授陣に一泡も二泡も吹かせてやるぜ!

 しかし、その思いとは裏腹に容赦なく長い待ち時間というプレッシャーに押しつぶされそうになるのだった。
そこで宇宙船でクリリンとイメージトレーニングを繰り返した悟飯の如く、あらゆる質問に対応できるように、一問一答のシュミレーションを頭の中で反芻した。

 いよいよ次はオイラの出番だ。いやがうえにも緊張が高まる。と、その時とてつもなく重大な事を思い出した!

大学院進学の目的をシュミレートしてないじゃん!

大慌てで志願票に書いてあった内容を思い出すオイラ。そして教授陣の待つ重い扉は開かれた…

祥「失礼します」
教「では受験番号と名前を教えて下さい」
祥「受験番号515、荒井祥多です」
教「まず大学院進学の目的を教えて下さい」

キタ━━━━━(゜∀゜)━━━━━!!!!
あぶねーー!

当たり前と言えばそれまでだが、当たり前の質問すぎて忘れてた。

 進学目的やテストの内容に関する質問を無難にかわすオイラ。そして面接の最大の関門と言えよう、研究の内容に関する質問が飛び出した。
 ここでオイラはある秘策を持って面接に臨んでいた。研究内容に関して知っている限りを繰り出すと、さらに突っ込んだ質問をされたときに返す言葉を失う!そこで最初の説明の段階で、わざと説明に穴を開けておき、後発の教授の質問を誘発する作戦だ。
 この作戦が功を奏し、さすがのオイラでも研究内容に関する質問への解答はバッチリだったと言うしかない。ただ、実験装置の説明のときに「黒板に書いてみて」と言われ、立ち上がって描写しているときのオイラの足は、まるで生まれたての子鹿のようにプルプル震えていた。

 続いて「あなたの研究に使われている無次元数は何ですか?」という質問が飛んできた。
オイラは無難に「レイノルズ数です」と答えた。
実を言うと「ルイス数」という無次元数も使われているのだが、自分でもよく理解できていないのではしょってしまう予定だった。

 が、教授陣は「本当にそれだけ?」って目でこっちの様子を伺う。
その悠久とも思えるような間に耐えられなくなったオイラは「…ルイス数もです」と答えた。

 すると、待ってましたとばかりにルイス数に関する質問を畳み掛けられ、オイラは年甲斐もなくオロオロし始めた。「このままではヤウ゛ァイ!」そう直感的に察したオイラは、以前くつ氏から授けられていた最終兵器にそっと手を差し伸べた。



「大学院に行って、勉強します」

そう言い放つと、教授陣は爆笑した。何とかこの場を切り抜けられた…

 その後は、もう事前に皆様から収集した情報通りに淡々と進み、特に悪いと思われるところもなく終了した。

 研究室に戻り、うちの教授の感想を仰ごうと帰りを待っていた。教授は帰るや否や

「テスト悪かったねえ。」と一言_| ̄|○

どうなるオイラの運命!?