蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 1

2017年05月08日 | 小説
(表題一回目の投稿)


=写真は表題の本と文中取り上げた野生のスミレ、ポケット版=
猿でも分かる構造主義を4月5日(2017年)から8回投稿した。その背景は昔とった杵柄、フランス語を磨きあげんと、東京お茶の水のA学院に通学し始めたのが契機。2015年9月、折もよく哲学・人類学の講座が開かれていた。講師はPierreGodo師(哲学アグレジェ、大学教授資格者)、取り上げたのがレヴィストロース著の「悲しき熱帯」。理由について「一般の知識人(哲学、人類学の徒でない)が読んで楽しく、かつ彼の哲学(構造主義)の後の発展の基盤を各所に書き連ねてある」Godo師は何も知らない投稿子(蕃神ハガミ)を教えた。それ以前出版の「親族の基本構造」、以降の「野生のスミレ」は文化人類学の見識がないと、例えば「ニューヘブリデス島で実践されている贈答の慣行クラとは…」の行に出会っても、クラもヘブリデスも知らないから、多くの頁を読み外すだけに終わる。
手元のポケット版は講義に合わせてアマゾン購入、講義に並行して読み進めた。猿でも…で掲載した写真を再掲する。社会学・人類学徒を熱狂させ、日本でも一世を風靡し紙価を高めた著名な作品、そのあらましとは;

1 フランス文化で言うところのレシ(recit)、主人公は「私」で語り口が「私」、その感覚や外界世界の受け止めがテーマであり分かりやすい。土佐日記に代表される日本の「日記」に近いスタイルである。反面、ロマン(roman)よりは物語の地平が拡がらないとされる。ジッドの「狭き門」はこのスタイルのノーベル賞レベルの傑作。
2 1954年、レヴィストロースはコレージュドフランス(College de France)教授職、人間博物館(Musee de l’homme)館長職の就任を学会の主流派(ノルマリアン)から拒否された。失意のレヴィストロースに手を差し出したのがマロリー。人間の大地叢書に「一般向け」の読み物を書いて欲しいと(=猿でも…の2回目)。依頼を受けて1954年10月から4ヶ月で書き上げた。
3 497頁に及ぶ大作にはフランス語に素人の投稿子(大学4年間で学んだのみ)でも挑戦したい魅力が溢れる。分かり易いとの評もあってその尺度をある方(日本人)が「リセ上級生にも理解できる程度」とした。その通り、正しいと感じる反面、それでも、小老(蕃神ハガミ)は一行あたり数度を躓く。ねじり鉢巻と辞書は、もちろん、離せない。
私程度の仏語理解力をお持ちの方、それ以上の造詣をお持ちの方は、日野市には少ないが、日本には多いと信ずる。アーベーセーから始めてでも原文で挑戦するを勧めます。

この構想を、孫のハルカちゃんに会いそびれた「失意の」K氏に明かしたら;
「それって川田順三っていうお偉い文化人類学者さんが完訳したヤツですよね」と返事しにくい指摘を投げてきた。小老は顔をしかめながらも、
「あれは立派な仕事だ、4ヶ月で書き上げた著作を14年かけて訳したのだ」
「原文を読まなくとも、立派な訳本がシリツ図書館の閉架書庫でお待ちしてるのでは」
K氏は投稿子の仏語能力を疑っているのだ。年金老人とはいらん時に鋭く、洞察力を披露するヤッカイな者共なのだ。
「シリツ図書館の世話にはならぬ、原文に挑戦するのだ。日本語とフランス語では基本的に異なる。原文をドクハする事で、神様、レヴィストロースの思想に触れる」
K氏は投稿子が神様の「思想に触れる」に納得していない。「ドクハするだって?フーン」の鼻息で白け振りをあからさまにした。そこで投稿子は;

フランス語の名詞には男性女性、単数複数。3種の冠詞、8の時制、3の法(直接、接続、条件)など複雑な上、これらは日本語には存在しない。条件法をとっても「あり得るかあり得ないか」に言及しない単純条件と「あり得ない条件」を示す仕組みがある。あり得ない過去を仮定して、そうなったら今頃はどうなっていたか。そんな言い回しに原文なら肉薄できる。
「そこを知るのが苦労しても原文で肉薄する理由だ」かく、投稿子は、疑いを隠さないK氏に曰った。

本文の書き出しが < Je hais les voyageurs et les explorateurs >
訳すと<私はあらゆる旅行者と探検者が嫌いだ>である。Lesは定冠詞複数形、旅行者という者の全て、探検者という者の全てが嫌いと語る。しかし彼はブラジルに旅行し部族の研究をした訳だから、その範疇にしっかり入っている。この絡繰りを考えていくと、レヴィストロースが嫌いなのは「旅行する」「開拓する」人々ではなく、行為その物なのだ。すなわち、はからずも旅行して探検して、ボロロ族、ナンビクワラ族などに闖入した懺悔の一文と読める。レヴィストロースが訪問しなくともボロロ族はボロロ族のまま生き続けるのだ。
実質では本文の最後となる495頁に<Le monde a commence sans l’homme et il s’achevera sans lui>
宇宙の始まりを複合過去で始めている。その宇宙は未だに続いているとの意である。始まりに人間は存在していなかった、終わりにも人間は居ない。終わりと訳したが、ここに用いられているs’acheverは一仕事を完成するの意が強い。すなわち「今のこの宇宙は昔に始まって、今でも続いているけれど、一段落ついて必ず終わる(単純未来)。始まりにも終わりにも居ない人は宇宙にとって無視されるモノ」と伝えた訳である。
無神論者の乾いた、突き放した言い方であろう。K氏には
「仕事の懺悔で始まり、無神論の響きで終わる。ならば本文はこんな文章の機微がてんこ盛りだい」と伝えた。その上「そもそも題名の悲しき熱帯が苦肉の訳なのだ」

1の了 次回投稿は5月11日

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