蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

身を捨てる荒野はあるか 2

2012年10月08日 | 小説
飼い犬チャビの死、死直前の奇怪な徘徊を目にして投稿子は、人の二大タブーの起源を推理しています。
二大タブーとは
1 近親姦
2 カニバリズム(共食い)です。

どの民族、時代においてもこれら二のタブーは、絶対に踏み入れてはならない禁断の地として隔離されていた。しかし犯されるからこそタブーとされるも真実です。
「空を飛んではいけない」あるいは「腐肉を喰ってはいけない」はタブーではありません。人間の運動、生理機能を越えるので、実行しように身体が許しません。あらためて「いけない」と規定しません。そしてタブーは悦楽、近親姦には悦楽が伴うと歴史は知っている。

エジプト王朝家の水平婚(タハケ=兄妹弟姉で姦する)があります。太陽アラーの子としての血統を維持する名目です。現在でも、世界の犯罪歴裁判記録を見ると(ウィキで)、幾度もこのタブーが犯されているに驚く。
(日本では近親姦には刑事罰はないので裁判にならないから、記録がない。キリスト教諸国での裁判記録が参考になる)

水平婚(あるいは上下婚=オヤコタハケ)から逃げるため、若者は居住するバンド(部族の小集団=今は家)を離れ、荒野=昔のハントスポット渋谷みたい=に彷徨く訳です。長い間、男が彷徨いたのですが、最近はコンカツと称して女子が外に出る。肉食なので旺盛である。たまさか都心に向かい、山手線でサカリついた風の女子が目立つのも荒野彷徨願望なのだ。

死期に気づいた老人老犬がバンドから逃げる起因がカニバリズムであるとした。各地に見られる「姥捨て伝説」、そして老犬の脱走伝説は共食いを防ぐ荒野への彷徨だったのだ。

犬の歴史なぞ知らないが、このカニバルには「タブーは犯される」人間の歴史があります。古代人(エレクトスやネアンデルタールなど)の化石に散見される石器の筋痕は、死体を食するため肉を分けたとされる、アメリカ原住民アナサジ族は高い定着文化を誇ったが、骨化石には石器の筋痕が発見されている。
最近まで食人は残った。中国共産党が実施した大躍進(1958~1961年。農業革命人民公社公共食堂の3悪運動)は、食料の増産に「大失敗」して大不作を招いた。一説に5000万人の餓死者(撲殺者含む数字)を出した。被害の甚大な四川省やオルドスなどで大規模に「食人」が発生した。飢餓に追い込まれたため、タブーと自覚しながらも「やむに止められない」事情がそこにはあった。

タブーを持たない部族はどう行動するか。
ニューギニア高地民のフォレ族(フォアとも)の例をあげる。クールー病とされた謎の疾病が「共食い、とくに死者の脳髄」を食する葬儀習慣によると究明したのはカールトン・ガイダシェック博士(米国)。1950年代後半の現地調査などの研究成果によりノーベル賞を授与された(1976年)
共食させられ(牛由来の栄養タンパクをの混入した飼料)、全身の震えが発病した牛のハンバーグを食った人が罹患する(可能性がある)クロイツフェルトヤコブ病、その発症原因がプリオン(伝染性タンパク質)で、クールー病と同じ機構だと解明したスタンリー・プルシナーもノーベル賞を取っている(1997年)。
共食いは危険なのだ。

クールー病には「飢餓、止むに止められない」事情はない、ある慣習に根付いていた。フォレ族の葬儀とは、隣村から参列も含む多数が喜び集合する「饗宴」であった。死者は切り刻まれ、肉も膏も、脳髄も骨髄も全てが参列者に食される。そして共食いした参列者達の末期とは;

ガイダシャック博士をフォローしたロバート・クリックマンの報告(震える山、法政大学出版局2003年)では、患者65人を特定し、そのうち少なくとも50人が葬儀饗宴に参加した。最長の潜伏期は41年前、一回だけの食事(死者の脳)での感染で発病した。これからも発生者がでる予測もある。
病者は多くが女性、男性は幼少の時期に饗宴に参加した者のみです。成人男子は饗宴には参列しない、彼らは飼育するブタを食べ「平素から肉を喰っている」がその理由である。
女子供たちには「ブタは食えない、しかし肉を食べたい」欲求があり、饗宴を待ち望み、喜びいさんで参列し、死者を切り刻んで食した。
ここにはカニバリズムのタブーは一切ありません。それが無ければいとも簡単に食人を実行する、タブーのベールを剥がせば食人はかくも悦楽なのです。
彼らフォレ族は石器時代の生活を送るとはいえ、ホモサピエンス、人間の仲間です。

死期近い老人が荒野を目指した背景は、食人饗宴から身を隠す、逃避の徘徊です。

蛇足:ガイダシェック博士はプルシナーがノーベル賞を取った年に「少女淫行」の罪で告訴された。博士も事実を認め、1年の禁固刑を受けた。少女は博士が養女にしたニューギニア移民で、かの地では世代を越える淫行(男が年長のケースで)は普通の行為であるらしい。ノーベル賞受賞者で刑事犯として実刑受けた例を他に知らない。
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身を捨てる荒野はあるか

2012年10月05日 | 小説

奇貨置くべし(9月19日投稿)として飼い始めた雑種犬チャビ、ご近所との「善隣外交」では主人を助ける異才ぶりを発揮、奇貨なりの価値を発揮したが9月18日に死んだ。その奇貨、死ぬ前に奇怪な行動を取った。その理由には思い浮かぶ術もなかったが、死んだと知らせた友人が「やはり」と一言、彼なりの説明をうけて納得した。
本能に基づく行動だった。

犬の老衰は脚にくる。チャビも後ろ足が萎えた。尻尾を巻くこともなく、後ろ身は半崩れでヨタヨタと歩く老い様を見せていたが、そのヨタ散歩も叶わなくなった。紐を外して軒下庭先でうろつくに任せるだけにした。それが8月半ば。
8月20日は月曜日、朝早くご近所から電話があってチャビが公園でうずくまっていると。
信じられない。もはや歩き回れないし、公園までは700メートルも離れる。「まさか」と見回すと庭にもどこにもチャビは見えない。やはり逃げたのだ、紐を握ってあわてて外に出た。足下が異常だった。門扉の下、門前のタタキに黒い血糊が流れていた。
公園でチャビを確保したのだが、一筋では説明しにくい状況に戸惑ってしまった。

(写真は後ろ足が弱ったチャビ)

まず門まわりの血痕。
門扉の下にはわずかなスペースしか開いてない。犬には通れないし、それまでチャビが抜け出てはいない。夜に庭に放したのも抜け出せないと安心したからだ。確保したチャビを検分すると手先と背に血の流れ痕がこびりついていた。出られる筈のないわずかな隙間にのりだして、身を削り血を流して這いずり逃走したのだ。

公園で見つけて紐をかける主人の私をにらみつけた。あたかも「お前など待っていない」との拒否反応、鼻面皺寄せてのイガミ面で飼い主を脅す。これも戸惑いの理由、「意識の混濁」と理解したが、理解足らず。本能だった。

一週の後、四肢の麻痺が進行して、ようやく立つだけになった。「あの萎え具合なら」もう逃げないとの判断、門扉下にブロックを積んで隙間を塞げば安心。それが9月2日、紐を外した。翌朝、数軒先の空き地に人だかり。再度のチャビ脱走だった。門扉下のブロックが倒され、またも血痕。チャビは四肢の萎えが進行している、公園にはたどりもつかず100メートルほどで力尽き、うずくまっていた。

犬猫に詳しい友人にはこの脱走劇を逐次、報告したのだが、その時彼はただふむと頷いただけだった。最近、チャビの死を話したら「やはり」の一言。この脱走こそ「本能だ」と言い切った。

彼の説明は、
=犬猫は死期の近づくのを自覚する。まだ脚が動く間に群れから離れたいと渇望する。老残の身、よろけながらも最後の力で逃走する。何処か遠くに行きたい、半死の身を見知らぬ荒野に曝し死を迎えたい。己の死体を群れに見せたくないとの一心で逃げる。
カニバル(共食い)を防ぐ本能だ。
雄の子が性的に成熟する前に群れを追われる。これはインセスト(近親姦)を防ぐ仕組みで、どの動物にも刷り込まれている。これと同じく脳の真底部で起動する本能だ=
とのたまわった。

脱走を聞いた時、彼がフムと頷き無関心を装ったのは、犬族行動学的に「チャビの死が近い」と判断したからだ。その見立てを飼い主には伝えられない。遠慮しただけでチャビ死を予見していた。

では脳の真底部とは、
犬猫でも群れ行動(規範、倫理)、他者認識(集団の理解)、原始言語(叫びを通じての会話)はある。言ってみれば動物の知性で、これは進化に伴い増大した脳発達部に蓄積される。蓄積とは遺伝ではなく、個体の社会活動で訓練、習得されていく。その知性を記録するのが前頭葉、側頭葉。両の頭葉とも酸素供給が減るとたちどころに混濁する。PCにたとえればHDが不調になったアプリケーションソフトである。

後天蓄積(アプリ)が「老衰=循環系の後退=からの混濁」ではぎ取られると、行動を制御するのは脳幹に近接している真底部だけになる。デフォルトの「組み込みOS」が起動する、これがカニバル・インセストを防ぐ本能である。

友人の説明に投稿子は頷くばかりだが、そしてハトと気づいたのだ。「人間も同じじゃないか」と

楢山の姥捨て、ドゴン族(アフリカ)の老者遺棄、エスキモーの老人雪原捨て、それどころか今でも街をうろつく痴呆老人。すべては本能で徘徊しているのだ。

本能が「お前、荒野で死ね」と命令するのだ。(続く)
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飢餓幻想、総裁のカツカレー考

2012年10月01日 | 小説
投稿子は「グルメ」風潮を批判する者です。その理由として「グルメ」と偉ぶり

1 食を「ウマイ喰い物」に矮小化して
2 食のあり方をウマクつくるウマク喰らうの技術論ーの些末閉鎖に閉じこめている為です。

食の原点は精神身体の維持であって、生を完遂する意志に他ならない。いわば生きる宿命であり、周囲環境、足をつける風土への感謝であります。感謝を忘れ「ウマイ」に身を委せたグルメ評論家を、経済成長、小金持ち達の金満風潮の「あだ花」と否定しました。

食への感謝の例として「白いマンマと豆腐汁」を上げました、乏しい食生活ならではの感謝です。しかし真剣さではおとらない別の感謝に気づかなかった。最近のニュースでそれに気づき、書き足します。

思い起こさせたのは「安部さんカツカレー」です。

自民党総裁に選ばれた安部晋三氏は「潰瘍性大腸炎」(厚労省指定の難病)に病んでいて、首相職を離職した理由がそこにあった。総裁選で復活した訳ですが、
テレビでは

>田中さん(経営コンサルタント)は「お腹痛くなっちゃって辞めた」と話し始めた。これに司会の小倉さんが「子どもみたいだったと思う」と口を挟み、田中さんも「そうなんですよ」と続けた<
>安倍氏は、辞任理由の1つに病気を挙げたが、全国に10万人規模でいる厚労省指定の難病「潰瘍性大腸炎」を患っていることを後に明かした。腹痛に苦しんだのは、このためだ。それだけに、ネット上では、腹痛を巡る番組出演者らの発言に批判が相次いだ。
「好き好んで病気になる人がいますか?」「難病だし、苦しんでる人がいるのに」「同じ病気の私は複雑な気持ち」といった声だ。中には、「カツカレーを喰えるまで回復したってのは結構すごいこと」といった指摘もあった<

以上は(12年9月27日フジテレビ「特ダネ」の紹介新聞記事、J-Castニュースで拾う

(株式会社ジェイ・キャストの著作物を=無断で=借りています、もし問題があれば
コメントでお知らせください)

と批判が相次いだ。病者をいたぶる発言は許せないが、ネットで相当批判されているし、そもそもが(バカ者評論の自己満足)のテレビなので、ここではスルーし投稿子は最後のカツカレー発言を引用、コメントします。

これは病気快復を食に感じた感謝です。

肺炎を患い高熱が続いた、あるいは胃ガン摘出のあとの初めての食事。スプーンを流れ落ちる湯ほどに薄い粥を、おそるおそる一すくい噛む、粥の温かさが胃にしみわたる。快復者は感謝を感じます。

そして安部氏
胃腑にしみるカツカレーの暖かさを、感謝の気持ちで安部氏は味わったと思います。病身からの快復を保証したカツカレー、さぞかし美味だったかと喜びもうします。

それに対して難病快復を「子供みたいだった」でかたづけるテレビコメンテーターのなんと浅はかなことか。数寄屋橋の寿司カウンターは天国の隣などと無茶苦茶な信仰をのたくる自称「グルメ者」と同じレベルですね。このカツカレーは都心のNホテルで3500円で食べられるそうです。快復の保証にしては安い、投稿子は今も苦しむ宿あ(=長く患う持病)から快復の折りには、3500円を握りしめ挑戦すると決意した。

(投稿子は4年の無収入生活の悪弊で難病の一種=金欠病=に患う。皆様にはどうでも良いことですが)

=飢餓の共同幻想(12年3月30日投稿開始)の補稿として投稿しました。そちらもご参照いただければありがたい=

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