蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 7 

2017年06月09日 | 小説

(6月9日)

レヴィストロースが1935年に調査し悲しき熱帯(1955年)に一章を割いているブラジル・マトグロッソのナンビクヴァラ(Nambikwara)族と縄文人との比較を試みます。出典は「日本の土 地質学が明かす黒土と縄文文化」(山野井徹)から。同書から引用する箇所(文頭の図)には原典があり、それは「縄文文化の考古学的生活空間構造」(小林達雄)です。小林は「縄文人の生き残り」を自称するまで研究を重ねているから、この「縄文空間」は通説として受け入れられていると思う。
山野井の著書には整理された図が掲載されているが、当ブログではそれを直接掲載はせず(いろいろな事情で)、投稿子(蕃神ハガミ)の理解を再現しながら文頭の図にした。稚拙さには恥じ入るがご高覧を願う。
図の説明です。
生活空間の最小単位のウチはイエ、おそらく労働形態としても最小単位でしょう。ウチなるイエはソトのムラと対比される。この対比とはイエでの労働とソト(ムラ)のそれとの差にある。種の管理、収穫の保管などウチでは出来ない技術が必要となる労働が当たる。
さてイエとムラとの対比が突然、上部のソト(ハラ)に対峙する時、ウチに変わる。イエとムラが束になって外のハラに対比する。ハラは原っぱのイメージで草の記号が書き入れた。
さらに、ハラはムラの辺境を形成するけれど、ムラの共有地なので、それを超えるソトの空間に対峙するときはウチとなる。最遠のソトは山の彼方のソラ、あの世である。

このウチーソトの対立回路が日本人の思考の基調にあると思います。例えば看聞御記(日記とも)が伝える中世の惣村への発展が指摘されます。この日記は応仁の乱の荒廃を逃れ自領に退避した伏見の宮貞成王が伏見近辺の村落(惣村)の事情を綴っています。惣村とは自治権を持つ農村で、自治と排他が基盤になります。ムラ(ウチ)の事情とソト(他のムラ)との間の水や芦原の権利抗争が書かれています。
中根のタテ社会を前回取り上げたが、投稿子としては惣村に見られる「ヨコの構造」が日本人の基盤かと考えます。ウチソトの差別思考回路を日本人は今でも強く持つと思いますが。

ナンビクワラの二重性は湿潤定着に対する乾燥移動でした。行動、思考、感情がそれぞれ二極化しており、それらを通して二重の季節を確認し、この二重を統一する世界観を思い起こして族としての自己を特定しています。
二重性は心情にも影響を与えており、定着にはメランコリを移動にはノスタルジを感じています。縄文ではウチあってのソトの対立です。かく、双方に二重性(Dualite)が見られます。
また相互性(Reciprocite)も指摘されます。
縄文ではウチを超える空間にはソトを通してでなくては対峙できない。ソトのハラに対処する為には、平素は仲が悪くとも隣人のムラ集団を介して開墾なり収穫なりを進める。
ナンビクヴァラの相互性とは湿潤定住生活は同じ労働の繰り返しでつまらなくとも、用具什器などの整備修繕、それと食物確保に必要で、定住あっての移動となります。
移動生活は「毎日が新しい発見」で楽しいとレヴィストロースは報告していますが、辛さを補う冒険で相互性を担保している。

違いも指摘されます。
一方が時間・季節での二重性、もう一方は空間のそれ。この違いは構成員単位の差と思います。縄文期には狩猟採取に加え、定着が前提となるクリカキコメなどの栽培農耕を実施していた。するとムラの単位は数十人だろうか。10人あるいは以下とすると原始的にせよ農耕は難しい。反面、員数が増えれば空間の把握、管理がより複雑になり、ウチソトでの整合が生まれた。
ナンビクヴァラは広大な空間に十人未満で移動している。空間の管理には無頓着、季節により異なる労働形態を二極化して、世界観に発展させている。
時間地理の隔絶した2の種族で、労働や感情を(縄文期の感情には想像するしかありませんが、ウチとソトでの分化はあったと思います)二極化する世界観があったとは、構造主義なる文化の解析は正しいとの証明でもあります。
次回は社会構成の複雑さで縄文人を超えるボロロ族を取り上げます。

猿でも構造、悲しき熱帯を読む 7の了 (次回は6月13日を予定)
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