宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

鍬ヶ崎の住宅問題(8)そして田老の住宅問題は?

2013年02月04日 | どうなる鍬ヶ崎

先きに私は「違和感のある土地の買い取り」「整理事業の目的とは?」「奥歯にものの挟まった…」「説明になっていない整理事業」等と鍬ヶ崎の土地区画整理事業に疑問を呈してきた。しかし、忘れてならない最大の疑問は「復興まちづくり」に関する説明が、土地区画整理事業の説明にすりかわっていることである。鍬ヶ崎の「復興まちづくり」はどこに行ったのであろうか?


 

鍬ヶ崎地区の復興は住まいから…

復興まちづくりの最大の課題である住宅問題については、鍬ヶ崎地区の高台移転が進まないが故の、地区の崩壊懸念が最大の問題であったのである。住民の意向調査の円グラフから成り行きまかせの市政の無策が指摘される。鍬ヶ崎の人はもはや津波による浸水地域には住むことができないのである。今日まで、行政はそこのところに手を打たなかったばかりかその事を理解することができないできた。人口流出は防潮堤やシミュレーションの問題ではないことがますますはっきりしてきた。そうではなく被災住民の住まいそのものの対策がないことが問題だったのである。住民は経済的困窮や不安心理や今後の安定生活のことに腐心している。当面する住宅の再建、職場の再興である。




鍬ヶ崎地区復興まちづくりの根幹をなすものは次の三本の柱である。私はこのブログに何度も同じことを書いてきたが、繰り返す──



(1)鍬ヶ崎地区復興まちづくりは高台移転によってまず住まいと生活を安定させる事である。高台移転が、集団移転になるか、小規模集団への分散になるか、また、必ずしも高地でなくても平地でも、要は、希望する人の安心・安全の住まいを確保する事が先決である。政府支援の、経済的にも最も有利な、防災集団移転促進事業(防集)による高台移転が進んでいない。国のせいではなく地区所管自治体のせいである。鍬ヶ崎だけではない多くの市町村でもその現実に直面して出口をさぐっている。──行政はあらためて防集を決断して、全市のデベロッパー、不動産業者、地権者、被災者を総動員して最適土地の候補選択を始めるべきである。また高台移転希望者は(もちろんオール鍬ヶ崎/オール宮古でという意味だが)、若手を中心にしてあるべきコミュニティの青図計画の作成に着手するべきである。いかに鍬ヶ崎が分散しようとも、将来にわたってあるべきコミュニティは残るからである。


(2)災害跡地は、全域、経済特区として、漁業、観光、製造業、商業、サービス業など鍬ヶ崎の産業復興の特別地区とするべきである。鍬ヶ崎人が現地で主体的に知恵を絞って起業する事が理想である。行政も集中的にそれを支援、援助する。復旧企業、再建企業もあるし、新規起業もある。地区の個人、共同での起業、また地区外からの企業誘致や、企業進出も大いに歓迎することになる。職住分離の鍬ヶ崎地区の「産業まちづくり」の太い柱になるのでなければならない。高台移転希望者の土地は宮古市が希望全面積を買い上げ、産業まちづくのために適正配分する事になる。


(3)鍬ヶ崎旧地区の津波防災は、龍神崎堤防、出崎ふ頭、鍬ヶ崎赤灯堤防、鍬ヶ崎港ぐるりの岸壁、の既存港湾施設のT.P.3~5mクラスの堅牢化と相互連携そして閉伊川水門の中止をもって達成する。今はディレクター不在でばらばらであるがこれら施設がまとまって津波に当たれば津波の力の大半を殺(そ)ぎ、回避する事が出来る。必要ならそれを補完する最小限規模の防潮堤の新規建造もあるかもしれない。その場合も、鍬ヶ崎地区の事業用建築基準と避難ファシリティによって防潮堤からの越流もある程度容認する事になる。(その意味は後述するが、防潮堤は決してそれを自己目的にして計画してはならない)。避難ファシリティとは従業員や店員などの産業従事者、地元内外からの買い物客、遠来の観光客等を一人残らず地震発生10分以内に高台避難させるハード・ソフトの確かな存在である。





田老地区の事情…

田老地区についても宮古市は、1月31日、浸水地区840世帯を対象にした意向調査で今後の居住場所について「他の場所」が半数(48%)を占めたと発表した。「田老地区」45%、「未定」7%であった。田老地区の内訳は「乙部高台」33%「かさ上げした市街地」12%であった。(報道各社ニュースより)。

 


もちろん周辺にある非浸水100世帯ほどは依然としてかやの外であって、高台移転もかさ上げも可能性がないのであれば、復興コミュニティと分断されて多くは他の場所に流出するであろう。杓子定規の市政の結果だ。山本市長は「地区外希望の多さは予想以上だ」と他人事のように言っているがそれどころではない。防潮堤頼みの復興戦略が破綻したことを物語っているのだ。田老地区復興まちづくりは、再度、ほとんどを0(ゼロ)から始めなければならない。あせることはないが再構築は世帯の流動化が本格的に進む前に始めなければならない。

もっといえば田老地区の事態はもっともっと複雑である。二線防潮堤の変更、高台移転、土地のかさ上げ、復興道路建設の立ち退き問題、UR都市機構の区画整理事業、非浸水世帯への無配慮、災害危険地域の指定等、多くの問題を同時に抱えている。いいことばかりのようではあるがそうとだけは言い切れない。市長のお膝元のせいかどうかは分からないが復興のためのあらゆる「良きこと」が投入されたが問題は複雑になるだけで、全体の指導性がないまま、どれもこれも住民への相談なしに所管官庁による独善で進められているように見える。昨年までのまちづくり会の結論は反古にされ、正に復興予算の虫食い状態になったと言える。宮古市はその後追いだけだ。もっと地元住民の力を信じるべきである。田老地区は今回の大災害の一つの象徴地区のように思われているが、しかしその支援の手は必ずしも住民には届いていると言えないような気がする。そのために展望をもてない住民はせっぱづまり、しびれを切らして、鍬ヶ崎よりもっと急激に人口流出が進んでいる。この事をどう解釈すればいいのだろうか?




我が家は、当初、高台移転の希望でした。

しかし、『地区外』に住むことになりました。


先祖代々住み続けた田老を離れる決断をしたのは、私ではなく、親でした。

父は長男で、田老を離れることに、抵抗はあったし、すごく悩んだと思います。

移り住んだら、漁業権も無くなってしまうだろうし。。。


我が家の結論として、

もう待っていられない、

老後を考えると利便性の高い場所がいい

ということで、地区外になりました。



ブログ<やっぱすっ。田老町だべ~なぁ~! >
「田老地区復興まちづくりに関する説明会」部分 2013.1.3)より



鍬ヶ崎地区ではまだ緊迫した問題として受けとめられていないと思われる防潮堤問題。田老地区では世界一と言われた防潮堤の崩壊の原因や影響の整理や検証が地元民でまだ行われておらず、なおかつ善後策の展望がまだ住民にしっかり理解・同意されていないまま県土整備部によって超特急で新計画が進められている。そんな公共工事的防潮堤にかかわりをもちたくない住民の心情も人口流出に拍車をかけていることも事実であると言える。

 



田老と鍬ヶ崎は事情は異なるとはいえ、まず住民が始めることは同じである。初めから再構築するという覚悟である。

 

 

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