思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

きれい

2008年04月29日 | Weblog
「taspoカード、もう作った?」と聞かれた。
タバコを自販機で買うときに6月から必要になる。
「えっ、まだです」

「この前うちの母さん作ってたよ」
と話は始まった。

お母さんは店が終わってから、今夜写真を撮る、といって化粧を念入りにはじめたとか。
カードには写真が貼付されるんだそうだ。
なるほどタバコを買うたびに自分の顔を見ることになるわけだ。
運転免許証の驚くべき自分の顔は滅多に見ないが今回は違う、しょっちゅう見ることになる。

そしてお店の下にある「きれい」という名の無人の証明写真室でカシャッと撮影。
驚くなかれ、まるで女優のように美しく撮れている、皺ひとつなし、別人かと思うほど、とか。
とにかく「きれい」に撮れるようになっているらしい。

そんな別人のように美しくなった証明写真を使っていいんかいと思う。
俺もそこで撮ってみようかな等とも思う。

昨日と今日

2008年04月28日 | Weblog
女房と、帰省した結婚しない娘と、私と、3人で行動。

昨日、運転手として家から帝国ホテルまで運転。
シャトルバスで梅田へ出て昼食。
午後、大阪四季劇場で「オペラ座の怪人」を観る。
ホテルで夕食して泊。

今日、午前中は女房と娘はホテル内のエステへ。
私はその間、ホテルの近所を散歩、桜ノ宮公園内の2階の屋外カフェでぼんやりと過ごす。

帰宅して、おばあちゃんの家へ迎えにいき一緒に夜の食事。

一連の行動は女房の誕生日を祝うという理由がありました。
2日間無駄にしたような気分です。

めばるの刺身

2008年04月26日 | Weblog
昨日は馴染みのカラオケの店で刺身をいただいた。
「めばる」の刺身。

66歳の独身男、女房子供に家を追い出されずっと一人でアパートに住んでいる。
日本海に釣りに行った友達が持ってきてくれたという30センチほどの大きな「めばる」、昼ごろまでは海で泳いでいたと新鮮さを強調する。

カウンターの中に入って包丁とまな板を準備してさばき始める。
たちまち2皿ほどの刺身が出来上がった。
昔中華料理店で板前もやっていたというだけあって腕前は確か。

「めばる」の刺身は初めてだが鯛の刺身と味は似ている。
臭みがなくすっきりした味だ。

残った骨は澄まし汁にしてこれまた美味しい。
「あんたはいつもいい時に来るねえ」
と嫌味を言われながらいただく。

その彼は私と同い年だが現役で働いている。
建築現場で働き、毎年会社にいる税理士に2万円を払って税務申告してもらっていると言っていた。
年金もソコソコもらっている。
国民健康保険料を先日払ったが2000円だったといっていて、先日皆に「そんなハカな」とからかわれていた。

よほど癪に障ったと見えて、昨夜その通知書と2000円の健康保険料を振り込んだ領収書を持ってきた。
よくよく聞いてみると税務申告が面倒なので何もしなかったんだそうだ。
みんなが「後でバレたらえらいことになるよ」と忠告する。

ママも「私らまじめに申告したら損するんか」と怒る。

まぬけ

2008年04月25日 | Weblog
英会話から昼過ぎに帰ってきた。
若い子が多くて楽しいなあ、若い子と話すことはこんな機会でなければあり得んなあ、とウキウキ気分で。

女房は昼過ぎに出かける日なので顔を塗りながら
「うどん準備してあるから汁をあっためて自分で食べて~」
と叫ぶ。
「はいはい分かりましたよ」
と準備する。
「きざみねぎは冷蔵庫よ~」
とまたいう。

我が家のうどんは打つも同じパターン。
具は卵、ちくわ、かきあげ、とろろ昆布、ねぎ…変わりませんね。
それになぜか汁がどんぶりから溢れそう、いつも。
今日も汁を鍋に残すとうるさいので全部入れる。
食卓には箸たてと七味唐辛子が置いてある。

食べ終わって少し汗ばむ。
なんか今日のうどんはピリッとせんなあと思う。
「ゲッ、七味振るの忘れてた」
後の祭り、もう一度食べなおす訳にもいかんし。
まぬけやなあ、俺。



わら草履を作る

2008年04月23日 | Weblog
今日は某講師のもと「わら草履」つくりを学びました。
稲わらは既に縄をなえる状態になったものを講師が持参しています。
木槌で打って柔らかくなった状態に仕上げてあります。
約1時間ほどで片足分が出来ました。

その時点で講習は終わり。
とにかく「ぞうり」が出来上がりました。
先人の知恵に感激です。

米と共に生きて、稲わらをも無駄にしなかった、ほんの少し前の時代に思いを馳せます。
農業の閑散期にはこんな作業をして過ごしたのでしょうね。

こんな作業を皆ですると面白い。
ぞうりにも個性が出ます。
器用な人とか、飲み込みが悪い人とか、最後まで出来ない人とか、面白いですね。
黙々と作業する人、ワイワイ騒ぎながら皆を巻き込んで進める人とか。
早く完成して自慢げに遅い人の手伝いをする人。

久しぶりにわらの臭いをかいで、懐かしいような感覚に浸りました。
日本人の血にはわらの香が混じっているかもしれません。

何度聞いても涙が出る

2008年04月22日 | Weblog
と女房が申しております。
「桂ざこば」の落語、「子は鎹(かすがい)」です。
ざこば師匠の人柄がこの落語を語るときピタリと嵌って素晴らしい出来になっています。
借りてきたその落語のDVDを私も見ました。
人生ドラマが語られております。

本当に笑いの中に涙を誘う落語です。
興味のある方は一度聞いてみてください、というか見たほうがより伝わってきます。

話は逸れますがその落語の中に「松島で働いてたおなご」というセリフが出てきます。
私は東北出身ですので、松島といえば宮城県の松島です。
しかし、そんな訳はなかろうと調べてみました。

大阪に松島新地と言う場所があるそうで、そこは遊郭だったようです。
信じられないことに今現在も80軒ほどの店が軒を連ねているそうです。
20~30代の女性がおって自由に選べるそうです。
値段まで注釈がついておりました(30分15千円から、だそうです、地図も)。

女房に話したら
「あんたはそんな所に行かんといて、家にあるので辛抱してや」
なんのこっちゃい。

感情の起伏

2008年04月21日 | Weblog
ひとは感情の起伏に翻弄される、と言うか「私は」と言うのが正しい。
他人のことはわからないが、私には感情のバイオリズムがあり今は落ち込みが激しい。
訳もなく不安とかうつ状態というか世の中面白くない。
何か取り残されてポツンと一人居るような寂しさにとらわれる。
自分の価値は際限なく落ち込んでいき、存在も無意味なように思えてくる。

何があったのかと思い直してみても、これといった原因は思い浮かばない。
しかし日常は何事もなかったように過ぎていく。
ただ心のうちだけがいつもと違う感じ方をする。

何も特別なことは起こっていない。
外観からは何も分るまい、何事もなかったような外観である。

体調も別に普通と変わることもない。
食事も睡眠もごく普通である。

ただ感じ方が違う。
感情が深く深く沈みこんでいく。

感情は人間だけが持つ喜怒哀楽なのだろうか。
他の動物は感情なぞ持たないと私は勝手に思い込んでいる。
ひとはなぜ感情などを持っていてその感情にもてあそばれるのか、感情のない動物になってしまいたいとふと思う。

何が気に食わないんだろうと掘り下げていくと、何らかの理由で落ち込んでいる自分の心のひ弱さに憤りを感じているようでもある。

何があってもめげない人もいる。
そんな人を尊敬したくなる。
人生の修羅場をくぐり抜けてきた強さのある人。
人生は意欲的に生きてこそ意味がある、と身をもって体得している人。





むべなるかな

2008年04月18日 | Weblog
石原都知事のご愛用のお言葉らしい。
「むべなるかなと思う」
というと「ごもっともな事であると思う」の意味である。

長野善光寺の聖火ランナーのスタート地点とすることを、善光寺側が辞退を申し入れたことに対して「むべなるかなと思う」と言っていた。

都知事が小説家としてそんな言葉を敢えて愛用するのも、むべなるかなと私は思う。

わら草履

2008年04月17日 | Weblog
今回の劇団の演劇は戦国時代のお百姓さんとか足軽とか大将とかが登場する。
各自マイ草履で演じようということになり、わら草履の作り方の講師を招いて稲藁から草履を編む方法を教わることになった。

時間的に片足分しか出来ないそうでもう片足は各自があとで作ることになった。
わらじも作らないといけない。

今日そんな話をしていたら、ある人が
「私、子供の頃わら草履を吐いてたよ、家で草履作ってたもん」
皆が「えっ」と言う顔をする。
まさか、私が子供の頃でもわら草履を作ってる家なんかなかったぞ。
この人いったい幾つなんだ、と思わないわけはない。
「歳がバレるわねえ」
と笑っている。

九州の田舎とは聞いていたが、そういえば「なんとか」島と言っていたから時代に取り残されたような場所で育ったのかもしれない、などと想像する。
50代と思っていたけど。

デイケアセンターへ慰問

2008年04月17日 | Weblog
慰問と言う言葉は何となく好きになれないが、今度の日曜日に老人デイケアセンターに慰問に行くことになった。
首謀者は女房である。
そのデイケアセンターには女房のおふくろさんが通っている。

慰問団がたちまちにして出あがった。
女房は既に何回か子供達の前で演じた落語をやる。
女房の友達に日本舞踊をする人がいるので3名が日本舞踊で参加。
私は音響係りとか、お手伝いということになるが、女性が着物に着替える時間つなぎに「何か歌ってよ」と言われた。

「千の風になって」を歌うことにする。
そのセンターにはカラオケの設備もあるが敢えてカラオケテープを別に持っていく。
画面を見ながら歌っても値打ちがないからだそうだ。
私の歌なんか、もともと値打ちはないが、せめて心込めて歌おうと思っている。

女房と結婚してなかったらこんな経験をすることはなかったろうと思う。