かつての友達が亡くなったなどのニュースを聞くとこの上なく悲しいものである。親友のスティール教授が亡くなったのである。その事実をアメリカの新聞を読んでいて知った。
スティール教授とは、ここ10年ほど音信がなかった。彼とは若い時からの親友だった。
はじめは、彼というより彼の奥さんに出会ったのが、彼を知るきっかけで、ペンシルバニア州立大学時代のことである。
講義が終わって、いつものように教室に残り、ノートの整理をしていた時、教室にいるのは自分一人だと思っていたのに、後ろの方でゴソゴソと音がして、振り向くとそこに一人の女性がいた。
「ハーイ!」と声をかけると、彼女も「ハーイ!」と応えてきた。その時は、この人の旦那と生涯の友達になるなど、全く思ってもみなかったのである。
何度か会ううちに、彼女が、
" How about going to Ice Creamery together ? " ( アイスクリーマリーに行きませんか? )
" Have you got enough time to spare for that ? " ( 時間はありますか? )
" Sure ! " ( もちろん )
大学内にある円形の建物に連れて行ってくれた。そこはアイスクリームの専門店だった。ベンチに腰を下ろして、二人でアイスクリームを食べたのを覚えている。
あなたのことを旦那に話したら、会いたいと言っていたとのことで機会を見つけて会う約束をした。
彼女の方は、小学校の先生をしながら大学院で勉強していた。旦那さんは、博士課程のコースを終えて、今は博士論文に集中しているということで、ほとんど家にこもりきりで研究に没頭しているようだったのである。そのようなことで、旦那に会えるまでかなりの時間が経ったのを覚えている。
このことも後で知ったのだが、トシが個人的に親しくしていただいていたバイテル博士は、彼の恩師だったのである。
バイテル博士は、「禅と陶芸」( Zen and The Art of Pottery )などの著書で全米的に有名な人だった。
" Kenneth Beittel is an eminent educator, who taught at Pennsylvania State University for 31 years ・・・・" ( ケネス・バイテルは、著名な教育者で、31年にわたりペンシルバニア州立大学で教鞭をとった… )
よく夕食に誘われて彼の家に行っていたし、彼の研究室やワークショップに出入りして、研究員や大学院生などと親しくなっていたのである。
ある時、彼の研究室で、勝手に書棚から本を取り出してめくっていると、彼が著した本だと気付いた。
「これ先生の本?」
「そうだよ、よかったらあげるよ」と言うことで、その本の裏表紙にサインをしてもらって、頂いてしまった。
" To my dear Japanese friend: Toshi Yamada
From Kenneth Beittel "
( 私の親しい日本の友達:トシ・ヤマダさんへ
ケネス・バイテルより )と書かれていた。
彼は親日家で、河井寛次郎、浜田庄司、中里太郎衛門などと親交があり、日本の大学にもしばしば講義に来ていた。
ニューヨークで棟方志功が個展を開いた時、バイテル博士が、学生たちを連れて会場設定などすべて段取りをしたほどだ。
彼の家の書斎の壁に額が飾られている。
それには、「 佐賀県の名誉県民であることを認めます 佐賀県知事 池田直 」 のように書かれていたのを覚えている。