レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

ヨーラ(クリスマス)メサ収録秘話

2019-12-28 05:00:00 | 日記
超マイナーなブログの「レイキャビク西街ひとり日誌」ですが、2019年もラスマエの回となりました。(「ラスマエ」なんて今でも言うのでしょうか? ついに「死語」を使う世代になったかと一瞬ドキッとしました (^-^;) 大晦日(日本では多分新年)にもう一回「ラスト」の投稿をするつもりではいますが。

皆さんはどのようなクリスマスを過ごされましたか?っていうか、こういう質問は、あんまり日本ではしないですよね?「お正月はどう過ごしましたか?」「夏休みはいかがでしたか?」っていうのはあるでしょうが、クリスマスのように一日半に満たないイベント?の場合は「クリスマスには何してたの?」みたいな質問でしょうか?

アイスランドでは、クリスマスは年を超えて1月6日までの祭りですので「クリスマスはどうやって過ごした?」のような質問はよく耳にするところです。

私自身はここ数年間と同じようなクリスマスを過ごしつつあります。特別職の牧師である私は、以前はクリスマスには特に遂行義務がなく、ヒマな立場でした。

ですが、難民の人たちとの交流がドカンと増えてきたここ五年くらい、普通のチマタの牧師さんらと同じくらいクリスマス行事があります。さらに、難民の人たちへの普段よりのサポート自体は休むことなく続きますので、まあ、かなりすることはたくさんあると言っていいでしょうね。

日本の教会の同僚牧師さんが「クリスマスは、教会では『クルシミマス』とも言うが、オラは『苦しい』と感じたことはない」とかFacebookに書いていました。「クルシミマス」というのは初めて耳にしました。よく言うよ。(*^^*)




ヨーラ・メサ出演のクルド家族
Myndin er ur RUV.is


さて今回は、ちょっとだけいつもとは違ったクリスマスでの体験をご紹介します。

アイスランドはいわゆる「キリスト教文化」の国ですので、昔はラジオで、テレビが普及してからはラジオとテレビでクリスマスイブにmessaメサ(英語のmass、「礼拝」のこと) が放送されます。

ラジオは生(ナマ)ですが、テレビで放映されるメサは例年事前に収録されていました。実際にメサをして、それをそのまま録画し、放送するのす。

アルシンキ(国会)議事堂の隣りにあるドム教会というカセドラルを使うのが普通です。カセドラルの本来の意味するところは「監督の座がある教会」ということですので、ビショップ(監督)が説教をするヨーラ(クリスマス)のメサは、ドム教会でするのが普通なのです。

この収録、十二月の中頃に行われるのが慣例で、平日の夕方6時くらいからなのですが、みんな忙しくなってる時期だし、教会をサクラ... いや、お客さんたちで満杯にするのがかなり大変です。去年は監督のオフィスから、レイキャビク周辺の牧師連ひとりひとりに事前にメイルが届き「是非来てください」

いったい招待なのか、お願いなのか、召喚なのか?義理堅い私は、ちゃんとスーツにタイという格好で参加しました。放映はクリスマスイブなので、それらしく見えるようにドレス・コードまであるのです。

今年もそのつもりでいたのですが、12月8日の金曜日に、監督のオフィスから連絡が入りました。「来週の月曜日の午後1時から収録したいのだが、監督の希望で何人か難民の人たちに祈りの部分で参加してもらえないか?」

何だよ、中二日か?「してもらえないか」って、「何人か手配しろ」っていうことだろう?何だか変な商売やってる気分。

何かの機会で「難民の人たちにも参加してほしいのだけれど、誰かお願いしてもらえない?」ということは、教会の中でも外でもよくあります。難民を「見せ物」「飾り」のように見ている企画も中にはありますので、気をつけなくてはなりません。

ですが今回は監督からの要請。これは教会が難民問題をきちんと認識し始めたことの良いアピールにもなり得ます。ヨーラ・メサなどは、特に「伝統意識」が強い行事なので、移民や難民が参加するには壁が高かった分野なのです。

ですから、今回のような難民への参加の依頼とかは、私からすればありがたいチャンスですし、きちんと支援する必要があります。たとえ「手配師」と呼ばれても。

ただ、教会といえども難民が「飾り物」とされてしまう危険というのは常にあります。そこは私が注意してやらねばならない部分です。




聖書の朗読部分の収録


というわけで、中二日というきわめて短い準備期間の中でお祈りを読んでくれる人を見つけにかかりました。

これが結構難しいのです。私の日頃から関係している人たちはイランやアフガンからの難民の人たちが多数派です。ところがイラン人もアフガン人も、教会にいることが公にされると、いろいろと不都合が生じてしまうのです。これは冗談ではなく、とても現実的なことです。ですからテレビ用のメサは無理です。

それ以外の少数派から、候補を見つけなくてはなりません。

そこで頼んだのが、ナイジェリアからの元難民の夫妻。英語もきちんとできるし、別に顔出しOK。収録が平日の午後なので、ご主人の仕事とのコンフリクトだけが不安でしたが、奥さんの方は100パーで大丈夫と言います。ありがたや。

そしてもう一組、クルド人の男性とその9歳の娘さんに頼んでみました。この父娘は、男性の奥さん、長男、生まれたばかりの赤ちゃんと合わせて五人家族なのですが、奥さんは英語がダメなので、ご主人と利発な長女の女の子に頼んでみたのです。

この父娘からもOKをもらいましたが、ご主人のスーツがない。この間まで難民ですからね。さいわい背格好が私と同じくらいだったので、私のスーツを試してもらいました。するとこれがピッタシカンカンのありがたや。

意外とスムーズに「手配」完了。と、思いきや、日曜になって監督の秘書から(ちなみに彼も牧師)「お祈りが全部英語というのは困るかもしれないので、アイスランド語を喋れる人も混ぜてくれないか?」

なんだと、いまさら! アイスランド語をしゃべれるようになった元難民の人も大勢います。でもその人たちはおそらくみんな「お仕事中」でしょう、平日の昼なんだから! 監督のオフィスの「世ズレ」です。

英語ができる人だって見つけるのが大変なんだし、今日の明日でアイスランド語というのはちょっとハードルが高い。というとこで私はアンチョコな解決を選択しました。「じゃあ、オラがやる」

難民ではありませんが、「難民関係者」 移民なのは確かだし、しかもいかにも「移民」ぽく見える。アイスランド語も一応OK。顔出し、諸手を挙げてOK。 と、いうわけで、再び「手配」完了。

実際は、時間の変更などが何度もありすったもんだしたし、イライラもしたのですが、とにかく収録当日に。




今年のヨーラ・メサの会場はハットゥルグリムス教会
Myndin er ur Visiris/VILHELM


場所は、今年はランドマーク化したハットゥルグリムス教会。ダウンタウンの小高い丘の頂上にある、この国としては大きな教会です。これには首をひねりました。あの大きくはないドム教会ですら、お客さんをいっぱいにするのに苦労していたのに、どうやってその四倍はあるようなハットゥルグリムス教会を埋めるつもりだろう?しかも平日の昼過ぎに。

収録時間の十五分前になって、やっとワタシは気がつきました。この収録、メサのまるまる録画じゃないんだ! そうなんです。今年は収録の仕方が変わって、パーツごとに収録をし、それを後から編集してひとつにまとめることにしたそうなのです。

聞けばRUV(国営放送)の方からのリクエストだったそうで「一度、そういう仕方で作らせてくれ」ということだったそうな。

つまりクワイヤはクワイヤで、ちゃんとお客さん付きの教会で歌の部分を収録します。クワイヤにはお客さんは十分集まるのです。その部分の収録は、その時点ですでに一週間前に終わっていたそうです。

監督は監督で、ランドマーク的大教会で空っぽの会衆席に向かって説教します。まあ、秘書とRUVのクルーはいたでしょうが。で、私ら祈りのセクション一派は、会衆席の端にあるミニ祭壇の前で祈りを読むことになっていました。

土壇場になって、ナイジェリアの夫婦はご主人が来られなくなり、奥さんだけで読んでもらうことに。さらにクルドの父娘に関しては、付き添って来ていた奥さんと赤ちゃんも一緒に画に入ってもらうことに。これはワタシの発案。画の方が言葉よりも雄弁に語る時もあります。

何とか収録を終えることができ、ホッ。疲れたー。

そしてクリスマス・イブの晩。放送は午後の10時からです。

見ました。パーツ収録を編集した今回のヨーラ・メサ、全体としたらいろいろと改善の余地はあるでしょう。私はモノトーン過ぎてもの足りませんでした。

が、祈りのパーツは非常にうまくいったと自画自賛できます。計四人が祈りを読みました。アグネス監督、ナイジェリアの元難民の婦人、アジア系の貧相な老人男性、クルドからの元難民男性with 奥さんと娘さんと赤ちゃん。

アイスランド語ふたり、英語ふたり、男性ふたり、女性ふたり。バランスも文句なし。ワタシ的には特にクルドの家族での出演は、平和と安全を願う祈りでの、なんというか鮮明なイメージとなったと思いますし、一番の印象に残るものとなりました。




アグネス監督のクリスマスメッセージを伝えるニュース 難民の参加も話題に
Myndin er ur Visir.is


翌日。アグネス監督はホームのドム教会の朝のメサで説教をしましたが、その中でこの難民の人たちのヨーラ・メサへの参加について触れました。

「アイスランド国民にとって、『聖なる時間』ともいえるヨーラのメサの祈りが英語でなされることに違和感を覚えた人もあろうことでしょう。ですが、すべての人に愛、思いやりをもって腕を広げ、仕えるのは教会の務めです」

実際、この難民の人たちの祈りはニュースにもなりました。私自身が目にし、耳にした限りでは圧倒的にポジティブな反応で、これを教会の正しい姿勢として評価していました。ありがたや。

たった六、七分のカットの裏に、いかに多くの準備や意図、イライラが必要なことか。疲れましたが、終わってみれば良い結果しか見えません。こういう時には、やはり何か見えない糸が引っ張ってくれたんだろう、などと勝手に思い込んでいます。

2019年もあと四日。病気や事故に気をつけて過ごされ、良いお正月を迎えてくださいますよう。


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Gledileg jol!! 祝 聖御生誕日

2019-12-24 12:00:00 | 日記
主イエス・キリストの御生誕の日を迎える喜びを申し上げます。

多少、格式張って響く挨拶かもしれませんが、牧師職の末席を汚す私としては、この挨拶の方がMerry X’mas よりは気に入っています。

アイスランドではGledileg jol!!グレージィレーグ・ヨウル!! 「喜ばしいクリスマスを!!」という意味になるでしょう。毎年書いていることですが、この挨拶、実際の発音は「グレリヨ(ル)」となります。最後の「ル」はフェードで曖昧に。

涙から咲く暖かさとクリスマス






クリスマスは、日本では一日半(それも前半の三分の一に力点のほとんどすべてが置かれた)のイベントでしょうが、アイスランドでは1月6日まで続く、二週間の祭りです。

でも、本当を言うとそんな期間の長さなどどうでもいいことです。大切なことはクリスマスは光の源であるということ、そしてその光は一日で消えるわけでも、二週間で消えるわけでもないことです。

その光は二千年の長きに渡って輝き続けてきましたし、まだこれからも輝き続けます。その光は「(人生の)暗闇に座る人々」を照らす光であり、「人々を縛る不正義」を暴く光でもあります。

このクリスマスの光が、いまだある世の闇にまで届くことを願ってGleidleg jol!


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日ア「日取り」と「時間差」のアジャスト

2019-12-22 00:00:00 | 日記
先週の「 カメハメハーン」もしくは「ナルトルネード」と名付けしたいようなアイスランディック・ストームの後で、天候は持ち直したものの風が強い毎日となっています。歩道や庭の残雪も氷となって残ってしまっています。

カメハメハーンの際、北部では大規模な停電が起こり、住民の人たちは困ったのですが、この停電、かなりの地域でほぼ一週間も続く羽目となってしまいました。なんでも送電線が凍ってしまい、かなりのパーツを取り換える必要があったそうです。

もちろん電力関係の人たちや、助っ人のレスキュー隊の人たちも頑張って復旧作業をしているのですが、強風吹きまくる雪原での作業は、側で見ているものには想像できないくらい困難なものであるようです。

そうだとしても、何日も電気なしでの生活を強いられる方もたまったものではありません。相当な不満とストレスの声がニュースで流されました。あっ、そう。これを言っておかないと。これらの地域では暖房も電気なのです。だから電気が止まると暖も取れなくなります。ある町では、もともと「非常用発電施設」があったのに、数年前に役所によって除去されてしまっていたそうです。

「『送電の安全性、安定性が十分に高まったから、もう必要ない』とか言われたが、それがこのザマだ」と地元民の老人。確かに。田舎の地域ですからね、まさかの孤立ための非常手段はあるべきだと考えますが...




本文とは無関係 クリスマスを待つ教会


このブラックアウトとそれに伴う復旧作業。さらにそれぞれに伴う生活困難と莫大な経費。これはアルシンキ(国会)でも大きな問題として議論されました。「ライフラインの問題。もっとしっかりと保護されたスステムを早急に作らないと」とかカトリーン首相が言っていたような。

かくして「クリスマス休み前の、最後の国会議論としてはいささか異例なトピックをもって、国会は休会となりました」とニュースの締めの言葉でした。

さて、今回は特にニュースもないので、毎年この時期に感じさせられる「日取り」と「時間」のアジャストについて書いてみたいと思います。

まず「日取り」のアジャスト。このブログはここ数年は週一回の更新でやってきています。日本時間の日曜日の午前零時から3時くらいにアップするように予約投稿します。

ですが、やはりクリスマスとか元旦には、なんというか「更新してご挨拶しないといけないのではないか?」という日本人的DNAがうずくのです。いや、クリスマスに関しては別に日本人的ではないか?そっちは「クリスチャン的」DNAでした。(^-^;

そこで、クリスマスから年始にかけては、毎年少し更新の日をずらせていました。例えば日曜日のはずの更新を、クリスマスや元旦に合わせて一日二日早めるとか、遅らせるとかしてです。

ですが、今年の場合はクリスマスも元旦も、週の真ん中の水曜日。これは縮めるにも伸ばすにも、ちょと難しい長さです。で、今回は定期更新をしながら、クリスマスと元旦にも「ご挨拶更新」をする予定でおります。m(_ _)m




本文とは無関係 子供たちのクリスマス会


次は「時間差」のアジャストについて。別に大したことではないのですが、一度説明しておきたいと思ったことなので。

なにか特別な理由のない限り、私はこのブログのドラフトを金曜日の夕方か、土曜日の朝に書いています。それをこちらの時間の土曜日午後3時、つまり日本時間の日曜日の午前零時の更新として予約をセットします。アイスランドと日本の時間差は九時間ですよ。日本が先を行っています。

Facebookとかでも、シュアするようにしているので、当然アイスランドにいる人は土曜日の午後3時から、更新されたブログを目にすることになります。仮にアイスランドにいる人が読んでくれたとしたら、「まだ土曜なのに、日曜日の『てい』で話していやがる」ということになります。でもこれは「日本向けブログ」ということでご容赦願います。

ブログを始めた頃はアイスランド時間を基準にしてものを書いていたのですが、途中から日本時間にスウィッチしました。別に特に理由があったわけではなくて、そちらの方が自然に感じられたのだと思います。

先に書きましたように、日アの時間差は九時間。日本は九時間先の未来にあります、こちらから見ると。

日常生活の中で、この九時間差は結構ビミョーな実際的な影響をもたらします。つまり、ワーキング・アワーというか平日の営業時間?という点から考えると、まる一日の違いになるからです。つまりこちらの(平均的)仕事開始時刻の午前9時には、日本ではすでに(平均的)営業時間終了後の午後6時ですから。

よく日本の転送業者(「御用聞キ屋」さん)を通して日本のものを買うのですが、荷物が揃うと「梱包しますか?」というメイルが送られてきます。それから専用サイトで「梱包願います」をクリックするわけです。

ところが、先方からのメイルを私が目にするのは、だいたい午前9時の仕事始めの時間。そうすると、先方はすでに「営業終了」なわけで、私からの梱包願いは翌日に届くことになります。

さらに梱包されて計量されて、「送料はこれこれになります」というメイルを受け取るにはさらに翌日まで待つ必要があります。そして梱包時と同じパターンで、こちらからの発送願いと送金確認が先方に届くのがそのまた翌日。

このやり取りの間に土日が入ったりすると、プラス二日間。これは基本的には九時間差の産物なのですが、意外と影響があるのですよ、生活しているものとしては。




本文とは無関係 日の出を待つ土曜10:45


もうひとつこの「九時間差」を感じさせられるのが大晦日から元旦にかけてです。私はかなり年変わりカウントダウンに執着するタイプです。別に実際にカウントダウンをみんなで叫ぶわけではありませんが、新年が始まる際にはきちんとそう自覚していたいのです。日本人丸出し。

そのワタシがきちんと「新年様」をお迎えする準備をしている傍で、日本はワタシがまだ年越しソバすら食べていない、午後3時に「明けましておめでとうございまーす!」とやっているのです。

昔ならそんなに気にならなかったことですが、今はFacebookとかで、リアルタイムなシェアがジャンジャン流れてくるじゃないですか。みんな、もうお正月モード120パーになってるのが入ってくるわけですよ。

そこで、こちらからもFacebookで「謹賀新年」発信を「日本に向けて」するのですが、そうすると何も理解していないアイスランドの連中が、いや皆さんが、Gledilegt nytt ar! 「新年おめでとう」とかフライングのコメントを付けてきたりするのです。

「まだ明けてないだろ、ここでは!」(怒) で、この午後3時から真夜中までの九時間は、毎年「オレはどっちなんだー!?」と叫びたくなる時なのでした。

万が一、これを読んでくださっている方の中に、どこかの外国で暮らしていらっしゃる日本人の方がありましたら、どのように対処されているか、是非お教え願います。m(_ _)m

腰を据えて、午後3時と午前零時、年越しを二回楽しめばいいのかな?だとすると大晦日のランチもソバにしないと... やってみようかな、これ、今年は。(*^^*)


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カメハメハーン? アイスランディック・ストーム

2019-12-15 00:00:00 | 日記
「もういーくつ寝ると、お正月ー」と歌い始めてもおかしくない時期まで来てしまいました。もちろん歌いませんが。あと二週間すると新年ですよ! その前にクリスマスがあります。来週クリスマスですよ!

ワンパターンのリピーターですみませんが、月日の流れが早いです。早すぎます。そしてこれまたワンパターンですが、今回はまたお天気の話し。

先週はストームがアイスランドに襲来し、あちこちで被害が出ました。正確にいうと、レイキャビクでは先週の火曜日の午後から木曜日の朝までが荒天だったと思います。北部の後半な地域で停電となり、金曜日の夜現在でまだ約400世帯が、電力の供給を受けられないままでいます。停電も四日となると「不便」の域を超えていますよね。

今回は地図の左側から右側方面へ抜けていったので、北から南だったのかな?すみません、方位がどうも頭の中の地図と一致しないので、「おそらく」ということにしておきます。




気象局のホームページ 週間予報
Myndin er ur Vedur.is


気象局や市町村はかなり前から警告を発していました。二年くらい前から、気象局は新しい五段階の警報システムを使っています。

始めのふたつは –つまり、なんの危険もない段階– は何色だったかさえ覚えていません。多分グリーンとブルー。で、真ん中のイエローから注意が必要になります。イエローはすでに、かなり真面目に考慮に入れる必要があるくらいの荒天(90%くらいは強風)になります。

そのうえのオレンジは「まれに」出ることがあるくらいです。初めてこのオレンジを体験した時にブログに書いたことがありました。

気まぐれ天気に付き合うサダメ


オレンジの上に、さらにレッドがあるのですが、これはまだ一度も発令されたことのない警報です。

先週は月曜日のうちから、レイキャビクを含む西部、北部を覆うようにイエロー警報が出されました。もっとも月曜日は対象ではなく、火曜の午後から二日間くらいの長さで。

それが、火曜日の朝には黄色の地域が広がったのに加えて、昨日イエローだったところがすべてオレンジにグレードアップしています。気象局も相当気合を入れて警告してきました。



国内各地から、道路監視カメラを使ってのライブ
Myndin er ur Visir.is


私はこのようなヤバい状況では、タコ壷のタコのように真っ先に職場放棄して自宅に閉じこもる人なのですが、火曜日は昼の間にスタッフ会議があります。今月は教会もクリスマス関連で、不規則な活動が多々あるのでこれをサボるのはちょと具合が悪い。まあ、ストームの襲来は午後二時ということなので、大丈夫か?

毎度のことですが、スタッフ会議は最後はただのおしゃべり会と化します。今日はそれに付き合うつもりはないので、一時ちょっと前にそそくさと退散しました。ですが帰宅前に、近所の家具のスーパーで注文しておいた椅子を受け取らねば。

自宅方面へ向かう車の中で、ラジオのDJの男性がのんびりとして「ニュースはストームで満ち満ちているけど、こうなると最後の関心は気象局が今回初めて『レッド警報』を出すかどうかだねえ」なるほど、そういうのを楽しみにしている人もいるんだ。

家具スーパーで、買ったばかりの椅子(バーストール)の箱を抱えて、駐車場の自車へ戻ろうとすると、いきなり突風。足元は雪と氷と水で覆われていたのですが、歩きにくく二三歩よろよろとさせられました。来た、ストーム。

自宅に戻ると、風の方向を考えて、車をいつもとは逆向きにして駐車。私はガレージを持っておらず、車は内庭というか通りから入ったところにあるアパート用の駐車スペースに止めます。以前、田舎の方でしたが、強風が飛ばす小石で車の窓がメチャメチャになるケースが結構あったのです。

それで、小石が飛んでくるあろう方向を背にして駐車したのですが、フと気がつきました。いつも正面にしている方向にはお隣さんの四階建てマンションがあります。小石が飛んできても、すべてお隣さんがガードしてくれるはず。

無駄なことをした気がしましたが、まあ、いいや。小石の代わりにお隣さんの洗濯物やピザの空き箱が飛んでくるかもしれないし。洗濯物で車は壊れないだろうけど。

その夕方にはネットで天気の状況を確認。気合を入れた気象局の警告の成果か、午後四時くらいには市内の幹線のひとつである海岸通り(サイブロイト)には、ほとんど交通がなくなったとか。いつもなら超ラッシュの時間です。

そして、出ました、ついに。レッド警報。アイスランド国民、レッド警報初体験です。もっとも、この時点ではまだ西北部だけでしたが。




レッド警報、初めての発令 この後各地に拡大
Myndin er ur Vedur.is


さらにもう少し遅くなってからですが、私の住む西街古アパートから歩いて三分のところにある道路では、海から高波が、というか風に後押しされた波が押し寄せてきたそうで、まるで洪水の中を行くかのような交通になりました。。

また、Visirヴィーシルという、ネットのニュースサイトがあるのですが、そこでは全国の天気の様子が分かるように、あちこちの道路監視用のカメラからの映像を生で見られる、というコーナーを設けていましたね。

そういえば、台風19号の時は、日本でもずっとニュースで生の状況を伝えていましたよね。あれは実はアイスランドでも見れたのです。私も長い時間見ていました。

ちょっと脱線しますが、アナウンサーの人たちが代わる代わる「生命を守る行動をしてください」と言っていたのが非常に印象に残りました。私の生涯で、テレビのキャスターがそのような連呼をするのを見るのは初めてのことでしたよ。




我が家からすぐのところの道路の様子 雨ではなく海からの海水
Myndin er ur Visir.is/VILHELM


夜になると、レッド警報は西北部以外の地方にも発令。その晩から、翌日の水曜の夜くらいにまでに渡っての発令。長いなあ。

これがアイスランドのストームの特徴でしょうか?気象学的なことは何も知らないのですが、このアイスランドのストーム、とても台風と似ているのです。規模は小さいのでしょうが。

その代わり「低気圧の前線」みたいなとこもあって、あんまりさっさと行ってしまわないこともあります。今回はそのくちだったようです。

今回は、事前に関係当局から、ツアー業者に対しての指導というか協力要請がかなり出ていたようです。道路の多箇所での封鎖が予想されていましたので、観光客がどこかに孤立したりしないように意を払っていたようです。

これは良いことですよね。去年だったか、あちらこちらで観光客が孤立してしまったり、動けなくなってしまったことがありました。そうするとレスキューも出動しなくてはならず、ツアーのみなさんだけの問題ではなくなってしまいますし。

このストーム、こちらでは、特にハリケーンとか台風とか、特別な呼び方をしません。laegdライグズ(低気圧),stormur ストルムル(ストーム)、ovedurオウヴェーズル(悪天候)とかですませています。

せっかくだから、何か名前を付けてやって欲しいものだと思います。例えば「カメハメハーン」とか「アイスケーン」とか「ナルトーネード」とか。そうすれば「ただの悪天候じゃないんだ」と国民の意識も盛り上がるし、過去の被害とかに触れる場合にだって「2019年のカメハメハーン3号の時には、これこれで...」とかくっきりすっきりすると思うのですが。

カメハメハーン一過?の木曜日からは好天ですが、その分冷え込み。金曜日にはマイナス8度まで下がりました。向こう一週間くらいは寒い日が続きそうです。

皆様もせっかくのロマンチックなクリスマス前を、風邪などで台無しにしないよう、気をつけてお過ごしください。


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「愛さないから悲しまない」クールなヤツ

2019-12-08 00:00:00 | 日記
レイキャビク、先週は一時期異様に暖かい日がありましたが、週の中頃から気温は零下に落ち込み、雪も降りいつもの冬となっています。身体ももう慣れてきたので、このくらいの冷え込みなら大丈夫。

先週の金曜日に「まず日本では起こらないだろう」と思える珍事がありましたので、まずそのご紹介を。

このところジャーナリスト協会が賃上げ交渉をしてきています。賃金だけではなく、労働条件の改善もそこに含まれていることと理解しています。

ところが交渉はうまく進まず、先月から断発的にジャーナリスト、ニュース関係者、新聞関係者、一部はフォトグラファーや印刷関係の仕事従事者も含んで、ストライキを始めました。丸一日、とかではなくて、数時間単位でした。

それがだんだんと、ストらしいストになってきており、金曜日のFrettabladid紙では、なんとニュース記事がすべて印刷に間に合わず、全体の半分が「白紙」という珍妙な新聞が発行されました。




こんな新聞見たことない! 結構嬉しい


掲載されているのは、広告と、週刊記事のようなそれ以前から用意されていたものだけ。その他の部分は「白」というか灰色の空欄ばかり。ページ数は予定されていた通り。

私の生涯でもこのようなブッタイを目にするのは初めてでした。日本では「あり得ない」のではないでしょうか?こういうところが好きです、アイスランド。(*^^*)

さて、ブログをしていていくつか心がけていることがあります。そのひとつは特定の個人に関わるエピソードの場合は「あまり起こったばかりのことは書かない」ということです。

「起こった先からブログネタにしてるんだ」というよな危惧の念を持って欲しくないからです。まあ、良いことならいいんでしょうが。

前回、緊急手術を受けて集中治療室にいる女性のことを書きましたが、本当に嬉しいことに、その女性は回復過程にあり、自分でFacebookにステイタスをアップできるほどになりました。

まさしく「今、起こっていること」なんですが、これは皆さんにも伝えておいた方が良いだろうと思い、ご報告させていただきます。神に感謝、です。もちろん医療関係者の皆さんにも。

数日の間だけではありましたが、「その女性が危篤だ」ということが頭から消えさることはありませんでした。いつも考えているわけではないのですが、定期的に意識の中に戻ってくるのです。短い期間で終わってくれたので幸いです。

前回は私の知り合いの元難民の家族の中の中学生のことも書きました。心臓疾患があり、手術を「した」と書きましたが、実はまだ「手術予定」の段階でした。この子のことも頭に引っかかっています。

難民の関連で、もう一事例を付け加えましょう。ある難民申請者の夫婦が教会の集会に加わっているのですが、奥さんが妊娠しています。九月の初めの頃、調子が悪くなり病院へ。

入院先が婦人科だったので、私は同僚の女性牧師といっしょにお見舞いに行きました。お見舞いと言うよりは容態が心配で、スタッフの方からも様子を聞きたかったのです。

こちらではまだ「牧師」という立場がものを言うこともあり、患者さんの容態など、牧師にはコンフィデンシャルなことでも、だいたい話してくれます。

心配は見事に当たってしまい「非常に良くない。おそらく今夜赤ちゃんを取り上げることになるかもしれない」というのです。その時点で、まだ妊娠29週目。相当の早産になります。

その晩はやはりそのことが頭から離れず非常に心配しました。朝目が覚めた時、いの一番に「電話で起こされなかったー」とホッとした気持ちになりました。良くないことが起きれば連絡が来るのが常ですので。

ついで携帯を見ると、ご主人からメッセージが入っています。「深夜に赤ちゃん生まれました!」オーッ、生まれたんだ! もう! けれども、まだ心配は続きます。何しろ小さいですから。

その日の午後、また同じ女性牧師とお見舞いに、というかお祝いのために病院を訪れました。赤ちゃんには会えませんでしたが、なりたてのパパとママは嬉しそうでした。というか、ママはホッとした風。パパははしゃぎたそう。

スタッフがパパに話したところでは、「あと六週間から八週間は保育箱の中でお世話をすることになります」それ以降、この赤ちゃんの健康な成長も大切な祈りの課題となりました。




今月始めの洗礼式 私は「ゴッドファーザー」


赤ちゃんは、本当にありがたいことに、日々強く大きくなってくれ、今月のアドベント入りの日曜日に、私のホーム教会の礼拝で洗礼式を受けました。洗礼をしたのは、さっきとは別の女性牧師。私たちは三人でこの夫婦と赤ちゃんにフォローしていたのです。

なにしろ難民なので、何も持っていないのです。ベビーベッドやら、赤ちゃん用の服、ベビーカーなども退院の時期までに集めておかなくてはなりません。そっちの方は、私よりもふたりの女性牧師の方がはりきってやってくれましたが。ああ、ついでに、私たち、皆九月にジュネーブに行ってきた仲間です。

ジュネーブ中街ワイワイ日誌(19-3)– 魔法の解けた日曜の晩餐


さて、このような心配事は、人の健康に関わることに限られず、例えば祈りの会のメンバーの難民申請者が強制送還される、というような場合も似たり寄ったりのことになります。

「明朝、誰々が送還される」と承知している場合、その晩はスッキリしないものになります。正直言って沈痛な感じ。朝、目が覚めたら「行っちゃったかな、もう?」という残念感が襲ってきます。ほとんどの場合、送還は朝一番の便でなされるからです。

さらに残念なことですが、こちらの「送還による心配と残念」は不定期ではあっても、必ずやってきます。難民の人たちと関わるのであれば、これは絶対に避け得ないことなんです。



ホーム教会 これで朝の十時くらい


ところで、私は「キリスト教についてもっと知りたい」という人に対しては、いつも「キリスト教は愛と赦しを基本にする信仰だから」ということから始めます。若い頃は「歯の浮くような言葉とはまさしくそれだ」と思ったものですが、今になると「だって、そうなんだから」としか言えないですね。

いつだったか、「じゃあ、教えに背いても罰はないの?へえ、じゃあ、楽な宗教だなあ!」と意見した人がいました。この人は厳しいイスラム教の躾の中で育ったそうで、ともかく「あれをすれば罰、これをすれば地獄」というような教えを受けたそうです。

イスラム教徒が、皆そういう育ち方をしていないことはわかっていますが、それでもかなりの数のモスレムの人から同じようなことを聞いています。まあ、ここではそれ以上は触れません。

キリスト教では「罰を与える」ことは、ないとは言いませんが、それが目的になったり、人を支配する手段になることはありません。いや、そうする人もあるかもしれませんが、それは間違ったことです。

「だから、キリスト教は楽な宗教」?人によって考えは違うでしょうが、私は「楽だ」とは考えないですね。人を愛そうとし、人のことを気にかければかけるほど、心配なことや、悲しく残念なことも増えてきます。間違いなく、絶対。

「私は私、他人は他人」と割り切ってしまえばそのような困難からは楽になるでしょうが、そういうのはキリスト教的には「悲しい生き方」なのです。「愛さないから悲しまない」ってクール?深いところでは全然クールではないと思いますね。

偉そうに聞こえるでしょうが、私は、誰のことも気にかけないでクール(っぽく)生活するよりは、たとえ沈痛な数日を過ごしても、その後で涙が出るほどの嬉しさを感じることができるような生活をしたいですね。

だって、生きてるんですから。(*^^*)


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

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