レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

iPad 一家の中のブラックシープ?

2017-08-27 05:00:00 | 日記
日本の皆さんの大方にとって、牧師さんの生活というのは想像し難い部分があるのではないかと思います。もちろん例外はありましょうが、私の知る範囲では、日本では牧師さんらは、経済的には「慎ましい」範疇に収まっています。

アイスランドでは、教会や牧師というものが文化社会の伝統の中にありますので、牧師さんの中にも裕福な方はいらっしゃいます。皆ではないですよ。

私自身は、決して裕福ではありませんが、困窮しているわけでもありません。贅沢をせず、慎ましい範囲での楽しみを見つけるという、小市民的な生活をしています。

私にとっての慎ましい範囲での楽しみのひとつが、パソコンやスマートフォン等の「ガジェット」類です。もちろんパソコンも上を見れば「慎ましい」を通り越していきますが、私のパソコンは安い方から数えてすぐのレベルにあります。

パソコンはオフィスにも自宅にもあります。スマートフォンもふたつ使っています。アップル派なので、以前はキャリーバッグの中にiPadも入っていたのですが、今は使っていません。

周りを見回してみると、iPad愛好家の人は大勢いらっしゃるように思えます。私の場合、なぜかiPadは使いようが分からず、結果ゲーム専用、という事態に陥っていました。

アイスランドでは「一家の中の黒い羊」という言葉があります。その一族の中の問題児のことを指すのですが、iPadは私のアップルファミリーの中では「黒い羊」化してしまったのです。




別に黒い羊も可愛いですけど...
Myndin er eftir Mikelane45 @dreamstime.com


知り合いの邦人女性はiPadを仕事でよく使う、とおっしゃっていました。バレエの先生なのですが、生徒の動きをビデオで撮り、その場で見せてあげて「ここをもっとこうして」のように指導するのに便利なのだそうです。

その方のご主人は音楽家で、やはり音楽の関係でiPadは必須のアイテムなようです。

テレビでNYPDものなどを見ていても、捜査官が現場でタブロイドを手に持って活用したりするのを見ることがよくあります。おそらくタブロイドの宣伝用のシーンなのでしょうが。

自分の場合、iPadだけこうも親しみがわかないのは、おそらく私がiPadを単にパソコンが開けない時の代用としてしか見ていないことにあると思います。別に「iPadでなければできない」という使い方が私には思いつかないのでした。

そしてその延長で、ひとつ思い当たることがありました。それはレイキャビクでは「通勤時間がない」ということです。

私は三十年ちょっと前に、新橋でサラリーマンをしていたことがあります。その頃は自宅のあった八王子から会社まで、朝は片道二時間をかけて通っていました。

八王子の良い点は、東京行きの始発電車もあることで(今はわかりません)、座って行けたのです。ですから一時間十五分の車中は、毎日寝て過ごすか読書をするかの「決まった時間」でした。もし今、あの状況にあったならiPadとかは重宝したのではないかと想像します。

レイキャビク近郊では、一般に通勤時間は非常に短いものでしょう。私の前のオフィスは車で五分の距離でしたし、今のオフィスは多少遠いとはいえ、十五分の距離です。

そのくらいの距離ですと、オフィスでパソコンを閉じて、三十分もすれが自宅でパソコンを開けることになります。私のように「パソコン代行」としてしかタブロイドを使わない(使えない)者にとっては、使う余地がないのでした。

それでも「ガジェット愛好家」として、iPad miniはしばらくバッグの中に入っていました。出先で何かを検索したりしなければならない時用に持っていたのですが、それもiPhoneプラスが登場してからは、それで十分間に合います、ということになってしまいました。

というわけで、ここ二年ほどはiPadなしの生活を送ってきています。それでもiPadは進化を続けているようで、今は12,9インチ画面のものあるのですか?iPad miniも4まで進んでいるのですね。

そういうのを見ると、なんとなくiPadの使い方を日常の中に見出せない状況が、多少残念に思えてきます。「黒い羊」でも使いようはあるのではないか?と。というよりは、正直、iPadの部分だけついて行っていない自分が悲しいのです。

ゲームはゲームで、結構面白いものもたくさんありましたからねー。いっそゲームボーイを買うつもりで、iPadを一台持っているのもありかな?


ところで、昨日8月26日をもちまして、このマイナーブログは六年目に入りました。この投稿が424回目になるようで、閲覧総数がのべで465234回、訪ねてくださった方が、これものべで184852人になるそうです。

このようなマイナーなブログを読んでくださる方々には心より感謝申し上げます。これからもマイナー路線は堅持していきますので、よろしくお願いします。

ひとつお願いがあります。四百回とか書いていると、さすがに以前何を書いたか、はっきりと覚えていないものもあります。加えて私の脳も老人化が進行中ですので、書いていることの中に以前の繰り返しがあることがあるかもしれません。

そのような際には腹を立てず、愛と寛容の精神で見守ってやってくださいませ。m(_ _)m


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「B級」マイ ワールド

2017-08-20 05:00:00 | 日記
夏休みが開け、アイスランドの社会全体が新年度に向かって動き始めている、というようなことを前回書きました。私自身もそのような態勢にあります。

年によってはいきなりズボッと仕事に引き込まれることもあるのですが、今年は多少緩やか目で、何かの予定がキャンセルされたりすると、他に緊急の仕事もなく時間が空いちゃったりもします。ラッキー!

夕方以降もまだ穏やかなので、時間を自由に使えます。趣味でペルシャ語を勉強しているので、そういう生産的な活動に自由時間を使えば偉いのでしょうが、ここ何日かまったく生産的でない時間の費やし方をしてしまいました。

それが「B級映画」の鑑賞です。

私はいわゆる「映画ファン」ではありません。嫌いなわけでもなく、例えばテレビでの気に入りのポリスものはいつでもありますし、気に入りの映画をビデオで観ることもよくあります。

しかし、足繁く映画館へ足を運び、深い感想を漏らすようなタイプではないのです。はっきり言ってドラマは苦手で、観るのは007やスターウォーズ、MIBのようなくだらないものばかりです。

「くだらない」というのは何もバカにした意味ではなく、それほど深く考えなくても良い、という意味にとってください。「いい映画」かどうかというのとはまったく違うアングルです。何しろ私はベンシラーの「博物館の夜」を見てさえも涙する人ですので。

さて、最近よく「B級グルメ」という言葉を耳にしますが、同じように映画でも「B級シネマ」と呼ばれる一群がありますよね。そういうB級シネマの中で、サスペンスやホラーものを、私は昔から好んで観てきました。

大スターとは別に、B級におなじみの俳優さんという方々もありまして、そういう俳優さんの中に気に入りがあったりもしました。例えばB級サスペンスでお馴染みだったスージーケンドールという女優さん。中高生の頃、すごくファンでした。(ご存知ないでしょうから、グーグルして見てください)

その他にもエヴァレンジィやミムジーファーマーなど、気を引かれるB級常連の俳優さん(女優ばかりですが)が出演している場合は、物語が面白そうかどうか、ということをさておいて観たりしたこともありました。




懐かしいスージーケンドール


今回、時間を消費したのは、そういうB級シネマの中での「ホラーもの」でした。ホラーものには、大雑把に言って、心霊現象的なもの、ただ殺しまくるスプラッターもの、それにモンスターものの三種類ぐらいがあると思います。

おっさんがチェーンソーを振り回して殺しまくっていくようなものはトンと関心がございません。心霊ものはちょっと複雑で、話しにある程度の合理性があれば面白いですが、まったく理屈が通じないものは嫌になります。それに日本の「怨念もの」はまっぴらです。(日本のホラーはホントに怖いから絶対観ない)

好きなのはB級モンスターシネマです。「モンスター」というのは例えば巨大アナコンダやワニ、狼男その他のUMAのように、はっきりと実態のある連中のことです。

もちろん、ゴジラものや「Jurassic park」シリーズ、最近の「Kong Skull iland」のように 「A級」ももちろん面白いのですが、A級というのはアナがないですよね。「B級」の場合はA級には及ばないどこか「惜しいところ」があります。それを考慮してもまだ面白いかどうか?というような発見の楽しみがあるのです。

先日遭遇した久々のB級傑作ホラーは「Razortooth」という2008年のアメリカ映画でした。ある田舎の湖で巨大な「鰻」が人々を襲うのです。そう、あのウナギです。

このウナギはアナコンダ級のサイズなのですが、巨大で鋭い歯を持っていて、人々を食い殺したり飲み込んだりします。さらに陸上を歩く、というかボルト並のスピードで走ることもできちゃったりします。木登りも得意というスーパーウナギなのです。

この映画では、出し惜しみせずに冒頭からウナギモンスターが登場し、夜間、脱獄囚を追跡していた警官四人を次々と襲います。にもかかわらず、翌日なんの捜索隊も援軍の州警察もやってきません。この辺がB級のいいところ。

田舎の町の保安官とその助手、さらに動物保護局のスタッフが迷い犬の捜査の過程でモンスターウナギに遭遇していきます。そしてそこからドタバタの追いかけっこが展開していくわけです。




相当面白かったモンスターウナギのホラー


B級シネマにはB級たる所以があると思うのですが、B級ホラーの場合にはいくつかの共通したパターンがあるように思われます。

まず制作予算が少ないからでしょうが、舞台は田舎です。田舎でいいのは出演者が限られることでしょうか?人件費が浮く?特に凝ったセットも必要でないし。

また、ストーリーに辻褄の合わないことは必ずあります。上述のように、警官四人が殺されていても援軍は来ない。別のアナコンダムービーでは、巨大アナコンダが逃走しているのに、追いかけるのは私的な捜査隊だけ。軍や警官隊が登場するのは、これも費用が大変でしょうからね。事件は「クローズド グループ」で解決されなくてはならないのです。

さらにB級シネマには、A級だったら使われないだろうな、と思わせるえげつないジョークがあったりします。太った男性が水上のトイレに座っているところを、下の配管から上がってきたウナギに尻から食べられてしまうとか、湖に立ち小便をしていた男が、水中から突然現れた巨大ワニにパクリとされてしまうとか。

それ以上は立ち入りませんが、ホラー映画をある意味ブラックジョークとして作っている場合もあるようですし、この辺は深〜い議論になり得るのかもしれませんね。冒頭に言いましたように、私はシネマクリティックではありませんので、深〜い部分は専門家にお任せします。

私なりの考えでいうと、B級ホラーを楽しむには、ある程度観る側の能力というか、適性が必要です。どの程度物語りの辻褄の合わなさを許容できるか、どの程度物語りの「あり得ない」性を受容できるか、等々です。

ですから、B級ホラーは映画そのものと観る者との共同作業ということもできるかもですね。まあ、そこまで大袈裟に考える必要もないでしょうが。

私は決してB級は嫌いではないですね。A級の方が格が上なのは重々承知した上で、より手頃で肩の凝らない娯楽を提供してくれるのはB級だと思います。

自分自身がB級であるからかもしれませんね。A級を目指し、努力はしますけれど、所詮出身はB級であることに変わりはありませんから。B級、我が良き友よ、です。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シーズン開幕直前情報

2017-08-13 05:00:00 | 日記
八月中旬となりました。日本ではもうお盆休みに入る頃ですね。暑さもひときわ厳しい時期ではないかと想像します。私は三年ほど前にこの時期を日本で過ごしましたが、帰省の場合はやはりこの酷暑の時期は避けるようにしていますので、もはや「想像」の世界と化してしまいました。

一方アイスランドでは、今頃から秋の新年度のエンジンがかかり始めます。以前一度書いたことがありますが、アイスランド、特にレイキャビクの八月はかなりぎっしりと予定が詰まっています。

まず八月の第一週の週末はVerslumannahelgiヴェルスルマンナヘルギと呼ばれ、月曜日が祝日のため連休となります。もともと商店で働く人が羽を伸ばせるように、という主旨のお休みでしたが、今で野外大パーティーの週末として知られています。

一番大きいパーティーはウェストマン諸島という島でのものですが、それ以外の地でも多くの野外パーティーが持たれます。

まあ、天気が良い時にバーベキューでもする、というのなら楽しいでしょうが、この週のパーティーは雨が降ろうが、風が吹こうがおかまいなしに夜を徹して飲み騒ぐ、という感じのものです。私のようにアウトドア人間ではない者にとっては、まさしく「集団アホ化」としか思えない類のものです(かなり個人的偏見が入っていますのでそのつもりで (^-^;)。

ハメの外し過ぎによるレイプ事件や、ドラッグ使用等も必ず付いて回る週末です。「終末」と言ってもいいかも、部分的には。

翌週の八月第二週の土曜日にはゲイプライドの行進があります。祭りとしてのゲイプライド自体は確か木曜あたりから始まり、日曜まで続いたと記憶しています。ただ、ダウンタウンを往くパレードが圧倒的に目玉のイベントで、テレビ中継もされます。

もともとは同性愛者の人たちの権利を主張するためのイベントだったのですが、ここ十年来に「ゲイ権利」が相当に拡充されてきたアイスランドでは、観光客の人々も含めて皆が楽しむ祭りとなっています。




人気イベントとなったゲイプライドのパレード
Myndin er ur Icelandmag.Visir.is


そして毎年その前後にヒロシマ、ナガサキを偲ぶキャンドル流しが行われます。6日か9日の土日とかにぶつからない方の日が選ばれます。今年で33回目を迎えましたが、こちらの平和団体がボランティアの活動として始まったものが夏の行事としてすっかり定着しました。毎年必ず参加していたのですが、今年は都合により行けませんでした。残念。

そして第三週の週末、というか土曜日はレイキャビク市限定になりますが、Menningarnottメンニンガーノホト「カルチャーナイト」というお祭りがあります。実際には夜だけではなく、朝から始まります。

特に午前中のレイキャビクマラソンには外国からも相当数の選手が参加して、年毎にグレードがアップしている感じがします。このマラソンはフルマラソンだけではなく、ハーフマラソンや10キロ、5キロなどもあります。

近年は「誰かが何かの大義のために走る」ということが盛んになっています。よく仕組みがわからないのですが、ある人が例えばChurch Aidのために参加することを表明すると、その人に対して公人私人が寄付金を積み上げ、それがChurch Aidに流れるようになっているようです。

当然、有名人が参加をすればそれだけ集まるお金も多くなります。実は「一部に著名人」の私も(誰でも「一部には」著名人です)UNCEFから走ってくれ、と打診されたのですが、過去十年以上に渡りなんのフィットネスもジョギングもしていない私は丁重にお断りしました。まだ死にたくないし。




カルチャーナイトのフィナーレを飾る花火
Myndin er ur DV.is


さて、お祭りだけではなく、学校もこの時期、八月第三週あたりに新年度が始まります。小中高大、ともです。「小中」はこちらでは基本的には「十年生学校」としてひとつです。

その「九年生」に当たる生徒の多く(その学年中に14歳になる生徒)が、翌春に教会のフェルミング「献信礼」を受けます。その献信礼のためのコースがもこの時期に始まります。

フェルミングについてはこちらも


実際は学校が始まる前の週から -今年の場合は今日から始まる週ですが- 平日四日間くらいの「集中講座」を開くことが、レイキャビク近郊の教会では一般化してきました。 夏休みから皆が帰ってきたところを捕まえて、学校より一足先に「詰め込み」をしておこうというわけです。

私の居候先であるヒャットラ教会でも、明日より始まります。実際に私もなんらかの形で参加していますが、これはいい仕組みだと思います。ある程度集中的に学んだ方が、面白く、かつ効果的に進むように思えます。

で、八月前にガッツリと夏休みを取った牧師さんも、私のようにダラダラと「多少気の抜ける日々」を過ごしてきたものも、このフェルミング講座の開始と共に否応なく夏休み気分から「現場復帰」させられるわけです。


アイスランド社会全体が「盛夏はオフ、秋から春がインシーズン」という気風があります。もちろん、そう簡単に白黒つけられない職種も多々ありましょうが「そういう考え方」は基本的に底辺にあります。

そして面白いことに、いろいろな業界の中でも教会で、それが最も顕著に現れていると言っていいでしょう。まあ、冬のクリスマスや春のイースターは、祭り期間ではありますが教会では事実上お仕事期間ですからね。そういう意味では特になんのしがらみのない夏は思い切り休める時期、ということがあるのでしょう。

とにかく、シーズン開幕目前です。シーズン開幕時というのは、毎年のことですが楽しいものです。ウキウキしてきますね、まだ希望と期待しかないですから。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスランドな夏 難民の女の子と野外誕生日会 (2)

2017-08-06 05:00:00 | 日記
(前回からの直接の続きです)

さて、もちろんアイスランドにも、難民の人たちにサポートをしようという人は多くいます。昔からそうだったわけではありません。嬉しい変化です。

私も含めて支援派の人たちはどうやったらモハメドさん父娘をサポートすることができるか考えてきました。送還の代わりに申請の内容の吟味を求める署名運動が始められましたし、ジャーナリストへの働きかけもしました。それでも、もっと多くの人に内容を知らせる「何か」が足りないのです。

そこで支援者の中の何人かの人が考え出したのがアニアちゃんの誕生日パーティーでした。実際はアニアちゃんの十二歳の誕生日は十月なのですが、「彼女がまだアイスランドにいるうちに誕生パーティーをしてあげよう」と言う趣旨で誕生日を計画することになりました。

それが決まったのが七月の二十六日の水曜日の夜。会合は私の教会で開かれたのですが、私がしたのはこの会合をホストすることだけでした。正直に申告しておきますが、私は次に続く準備会の驚異的な働きには関知していません。何しろ「休暇中」でいなければいけなかったので。

わずか六日後の八月二日の午後四時。レイキャビクの中心地にあるクランブラトゥーンという公園の一角で野外誕生会が開かれました。この一角には子供達用の遊戯施設も付いているので、特に子供達は十分に遊べる区域です。

雲ひとつなく、上着を着ていると暑いくらいの好天の中で、「わんさかわんさ」と人が集まってきました。準備会の人たちはその六日間の間に本当によく働き、メディアへの連絡、カンパの要請やボランティア援助の声かけなどがなされました。

それで、当日の会場ではアイス屋さんのワゴンが子供達に無料でアイスをあげてくれたち、ホットドッグのグリルとジュース、手作りのケーキもベンチテーブルに山積みのようになりました。

アニアちゃんはまさしくシンデレラでしたね。マスコミのカメラに囲まれ、さらに多くに人たちから祝福と激励の声をかけられ、何度も携帯カメラの前に立っていました。これだけの人の注目、それも好意的な注目の的になったことはそれまでなかったことでしょう。




バースデイケーキの前のアニアちゃんを囲むカメラマン アニアちゃんは見えません、悪しからず


集まった人たちは、おそらく二百人はいたのではないかと思います。これほどの人が私のために集まってくれたことだってなかったですよね。これからもないでしょう。まあ、葬式くらいかな?

パーティーの間、私も色々な人と挨拶したり雑談したりしましたが、もちろんほとんどの人がモハメドさん父娘に会ったのは初めて、という人でした。「アイスランドはまた好況で、人が必要なんだ。スペースもあるし、なぜ怪我をしているシングルファーザーと難民キャンプしか知らない無垢な少女を追い返す必要があるんだ?」というのがほとんどの人の声でした。

移民局の担当者や難民問題をよく知る人たちから見れば「そんなに単純なもんじゃないよ」というのが本音でしょう。確かにそう思うのは当然だろう、と私でさえ思います。しかしながら、それは決して街の人々が間違っていて、専門家が正しいということにはなりません。

正しいのは、多分街の人々の方なのです。「困っている人々がいて、我々にはそれを助けることができる。それは同時に我々のためにもなるじゃないか!」それが正しいことの原点なのではないかと思います。ポリシーや制度、法律はその正しいことを保証するために作られていくものです。

しかしながら、システムや規則が専門化し細分化していくに従って、元々の原点が見失われ、大義が大義に使えるはずの周辺事物に犠牲にされることになってしまうのです。

モハメドさん父娘のケースはその典型のようです。モハメドさん父娘はイランで難民として受け入れられていましたので、たとえその生活環境がどんなに悪かろうと、新たに他国で難民申請が認められることはありません。

拒否されることを覚悟の上で難民申請をしても、ダブリン規則によれば、責任国はドイツでありアイスランドは知らんぷりをすることができます。足の悪い父親と十一歳の女の子がドイツでどのような環境に耐えねばならないとしてもです。

物事を細分化し細かく規則に照らしていくとそうなるのです: 移民局がやっているように。ですが、物事全体を見つめて、何がすべての規則の規則やシステムのさらに上に考えるならば、規則やシステムが導くのとは異なる結論に至ることもあるのです。

経済恐慌以来たびたび示されてきたように、アイスランドの政治、社会には直接民主主義的な動きが示されることがあります。それが実際に政治の動向、議会の決定事項に影響を与えてきました。

それをどのように評価するかについてはいろいろな意見があるでしょうが、少なからず「常識」的で「筋の通った」道を指し示してきていると私は思っています。今回のアニアちゃんの誕生パーティーも、ある意味ではこのような直接民主主義の「タマゴ」だったのではないでしょうか?




難しい状況のための
楽しいパーティー


パーティーの翌日のフリェッタブラージィズ紙の一面にはにっこり笑うアニアちゃんの顔写真が載りました。その日の正午の集計では、モハメドさん父娘へのカンパ金は六十万クローネにも達したそうです。送還の撤回と難民申請の審議を求めるペティションは五千人に届こうとしています。

今、この時点では、すでになされたモハメドさん父娘の送還の決定に、これら一連の支援者のアピールが何かの影響を与えるかどうかは不明です。支援する側としては、安心せずにプッシュし続けなくてはなりません。

良い方向へ物事が向いてくれることを願ってやみませんが、何れにしても今回の出来事はアイスランドがどのような社会であるか、アイスランドの人々がどんな人たちであるかを改めて考える良い機会となりました。

いろいろ言いたいことはありますけどね、それでもこの国は気に入っています。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスランドな夏 難民の女の子と野外誕生日会 (1)

2017-08-04 07:30:00 | 日記
八月に入りました。レイキャビクでは好天が続き、気温も二十度を瞬間的にでも越えるような日も幾日かありました。前回は野外挙式の話しを書きましたが、先の火曜日に私が担当した式も、十五、六度の快適な気温、ほぼ無風という完璧な天候に恵まれて湖畔の森の中で執り行うことができました。

先週は夏休みの週で、なるべく仕事を避けなければいけないのですが、この式は以前から予約を受けていたものなので、これは仕方ありません。式を挙げるのは楽しいですしね。




野外結婚式場 クヴァールエイラヴァトン湖畔


私のようなワークホリック気味の人間にとっては、「休みは取りたいから取る」というよりは「取らなきゃダメ!」という向きの方が強いようです。実際に「休みを取って仕事のことは忘れる」ということは、「せねばならぬ」大切なことであるようです。

さて、その翌日の水曜日、私の想いの中では「とてもアイスランド的」と太鼓判を押したくなる出来事がありました。最初から説明しましょう。

春先のイースター(復活祭)の礼拝に、アフガニスタン人の父娘がやってきました。私の礼拝に以前から参加している、別のアフガン人の母娘に連れられてやってきたようです。予想通り難民申請中の父娘でした。

お父さんは足を怪我していて松葉杖をついています。娘さんはまだ十一歳ということで、とても可愛らしい女の子です。どちらも英語がダメなので、周囲の言葉ができる人を介しての話しとなります。

その日は十分な話しもできずに終わりました。その後もその父娘が住んでいる町がレイキャビクではなく、国際空港の近くのケフラビクトいうこともあり、なかなかゆっくりと話しをすることができずに過ぎてしまいました。

かろうじてわかったことは、お父さんのモハメドさんは、家族に連れられ十二歳の時にタリバンの迫害を逃れてアフガンを出国、イランへ行きました。難民キャンプで知り合った女性と結婚し、娘さんのアニアちゃんが生まれました。以来アニアちゃんは、基本的には難民キャンプでの生活しか知りません。

イランの方には悪いのですが、イランのアフガン難民の生活状況は国際的に悪評を持っています。難民は限られた地域の中でしか移動の自由がなく、仕事も制限されたリストの中から選ばなければなりません。ほとんどは肉体労働だそうです。

モハメドさんの生活も決して楽ではなかったそうです。まず奥さんとはうまくいかず、わずか一年で離れて行ってしまったとのこと。さらにある日交通事故で足を怪我してから生活は一層厳しくりました。きちんとした治療へのアクセスがないので、いつまでも治らない。すると肉体労働はできないので仕事にあぶれてしまう。

そういう状態の中で、イラン政府はモハメドさんの難民キャンプ滞在許可の更新を拒否しました。理由は「仕事をしていない」から。イランを追い出されたらアフガンに戻らざるを得ませんが、十二歳で国を出たモハメドさんは親戚知己があるわけでもなく、なおかつタリバンへの恐怖がまだあります。

モハメドさんはアフガンの被差別民属はざらに属します。ハザラはタリバンのまず持っての攻撃目標でした。私が出会うアフガン難民の人たちもほぼ100%ハザラの人たちです。

で、アフガン難民の問題に関して、一番議論の中心になるのが「現在のアフガニスタンでハザラ人は差別や危険、迫害なく生活できるのか?」ということだろうと思います。

アフガニスタンの政府はもちろん綺麗なことを言います。ヨーロッパ各国の政府も、自国に溢れているアフガン難民を送り返したいという本音があるために、なんとかしてアフガニスタンの状況を肯定的に評価しようとします。

日本ではニュースになっているかどうかは知りませんが、昨今はヨーロッパ各国はアフガン政府と取り決めをして、申請を拒否された難民を直接アフガンへ送り返すことを始めました。

国連の下にある「難民議定書」には「ノンレフルーメント原則」という大変重要な原則があり、難民申請者は「たとえ難民申請が拒否されたとしても本国へ送還してはいけない」ということになっています。

私はヨーロッパのいくつかの国がし始めている、アフガン難民の本国送還は「ノンルフルーメント原則」への違反だと思うのですが、政府の高いところでの合意ならなんでも通ってしまう、ということなのでしょう。

明らかなことは、政府関係者は「今のアフガニスタンではハザラ人も安全」と言い、ハザラ人である難民の人たちは「今でも危ないし、怖い」と言っていることです。

さて、モハメド、アニア父娘はかくして、ドイツへ逃れました。そしてそこからアイスランドへやってきて難民申請をしたのです。去年のクリスマスの時期のことでした。

しかしながら、ドイツを経由してきた以上、ダブリンルールによるとモハメドさん父娘の難民申請責任国はドイツであり、アイスランドはドイツへ父娘を送り返すことができます。そして、アイスランドの移民局もそういう結論に達したわけです。この場合、申請の内容を吟味することなくの「自動的送還」となります。

結果としてモハメドさん父娘はまもなく、おそらく八月中旬にはドイツへ送還されることになっています。(続く)


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする