レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

選挙、ハロウィーン、マルチン·ルター、そして挙式!

2017-11-05 05:00:00 | 日記
十一月に入りました。多少寒くなってきたようで気温は零度になる瞬間もあるようです。我が古アパートの窓から見えるエイシャをはじめとする山々(「山」という言葉はあまりぴったりしない気がするのですが) は上の方が雪冠となっています。それでもまだ私はシャツは半袖。長袖に変えるにはもう少し冷えてもらわないと。




エイシャの左隣りの山々 昨日土曜日の昼に撮影


先の一週間強はかなりいろいろなことがある、慌ただしい週となりました。今回はその煽り?で、「まとまったことを考える暇がなかった」という言い訳のもとに、一週間の出来事を適当に書き連ねてみたいと思います。

一週間を慌ただしくさせてくれた、いの一番の元凶は選挙です。選挙というのは、周囲を否応なく慌ただしくさせますからね。10月28日の土曜日が投票日だったのですが、前回の国会(アルシンキ)選挙は昨年の10月29日でした。ということは、今回の選挙はギリギリで「一年のうちに二回目の選挙」だったわけです。

その去年の選挙の結果では、いいように議席が分かれてしまい連立工作に時間がかかり、政権発足が越年してしまいました。そのことは今年始めのブログで書いたとおりです。

燈台の緑の灯りが綺麗な静かな夜


今回の選挙では、前回にもまして議席が多政党に同じように分かれてしまいました。ですから、前回と同様に長—い連立交渉と工作が続くことになると思われます。途中の過程に付いていくと疲れるので、政権ができたらまたご紹介します。

選挙の結果が出たのが日曜日ですが、その翌日の月曜日にはハットゥルグリムス教会で日本人カップルの結婚式がありました。このおふたりは、ご自分で旅行と式の段取りを取ってきたので、私はもう一年も前からメイル等でやりとりをしてきました。

当初は「Air wavesの鑑賞と合わせて」の予定だったようですが、今年はAir wavesの初日が十一月にずれ込んでしまったようで、そちらの方は残念賞になってしまいました。

結婚式そのものは、新郎新婦のおふたり、オルガニスト、フォトグラファーと私だけという極めて少人数。おふたり(正確には新婦の方ですが)と、メイルですでに気心が知れていたことに加え、オルガニストもフォトグラファーも私の良い知り合いにお願いしていたので、この上なくリラックスできる環境でした。とても気持ちの良い式になったと思います。感謝。

ただ教会そのものが慌ただしかったのです。というのは、結婚式の翌日の火曜日は10月の31日。ハロウィーンです。って、ハロウィーンで教会が慌ただしかったわけではありません。




ヒャットラ教会のハロウィーン礼拝


この10月31日というのは毎年「宗教改革記念日」と呼ばれる日です。皆さんもかつて、高校の世界史で学ばれたことがあると思いますが、カトリック教会がよろしくなくなっていた16世紀に、ドイツの修道僧にして神学者マルチン·ルターがウィッテンベルクの教会の門に「95ヶ条の提題」を貼り付けて改革の論争を始めた日が10月31日なのです。

そして今年は特別。何しろ今年の宗教改革記念日はズバリ500周年の記念日だったからです。ドイツはもとより、ヨーロッパの広範な地域でこの500周年故の記念行事や式典が持たれました。

ああ、言い忘れましたが、アイスランドの国民教会は正式には「アイスランド福音ルーテル教会」と言い、まさしくマルチン·ルターゆかりの教会なわけです。(「ルーテル」とはルターのこと)

で、10月31日に前後して、やはりいろいろなイベントがこのハットゥルグリムス教会でも持たれていたわけです。展示やワークショップもあったのですが、日曜日の午後の英語礼拝などは、展示の準備の遅れを取り戻すべく奮闘している大工仕事の騒音に悩まされました。慌ただしい。

その同じ火曜日の夜なのですが、「祈りの会」のメンバーの難民の青年がデモンストレーションでカンフーのクラスを披露したので、それも見学に行くことになりました。この青年はクルド人で、家族で難民申請していたのですが、送還の結論。

何か助ける手立てはないか?と周囲が考え、このデモンストレーションが用意されました。青年は本当にカンフーの先生なのです。




難民青年が指導するカンフーのレッスン


テコンドーの道場を借りて行われたデモンストレーション。五十人くらいが集まりました。私は参加せずに、見ていただけですが、この青年が堂々と指導をしているのを見て驚きました。私が知っている「難民」としての彼とは全く別人だったからです。

同じようなことは何度も体験してきていますが、やはり新鮮な驚きです。「難民」と言う特殊な状況下では、その人が持っている真の「姿」は表わせないのですが、周囲は、難民である状況のもとでのその人を見て「そんなものだろう」と決めてかかってしまうのです。今回も自分に戒め。

その翌日の水曜日、11月1日は「全聖徒の日」と呼ばれる、これも教会にあっては特別な日です。「聖徒」であって「生徒」ではありませんからね。(^-^; この日は単純に言うと、亡くなった方々を偲ぶ礼拝を持つ日なのです。

前夜のハロウィーンと、裏では?繋がりがある記念日らしいのですが、ざっと調べたことはありますが、あまり深く掘り下げてはいません。歴史、得意じゃないんで。

その日は国際空港のある町ケフラビクの教会での「祈りの会」もあります。難民である青年三人がレイキャビクから一緒に行ったのですが、これも慌ただしかったなあ。英語が通じない子がいるので、チグハグなコミュにケーションになったりして。

木曜日は翌々の日曜日の英語礼拝のお話しの原稿を下書きしたり、プログラムを作ったり。その間に、別の日本人カップルの挙式のリハーサルをハットゥルグリムス教会で。

翌日の金曜日にはそのカップルの結婚式。一週間に二回の邦人の方の挙式というのは、多分初めてだったと思います。あるいは十年以上前に一度あったかも... このカップルの方もAir wavesと抱き合わせで来られたようですが、こちらは首尾よくAir wavesも鑑賞できたようです。

このおふたりは、日本の旅行会社を通じて来られたので、事前にやり取りする機会はなかったのですが、礼儀正しい感じの良いカップルでした。現地(こちら)でのコーディネート会社は、新しい会社で初めての一緒の仕事だったのですが、担当の女性は付き合いやすく、かつ信頼できたので助かりました。かつ美人だったのはおまけ的ラッキー!

というような感じで、ドタドタと一週間が過ぎて行きました。その合間合間には難民関係のいろいろな案件が入り込んできますが、問題の性格上気になる、というか、シリアスなものが多いのでアタフタ感が増してしまいます。

そして気がつけばクリスマスがもうすぐそこまで迫っているではありませんか! 一年、少し短過ぎませんか?465日くらいあってもいいように思いますが...

「慌ただしい」「慌ただしい」と何度も書きましたが、慌ただしいのは好きではありません。周囲が慌ただしくとも、自分はクァイ·ゴン·ジンのように淡々としていたいのですがね。どうも修行が足りないようで。

そんな慌ただしさの中にあっても、二回の挙式はほのぼのとさせてくれる時間でした。人様の人生の大切な機会にお伴できるというのは、決して当たり前のことではない、かなりの特権だと思います。

二組(ふたくみ)のカップルの皆さま、これからの日々の幸多きことをお祈りしたします。


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com


Home Page: www.toma.is


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