風に吹かれすぎて

今日はどんな風が吹いているのでしょうか

なまもの

2009年01月24日 | 雑感

雪が降りしきっています。
今冬初めての街中での積雪となりそうです。

ぼくの目の前の壁に茄子を描いた絵が張ってあります。
色鉛筆でぼくが書いた絵です。
小学生が描いたような絵です。
茄子の深みのある肌色や浮かび上がるような輝きは何一つ表現されていません。
茄子だからと紫色の色鉛筆でゴシゴシと色をつけただけのお粗末な絵です。

でも、描こうとして初めて茄子の肌色の深さや彩取りを発見しました。
言語を絶する生き生きとしたその姿を感じることができました。
出来上がった絵がいくら下らなくても、絵を描く過程で茄子という対象と触れ合うごとができました。
ぼくにとって上手い絵を描くことなどどうでもいいのです。
絵を描こうとするぼくの心の姿勢が重要であり、対象と対峙することが重要です。

「絵」という記号があります。
だれそれという画家の名前という記号があり、描かれた作品の題名という記号があります。
「ゴッホ」の「ひまわり」という絵があります。
その絵を前にして、大抵の人は「ゴッホ」という記号に満足し、「ひまわり」という記号に満足します。
一切の記号を脱ぎ捨てたその絵自体と対峙することはかえって難しいことかもしれません。

以上は、雑誌「新潮45」一月号の、内田樹という人の記事「呪いを解く『祝福』の言葉」という記事を読んで、連想したことです。
非常に面白い記事でしたが、その記事の主題からは少し外れるのですが、現代人が記号に囲まれ記号に支配されているという視点を少しだけ敷衍してみたいと思います。

彼は現代の状況を、「『記号の過剰化』あるいは『過記号化』という枠組みで説明できる」とします。
「9.11同時多発テロ」以降、人々の意識には「テロリスト」という記号が刷り込まれ、その記号がイラク人に
「貼り付けられた」とします。
イラクという国の実情を知ろうとするよりも、「イラク=テロリスト」という記号でアメリカはイラクに攻撃を開始しました。
その攻撃さえももはや限りなく「記号」に近づいています。
コンピューター画像で攻撃地点を把捉し、ミサイル発射のボタンを押して、画像で攻撃対象の破壊を確認して任務終了。
戦争や暴力さえも、「戦争」や「暴力」という記号化が進んでいるわけです。
記号化の恐ろしいところは、イラク人も一人一人が家族を持ち、生活を営み、笑顔で暮らせる日々を待ち望む人々なのだという
創造力を枯渇させることです。

元厚生事務次官を襲った事件や、秋葉原の事件も取り上げています。

「先頃、元厚生事務次官宅を襲う殺人事件が起きました。見ず知らずの人間に向かい、あれだけの暴力を振るえるということは、
 生身の人間が生身の人間を襲っているのではなく、記号が記号を襲っていると考えるべきでしょう。一方に『諸悪の根源である
 高級官僚』という記号があり、他方に『収奪されている民衆』という記号がある。記号が記号を襲う。だから、身体の歯どめ
 がかからない。秋葉原の事件も同様です。ここでも、加害者の殺意は身体に根ざしているのではなく、脳内でこしらえられた
 記号なのです。たしかに金のないことや、他者からの敬意が欠如していることは苦しみでしょうが、その苦しみの『元凶』や
 『受益者』といった概念は現実の、個別的な苦しみからは導出されませんし、そのような概念をひっぱってきたところで現実の
 個別的な苦しみは少しも軽減されません。そのような概念装置が導き出すことができるのは記号的な『敵』と記号的な『憎しみ』
 だけです」

記号という概念装置(←言い得て妙です)は大変便利なもので、なにも思考することなく物事が分かったつもりになれます。
「自由」「平等」「権力」「正義」「悪」「神」「お金」「学歴」「出世」「愛」といった様々な記号を組み合わせて、
人は事象を理解したつもりになり、判断したつもりになります。

そこで内田氏は人間存在をはじめあらゆる事象を「なまもの」として捉える視点を提出します。
安易な記号化をすり抜ける「ノイズ」に満ちているのが、人間であり事象だということでしょう。

茄子の肌の色は色鉛筆の紫色ではありません。
茄子の肌の色は茄子の肌の色です。
記号化に慣れ親しんだ脳は、その色の複雑さを把握する努力に意味を見出さないでしょう。

テレビのコメンテーターと称する人たちに一様に得意な能力があるとすれば、唖然とするほど安易な記号化です。
「なまもの」である事象から、息遣いが抜き取られ、思いが抜き取られ、叫びが抜き取られます。

「なまもの」である自分が「なまもの」である世界に遊ぶというのが、今一番贅沢なのかもしれません。
千変万化する空の色を感じる心をなくしたくはないです。

最後に懐かしいやつをどうぞ
http://jp.youtube.com/watch?v=pbFqYtxOmYw&feature=related

 


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2 コメント

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色というもの (りのすK)
2009-01-25 00:33:13
色を表現する事はとても難しいです。
少なくとも私にとっては、とても。
影ひとつでも、土に映る影、アスファルトに映る影、塀に映る影...日時天候様々に変化します。

それを目で(正確には脳ですが)感じ取れたとしても、再現できません。
例えば水彩絵の具で様々な色を組み合わせ、濃淡を調整し塗っていきますが、駄目です。
昔から絵を描くのは好きだけれども着色で泥沼化します。
茄子の紫色はヘタとの境目のグラデーションに見惚れますが、たまにヘタの棘に刺されます。
ドン臭いから

その微妙なものの組み合わせを感じ取る能力は意識しないと退化するものかもしれません。

りのすkさん (torut21)
2009-01-31 20:09:24
色も匂いも味も触感も音も、味わい尽くすだけでいいのかもしれませんね。

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