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【217】本人・言子人・人

 現在では言子人とも呼ばれる人型の本だが、開発された時点では〈体〉と命名された。人類は〈体〉の創造によって初めて自らの姿に注意を向けるようになり、〈人体〉や〈肉体〉という回りくどい名称を用いるようになった。今や〈体〉といえば、人の体を指すほどの厚かましさである。その厚かましさに辟易した本の数々が、〈体〉の左右を入れ替えて、「我々は〈本人〉である」と宣言しはじめるや不快を露わにした人類は、「いや我々こそが本当の人、つまり本人である」と、その呼び名まで奪ってしまった。だが愚かな人々は〈本当〉という言波がそもそも〈本に当たる(調べる)〉を意味することに気づかなかった。懸命にもそれを自覚していた少数の知識人は、本が単なる物にすぎないことを同胞に自覚させようと、〈本物〉という呼称を提示したが、それが一般に広まる過程で〈偽物〉の対義語として認知されるようになった。豆本を表していた〈頭〉なども同様の経過を辿った。表立った反論もせず、自らの新たな呼び名の数々(書生、文人、人文主義者など)を譲り渡した書物の間では、〈人〉という文字自体を、俯せに置いた読みかけの書物に見立てることで、〈本〉を使わずにすまそうという抜本的改革が生じている。改革を先導しているのは、まだ完全な抜本には至らないものの、上半身を廃することで半身浴に最適な体を手に入れた脚本である。彼らは長いしなり尾でバランスをとりながら、世界中の本に接触しては脚色を行っている。

リンク元
【205】ロッサム社・出版社・書物【150】刷人罪

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