肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『博士の愛した数式』、観ました。

2006-01-23 20:49:41 | 映画(は行)






■原作 小川洋子
■監督 小泉堯史
■出演 寺尾聰/深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆/浅丘ルリ子

 『博士の愛した数式』、映画館で観ました。
シングルマザーの家政婦・杏子が、事故で記憶が80分しかもたない数学博士の
もとへ派遣される。彼の純情で温かな心に触れた杏子は、「√(ルート)」と
呼ばれた10歳の息子と共に、少しずつ博士と心を通わせていく……。
 観終わって、優しい心に満たされる…、温かい心に包まれる…。そんな素敵な
作品だった。この映画を評価するのに、言葉はいらない。いや、言葉に出来ない。
まっさらな気持ちで観て、ありのままを“心”で感じれば良い。今、ボクたちの
周りに山積(さんせき)している問題は、虐待も…、教育も…、争いも…、
実は、我々が知らず知らずのうちに“自分自身”を見失い、何処かに“善意”を
置き去りにしてしまったからではないのだろうか‥‥。例えば、僅か80分の
時間の幅を行ったり来たり…、幾度その記憶のすべてが消え去ろうとも、決して
“豊かな心”だけは忘れなかった博士のように…、人が本当に“人間らしく
生きる”とは??、そのために“何が必要”なのか??、この映画は無言のうちに
ボクたちへ、優しく語り掛けているようだった‥‥。
 さて、今作監督は、黒澤明の助監督を経て、これが3作品目となる小泉堯史。
観終わったボクが感じたことは、やはり小泉作品の根幹にしっかりと脈打って
いるのは、(師匠である)“黒澤明”なのだということ。勿論、それは“技術”を
伝授されただとか、“スタイル”を真似ただとか、そういった類のものではなく、
もっと内面的な“人の心”という部分の影響だ。例えば、黒澤明遺作となる
『まあだだよ』では、教師と生徒の交流を描きつつも、教師が生徒に学問を
教える場面は存在しない。そこでの教師は生徒にとって、常に“心の師匠”で
あり続けるのだ。そして、今作『博士の愛した数式』でも、主人公の博士が
“ルート”少年に…、また教師となったルートがその生徒に対して…、授業で
数学の数式を教えるというよりも、むしろ、数学の魅力や数式の美しさについて
語っている。[教師]とは、一人の“教育者”である前に、一人の“人格者”で
なければならない。思うに、今の教育で一番欠如しているものは、この部分では
ないのかな。この映画で、博士は少年に“1の定義”にたっぷり時間を割いて
説明する。“1”を知らぬ者が“10”を知ることは出来ない。そして、100も、
1000も、100000000も、その始まりは常に“1”だということを、ボクたちは
忘れちゃいけないんだね。ラストシーン、授業を終えたルート教師に何処からか
「先生、ありがとう」の声が聞こえてくる。それは、たった“一人の声”だった。
しかし、数の大小ではない、スピードでもない。一人でも“その心を動かすこと”、、
それが“教育”なんだとボクは思う。


楽天市場ランキング・売れ筋DVD邦画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVD洋画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVDアジア映画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVDアニメトップ30

Amazon.co.jp 外国映画トップ100
Amazon.co.jp 日本映画トップ100
Amazon.co.jp アニメトップ100


最新の画像もっと見る

コメントを投稿