肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『Dear フランキー』、観ました。

2006-05-19 20:50:35 | 映画(た行)

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 『Dear フランキー』、観ました。
フランキーは耳に障害を持つけれど、聡明で元気な男の子。彼の母リジーは
夫の暴力から逃げるため、各地を転々としながら暮らしている。まだ幼かった
フランキーはその事実を知ることなく、会えない父親に思いを募らせていく。
息子の寂しさを思い、リジーは嘘をつく。父親は船の乗組員で世界中を航海して
いるから会えない。その話を信じ込ませるため、彼女は父親のフリをして手紙を
書き続けていた‥‥。
 近頃、めっきりこの手の映画に弱くなっちまった…。きっと、それはベビーが
生まれて、オイラ自身が“人の親”になったからだと思うのだが、親が我が子に
注ぐ“深い愛情”と、その愛に飢えながら初めて手にした時にみせる“子の
笑顔”‥‥。ヤバイ、オイラの泣かせどころを突いてくる(笑)。観ながら
オイラは、こらえ切れずにオイオイ(涙)。今、こうして書きながらも再び
思い出しウルウル(涙)。ラストはちょっと“綺麗にまとめ過ぎ”の感じも
あるけれど、感動もので清々しい涙を流したいという人には是非ともオススメ。
映画全体を通しても、なかなかの秀作に仕上がっていると思うよ。
 さて、映画は、幼い頃のある事情から喋れなくなった少年が、(離れた場所に
住む?)まだ見ぬ父に送る手紙を“物語の出発点”として、口に言えない、目にも
見えない“親子の絆”を描いている。とりわけオイラが、この映画で感心して
しまったのは…、映画中盤、海岸の手すりにもたれ、海を眺める三人家族の
シーン。一見普通に見える“その特殊な家族”は、実は真ん中にいる子供が
両端の男女を繋(つな)ぎ止めてる“危うい関係”だったんだ。しばらくして、
真ん中の子供が去った後に生じた“一人分の隙間”、、、その僅かな隙間を
埋めるべく、ぎこちない会話を始める男と女‥‥、愛がその瞬間に息づき、
生まれたことを意味している。うん、そんな風にこの映画には、さりげない人の
仕草や小物に“隠されたメッセージ”がいっぱい。だからこそ、主人公少年の
手紙ですべてを説明しちゃうラストシーンは如何なものか。ボクとしては、
もう少しでも観る側に“想像する余地”を残した方が良かったと思うのだが‥‥。

 



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