肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『翼よ!あれが巴里の灯だ』、観ました。

2006-01-13 20:54:18 | 映画(た行)

翼よ!あれが巴里の灯だ

 『翼よ!あれが巴里の灯だ』、観ました。
有力者から資金を募り、“セントルイス魂”号を作り上げたリンドバーグは、
1927年5月、いよいよ大西洋横断に向けてNYルーズベルト空港から飛び立った。
だが、機上のリンドバーグを待ち受けていたのは、暴風雨や寒さといった
自然の猛威、睡魔、そして絶対的な孤独感であった……。
 「飛ぶこと」の意味は、広い大空への“憧れ”か…。翼を持ち、大空から
大地を見渡すのは、勿論“神”になりたいわけじゃない。人間の限界に挑戦し、
“未来の可能性”を切り開きたいだけなんだね。映画の舞台となるのは1927年、
当時の航空技術なんぞ今と比較したら、園児と東大生くらいの差があった頃‥‥
そんな時代に、ひとりの心優しい青年が、手作りのプロペラ機で“アメリカの
夢”に向かって進む姿に、思わず胸が熱くなった。技術は未熟でも、石をも
砕く“強い信念”がある。飛行機は非力でも、誰にも負けない(飛行機への)
“深い愛情”がある。それから、彼の周りのサポートも温かくて、操縦士に…、
出資家に…、技術者に…、それぞれに“立場”は違えど、それぞれの“見方”で、
同じ“ひとつの夢”を見ている姿に、心から感動した。
 しかし…、よく考えてみれば、それは“航空”の話だけに止(とど)まらず、
実は遠く50年の時代(とき)を超え、監督ビリー・ワイルダーから“今の我々に
向けられたメッセージ”かもしれないと思えてくる。(特撮)技術は未熟でも、
そこで働くスタッフの力を結集すれば、観る者を感動させることが出来る。
小手先のCGに頼らずとも、アイデアと工夫を重ねれば、観る者を“夢の世界”に
誘(いざな)うことが出来る。映画は、様々な回想シーンを絡めつつ、それぞれの
エピソードが後半になるにしたがって意味を持ち、ボディブローのように
効いてくる。そして、思わず胸にグッとくる台詞の数々は、練りに練りこまれた
“脚本の素晴らしさ”ゆえ……。今、時代は「アナログ」から「デジタル」へ…、
しかし、その途中でボクたちは、知らず知らずのうちに“リスク”を避け、
この主人公のように“チャレンジすること”を忘れてやしないのか‥‥??、
不時着寸前のラストシーン、自分自身しか信じられなった主人公が、初めて
“神”に対して叫ぶ“短い言葉”の意味…。それは目標に向かって努力を重ね、
死力を尽くした者だけが、初めて言うことの出来る言葉だったに違いない。
(主人公と同じく)無神論者のボクの心にも、ズシリと深く響きました。

 



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