なんとな~くです!

なんか最近NBAの事しか頭にないです。すいません!

元阪神「田村勤 #36」

2006年08月13日 19時19分14秒 | 阪神
ふ~久しぶりに昔を懐かしんでみる。

やっぱりね~忘れられない選手ですよ、
左サイドスローの田村勤選手です。

田村選手が大活躍したのは92年でしょうね。
新亀フィーバーであと一歩で優勝できたときです。

あの当時のクローザーを務めていたのが田村選手です。

もうねすごいですよ田村選手は!
今、タイガースでは藤川選手がものすごいピッチングをしてますが
田村選手も結構すごかったと記憶にあります。

左のサイドハンドですから現在ではウィリアム選手と同じタイプですが
田村選手のほうがもうちょっと下から出てたような気がする。

しかも、田村選手のストレートはすごかった。
本当に浮き上がってくるんですからね。そりゃ下からなげりゃ~ね。
でそのストレートのかすりもしないんですから、

あの小気味いいピッチングが大好きでしたね。
常にマウンド上でクールであり、しなやかな投球フォームから
繰り出されるボールは一級品でした。

ただね~92年がベストピッチ、しかも前半戦のみ。
後半戦は左肘を故障しちゃって、その年の優勝を逃しちゃいました。

田村選手がいれば優勝できた!って言わしめたほどです。

その後もコンスタントに活躍するんですが
痛めた左肘の代償は大きく1年間通して活躍する事ができません。

やっぱり結構無茶な投げ方だったんでしょうか?

以後は左肘をだましながらの投球が続いたんですが・・・。
松井専用ワンポイントピッチャーとしても活躍しましたよ!

ただね~92年の時のようなすばらしいピッチングは影を潜めて
徐々に出番がなくなりタイガースを自由契約になりました。

ものすごく好きな選手ですね。
タイガースの歴代ピッチャー人の中でもベスト5に入るほど
大好きです。忘れられませんね~

今はどこでなにをしているのやら・・・。



田村勤(たむらつとむ)
静岡・島田高 → 駒沢大 → 本田技研出身
1990年ドラフト4位
左投左打

一軍通算成績
287試合 13勝 12敗 54S 67SP 
257.2投球回 260奪三振 防御率2.90

元阪神「和田豊 #6」

2006年08月02日 23時32分44秒 | 阪神
ちわっす!
暑いですね、本当に暑い。

は~本日も阪神負けたよ李にホームラン
巨人2戦終わって李に3ホーマー6打点
打たれすぎ!矢野引っ込め、野口出せ~

まあいいや、今年はあきらめた。来年があるさ!

そこで、あの暗黒時代、来年も再来年も最下位ばかりで
光がまったく見えなかった時代にも阪神には名選手が存在してました。

和田豊、内野手ですが入団直後、阪神が優勝してしまい
それ以降ずっと、どっぷりと暗黒時代に突入。

その中にあってきらりと光る選手でした。

おそらくレギュラーを不動のものにした1988年あたりは
肩も強く、ゲッツーを取れるセカンドとして有名だったんでしょうが
私が知っている頃の彼は晩年で、ゲッツーの取れないセカンドでした。

ほんとに90年代後半はひどかったよ
なんであれがゲッツーにならんのかって良く酷評されてた。

ただね~和田ヒットって言われてたんですが
ライト線ぎりぎりにちょこんって落ちるあてただけのヒット
それは芸術の域に達してましたね。感動的ですよ。

守備はねゴールデングラブ賞も何度か取った事あるんでしょうが
晩年の姿しか知らない私としては、守備範囲が狭い。弱肩。

そんなイメージしかないのよ、ごめんなさい!
和田選手って地味なんですよね。実力はあるんですよ。

毎年3割近い率を残し、調子良いときは3割超えてましたから
確か打率のタイトル取ったと思いますよ。

当時の阪神にしては唯一のオールスター級選手。
新庄なんか実力が無いからパフォーマンスで補っているだけでしょ
和田選手は地味ながらにして実力はありました!

でもね~やっぱり少し物足りない選手であったのは事実。
引っ張れないのよ、ヒットゾーンはセンターから右、そこら辺だけ
しかも足速くないから内野ゴロではセーフにならない。

ん~もう一つなんですよね~
毎年1番を打っていて阪神の1番は今年も和田で決まりって予想
立てやすかったんですが。ん~やっぱりも一つだったのかな~

いや結構好きですよ、和田選手あのクールなところがいい。

引退後チームは程なく優勝しちゃいますからね~
やっぱりめぐり合わせかな~

現在は阪神タイガースの1軍打撃コーチをやっております
いまのタイガースは打線湿りっぱなしで困っております。
何とかしてください!和田さん




和田豊(わだゆたか)
千葉・我孫子高 → 日本大出身
1984年ドラフト3位
右投右打

一軍通算成績
1713試合 5972打席 1739安打 29本塁打 93盗塁 打率0.291

ん~2000本まであとちょっとだったのに~
期待してたんですよ2000本安打。残念!

元阪神「山田勝彦 #27」

2006年07月30日 19時21分34秒 | 阪神
こんにちわ~
なんだろね。本屋で元阪神タイガースって言う本見つけたよ。

まあ阪神選手のその後を追いかけるって感じの本。
少し感動した。

てな訳で阪神ファインの私としては元阪神選手の
特に暗黒時代に活躍した選手を中心に思い出を語ってみたい。

でだな、第一回目として、その暗黒時代の中心にいた人物。

山田勝彦選手の紹介。

山田ね~ん~懐かしいね。顔みると絶対にタレントの
勝俣州和に似てるんですよ。絶対に思い出す顔ですね。

山田選手は阪神入団2年目にして1軍に昇格。
阪神としては結構早いですよね2年目での1軍昇格は、
入団直後の前評判として東海地区ナンバーワンキャッチャー
だそうですよ。

その後、2軍に落ちて主力として活躍するのは91年あたりからかな
山田選手の活躍した時期ってのが91~02年なんですが

その頃の阪神の成績は・・・

91年 6位48勝82敗
92年 2位67勝63敗2分
93年 4位63勝67敗2分
94年 4位62勝68敗
   ・
   ・
   ・

あとは6位とか5位とかどん底状態なのよ
詳しくは阪神タイガース公式ページへどうぞ「URL

もうね彼がキャッチャーとして一番活躍した時期なんか
どべどべどべばっかりですからね。阪神の暗黒時代のキャッチャーですよ
主力の一人ですね。

不遇の時代を味わってたって感じですね。

山田選手はね~個人的意見ですがリード面がものすごく単調って
感じがするんですよ。同じと頃ばっかり投げさせますからね。
しかも弱肩キャッチャーで走られてばかりというイメージがあります。

打撃もどうよって感じで、打率2割台を低空飛行。

もうねあんたのせいで阪神弱いんじゃないのって
言いたいくらいの選手なんですよ。打てない守れない走れない
そんな選手だったような気がします。

でもねあの頃はその山田選手を超える選手がいなかったんでしょうね
なんだかんだ言いながら結局チームで一番出場してるんですよ。

まあね当事のピッチャー陣もあまり良くなかったから
もしかしたら時代が違えば優秀なキャッチャーって評価もらえかもですよ。
キャッチャーってのはチームが勝ってこそなんぼですからね。

どんなに良いリードしても負けたらあきませんから
なんだろな~いつもボールを後ろに転がしていた記憶があるんですよ
でピッチャーのボールがベース手前でワンバンすると
みてるこっちはヒヤヒヤしてましたよ。

しかし、忘れられない選手なんですよね。
あの暗黒時代に毎日毎日?試合に出つづけて、負けまくって
野球楽しかったんでしょうか?

2002年阪神が優勝する前年。星野体制になる前、
日本ハムとの交換トレード(下柳、中村豊)で移籍。

日本ハムで3年間プレーした後、引退しました。
日本ハムでのそれほど試合に出場できず不遇の時代を過ごしました。

結局日の目を見ることなく引退したのかな~
苦労しまくった感じがありますよね

忘れません!私は山田選手の子供のような瞳を。

現在は野村さんに拾われ楽天の1軍バッテリーコーチを担当してます
苦労した分、他人に対して教えるのは上手なのかな?

がんばってほしいですね。
楽天の順位を一つでも上げてほしいです。

あ~なんだろ悲しくなってきた!あの頃の選手って本当に・・・ねえ!
そうか!負けを知ってるから楽天のコーチに指名されたのかな?

本当にがんばってほしいですね~

ではでは



山田勝彦(やまだかつひこ)
愛知・東邦高出身
1987年ドラフト3位 捕手

一軍通算成績
795試合 1753打数 360安打 21本塁打 3盗塁 打率0.205