現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

ユダヤ人とは何か-スファラディとアシュケナジー-

2014-12-29 09:16:16 | 日記
 以前のブログで、「エジプトで奴隷とされていた人達がエジプトから逃亡し、パレスチナの地に定住するに当たって作り上げた人々の物語が旧約聖書であり、その物語を信じる、自分たちの物語とする人達をユダヤ人と言う(ユダヤ人の定義としては、ユダヤ人の母を持つ者も含まれる。)。」と書いた。(イスラエルの帰還法では、「“ユダヤ人”とは、ユダヤ人の母から生まれ、あるいはユダヤ教徒に改宗した者で、他の宗教の成員ではない者を意味する。(“yehui”-mi she-nolad le-am yehudio she-nitgayyer, ve-hu einu ben dat aheret)」と規定している(1970年第4条B)。
 しかし、出エジプト記に出てくるユダヤ人は、セム・ハム語族であり有色人種である。モーセもソロモンも、そしてイエス・キリストも有色人種である。しかし、現在、イスラエルという国家の上層部は白人であり、また、歴史上の有名人物でユダヤ人と言われているメンデルスゾーン、マルクス、マーラー、アインシュタインなどは白人である。

 ユダヤ人は有色人種だったのに、いつから白人に変わったのか。
 これを調べていたらユダヤ人には中東や北アフリカ系のスファラディウムと呼ばれるユダヤ人と、ロシア、ポーランドを中心とする東欧系のアシュケナジウムと呼ばれるユダヤ人の2種類が存在し、このうちアシュケナジウムと呼ばれる人達が多くを占める(第2次大戦前には,全世界のユダヤ人口1,650万の90%はアシュケナジム)ことがわかった。
 ちなみに、ナチス・ドイツによって迫害されたのもこのアシュケナジウムで、第二次大戦後にはアシュケナジウムの比率も下がったものと考えられる。

 スファラディとは、モーセやソロモンの子孫でパレスチナ人の兄弟でありその源流はパレスチナ地域に居住していた人達である。一方で、アシュケナジーとは、ハザル族の子孫でハザル国の滅亡後東欧の地域に居住したトルコ系白人の遊牧民族であると考えられる。
 ちなみに、ハザル族とは、6~9世紀を中心に南ロシア草原で活動した、おそらくアルタイ系(なかでもトルコ系)の遊牧民族で、少なくとも6世紀半ば以降、南ロシア草原に明確に姿を現し、ササン朝ペルシアと争い、7世紀半ばにハザル・カガン国を形成した。737年、アラブ軍がハザル地域奥深く侵入して勝利を得ると、ハザル・カガン(カガンは〈王〉の意)は一時的にイスラムを受容しウマイヤ朝カリフの宗主権を認めた。ハザル人の中にはイスラムに改宗する者も増加したが、カガンをはじめとする王族は、9世紀の初めユダヤ教に改宗した。965年にキエフ・ロシアのスビアトスラフの遠征によって首都を攻略され、事実上崩壊し、以後徐々に史上から姿を消した。(世界大百科事典(平凡社)から抜粋)
 ユダヤ教に改宗した多くの人達が西欧に向かい、西欧での迫害を受け東欧に舞い戻り、ロシアやポーランドに多くが住むようになったと考えれば、白人のユダヤ人が大量に存在することが納得できる。ローマ帝国時代のユダヤ人が西欧に向かったとして、少数のユダヤ人からこれだけ多くのアシュケナジーが生み出されるとは考えられない。むしろ、一つの国家でユダヤ教に改宗することで大量のユダヤ民族が生み出されたと考える方が自然である。

 ユダヤ教を信じる人達はユダヤ人である、という定義。アシュケナジーは本来ユダヤ人ではないが、自らをユダヤの神に依拠するためにはユダヤ人でなければならない。であれば、人種は関係なく、ユダヤ教を信じる人達はユダヤ人だという定義が必要となる。中華思想を信じる人達は中国人だ、などという定義はすぐにナンセンスだと思うだろうが、なぜかユダヤ人についてはナンセンスとされない。不思議な現象だ(ユダヤ人というものの特異性を物語っている。)。

 しかし、アシュケナジーには、先祖が住んでいたパレスチナに祖国を建国するというシオニズムの論理は全く合わないものである。彼等は、もともと、パレスチナに住んでいた人達の子孫ではないのだから。
 ユダヤ人に有色人種と白人が混在するのはなぜか、という疑問に納得のいく答えを見いだしたいものである。
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