働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

魅せられてin富山

2009-05-31 03:57:41 | 文学・歴史
富山の小矢部市に「クロスランドおやべ」という恋人と行きたいタワーの名所としても知られる施設がある。

たまたまその施設の寄付金御芳名の版の中に「瀬島龍三」の名を見つけ驚いた。
聞くと瀬島氏は、小矢部出身と言う。

山崎豊子の骨太作品の一つ『不毛地帯』。
この作品の主人公、壱岐正のモデルが瀬島龍三と言われる。

彼は、陸軍大学校を主席で卒業し、大本営陸軍参謀の経歴を持ち、11年のシベリア抑留から帰還した後、
商社マンとして辣腕を振るい、戦後の日本経済、政治にも大きな影響を及ぼした人物。

『不毛地帯』は、学生時代、深い感銘を受け、主人公のずば抜けた知性、行動力に憧れたものだ。

こんな有名な作品のモデルなのに、地元で、案外知られていないのでは?
少なくとも周囲から聞いたことがない。

灯台下暗しか、控えめな県民性か・・・。おそらく後者だろう。

どんなにいいことでも、知らずに、損をすることは多々あるものだ。
だから、知っている者にとって、宣伝が大事。

そこで、でしゃばり、目立ちの大阪出身者が、声を大にして富山の素晴らしさを伝えよう。

自然豊かで、空気も水もおいしく、魚はきときと、人々は温厚で勤勉で・・・。

あげればキリがない。が、何と言っても、世界で一番は、仏縁の深い土地であることだ。

富山に来れば、親鸞聖人の本当の教えが、一堂に聞法できる二千畳の大講堂がある。

ここには、いつでも、いつまでも聞きたいと、仏縁深い人々が、次々集い、幸せの輪が広がっている。
これは蓮如上人以来の凄いこと。

この世の人や物は、ほんのしばらくの縁で、いつか必ず離れていく。
未来永遠変わらない離れない幸せは仏法にあり、求むべきは仏縁だ。

その仏法を聞かせて頂く、最も恵まれた二千畳と知れば、全国から足を運ぶ人が現れても、驚くに当たらないだろう。

現にその一人が私であり、今は、富山県民として声あげる。
「ウソかマコトか、皆さんいっぺん来てみられ」☆

フジコ・へミングの奏でる色

2009-05-30 05:30:22 | 音楽
フジコ・へミングは、魂のピアニストと言われる。

母の期待を背負って、小学1年から高校2年まで約11年、ピアノを習っていた私は、同じ曲でも、
弾き手によって音色が異なり、曲そのものが生まれ変わることは、それなりにわかる。

フジコの奏でる音色は、なぜか聴く者を揺さぶり、心を癒す・・・。

これは、ドン底から這い上がった壮絶な人生経験無くして語れないだろう。

1932年、ベルリン生まれ。母は日本人ピアニスト、父はロシア系スウェーデン人の建築家。
5歳で、日本に帰国するが、やがて父は離れ、母の手一つで育てられる。
6歳から母の手ほどきでピアノを弾き、数々の賞を受賞、天才少女と言われた。

18歳の時、「国籍がない」ことが発覚。「難民」となってドイツに渡り、ベルリン国立音楽大学の留学生に・・・。
当時は、砂糖水で1週間過ごすほどの極貧生活に加え、「この地球上には居場所がない」と思える疎外された日々。
ようやくチャンスを得た演奏会の直前、なんと高熱で音が聞こえなくなる。
幼少時に失った右耳の聴力だけでなく、左耳までも・・・。演奏家としてこれ以上の致命傷はない。
演奏会は失敗だった。

その後、左耳の聴力を回復させ、演奏を続けたが、世間はフジコを忘れていった・・・。

母の死をきっかけに帰国した日本で、フジコの数奇な人生を知ったテレビ局が取材し、1999年放送するや、全国で大反響。
生まれて初めて聴く音色に、多くの人が感動し、以来、コンサートは大人気、CDも異例の大ヒット、となっている。

もし、フジコが平坦な半生であったら、思いをここまで音色に刻ませる演奏ができただろうか。
「一つ一つの音に、色をつけて弾いている」というフジコの感性に、想像せずにおれない。

愛と悲しみ、喜びと絶望、起伏ある人生を乗り越えてきたからこそ、音色に凄みを増し、
深い感動となって人々の胸に響くのだ。
これは、音楽や芸術だけでなく、すべてに通じることだと思う。

人生、山もあれば、谷もある。幸せばかりを願うものだが、苦しい時こそ、より人の心の機微を知り、
人間の幅を広げるチャンスでなかろうか。

そう思えば、今の苦難も未来の糧と、一層、奮起するだろう。
どんな苦しみも、光に向かえば無駄はない。
未来、明るく奏でる人生となるか、否かは、その心がけによって変わるのだろう☆

「きれいになりたい」補足編

2009-05-29 05:37:14 | 男類と女類
『B.C.』ビューティー・コロシアムという番組がある。

容姿にコンプレックスを持った女性の「きれいになりたい!」という願いをかなえる番組だ。

「顔じゃないよ、心だよ」とは言っても、第一印象は、9割見た目で決まると言われる。

きれいになったら、明日から違う人生が待っているかもしれない。
その思いに一縷の望みをかけて、大事な顔に敢然とメスを受け入れるのだ。

「美」の追求は、女性のサガとはいえ、いかに涙ぐましく、深刻で果てないものか・・・。
男性には想像もできないだろう。

反面、我が妻は、家ではノー化粧。きれいに見せるどころか、開き直ったあの醜態、
あれで女かと、とまどう夫もいるようだ。
「しゅうち心 なくした妻はポーニョポニョ」(サラリーマン川柳より)

一体、女性の美の追求はいつまで続くのか・・・。

分かりやすく言えば、誰の前なら、きれいになるのか・・・。

これはストレートで、ちょっと怖い命題となる。

なので、これ以上、深い詮索はやめておく。

言えることは、釣った魚にえさをやらないような主人には、妻の側でも、夫に対し
化粧する気はたちまち失せていくだろう。

家庭で、妻がきれいであるのは、夫を異性として見る目が続いているということ。
「化粧」は女性にとって、ときめく恋愛のバロメーターであることを、男性に一言、
参考に告げておきましょう☆


節目を厭う女性の心理

2009-05-28 05:40:17 | 男類と女類
何故だかわからないが、今でも頭に残るシーンがある。

十数年前のこと。女優、若尾文子が、テレビでインタビューを受けていた。
「60歳」になったところだったと思う。

無礼にも「60を迎えた心境は?」など、年齢に関する質問を何度か受けていた。
そのうち彼女の硬い表情が、嫌悪に変わり、いきなり立ち上がって、その場をスタスタ出て行ったのだ。

「この質問はないだろう」と同情したのか、「60にもなって適当にあしらえばいいのに」と思ったか、
「プロでも感情は抑えられないんだ」と驚いたからか・・・。
たぶん、全部だと思うが、とても印象的だった。

その頃は、まだまだ若かったからこんな程度。

今なら、彼女の悲憤の気持ちが、よくわかる。
できることなら、質問者をぶん殴りたかっただろう。

女性は、30代から40代、40から50、50から60代へと移る節目は、それまでの人生で、最もナーバスと言っていいと思う。
少なくとも、大台突入には勇気がいる。

それは「美しさ」を求めるサガだからである。

若さは美に通じるから好むが、老いは醜に通じるから厭う。

実齢より、1歳でも2歳でも若く見せたい。そしてきれいと言われたい。
これが切実な願望なのだ。

輪をかけて、世間の目は、年齢で、値踏みするような残酷なところがある。
30と思っていた女性が50だった、と判明したらどうだろう。それまでの印象は、相当変わるのではないか。

だから、少しでも美しく見せたい女性は、年を重ねるほど、実齢を隠し、若さを手に入れたいとやっきになるのだ。

それを事もあろうに、ナーバスな節目の時に、大衆を前に年齢を話題にされたら・・・。
マライア・キャリーにしても、若尾文子にしても、深い同情を禁じ得ないのである。

女性の年齢は、聞くものではない。

ただ、「いくつになっても旬な女性」なら、自分の年齢と向き合い、ごまかさずに生きる勇気と覚悟はいるだろう。
化粧や、体型補正で外見勝負だけでなく、年を重ねるほど、魅力ある中身の濃い女性をめざしたいとつくづく思う・・・。

有難いことに、生きる目的に向かう人生だから、どんな節目を迎えても、新たな挑戦と受けて立ち、
溢れてくるエネルギーに身も心も若返る刺激的な日々・・・。どこまでも深く感謝せずにおれません☆

マライア・キャリーに共感するもの

2009-05-27 06:14:06 | 芸能
「私は1970年生まれ。40歳なんかじゃない!」あのマライア・キャリーが激怒したと言う。

彼女は、1990年代を代表するシンガーソングライター。
18曲の全米No.1ヒットはビートルズに次いで歴代2位、女性アーティストとしては1位、今も人気の歌手である。

その彼女が、「1969年生誕。40歳」と書かれた情報に対し、メディアへ怒りをあらわにしたそうだ。

さらに、「40歳なんてただの数字じゃないかと言われるかも知れないけど、世間の目は40歳の女性を
どう見ているかを思うと、私はそれを易々と受け入れるわけにはいかないのよ!」とも。

たかだか39歳と40歳。わずか1歳の違いなのに、何が問題なの?

と理解に苦しむあなたは、男性か、20代からせいぜい30代の女性だろう。

「40歳の女性をどう見るか」を思うと「易々と受け入れるわけにいかぬ」。
このセリフは、この境目を地団太踏む思いで通り過ぎた女性には、ズシリと迫る共感がある。

39と40と聞けば1の違いであるが、思いとしては、30と40。10年という大変な違いがあるのだ。
10歳も老けて見られれば、そりゃ腹も立つ・・・。

この心理は、複雑で分かりにくい。
そして、考えるほど、馬鹿バカしく、とても哀しい。

しかし、アラフォー以降の女性が、時間の大半を費やし、経済的、精神的に振り回されている実態は、
大体、この当たりからくると思えてならないのだ。

ややこしく手ごわい感じもするが、勇気を出して次に書いてみたいと思う。
そして密かに未練を断ち、新たな旅立ちとするのだ☆

叱られるうちが花

2009-05-26 04:40:18 | その他
「伸びる人」は、「素直な人」と言われる。

スポーツでも学習でも・・・。

誰でも欠点や、気づかない未熟な問題は多々ある。
それを指摘され、注意を受け、教えられた時、どう受け止めるだろう。

聞き流し、反発、卑屈にヘコむ・・・。いずれも大変な損失と知るべきだ。

何故なら、そんな心を見通して、嫌われることも承知で、相手の成長を願い、助言して下さるのだから・・・。

最近の人は、注意や指摘を極度に恐れているようだ。
叱られることを避けるから、叱る人の熱い心に触れることもない。

叱られたら、一歩前に出る、と教えられたのは、小学5、6年の時だった。
名物の鬼コーチに目をかけられた私は、春夏秋冬、学校対抗のスポーツ大会に選抜され、徹底的にしごかれた。

ソフトボールにバスケ、水泳・・・。ミスをしたら容赦なく叩かれたし、水泳などは、発熱を感じながらも、
1キロの遠泳を課せられ、フラフラになって自宅に戻ると、39度をとっくに越えていたこともある。

早朝練習、放課後も休日も、さすがにきつい毎日だったのを思い出す。

叱られる時は、「一歩」前に出る。ミスや動作が遅いと、みんなの前でやり直し・・・。
悔しかったが、決してシゴキだけでない、温かいハートを感じ、ひたすらついていったものだ。

その先生が、ものすごい達筆で、心を込めて書かれた毎年の年賀状・・・。
卒業後も、亡くなるまでの十数年、やりとりが続いた。今も忘れることができない。

本当に心をかけて下さる人は、叱って下さる方なのだ。

まして、親でもない、赤の他人が、である。よほど思いが深くないと、できない。

今、親となり、子供だけでなく、先輩として、他人を注意しなければならない時もある。

それを、どう受けとめるか。
素直な人は、きっと伸びていくだろう。

だから、幾つになっても素直でありたい、とつくづく思う。
「徳」という字も、「人々よ、直き心(素直)になれ」と書くではないか。

もっとも、この年齢では、失敗しても恥かいても、周囲は何も言えないのか、あまり聞こえない。
叱られるうちが「花」というのは、淋しいかな、ホントなのだろう☆

口喧嘩じゃ女性に勝てぬ?

2009-05-25 04:38:01 | 男類と女類
「口喧嘩は、女性に勝てない」。

昨日は、脳の働きから検証しかけ、脱線した。
そこで、仕切り直し・・・。

脳には右脳と左脳がある。

右脳は直観力、感覚的、左脳は思考力、論理的とおおまかに言える。

片方の脳だけ働かせるより、右脳と左脳、共に働かせる方が、脳力は最大限に発揮する。
その右脳と左脳をつなぐ脳梁は、女性の方が大きい・・・。

つまり、女性は、左右の脳を行き来して脳全体を使って話をし、
男性は、ほとんど言語中枢がある左脳だけ使っている、と言うわけだ。

男性が、理論で通し、女性は、感覚的、感情的にも訴えるのは、この為と言われる。

口喧嘩は、相手を打ち負かすのが目的だから、戦闘体制の頭の中は、常に高速回転し、
かなりヒートアップしていると思う。

男性が、左脳で必死に必要事項を組み立てている間、女性は脳全体を駆使して、
相手の過去の罪や非を詳細に検索し、感情豊かに洗い出す。

あの時、あの場所で、あの一言に傷ついた・・・。実に細かい。

男は、不意を突かれ、驚くべき記憶力に、畏怖の念さえ抱くだろう。

更に、直観力が冴えるから、男性のその場限りのウソやごまかしは、たちどころに見抜かれてしまうのだ。

こんな女性を敵に回せば、勝機は容易に見つからず、やがて戦意喪失していくに違いない。
相手が、防戦一方になれば、口撃の速射砲で、有無を言わさず、最後のトドメ・・・。

やはり、片方の脳より、左右の脳を共に働かせる方が、断然、強い。

と言うわけで、「口喧嘩は、女性に勝てない」・・・。
ちょっと生々しかったでしょうか☆

男と女のすれ違い

2009-05-24 05:50:55 | 男類と女類
「口喧嘩は、女性に勝てない」。

この現象を脳の働きからみるとどうか。

脳には右脳と左脳がある。

右脳は図形を読み取ったり、音楽を聴き取るなど、直感力、イメージ的働きがあると言われる。
左脳は、言語の読みとりや、言葉の聞き取り、分析や思考力、論理的働きがあるそうだ。

大きく、右脳は感覚、左脳は理屈とも言えるだろう。

片方の脳だけ働かせるより、右脳と左脳、ともに働かせる状態が、脳の持つ力を最大限に発揮させることができる。

右脳と左脳をつなぐものを脳梁という。これは、男性より女性の方が大きい。

つまり、会話をする時、女性は脳全体を使って話をするが、男性は、ほとんど言語中枢がある左脳だけ使っていると言う。

男性が、理論で通そうとするのに対し、女性は右脳も使い、感覚的、感情的になりやすいと言うわけだ。
あの女性特有の飛躍した超論理は、ここからくるのだろう。

「夫が話を聞いてくれない」と不満を持つ妻がいる。

女性としては、会話にムダは一点もない。
しかし、右脳や左脳を行ったり来たりでは、一貫性に欠け、理路整然と聞きたい男性は、きっと耐えられない。

「聞いてやらない」より、「聞けない話」なのではあるまいか?
決して妻の人格を軽んじたり否定しているのではない、と弁護しておこう。

勿論、妻の切羽詰った聞いてほしい気持ちを、事情はどうあれ、受け止めなかった報いは必ず、受けねばならぬ。

妻の不満は積もり積もって、ドロドロの愚痴に引火し、一気に炎上して、共に朽ち果てる憂き目にあうだろう・・・。

なんだか、だんだん感情的になり、論点がずれてきた・・・。これでは結論は出ない。
つまり、私はこれでも女性で・・・・。   

「口喧嘩は女性に勝てない」。明日こそ、焦点をずらさず、論理的に引き継ぐことにしよう☆

越すに越されぬ男女の仲

2009-05-23 05:47:49 | 男類と女類
先日、次女が家族に買った修学旅行のお土産の分配で、長男と珍しく言い合いをしていた。

長男は、一箱10個入りの菓子を家族5人で分け、1人2個と計算し、無断で食べてしまったらしい。

「何でお兄ちゃんの分が2個なの!」。
妹は激しく非難し、長男は、「10を5で割ると2!自分の分を食べて何が悪い」。
劣勢ながら負けじと繰り返し応戦する・・・。

ああ、息子よ。これは、数が割り切れればすむという単純な問題ではないのだ。

男が、たし算の思考なら、女はかけ算。
男女の間には、分かり合えない深い溝、違いがあると言われる。

そこで、ついに彼女は残酷にも言い放った。
「お兄ちゃんに1人2個分の思いはない!自分としては、兄ちゃんの分は1個の計算だった。
その分、他の人にあげるつもりだったのに・・・」。

「・・・・。つまり、自分には1人2個分の価値もなかったってこと?」
ようやく気づいた長男が、深く傷ついたのは言うまでもない。

子供達3人は、ほとんど喧嘩のない仲ではあるが、たまに口げんかすると圧倒的に
女に軍パイが上がる。
幼少の頃から息子は女2人に勝ったためしがないのだ。

姉は勿論、2歳下の妹にでも・・である。

「口喧嘩じゃ、女性に勝てない」。
一般的にも言われるが、どうしてなのか、息子のためにも次に書いてみようと思う☆

好きこそ回るサイクルなれ

2009-05-22 07:26:25 | 家族
「子供達に無形の財産を残したい」。

こんな動機で始めたブログも、毎日ほとんど欠かさず、今日で100日目を迎えた。

「そんなに頑張ることないのに、ネタ切れになるよ」の子供達の声も、どこ吹く風・・・・。

私は、物書きでないし、フツーの「働く主婦」であるから、書かなかったところで、どうってことはない。

ただ、次はパス、と決めた時に限って、「読んでますよ」と尊い人が現われたり、
100回を過ぎたら、ゆるい更新にしようと思っていた矢先、「どんどん書き溜めたらいい」とそそのかす人が昨夜もいたり、
「楽しみです」とびっくりするようなことを言われる新しい方との嬉しい出会いもあるから、
結局、朝を迎えるとパソコンに向かってしまうのだ。

実際は、ネタ切れどころか、書きたいことは増える一方・・・。

何かのツボにはまって、サイクルが狂ってきたに違いない。

茂木健一郎氏は「ドーパミンによる強化サイクル」を著している。

「ドーパミン」とは、ある行動により、達成感や、褒められるなどの報酬を得ると、快感を生み出す脳内物質。

快感を得ると、その行動を再現し、繰り返したくなる。繰り返すうち、その道に熟練していく、というわけだ。

たとえば、料理をする、たまたま濃い味付けで、おいしいと褒められる、褒められると嬉しいから、
味見しながら料理するようになる、その努力が実を結び、更に深い味付けとなって褒められる、
それが快感となり、一層、料理にのめりこむ・・・という具合だろう。

確かに凄いサイクルだ。

「ドーパミン」がカギなら、脳の強化に、才能の有無、年齢、境遇、性格は関係ない。
脳は、快感を得ることで、変わっていく・・・。

そんなタイソウなことでなくても、続けて知らされることは、ただ「書くことが好き」。それ以上でも以下でもありません☆