3. 性相と形状による二性性相
さらに、我々はすべての存在を形成しているもっと根本的な、いま一つの二性性相の相対的関係を知らなければならない
存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている
そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである
したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て
外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである
そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける
ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており
形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである
これに対する例として、人間について調べてみることにしよう
人間は体という外形と心という内性とからできている
そして、見える体は見えないその心に似ているのである
すなわち、心があるかたちをもっているので、その心に似ている体も、あるかたちをもつようになるのである
観相や手相など、外貌から、見えないその心や運命を判断することができるという根拠もここにある
それゆえ、心を性相といい、体を形状と称するのである
ここで、心と体とは、同一なる人間の相対的両面のかたちをいうのであって
体は第二の心であるということもできるので、これらを総合して二性性相であるという
これによって、あらゆる存在が性相と形状による二性性相の相対的関係によって存在しているという事実を、我々は知るようになった
それでは、性相と形状とは、お互いにいかなる関係をもっているのであろうか
無形の内的な性相が原因となって、それが主体的な立場にあるので
その形状は有形の外的な結果となり、その対象の立場に立つようになる
したがってこの両者はお互いに
内的なものと外的なもの
原因的なものと結果的なもの
主体的なものと対象的なもの
縦的なものと横的なものとの相対的関係をもつようになるのである
これに対する例として、再び人間を取りあげてみることにしよう
心と体は、各々性相と形状に該当するもので、体は心に似ているというだけではなく、心の命ずるがままに動じ静ずる
それによって、人間はその目的を指向しつつ生を維持するのである
したがって、心と体とは、内外、原因と結果、主体と対象、縦と横などの相対的関係をもっているということができるのである
このように、いかなる被造物にも、その次元こそ互いに異なるが、いずれも無形の性相、すなわち
人間における心のように、無形の内的な性相があって
それが原因または主体となり、人間における体のようなその形状的部分を動かし
それによってその個性体を、ある目的をもつ被造物として存在せしめるようになるのである
それゆえ、動物にも、人間の心のようなものがあり、これがある目的を指向する主体的な原因となっているので、その肉体は、その個体の目的のために生を営むようになるのである
植物にもやはりこのような性相的な部分があって、それが、人間における心のような作用をするので、その個体は有機的な機能を維持するようになるのである
そればかりでなく、人間が互いに結合するようになるのはそれらの中に各々結合しようとする心があるからであるのと同様
陽イオンと陰イオンとが結合してある物質を形成するのも、この二つのイオンの中に、各々その分子形成の目的を指向するある性相的な部分があるからである
陽子を中心として電子が回転して原子を形成するのも、これまた、これらのものの中に、各々その原子形成の目的を指向する性相的な部分があるからである
また、今日の科学によると、原子を構成している素粒子は、すべてエネルギーから成り立っているという
それゆえ、そのエネルギーが素粒子を形成するためには、必ずそのエネルギー自体の中にも、素粒子形成の目的を指向する性相的な部分がなければならないということになる
更に一歩進んで、このように性相と形状とを備えているそのエネルギーを存在せしめることによって、あらゆる存在界の究極的な原因となるところのある存在を我々は追求せざるを得なくなるのである
この存在は、まさしく、あらゆる存在の第一原因として、これらすべてのものの主体となる性相と形状とを備えていなければならない
存在界のこのような第一原因を我々は神と呼び、この主体的な性相と形状のことを、神の本性相と本形状というのである
我々は、今、パウロが論証したように、あらゆる被造物に共通に見られる事実を追求することによって
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体として、すべての存在界の第一原因であられることが理解できるようになった
既に述べたように、存在するものはいかなるものでも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在するという事実が明らかにされた
それゆえに、森羅万象の第一原因としていまし給う神も、また、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在せざるを得ないということは、当然の結論だといわなければならない
創世記一章27節に
「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」
と記録されているみ言を見ても、神は陽性と陰性の二性性相の中和的主体としてもいまし給うということが、明らかに分かるのである
原理講論 前編1創造原理-3
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