生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

後2-37. 磐石を二度打った行動

2017-02-25 23:50:11 | 原理講論 後編2 モーセとイエス

37. 磐石を二度打った行動

それでは、モーセが磐石を二度打ったことは、いかなる結果をもたらしたのであろうか

モーセが磐石を二度打ったことは、不信に陥っていくイスラエルに対する血気を抑えることができなかった結果であるので
(詩一〇六・32、33)

この行動は結局、サタンの立場で行ったこととなるのである

したがって、磐石をもって成就しようとされた「出発のための摂理」は

再び、サタンの侵入を受けた結果となってしまったのである

このように、モーセが磐石を二度打った外的な行動は、サタンの行動になってしまったが

内的な情状においては、その磐石から水を出して、イスラエルの民に飲ませ、彼らを生かしたのであった

それゆえに、エジプトから出てきた外的なイスラエル民族は

ヨシュアとカレブを除いては、みな、神が予定されたカナンの地に復帰することができず

モーセも一二〇歳を一期として望みの地を目前に眺めながら死んでいったのである
(申命三四・4、5)

しかし、ヨシュアがモーセの代わりに
(民数二七・18〜20)

磐石の水を飲み、幕屋を信奉する荒野路程の中で出生した内的なイスラエルを導いてカナンの地に入ったのであった
(民数三二・11、12)

モーセが、磐石を二度打った行動が、サタンの侵入を受ける結果をもたらしたとすれば

その磐石からは水が出るということはあり得ないはずであったのである

それでは、どのようなわけで、そこから水が出るようになったのであろうか

第二次民族的カナン復帰路程において、モーセは既にレピデムで神の命令に従い、磐石を打って水を出し

イスラエル民族に飲ませることによって、磐石の水の基台をつくったのであった
(出エ一七・6)

そして、この基台の上で立てられた石板と幕屋と契約の箱は、他のすべてのイスラエル民族が不信に陥ったときにも

四十日の断食の祈りをもって立てた、幕屋のための「信仰基台」の上で

それを固く守ってきたモーセ一人の信仰によって、第三次民族的カナン復帰路程にまで継承されてきた

その後、このモーセまでが、不信の立場に陥ってしまったのであるが、神に対する彼の心情は変わらなかったし

また、ヨシュアが、彼の偵察四十日をもって立てた「幕屋のための基台」の上で、不変の信仰をもって、石板と幕屋と契約の箱を信奉していたので

レピデムで立てられた磐石の水の基台も、ヨシュアを中心としてそのまま残っていたのである

このように、モーセの外的な不信の行動によって、第二次の磐石が外的にはサタンの侵入を受けるようになったのであるが

彼の内的なる不変の心情と、ヨシュアの信仰と忠誠とによって、それが、内的には、水を出して飲み得るという条件となったのであった

ところで、モーセが磐石を二度打ったことは、結果として、サタンの立場で打ったことになるので、その石は、サタンが所有するようになったのである

したがって、その石の実体として来られたイエスは、その世界的カナン復帰路程で、ユダヤ人たちが不信に陥ってしまったとき

既に、彼らが荒野で失ったこの磐石を、自ら取り戻そうとして荒野に出られたので、サタンから石をパンに変えよという試練を真っ先に受けられたのであった

モーセがイスラエルの不信により

外的には血気にはやり、磐石を二度打ったので、彼の肉身はサタンの侵入を受け、荒野で死んだのであるが

内的には、彼の不変の心情によって磐石の水を出して飲ませたので、霊的にはカナンに入ることができたのである

これは、将来、磐石の実体であられるイエスが来られるときにも、ユダヤ民族が不信に陥るようになれば

イエスもその肉身がサタンの侵入を受けて、十字架につけられるので、霊肉併せての世界的カナン復帰は完遂することができず

復活されることによって、霊的にのみそれを完遂されるということを見せてくださったのであった

原理講論 後編2 モーセとイエスを中心とする復帰摂理-37





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❶ あなたは わたしのほかに 何ものをも神としてはならない
❷ あなたは 自分のために 刻んだ像を造ってはならない
❸ あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない
❹ 安息日を守ってこれを聖とせよ
❺ あなたの父と母とを敬え
❻ あなたは殺してはならない
❼ あなたは姦淫してはならない
❽ あなたは盗んではならない
❾ あなたは隣人について偽証してはならない
➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない、またすべて隣人のものを ほしがってはならない

申命記5章より



イエス様の答え

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

マタイによる福音書‬ ‭19章 より

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後2-36. 失敗を復帰できない理由

2017-02-25 12:31:08 | 原理講論 後編2 モーセとイエス

36. 失敗を復帰できない理由

モーセが、石板を一度壊したことは復帰することができた

しかし、磐石を二度打つという失敗は復帰することができなかった

それではその理由はいったいどこにあったのであろうか

復帰摂理から見て、石板と磐石とは、外的なものと内的なものとの関係をもっている

十戒が記録されている石板は、モーセの律法の中心であるので、結局、旧約聖書の中心となるのである

旧約時代のイスラエル民族は、この石板理想を信ずることによって、その時代の救いの圏内に入ることができた

このような意味から、石板は将来来られるイエスに対する、外的な表示体であったということを知ることができるのである

ところが、コリントⅠ一〇章4節に、磐石(岩)はすなわち、キリストであると言われたみ言のとおり

磐石はイエスを象徴すると同時に、石板の根となるので

それは、石板の実体であられるイエスの根、すなわち、神をも象徴するのである

それゆえに、石板を外的なものであるとすれば、磐石は内的なものとなる

また、石板を体に例えるならば、磐石は心に該当するのであり

石板を聖所であるとするならば、磐石は至聖所となるのである

そしてまた、石板を地に例えるならば、磐石は天に該当する

ゆえに、磐石は石板よりももっと大きな価値をもっているイエスに対する内的な表示体なのである

このように、石板はイエスに対する外的な表示体であったので、それはまた神を象徴するモーセの前で
(出エ四・16、同七・1)

イエスの外的な表示体として立てられていたアロンを象徴したのであった

ところが、イスラエル民族がアロンに金の子牛をつくらせたので
(出エ三二・4)

アロンの信仰が壊れるや、石板もまた、壊れてしまったのである

ところがアロンがレピデムで、磐石の水を飲んだ基台の上で
(出エ一七・6)

悔い改めることにより蘇生することができたので、アロンを象徴する石板も、磐石の水の内的な基台の上で、再び、蕩減条件を立てることにより、復帰することができたのである

しかし、石板の根である磐石は、キリストとその根である神を象徴するものであるから

これを打った行動は挽回することができなかったのである

原理講論 後編2 モーセとイエスを中心とする復帰摂理-36





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「どのいましめですか」

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「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

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後2-35. なぜ罪となったのか

2017-02-25 00:24:37 | 原理講論 後編2 モーセとイエス

35. なぜ罪となったのか

我々はここで、磐石(岩)を一度だけ打たなければならなかった理由と

また、二度打ったのがなぜ罪となったのであるか、ということについて調べてみることにしよう

黙示録二章17節では、イエスを白い石で象徴しており

また、コリントⅠ一〇章4節を見れば、岩(磐石)はすなわちキリストであると記してあるのを発見できる

ところで、堕落論で明らかにしたように、キリストは生命の木として来られた方であるから
(黙二二・14)

磐石は、すなわち生命の木ともなるのである

また、創世記二章9節の生命の木は、エデンの園において、将来、完成するはずのアダムを象徴したのであって

この生命の木もまた、磐石を意味するものでなければならないから、磐石は完成したアダムを象徴することにもなるのである

ところで、サタンはエデンの園で、将来磐石となるはずであったアダムを打って堕落させた

そこでアダムは、生命の木となることができなかったので
(創三・24)

彼はまた、神から流れている命の水を永遠にその子孫たちに飲ませ得る磐石(岩)ともなれなかったのである

それゆえに、モーセが杖をもって打つ以前の、水を出し得なかった磐石は、堕落したアダムを象徴するものであった

サタンは、将来、命の水を出し得る磐石となるべく成長してきたアダムを、一度打って堕落させることにより

彼を「水を出せない磐石」としてのアダムに変えてしまったので

神はこの水を出せないアダムの表示体である磐石を一度打って水を出すようにし

それによって、「水を出し得る磐石」として、このアダムを蕩減復帰することができる条件を立てようとされたのである

ゆえに、モーセが一度打って命の水を出すようになった磐石は、とりもなおさず生命の木として来られて

堕落した人間に命の水を下さるはずのイエスを象徴したのであった

それゆえに、イエスは

「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」
(ヨハネ四・14)

と言われたのである

したがって、モーセが磐石を一度打つということは、堕落した第一アダムを、完成した第二アダム、すなわち、イエスに蕩減復帰することができる条件として許されたのであった

ところが、モーセが天の側から一度打って水を出すようになっている磐石を、もう一度打ったという行動は

将来復帰した石として来られ、万民に命の水を飲ませてくださるはずのイエスを打つことができるという表示的な行動となったのである

このように、イスラエル民族の不信と、それを目撃したモーセが血気をもって石を二度打った行動は

将来イエスが来られるときにも、イスラエル民族が不信に陥るならば

磐石(岩)の実体となられるイエスの前に、サタンが直接、出現し得るという条件を、成立させたことになるので、それが罪となったのである

原理講論 後編2 モーセとイエスを中心とする復帰摂理-35





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「どのいましめですか」

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