生命の言葉

神様を知り、信仰の種を育てましょう

前2-30. 神が干渉し給わなかった理由

2017-01-06 16:34:22 | 原理講論 前編2 堕落論

30. 神が干渉し給わなかった理由

第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由

神は全知全能であられるので人間始祖の堕落行為を知られなかったはずがない

また彼らが堕落行為を行わないように、それを防ぐ能力がなかったわけでもない

それでは、神はなぜ、彼らの堕落行為を知っておられながら、それを干渉し防ぎ給わなかったのであろうか

これは、今日まで人類歴史を通じて、解くことのできなかった重大な問題の中の一つである

我々は、神が人間の堕落行為を干渉なさらなかった理由として、次の三つの条件を挙げることができる


(一)創造原理の絶対性と完全無欠性のために

創造原理によれば、神は人間が神の創造性に似ることによって

あたかも神御自身が人間を主管されるように人間は万物世界を主管するように創造されたのである

そこで、人間が神の創造性に似るためには、人間自身がその責任分担を遂行しながら成長し、完成しなければならない

このような成長期間を、我々は間接主管圏、あるいは、原理結果主管圏というのである

それゆえに、人間がこの圏内にいるときには、彼ら自身の責任分担を完遂させるため、神は彼らを直接的に主管してはならないのである

そして、神は人間が完成したのちにおいて、初めて彼らを直接主管されるようになっているのである

もし、神がこのような成長期間に、彼らの行為を干渉し、彼らを直接主管されるとすれば

神は彼らが完成したのちに初めて直接主管するというその創造原理を、自ら無視する立場に立たれることになるのである

このように原理が無視されるようになれば、同時に、原理の絶対性と完全無欠性は喪失されてしまう

神は絶対者であり、完全無欠なる創造主であられるがゆえに、神が定められた創造原理も、また絶対的であり、完全無欠でなければならない

それゆえに、神は創造原理の絶対性と完全無欠性のために、未完成期にいた彼らの堕落行為に対して干渉されなかったのである

原理講論 前編2 堕落論-30





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十戒

❶ あなたは わたしのほかに 何ものをも神としてはならない

❷ あなたは 自分のために 刻んだ像を造ってはならない

❸ あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない

❹ 安息日を守ってこれを聖とし、あなたの神、主があなたに命じられたようにせよ

❺ あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え

❻ あなたは殺してはならない

❼ あなたは姦淫してはならない

❽ あなたは盗んではならない

❾ あなたは隣人について偽証してはならない

➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない

また隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものを ほしがってはならない

申命記5章より



イエス様の答え

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

マタイによる福音書‬ ‭19章 より


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前2-29. 自由と堕落と復帰

2017-01-06 08:08:43 | 原理講論 前編2 堕落論

29. 自由と堕落と復帰

(三)自由と堕落と復帰

天使は、人間に仕えるために創造された

したがって、人間が天使に対するのは、どこまでも人間の自由に属する問題なのである

しかし、天使から誘惑された当時のエバは、いまだ知的、あるいは心情的に、未完成期にいた

したがって、エバが天使の誘惑により、知的に迷わされ、心情的に混沌となって誘惑されたとき

彼女は責任と実績を追求する本心の自由によって生ずる不安を覚えたのであるが

より大きい天使との愛の力によって、堕落線を越えてしまったのである

エバがいかに天使と自由に対したといっても、取って食うべからずと言われた神の戒めのみを信じて、天使の誘惑の言葉に相対しなかったとすれば

天使との非原理的な愛の力は発動し得ず、彼女は決して堕落するはずがなかった

それゆえに、自由が、エバをして、天使を相手とし、堕落線まで引っ張っていったことは事実であるが

堕落線を越えさせたものはどこまでも自由ではなくして、非原理的な愛の力であったのである

人間は、天使に対しても、自由をもって対するように創造されていたので

エバがルーシェルに対するようになり、それと相対基準を造成して、授受作用をするようになったとき

そこに生じた非原理的な愛の力によって、彼らは堕落したのである

それゆえ、これとは反対に、堕落人間も自由をもって神に対して相対的な立場に立つことができるのであるから

真理のみ言に従って、神と相対基準を造成し、授受作用をするようになれば

その原理的な愛の力によって、創造本性を復帰することができるのである

既に述べたように、人間が本性的に自由を叫ぶようになるのは

このようにして、創造本性を復帰しようとする、本心の自由の指向性があるためである

人間は、堕落によって無知に陥り、神を知ることができないようになったので、その心情も分からなくなってしまった

それゆえに、人間の意志はこの無知によって、神が喜ばれる方向を取ることができなくなってしまったのである

しかし、堕落人間においては、復帰摂理の時代的恩恵により

神霊(内的な知)と真理(外的な知)とが明らかになるにつれて、創造目的を指向する本心の自由を求める心情が、復帰されてくるようになり

それによって、神に対する心情も漸次復帰され、そのみ旨に従って生きようとする意志も高まるのである

また、彼らはこのように、自由を復帰しようとする意志が高潮するに従って、これを実現することのできる社会環境を要求せざるを得なくなるのである

しかし、その時代の環境が、自由を求めるその時代の人間たちの欲望を満足させることができないときは、必然的に社会革命が起こるようになるのである

十八世紀に起こったフランス革命は、その代表的な例であるが

このような革命は、結局、創造本然の自由が完全に復帰されるときまでは、継続せざるを得ないのである

原理講論 前編2 堕落論-29





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❺ あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え

❻ あなたは殺してはならない

❼ あなたは姦淫してはならない

❽ あなたは盗んではならない

❾ あなたは隣人について偽証してはならない

➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない

また隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものを ほしがってはならない

申命記5章より



イエス様の答え

「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

マタイによる福音書‬ ‭19章 より


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前2-28. 自由と人間の堕落

2017-01-06 00:05:36 | 原理講論 前編2 堕落論

28. 自由と人間の堕落

(二)自由と人間の堕落

前項で詳述したように、自由は原理を離れてはあり得ない

したがって、自由は自らの創造原理的な責任を負うようになるし

また、神を喜ばせ得るような実績を追求するために、自由意志による自由行動は、善の結果のみをもたらすようになる

それゆえに人間は決して自由によって堕落することはできないのである

コリントⅡ 三章17節に

「主の霊のあるところには、自由がある」

と言われた。

我々は、このような自由を、本心の自由というのである

アダムとエバは、神から善悪の果を取って食べてはならないという戒めを受けた以上

彼らは、神の干渉なくして、もっぱら本心の自由によって、その命令を守るべきであった

したがって、エバが原理を脱線しようとしたとき、原理的な責任と実績を追求するその本心の自由は、彼女に不安と恐怖心を生ぜしめ、原理を脱線しないように作用したのである

また、堕落したのちにおいても、この本心の自由は、神の前に帰るように作用したのであった

したがって、人間は、このような作用をする本心の自由によって、堕落することはあり得ない

人間の堕落は、どこまでも、その本心の自由が指向する力よりも強い非原理的な愛の力によって、その自由が拘束されたところに起因するのである

すなわち人間は、堕落によって自由を失うこととなったのである

しかし、堕落した人間にも、この自由を追求する本性だけは、そのまま残っているので、神はこの自由を復帰する摂理を行うことができるのである

歴史が流れるに従い、人間が己の命を犠牲にしてまでも、自由を求めようとする心情が高まるというのは、人間がサタンによって失った、この自由を再び奪い返していく証拠なのである

ゆえに、人間が自由を求める目的は、自由意志による自由行動をもって、原理的な責任と実績をはっきりと立て、創造目的を完成しようとするところにあるのである

原理講論 前編2 堕落論-28





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❺ あなたの神、主が命じられたように、あなたの父と母とを敬え

❻ あなたは殺してはならない

❼ あなたは姦淫してはならない

❽ あなたは盗んではならない

❾ あなたは隣人について偽証してはならない

➓ あなたは隣人の妻を むさぼってはならない

また隣人の家、畑、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものを ほしがってはならない

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「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」

イエスは言われた、

「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」

彼は言った、

「どのいましめですか」

イエスは言われた、

「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』

また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」

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