桂木嶺のGO TO THE THEATER!~Life is beautiful!~

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伽耶さま こんばんわ。桂木嶺です。お返事が遅くなりまして申し訳ありません。

2017-10-17 04:02:39 | くらしのくふう
伽耶さま こんばんわ。桂木嶺です。お返事が遅くなりまして申し訳ありません。
またこのたびは、貴重なご意見いただきありがとうございました。
長いコメントになりましたので、
投稿を新たにして、こちらで回答させていただきます。
 
「貧困」という問題をどうとらえるかは、非常にむずかしい問題だと思っています。
社会は貧困だ、貧困だ、とたしかに特に野党のみなさんは言っています。
わたしも立憲民主党を応援しているので、そのことは実感しているつもりです。

有効求人数が増えている、といいながら、
その実態は年収100~300万円の派遣社員の方が多いのが現実であり、
正社員の積極的な雇用にまで至っていないからです。
 
パソコンやスマホをもつときにも、いまは社会的インフラになっている現状は、
もちろん私もわかっております。

しかし、パソコン・スマホを得るために、各御家庭でどういう工夫を凝らされているかが、
問題なのだと思っています。
 
ちなみに、いま私が打っているこのパソコンは、
非常に格安の台湾メーカーのノートPCです。

それでも、これだけのブログを書き、家計簿ソフトを付け、
さまざまな原稿を作り、仕事の資料を作り、対応することができます。
 
スマホもまったく同様です。けっして10万以上もするようなiPhoneの最新型を買うのではなく、
格安のスマホをうまく使いこなすことで、生活に必要な情報を得ています。
海外でもパソコン・スマホを使います。
 
家計の工夫というのはそういうことだと思うんです。
メリハリを利かせることが大事ですね。
 
で、そういった工夫を各御家庭でなさった上で、かつ生活が苦しい、
ということであれば、確かに日本の社会はいま貧困がはびこっているというべきだろうと、
私も思っています。
 
でも、お子さんがLINEをやりたいからスマホを持たせてほしい、
というのは、これはやはり御家庭のしつけの問題だと私は思います。
たとえば、義務教育ではなくなる高校生になるまではスマホはもたせない、
スマホを使うにしても、通話はなるべくせずに、LINEで済ませる
といったルールづくりを徹底させて、家計にやさしくするようにつとめるのは
これは親御さんの御家庭での工夫としつけの問題です。
 
その過程がごっちゃになってしまったことはお詫びしますが、
つまりは、「パソコンとスマホでいったいどんな生活の工夫をこらすべきか」ということが
問われているのだと思います。
 
おなじパソコンをもっても、2ちゃんねるでへんな書き込みばかりしている人もいれば、
オフィスで仕事の道具として大いに活用している人もあり、
御家庭では家計簿をつけたり、ネットで買い物を賢くしている人あり、
学生さんも資料調べや、外国語の習得などに使うなど、さまざまですね。
 
あたえられた文明の利器を、どう活用するかは、
個人の裁量と努力によるものだと私は思います。
で、それがうまくいく人と、うまくいかない人の差が出てしまっているのだと思っています。
 
たとえば、私が経験したとある仕事のお話をしましょう。
とある職場に配属になったおり、その職場では共用の大きなパソコンがありましたが、
まったく活用されていませんでした。
「パソコンは自分たちの業務を横取りする敵だ」という
大変アナログな発想で、自分たちはその習得につとめませんでした。
2ちゃんねるばかりみていたのです。
 
しかし、業務が煩雑かつ複雑になったので、私がその職場にいって
パソコンの使い方を指導し、業務の改善・効率化をはかりましたら、
あっという間に、その職場の売り上げは倍増し、手掛けた商品は大ヒットを記録。
会社も歴代の最高益を記録しました。
 
人員はカットされるどころか、人員は増え、大変感謝されました。
いまではその部署は会社の花形の職場として、いまはもてはやされるようになりました。
 
わたしが「本当に日本は貧困なのですか?」という問いかけは、
まさにこういう現状が日本の社会・企業にあるからではないかと思っています。
 
また、私はときどき、横浜でランチをいただきます。
贅沢かもしれませんが、みなさんがふだんどんなことに関心をもっているのかしりたくて、
お手頃価格のランチをいただきにいくことがあります。
 
すると、奥様方、お母さま方の、ランチ率のなんと高いことでしょう!
旦那様たちは、きっと300円から500円くらいのお弁当でお昼は我慢しているのでしょうけれども、
彼女たちは、「ママ友との情報交換ランチ」と称して、1000円~1500円くらいのランチを
頂いているわけです。
 
それはそれで、確かに我が子をまもるために大切なことかもしれません。
それが贅沢だし、貧困ではない、とはいいません。
 
しかし、どうでしょうか?
本当に、「ママ友ランチ」は必要不可欠なのでしょうか?
 
ママ友同士のおつきあいに忙殺されないと、(つまりここでもLINEが活躍するそうですが)
子供を守ることはできないのでしょうか?
 
それは、違います、と私は思います。
 
ママ友ランチで、おたがいに子育てのことを励ましあい、努力しあう関係だったら
どんどんすべきだと思います。
 
しかし、ママ友ランチの実態はどうでしょうか?
 
現代のママ友事情は、いろいろ気遣いばかりが多く、微妙な階層性があり、ひずみもあると聞いています。
そのつけがお子さんにまわってしまい、いじめを生む要因にもなってしまうとも聴いています。
なげかわしい現状ですが、むしろ、ママ友ランチの呪縛から上手に距離をとることも、
大事なのではないでしょうか?
 
わたしの母の話をしましょう。
 
母は、40歳のときから、とある会社で勤め始めました。
生活を支えるためでもありましたし、私の学費をねん出してくれるためでもありました。
私は大変この点について、母に感謝しています。
 
もちろん、私が学生のころもいわゆる「ママ友」は存在していましたが、
母はそこの付き合いからは、超然としており、泰然自若としておりました。
 
自分が友情をはぐくみたい人とはつきあっていましたが、
あとは幼い私に任せてくれていました。
 
「チコちゃん(わたしのことです)が、チコちゃんのお友達や先生方と
仲良く自分ですればいいのであって、
とやかく、わたしが口をはさむことではないから」というのがその理由でした。
 
でも、わたしはそれで困ったことは一度もありません。
 
お母さま方は、とてもやさしくしてくださいましたし、
学生時代の友人たちも、大変親切にしてくれました。
先生方も、いろいろな方がおられましたが、
基本的には、私の個性を尊重してくださいましたので、
私はとても感謝しています。
 
たかだか1000円~1500円のランチですが、
そういうところで、上手に節約をすることも、
主婦の方の大切なつとめではないでしょうか?
(中には飲み会をするママさんもいると聴いています。
小さいお子さんがいるのに、飲み会を?
そちらの現状にかなりビックリしている私です)
 
そして、その交際費や、結局かかるファッション代、スマホ代、
はては旅行代などをねん出するために、
働きに出ています、という方の多いのにも
ビックリさせられます。
もちろんそれは個人の自由ですし、私はとやかくいうつもりはありません。
でも、その結果、家庭でのしつけがおろそかになり、
わたしが先の投稿で申し上げた、子供たちの言葉遣いや社会的なマナーの欠如の問題に
つながるとしたら、それは大問題です。
親御さんは毅然としていてほしい、というのは、
そういうさまざまな誘惑からも毅然としていてほしいということなのです。
 
お子さんも育てたい、でも海外旅行にも行きたい、ブランド品もほしい、
・・・それができるのは、本当にお金に余裕のある、ひとにぎりの御家庭だけです。
とても発想が「バブル世代」なのだなと思わざるをえません。
 
お子さんを育てていたら、どれかはやはりお子さんが大きくなるまでは
がまんしなくてはならないだろうと思います。
 
子供のいない私たち夫婦ですら、
海外旅行に行ける時間と金銭的な余裕が生まれたのは
40才を過ぎてからです。(来年わたしたち夫婦は50歳になります)
 
ましてやブランド品の購入など、
本当にごく最近のことです。
 
もっとご高齢の女性の方からすれば、
「夫が定年になるまでは海外旅行もブランド品を買うのも無理だったわ」
というご意見もあるでしょう。
 
だから、その意識の「ギャップ」をどう埋めていくかは、
政治のシステムと、ご家庭ひとりひとりの価値観にかかっていると
私は思うのです。
 
消費の停滞が、日本経済の停滞を生んでいることは事実です。
 
たとえば、車もなかなかいま若い人たちは購入しませんね。
でも、わが家もじつは車を手放しました。
なぜなら、「持っている必要がないから」なのです。
 
電車・バス・タクシーなどの交通機関が発達した都市部では、
車をもつことのメリットより、自動車税や駐車場代などがあまりに高いので、
維持費を考えると、手放したほうがずっと家計が楽だからです。
 
また、事故を起こしてしまった場合のリスクを考えると
やはり各交通機関を利用したほうがずっと安全だからでもあります。
 
ましてや、お給料は決してすぐに上がらず、実質目減りが大きいです。
家計のどこをカットするか。それはやはり「無駄と思われる出費」から
どんどんけずるのが自然です。
 
車をもっと購入しろ、と政府がいうのは、
それは自動車産業が日本のいまでもかわらぬ基幹産業だからです。
政府が税収を確保するために、「車をもっと買え、もっと買え」といっているだけなのです。
 
でも、その選択は、私たち消費者・国民に自由にまかされていいはずです。
大量消費という考え方は、ずっとアメリカの影響だったことは否めません。
大量にモノを消費することを賛美する風潮がありました。
 
でも、世界のほかの地域は、もっと堅実です。
たとえば、私が短期留学をした、イギリスのケースをお話しましょう。
 
わたしが留学した30年前のイギリスは非常に合理的な国でした。
大変感心して帰ってきました。
 
たとえば、食糧品、文房具(普段使うものですね)、生活用品などは
とても安く売られていました。
ですから、多少家計に余裕のない御家庭でも、きちんと生活できるようになっていました。
 
高く売られていたのは、毛皮・ブランド品・宝飾類などの
いわゆる「贅沢品」といわれるものでした。
確かにこれらをもつと社会的なステータスが上がり、
人々から賞賛されますが、
「わたしたちは別にセレブではないから」と
イギリスの人たちは、これらのものには、あまり関心を持っていませんでした。
 
翻って日本ではどうでしょう?
 
スーパーに行ってみると、生鮮食料品は決して安いわけではありません。
いろいろ工夫して私も買っていますが・・・
なかなか苦労します。
 
生活用品は、100円均一ショップの登場で、ずいぶんおとくに買えるようになりました。
これはとてもいいことだと思っています。
わが家も100均商品で、整理整頓を心がけ、さまざまな工夫を凝らして
生活の質の向上を図っています。
 
では、「贅沢品」はどうでしょう?
女性のみなさんで、ルイ・ヴィトンに憧れる方は多いと思います。
でも、私は母からもらったバッグ一個だけです。
自分ではまったく買っていません。
なぜなら、大変高額なわりに、実はとても使いづらいから。
コストパフォーマンスを考えたら、こんなに高くて無駄なものはないからです。
 
それだったら、ルイ・ヴィトンよりずっと安いけれども、
つかいやすくしゃれたデザインで、すぐれた機能性を誇るバッグやお財布などを買います。
洋服についても同様です。
宝石にいたっては、わたしはひとつもティファニーの商品をもっていません。

でも、それもたくさんあっても仕方ないです。
数を絞って大切に使います。
あとは、普段使いできる、非ブランド品でやりすごしていますが、
それでまったく十分なんです。
 
でも、わたしははたから見て「貧困」なのでしょうか?
いえいえ、みなさんからすれば「いつも歌舞伎や芝居やコンサートに行けて、
まぁ、優雅な生活だこと」と思われているでしょう。
 
でも、私の生活の実態は、ブランド品をたくさんもつわけでもなく、
超高額な着物を買うわけでもなく、車にのるわけでもなく、
100均商品を使い、スーパーのオトク品を狙って、生活をやりくりしている、
ごくごく普通の人間にすぎません。
 
で、たぶん、みなさんがセレブだとおもっていらっしゃる
世の芸能人のみなさんも、実は意外に堅実かもしれないのです。
それを学んだのは、NHKの大河ドラマでの現場でした。
非常に私はかれらの地道な生活ぶりをみて、安心したことは確かです。
 
そのかわり、パソコンやスマホの情報を、なるべくかしこく上手に使おうと
日々工夫を凝らしています。
 
つまり、「貧困」の定義というのは、
皆さん方ひとりひとりの価値観によるものだと思うのです。
 
伽耶さまの問題提起に、はたしてこれがよい回答になったかどうかはわかりませんが、
「貧困」というのはきわめて相対的な価値観だといえます。
 
で、いただいたお給料や、やりくりできたお小遣いを
どう使うかは、あなた次第なのです。
それを娯楽に使うもよし、
資格試験や語学の修得に使うもよし、
お子さんのために使うもよし。
その選択が多様化させることが
まさに「消費で経済を活性化させる」ことの大切さにつながると
わたしは感じています。
 
ということで、伽耶さまへの回答になれば幸いです。
よろしくおねがいいたします。
 
 
 
 
 
 


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1 Comments

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ありがとうございます (伽耶)
2017-10-17 09:34:02
記事を拝読いたしました。
私は「貧困」という言葉に反応して、前回のコメントをしました。今回の記事が桂木さんのおっしゃりたいことなら、少し「貧困」とは違うのではないかと思いました。

貧困は節約や生活の工夫等で解決する問題ではないと考えるからです。
なぜなら収入そのものが少ない、皆無である場合が多いのです。節約や工夫はすでに行ったうえで「苦しい」のです。
私が前回のコメントで「貧困に関係する文書やサイトを見てください」と申しあげたのは、私のつたない言葉で説明するより、そちらのほうがはるかにわかりやすく、論理的であり誤解なく説明されていると考えたからです。
(強制はできませんが)ぜひ一度、関係するサイトや文献に目を通されることをおすすめします。
そのうえで「貧困」の言葉を使い、語っていただけないでしょうか。
子どもだけでなく、大人も様々な事情で働くことができず、貧困に陥る人が増えています。
子どもも大人もギリギリの状況、明らかに貧困といえるケースを何度も見聞きしますが、私は幻覚をみているのでしょうか?(当方は福祉関連の職ではありません。念のため)
現在、貧困は決して他人事ではない出来事になっていると実感しています。

あまりここを論争の場にしては申し訳ないので、この件については本コメントで終わりとしたいと思います。
私自身も事情があり、子どもはおりません。
次世代を担う子どもについていろいろ考えることが多い、いちおばちゃんの考えたこと、と受け止めていただけたらありがたいです。

長々と失礼いたしました。