続き。祝日だってのもあって、今日は金曜日だってことを忘れていたかも。配信(生コメンタリ)もみなかったしな。
運命始まる前に、現時点での運命所感も今後書いてみようかな、と思いつつ。
こんなブログに価値なんてないことはわかってるんですが(・・;)
「核を撃たれ、その痛みと悲しみを知る私達が今また同じことをしようとするのですか?」
「撃てば癒されるのですか?」
これだけで根拠にするのは弱いですが、
ラクスの「危機感」がどこにあったかという部分なんですが、
わりと、ついこの間、たまたま検索で見たブログで、ラクスはラジオ放送をしてる時はよかったのに、
という意見で、
はあ?なに暢気なこと言ってんの?本編みてないの?
と思ったわけで、なんでそう自分で思ったのかなーと思ったんですが、
ようは、ラクスは「プラントに 民間人に対して 核を撃たせたくなかった」んではなかろうかと。
「今まさにプラントが核による大虐殺を行おうとしている」(=ジェネシス)ことに対する危機感と現状認識が決定的に欠けてるんだろうなと
ラクスは話を聞いてほしかったわけでもないし、歌を聴いてほしかったわけでもない。
殴ってでもとめたかった。
じゃあ、ピンポイントでパトリック以下、首脳部を実力で排除すればよかった、とそれですむか。
ラクスは、プラント総意でもって、自らの誓いを守ってほしかったのではなかろうかと。
ラクスがなぜ動いたか、「なぜそんなものを、プラントはすべての核を放棄すると」
というあたりが、案外あったんではなかろうかと前々から思っているんですが。
キラ+ラクス、とアスランが、戦うというとこに対して、真逆とも価値観を持っていて。
アスランは31話「ピアノが好きで、まだ15で、それでもプラントを守るために戦っていたあいつを」
というように、プラントを守って戦う者達=(ここではピアノだの15歳だの付加価値がついてはいるものの)
褒められるべき、肯定されるべき、報われるべきという感覚が窺える。
自分達が軍人だという自覚と覚悟がない。当然、同胞たるキラに殺されたという部分は大幅に差し引かなければならないが。
「撃たれるいわれなき人々の上に、その光の刃が突き刺されば、それはまた果てない涙と憎しみを呼ぶでしょう」
「核にもあの光にも絶対にお互いをうたせちゃダメだ」
「地は焼かれ、涙と悲鳴は新たなる戦いの狼煙になる」
「誰かが泣いてる・・・また」
「だって、戦いのない世界を作るためだからってこんなにも多くの血を流さなきゃならないなんてどうしても僕には正しいと思えないから」
「戦いによって勝ち取られた世界は、また新しい戦いを呼んでしまうんだ」
キラとラクスサイドは、戦いの連鎖を止める。相手に撃たせないと同時に、
「撃たれてもしょうがない人間」とも言うべきものを想定してる。
それこそが、
「守るためとはいえ、もう銃を撃ってしまった僕だから」
自らの意思で銃を持った人間、戦場にいる人間、すなわち自分達ということになる。
「たとえキラが戻らなくても、私達は戦わなければならないのです」
キラとラクスの立ち位置としては
①民間人への虐殺を止める
②どんな理由であれ、銃を持った人間は、撃たれるべきでない人間ではない。
という二点を最低限抑えておくべきかな、とは思った。
血のバレンタインという同じ事象において、ラクスとアスラン(というか大方のプラントの人間)はある意味で対立している。
アスランがプラントが撃たれることに恐怖を感じ、
ラクスは、プラントが「撃つ」ことを恐れていた。
シーゲルの「そんなものかね我々は」ラクスの「同じことをしようとするのですか?」「同じように罪なき人々や子供を」
クライン親子をそこまで追い詰める理由のひとつは、プラントに未来がないことも関係してるかな、と。
「婚姻統制を引いても出生率はさがる一方なのだぞ」「われわれは進化したわけではないぞ、パトリック」
「婚姻統制をひいてもなお生まれてこない子供達。すでに未来を作れない私達のどこが進化した種だというのでしょう」
結局プラントの人間がラクスの言葉を聞くようになるのは、同胞がブレイクザワールドという蛮行を起こし、
自らが虐殺の加害者になってからで、ラクスとしては「それじゃ遅かった」ということになるまいかと。
加害者の自覚を持ちながら、なおそれを背負い、現状を変える為に報われずとも個人として立ちあがれる、
それがラクスがキラをパートナーとして選んだ部分かな、と。
ラクスにとって最も問題としていた意識、プラントの被害者意識と、自らの加害と武器持つことの自覚の欠如。アスランもまたその負の担い手だったからこそ、厳しかったからのかもな、と。それこそが、プラントを蝕むものであるからこそ。
戦わなければならない。それはあくまで苦しみながら。
キラが泣いているのに、それでも戻ると言ったので。
フレイは平和の中にいて、それが普通だった。だから貴方は泣かないでといった。
ラクスは、常に、戦い(戦争ではなくとも)の最前線にいた。(シーゲルと共にプラントを築いてきた)
だからこそ、「戦わなければならないことを知っていた」からこそ、泣いていいのですよ、と言った。
貴方はもう戦わなくていい=泣かなくていい
戦わなければならない、でないと得ることも守ることもできない、だけどそれは苦しいことだから、泣いていいのだと。
差異はこんな感じに感じるかも・・・
運命始まる前に、現時点での運命所感も今後書いてみようかな、と思いつつ。
こんなブログに価値なんてないことはわかってるんですが(・・;)
「核を撃たれ、その痛みと悲しみを知る私達が今また同じことをしようとするのですか?」
「撃てば癒されるのですか?」
これだけで根拠にするのは弱いですが、
ラクスの「危機感」がどこにあったかという部分なんですが、
わりと、ついこの間、たまたま検索で見たブログで、ラクスはラジオ放送をしてる時はよかったのに、
という意見で、
はあ?なに暢気なこと言ってんの?本編みてないの?
と思ったわけで、なんでそう自分で思ったのかなーと思ったんですが、
ようは、ラクスは「プラントに 民間人に対して 核を撃たせたくなかった」んではなかろうかと。
「今まさにプラントが核による大虐殺を行おうとしている」(=ジェネシス)ことに対する危機感と現状認識が決定的に欠けてるんだろうなと
ラクスは話を聞いてほしかったわけでもないし、歌を聴いてほしかったわけでもない。
殴ってでもとめたかった。
じゃあ、ピンポイントでパトリック以下、首脳部を実力で排除すればよかった、とそれですむか。
ラクスは、プラント総意でもって、自らの誓いを守ってほしかったのではなかろうかと。
ラクスがなぜ動いたか、「なぜそんなものを、プラントはすべての核を放棄すると」
というあたりが、案外あったんではなかろうかと前々から思っているんですが。
キラ+ラクス、とアスランが、戦うというとこに対して、真逆とも価値観を持っていて。
アスランは31話「ピアノが好きで、まだ15で、それでもプラントを守るために戦っていたあいつを」
というように、プラントを守って戦う者達=(ここではピアノだの15歳だの付加価値がついてはいるものの)
褒められるべき、肯定されるべき、報われるべきという感覚が窺える。
自分達が軍人だという自覚と覚悟がない。当然、同胞たるキラに殺されたという部分は大幅に差し引かなければならないが。
「撃たれるいわれなき人々の上に、その光の刃が突き刺されば、それはまた果てない涙と憎しみを呼ぶでしょう」
「核にもあの光にも絶対にお互いをうたせちゃダメだ」
「地は焼かれ、涙と悲鳴は新たなる戦いの狼煙になる」
「誰かが泣いてる・・・また」
「だって、戦いのない世界を作るためだからってこんなにも多くの血を流さなきゃならないなんてどうしても僕には正しいと思えないから」
「戦いによって勝ち取られた世界は、また新しい戦いを呼んでしまうんだ」
キラとラクスサイドは、戦いの連鎖を止める。相手に撃たせないと同時に、
「撃たれてもしょうがない人間」とも言うべきものを想定してる。
それこそが、
「守るためとはいえ、もう銃を撃ってしまった僕だから」
自らの意思で銃を持った人間、戦場にいる人間、すなわち自分達ということになる。
「たとえキラが戻らなくても、私達は戦わなければならないのです」
キラとラクスの立ち位置としては
①民間人への虐殺を止める
②どんな理由であれ、銃を持った人間は、撃たれるべきでない人間ではない。
という二点を最低限抑えておくべきかな、とは思った。
血のバレンタインという同じ事象において、ラクスとアスラン(というか大方のプラントの人間)はある意味で対立している。
アスランがプラントが撃たれることに恐怖を感じ、
ラクスは、プラントが「撃つ」ことを恐れていた。
シーゲルの「そんなものかね我々は」ラクスの「同じことをしようとするのですか?」「同じように罪なき人々や子供を」
クライン親子をそこまで追い詰める理由のひとつは、プラントに未来がないことも関係してるかな、と。
「婚姻統制を引いても出生率はさがる一方なのだぞ」「われわれは進化したわけではないぞ、パトリック」
「婚姻統制をひいてもなお生まれてこない子供達。すでに未来を作れない私達のどこが進化した種だというのでしょう」
結局プラントの人間がラクスの言葉を聞くようになるのは、同胞がブレイクザワールドという蛮行を起こし、
自らが虐殺の加害者になってからで、ラクスとしては「それじゃ遅かった」ということになるまいかと。
加害者の自覚を持ちながら、なおそれを背負い、現状を変える為に報われずとも個人として立ちあがれる、
それがラクスがキラをパートナーとして選んだ部分かな、と。
ラクスにとって最も問題としていた意識、プラントの被害者意識と、自らの加害と武器持つことの自覚の欠如。アスランもまたその負の担い手だったからこそ、厳しかったからのかもな、と。それこそが、プラントを蝕むものであるからこそ。
戦わなければならない。それはあくまで苦しみながら。
キラが泣いているのに、それでも戻ると言ったので。
フレイは平和の中にいて、それが普通だった。だから貴方は泣かないでといった。
ラクスは、常に、戦い(戦争ではなくとも)の最前線にいた。(シーゲルと共にプラントを築いてきた)
だからこそ、「戦わなければならないことを知っていた」からこそ、泣いていいのですよ、と言った。
貴方はもう戦わなくていい=泣かなくていい
戦わなければならない、でないと得ることも守ることもできない、だけどそれは苦しいことだから、泣いていいのだと。
差異はこんな感じに感じるかも・・・