カウンセラーのコラム

山梨県甲府市でカウンセリングルームを開業している心理カウンセラーの雑文です。

“真空”をめぐって (その2)

2010年07月15日 | 日記 ・ 雑文
前回の続きだが、その場における話題が一段落したところで私は口を開いた。
「少し前にAさんから、『友田先生は自分自身の経験に基づいてこれを書いているのだろう』という発言がありましたが、それを聞いた瞬間、ある考えがひらめきました。まあ当然のこととして、これと結びつくような人生経験がいろいろとあったに違いないでしょうが、とくに大きかったのはじつはこれではないか? と僕はにらんでいるんですが……」。
と述べて、『友田不二男研究』P.328、巻末に収録された人物史年表の「天の声を聞く」という項目を指差した。念のため書き添えておくが、これは友田氏がロジャーズ(の著書)と出会う前の出来事である。

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1948(昭和23)年 「天の声」を聞く。人生における一大転機。

自分の持った疑問になんの解答も与えてはくれない“心理学というもの”にすっかり失望し、「自分がこの先生きたとて、世の役に立つような何事がやれるのか?」、「ただ単に起きて喰って寝るだけの生涯になんの意味があるのか?」と、無力・無価値な己を自棄的に軽視して、ただもう鬱々とした日々を過ごしていた。そうしたある日、それこそもう考えるのも嫌になって、動くのも嫌になってしまって、縁側に干してあった布団の上にひっくり返って、いわば“夢現の境”をさ迷っていた時に“天の声”を聞いてしまう。「馬鹿だなァ、お前は。それはお前がやることなんだよ!」と。「馬鹿だなァ、お前は」という声を聞いた時点で意識は戻って、「それはお前がやることなんだよ!」をハッキリと聞いて上半身を起こし、“誰だ?”と、振り向いて左右を見ても誰もいないので、“あれっ?”と思ったとたんに“天の声”という言葉が意識を横切った。

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この、私が投じた問題提起に対して参加者からは様々な反応があった。ただし、その雰囲気はなんとなく「“真空”と“天の声”とが、どこでどう結びつくのだろう?」というような感触だったと記憶している。
その後、話題は多方面へと展開していったが、再び冒頭で記したテーマ「友田真空と諸富真空とのニュアンスの違い」へと移っていった。この場面で参加者の一人から、「山本さんは友田真空と諸富真空との違いについて、どう思っていますか?」という質問が飛んできた。
私はこのテーマに関する持論のようなものをまったく準備していなかったので、一瞬“虚を付かれた”ような格好になり、しばらくの間(1分間くらいだと思う)腕組みしたまま「う~ん……」と沈思し続けた。が、最終的には「自分の考えを思い切って話してみよう!」という気になったので口を開いた。

「そうですねえ。では、僕が個人的に“問題だと思っている問題”について、好き勝手にしゃべらせてもらいます。諸富さんの真空論のベースになっている体験というのは、あれですよね。学生時代に悩みや思いのアレコレを先輩の末武さんに向かってポツリポツリと話していたところ、次第に意識が宙をさ迷うような感じになり……、正確な表現はちょっと忘れましたが、そこで末武さんから『お前はそんなに偉いのか!』という一言があって、これが胸にずしんと響いたと。こういう体験があったわけです。
ところが、40周年(※日本カウンセリング・センター設立40周年記念・シンポジウムのこと)のときに末武先生が『私はそのセリフを言った記憶がない』と聴衆の前で述べました。これが後日、亀山山荘での土日合宿で世話人は友田先生でしたが、その場で問題になりましてねえ。『諸富氏が聞いたというあのセリフは、じつは幻聴だったのではないか?』と(笑)。
ですから、ひょっとしてひょっとすると、アレは“天の声”だったのではないかと。まあ、少なくともその可能性は十分あるだろうなと、僕は勝手にそう思っているんですが……」。

この、私からの問題提起は、その場の参加者にはかなり響いたような感触を得た。まあ、少なくともこの程度まで問題(=未解明な部分。探求の余地が残されているところ)を表現できれば、私が投じた「“真空”と“天の声”がどう結びつくのか?」という点が、より多くのカウンセリング関係者によって“問題として意識される”ことになるのではないか? と考えている。

本稿を終えるにあたって書き添えておくが、私が個人的な考えから“天の声”(と仮に名付けることにする。こういう類の何らかの神秘的体験)をカウンセリングと結びつけて問題にするのは、私もまた“天の声”と呼べるような体験を得ているからでもある。したがって、“この私の体験”についても、機会があったら書いてみようと思っているところだ。

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