トミーのつれづれ日記(NEW)

ラグビーと酒をこよなく愛する中年(老人?)トミーの「自由きままに生きる」ことを信条に、日常のブログです。

東北の旅から普通?の生活へ、、のはずが。

2016-12-02 10:47:52 | 日記

11/28の朝、陸前高田市ホテルから東北

旅行3日目が始まった。このホテルは震

災で以前あったホテルが倒壊し、高台の

地に支援事業の一環として、補助金で建

てられたものであった。ホテル名は"キャピタル

1000"であったが、なぜ1000なのかと

知人に聞いたら、以前のホテルのオーナが、地

元出身の千昌夫さんだったからというこ

とだった(笑) 、いい加減に"せん"かい!

月曜日の陸前高田は、工事の作業員が多

く見られ、週末の街の様相とは違い、喧

噪の中にあった。何千人という作業員が

、この一週間街を賑わすのであろう、、。

しかし、高台のホテルから見る朝の街の光景

は、冬のせいでもあるのか冷たいものを

感じずにはいられなかった。

まだまだ続く復興の事業、、いつ「普通」

の生活が戻ってくるのだろうか、、。

震災に遭わずこの地の事を、他人事のよ

うに暮らす私達がいる、、。ちょっとセンチ

メンタルな気持ちになった。

陸前高田市役所前からバスで大船渡市に

行き、三陸鉄道で釜石に向かった。

10時頃に釜石駅に着き、町を散策するつ

もりで電車の時間表を見たら、盛岡方面

は、2時間後だった。(、、またかいな)

月曜日でシーウエーブの練習もないであろうと、

町の散策を諦め、10:10の快速電車で新花

巻までの電車に飛び乗った。

新花巻(温泉)駅についたのは12時頃であっ

た。後で知ったのだが、この判断が正解で

あった。釜石線は14:07分つまり私が乗っ

た電車の運行の後、線路陥没で遠野と綾城

間が不通になり、終日運休となったのであ

った。危機一髪だった(笑)

新花巻の駅に着いて盛岡まであてもなく移

動した。盛岡で昼飯でも食べて夕方まで時

間潰しするつもりであった。盛岡駅に着き

駅弁を食べようと売店に行き、鮭のハラコ

弁当を買ったが、どこで食べようかと思い

ふと新幹線の電光掲示板を見ると、北海道

新幹線の出発時間が表示されていた。

瞬間、駅弁を食べるのに新青森まで乗車し、

車内で弁当食うことを思いつき、函館北斗

駅行きの新幹線に飛び乗り新青森まで向か

った。約90分で新青森に到着したが、盛岡

と新青森は、北陸に住む私達が思うより近

い距離であった。

新青森駅でラーメンでも食おうかと思った

が、今日の宿泊先の栃木県小山での元会社

同僚との夜の宴会までの時間を考えて、電

車時刻表を見ると30分滞在くらいの時間し

かなかった。東京までの次の電車は90分後

で、小山到着は19時前になってしまうこと

が判った。そこで15分後出発の全席指定の

新幹線を自動券売機で買おうとしたら満席

であった。切符売り場の窓口に行き、次発

の指定席を取ろうとしたら、15分後の新幹

線にキャンセルがでて、今なら指定席を取れると

いうことだった。急きょその電車に飛び乗

った。新青森まで来たので、予定していた

ラーメンの代わりに珍しい駅弁でもと思い、つ

い青森牛肉弁当を買ってしまった(笑)

小山には18時頃着いた。会社同僚との久し

ぶりの再会での宴会であったが、内容は会

社の不満を聞く会になってしまった。

火曜日は、大宮から「はくたか」で金沢に

向かったが、長野までは結構混んでいた。

金沢までの「かがやき」は、ほとんど満席

と盛況のようで、北陸新幹線の好調さが実

感された。カニやおでんの季節だからだろ

うか(笑)

小松へ戻ってきたのは13時頃であったが、

町内の仕事が溜まっていて、自宅に籠って

片付け終わったのが20時過ぎであった。

土産を渡す友人女性にメールしたら、土産を取

りにくるということだった。それまで夕飯を

食べていなかったので、これから町に食事(飲

み)に出るというと、彼女は明日仕事休みなの

で、一緒に飲みに行くという返事であった。

次の日ゴルフであったのだが、結局家に帰った

のは午前一時であった、、。

二日酔いのままゴルフに出かけたが、その日

はそのゴルフ同好会の納会で、ゴルフ後会社

保養所での宴会であった。翌日もゴルフの予

定でラウンドしたが、さすがに旅の疲れと飲

み過ぎでヘロヘロの状態であった。

さらにその夕方から、ゴルフ仲間とのおでん

屋での反省会からスナックへ、、、。

もう体力限界で早々と?23時に自宅に戻った

が、今日は「絶対」飲みに行かないと思う次

第である。ハードな一週間であった(涙・笑)

こんな人見たことないわ、と自分ながら思う。