野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成25年2月11日 龍谷山から天神峠を経て楢抜山から論地山

2013年02月14日 | 奥武蔵へようこそ
(奥秩父線57号鉄塔下から周助山と右奥に大高山)

山と高原地図、通称エアリアマップの「奥武蔵・秩父」を眺めてみると入間川北岸(上流から見て左岸)にいくつかの登山道が描かれていない小さな山があることがわかる。あまり見向きもされなかったこれらの山も近年愛好家によって歩かれる傾向にあり、新ハイキング誌2013年2月号(№688)には「龍谷山-ノボット-中藤尾根」という記事も掲載されている。ボクは既に周助山からノボットを経て竹寺までは歩いており、今回は更に南に位置する龍谷山の尾根を辿って天神峠に至り、一旦峠を下りて、仁田山峠へ登り返した後、楢抜山から論地山へと縦走することにした。

今日最初に目指す龍谷(りゅうがい)山は中世の山城が築かれていた所で、要害が訛って付けられた名だという。地元の人たちには古くから登られていた山で、ネット上でも十数年前の記録が散見されていたのだが、今回新ハイキング誌に詳細なルートが載ったので、これを参考に歩いてみることにする。いつもどおり朝一番の湯の沢行きに乗り込む。だがよく時刻表を見たら6時台の上赤沢行きも利用できたことがわかる。バスに乗り込んだ登山者らしき人は皆男性ばかりだった。確かにこの時期女性を惹きつけるような華やかさには欠ける。民家や商店の立ち並ぶ原市場中学校前でバスを降りる。底冷えする寒さだが、風はあまり強くない。

道を少し戻り、中学校の裏手へ回り込む。立入禁止とかかれた看板の前を通り過ぎると神社の石段がある。長い石段を登り切ると小さな社のある広場に出る。新ハイキング誌によるとここは原市場神社というそうだ。石段の周りは広く伐採されているので、北東方向の眺めが良い。広場の右手から尾根に乗り上げると雑木林の中を明瞭な踏み跡が続いている。明るい雑木林を抜けると東側に大きな伐採地がある。振り返ると倉掛峠から曲竹に続く尾根(中藤尾根)の向こうに大高山と天覚山の姿を見ることができる。

(原市場神社の石段)


(原市場神社の広場)


(広場からの眺め)


(雑木林の尾根)


(伐採地から 左奥が大高山 右手前の尾根の背後に天覚山)

杉檜の林に入ると道は右に曲がる。踏み跡は明瞭だが、アップダウンが多く、左右に折れ曲がるため、現在地はつかみにくい。258のピーク手前の急坂を登り切ると送電鉄塔管理用の黄色いポストが現れる。紙の地形図を見るとこのピークから天神峠まで尾根に沿って送電線が延びていることがわかる。258のピークに上がると奥秩父線57号の鉄塔が建ち、南北それぞれ展望が開ける。特に北側は三角形に突き出した周助山が大きく迫り、その右奥には大高山がいかつい山容を見せている。

(57号鉄塔)


(56号鉄塔と右に周助山)


(大高山)

送電線から離れるように尾根は延び、急坂を下ると今度は56号鉄塔を示すポストがある。56号鉄塔は尾根からやや離れた小ピーク上にあり、周助山と妻沢集落の眺めが良い。尾根に戻り、依然として明瞭な踏み跡を辿る。地形図ではわかりにくいが、坂の傾斜は想像したよりも急である。ただ鉄塔巡視路として整備してあるためか、ステップの小さな土留めが設けてあり、歩きやすい。二度土留めを下ると南から鉄塔巡視路が登ってきている。ここは柳島峠というらしい。(※1)その先の小ピークに上がると北側が伐採地となっている。周助山・ノボットから竹寺へ向かう尾根が眺められる。

(56号鉄塔からの眺め)


(ステップの小さな土留め)


(伐採地からノボット・周助山の眺め)

小ピークから鞍部へと下ると中ノ坂(※2)という立派な峠に出る。特に南側にある切通しは見事なものである。少し峠を北に下ると尾根に上がる道がある。土留めの階段を上がると55号鉄塔の下に出る。現在地はおそらく286のピーク手前の東に張り出した小ピーク辺りであろう。鉄塔下からは周助山が正面に望めるが、それほど大した展望ではない。鉄塔建設によって尾根は寸断されているので、鉄塔裏から急な斜面を無理矢理に上がる。送電線から離れると途端に現在地の把握が難しくなる。途中アンテナの建つ展望地があり、都県境尾根が望める。尾根歩きに飽きてきた頃、不自然な平場が見えてきた。どうもこれは城の遺構のような気がする。平場の向こうの急坂を登り切ると今度は掘割が出てきた。これは城跡で間違いないだろう。掘割を越えると小さな祠のある広い龍谷山(382)の山頂に出る。祠の中を覗いてみると秋葉山三尺坊と書かれた御札が置かれていた。秋葉山というと火防の神様だろうか。小広い山頂でお茶を飲んでいると遠くで銃声が鳴り響く。今月一杯はまだ猟期なのだ。

(峠の切通し)


(55号鉄塔)


(アンテナの建つ展望地)


(不自然な平場)


(掘割)


(龍谷山の山頂)

龍谷山を過ぎると道は歩きやすくなる。384のピーク付近に北側が開けた所があり、天神峠と竹寺へ続く尾根が見渡せる。檜が覆い被さるような細い尾根を進むと少し外れた所に51号鉄塔が建っている。頭上が開けて送電線を眺められる道を進んでいくと50号鉄塔の建つ小ピークに出る。ここから急な九十九折を下れば天神峠に下り立つ。ここにも見事な切通しがある。切通し自体は鞍部を真横に貫いているが、峠道はやや変則的に付いているらしく、妻沢からの道は北からやって来ているようだ。

(384のピーク付近から 鉄塔の建つ辺りが天神峠に当たる)


(51号鉄塔付近から)


(50号鉄塔)


(天神峠の切通し)


(天神峠を上から見たところ 左奥のポスト側が切通し 右の道が妻沢への峠道らしい)

天神峠からは一旦仁田山峠との分岐へと下りる。傾斜の急な所を避けているのか、とても歩きやすい。流れの細い沢の中を下っていくと丸太橋で沢を横切る。渡った所に鉄塔用のポストがあり、沢に沿って下流にも上流にも道が延びている。さてどちらを行ったものか。峠道を下りてきたにしてはあまりにも短い気もするし、他方で上流側は方向があっている。とりあえず上流を目指して登っていくと踏み跡が怪しくなり、とうとう完全に無くなってしまった。往路を戻り、先ほどの分岐から更に下流へと下っていく。こちらは整備された道が続き、半舗装された分岐に出た。

(鉄塔用ポストのある分岐 左に行くのが正解)


(峠道分岐 右が仁田山峠方面)

分岐から仁田山峠へ向かってはクルマが通れるほどの林道が延びている。舗装はされていないが、足には厳しい。林道は沢の左岸に付けられ、楢抜山と隔絶された状態になっている。楢抜山に上がるにはやはり仁田山峠ということになろう。かつて民家が建っていたであろう石積みを見送るとお地蔵様がおわす一画がある。供えられた花は造花かと思ったら生の切花であった。ということはここまで花を持ってお参りに来る人がいるということだ。お地蔵様の一画を過ぎると道は大きくカーヴして、生活感のある民家の前に出る。更に道を進めばログハウスの建つ林道の行き止まりに達する。峠にはどう上がるのだろうか林道の奥は何となく道形らしきものがある。しかし暫く行くと消えてしまった。コンパスで方向を確認すると明らかに楢抜山へと向かってしまっている。これは完全に道を間違えた。往路を戻ればよいのだが、ログハウスのあった辺りにも踏み跡らしきものはなかった。そこで西にある斜面を上がってみることにした。傾斜は急だが、何となく先人の踏み跡らしきものもある。上部が明るくなってくるとひょっこりと尾根に出た。と、そこで突然「おはようございます」と声を掛けられた。びっくりして辺りを見回すと仁田山峠から40歳過ぎの男性が登ってくるところであった。挨拶を返し、一先ず仁田山峠へと下ることにした。

(仁田山峠へと続く林道)


(林道沿いの沢)


(路傍のお地蔵様)


(民家)


(ログハウス 随分と使われていないような雰囲気である)

明瞭な踏み跡を辿り、車道が乗り越す仁田山峠(401)へと下り立つ。ガードレール脇には楢抜山を示す道標も置かれていた。峠の頂上にはクルマの待避所があり、先ほど擦れ違った男性のものと思われるクルマも置かれていた。林道への取り付きを探してみると、少し東へ行った所に天神峠と書かれたテープが貼られ、明瞭な踏み跡も延びていた。一息ついたところで再び楢抜山を目指す。暗い杉檜の林の中を明瞭な踏み跡が続いている。「奥武蔵山歩き一周トレール」(かもがわ出版)にも載っているルートなので、凡そ迷うことは無い。但し上部はやや岩っぽい所があり、一般ルートとしては若干歩きにくいのかもしれない。やがて楢抜山手前の小ピークに達した。赤テープは小ピークを東から巻くよう示しているが、とりあえず上がってみる。周囲を見回すと「カワマタ→」と書かれたテープがある。おそらく鍾乳洞のある河又へと下りるルートであろう。赤テープに導かれて急坂を下っていると小ピーク南の巨大な岩壁が目に入った。楢抜山はクライミングで有名な所であり、かつてはクライマーのトイレ問題が起きたことがあったようだ。鞍部から急坂を登り返すと楢抜山(ならぬきやま 553.5)の頂上に出た。山頂は樹林に覆われているが、西側は雑木林越しに白く冠雪した棒ノ折山が見えた。まあ棒ノ折山から楢抜山がよく見えるのだから、当然といえば当然のことか。

(仁田山峠)


(峠道への取り付き)


(楢抜山への途中 岩っぽいところあり)


(小ピークから 河又方面)


(小ピークの岩場)


(楢抜山頂上)


(棒ノ折山を望む)

後は楢抜山から論地山へと下るだけなのだが、実はここからが難しい。楢抜山はこの近辺では珍しく、ややスケールの大きな独立峰であり、登路は無数にある。しかも定まった登山道はなく、作業路や先人の通った踏み跡を慎重に辿ることが求められる。まずは南に延びる明瞭な踏み跡を進む。するとすぐに尾根は二つに分かれる。論地山方面は黄色いテープに読めない字で薄くマジック書きされているので、テープの方向にしたがって下る。かなり急な斜面を下るが、同様な下りがこの後何度も現れるので、この道を辿るなら覚悟しておいたほうがいい。途中木の間越しに名栗湖を望みつつ、急坂を下りきると岩の露出した小ピークに出る。天狗積と呼ばれる所だ。展望は無いが、これから向かう505のピークが少し望めるので、よく方向を確認しておきたい。

(名栗湖)


(天狗積)

黄色いテープにしたがって岩場を下ると檜が植えられたフラットな小ピークに出る。ここでも黄色いテープにしたがって急坂を下ると今度は小さな石積みのある小ピークへ出る。鞍部から細い尾根を登り返すと505のピークに達する。標柱の類はないので、現在地をつかみにくい。明瞭な踏み跡はこのまま黒指・赤沢方面へと延びていて、一旦はそちらへと踏み込んでしまった。ところが細い尾根が二つに分かれて下っているのに気付き、505のピークへと戻ると久林と書かれた赤テープを見つけた。赤テープのとおりに急な斜面を下ると細い尾根に出る。ホッとしたのも束の間、またも急な斜面を下る。ここを下りきると、蔓性の植物が杉の木を枯らしてしまったのか、東側が明るくなった細い尾根となる。小ピークに上がると急斜面の踏み跡に点々と赤テープが巻きつけられている。途中都県境尾根を望める所があったが、大仁田山はちょうど隠されてしまっているようだ。

(天狗積すぐ下の小ピーク)


(東に張り出した尾根上の石積みのある小ピーク)


(505のピーク)


(黒指・赤沢へ向かう明瞭な踏み跡 久林へは画面右見切れた所に踏み跡がある)


(久林を示す赤テープ)


(急な下り こういった下りが多いルートである)


(蔓性の植物が生える尾根)


(振り返ったところ おそらく右のピークが505のピークと思われる)


(都県境尾根を望む)

急斜面を下りきると檜の生える広い尾根に出る。この辺りも地形図で想像するよりも現在地がわかりにくい。それでも県道70号を走るクルマの音が大分近くなってきたので、論地山は近いはず。最後の急な登りをこなすと論地山(ろんじやま 340)の広い山頂に達する。かつては山名プレートが掛けられていたそうだが、現在は論地山を示すようなものは何も無かった。踏み跡に導かれ、論地山から下っていくと何故かまたも顕著なピークが現れる。やや急な斜面を登ると大きな社のあるピークの上に出る。ここは論地山の南に張り出した尾根上のピークなのだろう。

(広い尾根)


〔杉の葉 実らしきものが付いている)


(論地山頂上)

社の正面に回りこむと石段があり、ここを下ると踏み跡は左右に分かれる。より明瞭な左の踏み跡に入る。落ち葉でフカフカとした感触のある九十九折を下っていく。九十九折を下りきると広い芝草の広場に出た。どうやら民家の敷地に出てしまったようだ。林に沿って広場の東端を進むと民家の裏手に出てしまう。これは不味いと広場に戻り、地形図を見て確かめる。すると寺院のマークは尾根の西端にあるではないか。広場を横切ると墓地が見えてきた。墓地の中を下っていくと円福寺の境内に下りることができた。円福寺の前の道を行けば、久林のバス停はすぐそこである。時刻表を見るとバスは3分前に行ったばかりであった。社の石段を下りて右に下れば、真っ直ぐ円福寺に出て、バスに間に合ったに違いない。まあでも今日はあちこちで道間違いを起こしたことだし、少し反省をしろということなのだろう。30分待ちでバスに乗り込むと久しぶりに永田大杉で降りて、大里屋本店で四里餅を買ってから家路に着いた。

(石段下から社のピークを望む)






(久林の広場)


(円福寺)

DATA:
飯能駅(国際興業バス)原市場中学校バス停7:38~7:47原市場神社~8:12奥秩父線57号鉄塔~9:25龍谷山~10:00天神峠
~10:25峠道分岐~10:53仁田山峠~11:26楢抜山~11:39天狗積~11:54 505のピーク~12:35論地山~12:54久林バス停
(国際興業バス)永田大杉バス停(国際興業バス)飯能駅

国際興業バス 飯能駅~原市場中学校 430円
       久林~永田大杉 470円
       永田大杉~飯能駅 200円 

地形図 原市場 

歩数 26,641歩

※1・2 「峠のむこうへ」さんの「峠を歩く」「旧名栗街道の峠」を参考にしています

本文にも書いてあるように踏み跡自体は明瞭です。しかしテープ以外の道標はないので、読図ができることが必要です。スケール付きのコンパスと(できれば送電線の記載のある)地形図をお持ちください。龍谷山の尾根は比較的容易で展望スポットも多く、初心者向きです。楢抜山は奥武蔵の山としては難易度が高めで山慣れた人向けです。論地山から山頂を目指すと安全度が高まります。

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5 コメント

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かまちゃんのアウトドア日記 (かまちゃん)
2013-02-27 10:08:44
はじめまして
2月からブログを立ち上げました。
近場のバリエーションルート歩きのため龍谷山を検索しました。
先週、個人で周助山とノボットに登り良かったです。
こちらのブログを時々見させていただきます。
私は有名な山にいろいろな人と行きますが、個人山行は時間制限がなく自由で良いですね。新ハイキングの松浦隆康氏の2冊を参考に奥武蔵以外にも行っています。
詳細に見ていませんが、自宅がご近所のようでね。
自己紹介代わりに私のブログをご覧ください
コメントありがとうございます (tokoro)
2013-03-05 19:09:06
場末のブログにコメント頂き、ありがとうございます。
現在福島に来ており、満足にネットへ繋げない状態ですので、所沢に戻り次第、貴ブログにつきましても詳細に拝見したいと思います。
Unknown (奥武蔵の山人)
2015-12-09 21:53:13
こんばんは 2015-12-09

名栗川の左岸側
じつに細かいところを歩かれてますね。
ビックリです。
この辺は大まかにはわかっているつもりですが
歩いたことはありません。
拝見して歩いてみたくなりました。
 ところでこの辺を歩く場合に参考になりそうな
地図はどのようながありますでしょうか。

当方はこの辺の山は歩いてないのですが
名栗川と入間川の川岸を源流から荒川に
合流するまではあるきました。

今度は右岸の山を歩いてみたいと思っています。
色々と参考にさせて戴きます。
コメントありがとうございます (tokoro)
2015-12-09 22:27:21
毎度お世話になっております。

地図の件ですが、私は書店などで売っている25000分の1地形図をビニール袋に入れて持ち歩いています。
上のDATAの部分に地形図の名前を入れてありますので、それを参考に探してみて下さい。私はリンク先の地形図をコピーして紙の地形図とともに持っていくことも多いです。

この辺りの山についてはおそらくガイド地図のようなものは無いと思いますが、こんなの(http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784860694494)も出ているようです。

ガイド本については「奥武蔵山歩き一周トレール」をつかっています(http://www.kamogawa.co.jp/kensaku/syoseki/a/588.html)が中身がだいぶ古いです。

登山口や登山道の情報は「新ハイキング」から得ることが多いです。
また高麗川と名栗川に挟まれた地域は中世の城址が多いので、
http://www.geocities.jp/tsukayan0112/top.html や
http://homepage3.nifty.com/yogokun/
を参考に歩いています。

山人さんのブログを見て、以前から行ってみたいと思っていたウノタワを歩いてきました(http://blog.goo.ne.jp/tokoronosato/e/0dbd693ccdd1d420cf7175f2fee5db56)。
山人さんの写真と比べるとウノタワ周辺の良さが伝わらないのが残念で、読者の皆様には是非こちらの記事(http://mkaifuu.blog.fc2.com/blog-entry-255.html)も見ていただきたいなぁと思っています。
Unknown (奥武蔵の山人)
2015-12-09 22:58:37
tokoroさん
いろいろな
ご案内をいただきまして
ありがとう御座いました。

現在は昭文社の山と高原地図

国土地理院のを使っていますが
読みきれずにいます(笑)

お教えいただいたものも参考に
させてもらいます。

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