野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成27年11月28日 高山不動から正丸峠

2015年12月04日 | 奥武蔵へようこそ
(牛立久保近くの雑木林)

当ブログを始めて6年目に入った。過去の記録を眺めているとブログを始める前に歩いたことはあるが、以降久しく歩いていない所が結構ある。グリーンライン上のルートで言えば関八州見晴台から飯盛峠、三本ブナからツツジ山、高篠峠から定峰峠などがそうだ。今回はそのうちの関八州見晴台から飯盛峠、三本ブナからツツジ山を含む高山不動から正丸峠を歩く計画を立てた。また高山不動へは頻繁に通っているので、まだ歩いたことのない西吾野駅裏側の尾根を使ってみることにした。

計画では7時間超のロングルートとなる今日の行程。それにもかかわらず西吾野駅へ着いたのは8時半より少し前。日の短い季節なので、暗くなる前に下りてこられるだろうか。幸いにも天気は良く、人の出も多い。高山不動周辺はさぞ混むに違いない。西吾野駅前の道を下り、国道へ出る。飯能から秩父へと抜ける幹線道路なので、朝からダンプカーが多い。国道を南に進むと森坂峠の登山口に柚子を売りに来ている小父さんがいる。そういえば何年か前に買ったっけなぁ。小床経由の子ノ権現への道を見送ると西武線のガードが見えてくる。ガードを潜ると山の斜面に鳥居が見える。どうやら神社があるらしい。

山の斜面に神社が設けられている場合、奥武蔵の山では神社から山頂へ向かって道が付けられていることが多い。鳥居には「山之神」と書かれている。ここから尾根を上がってみようか。当初の予定では吾野小から三社峠へ登るつもりだったのだが、尾根伝いに歩いたほうが道もわかりやすそうだ。鳥居を潜って山道を上がるとまだ新しい祠が設けられていたその裏手には予想通り踏み跡が付いている。最初は急だがすぐに緩やかな登り坂になる。地形図を見るとこの先に送電鉄塔がある。踏み跡がはっきりとしているのはそのためであろう。モミの木らしき大木を通り過ぎると鉄塔管理用のポストがある。この先はやや急な登り。登りきると送電鉄塔の下に出る。綺麗に下草が刈られていたので、ここで雨具を脱ぎ、休憩を取る。

(山之神の祠)


(送電鉄塔)

送電鉄塔のピークから下るとしばらくは緩やかな道が続く。尾根が西に派生する所で立木に卍マークの標識が付けられている。道標という扱いなのだろうか。やや急になった尾根道を進むとひらがなで「い」と書かれた標識の下に高山不動と西吾野駅を示す道標がぶら下っている。すぐ先がピークなので、ここは三社峠や大久保峠などがある東へ延びる尾根の分岐なのだろう。このジャンクションピークを越えると檜が植えられた緩やかな道が続く。歩く人はほかにいないが、踏み跡は明瞭だし、そばを走る鉄道や道路からひっきりなしに電車やクルマの音が響いてくるので、あまり心細い感じはしない。

(植林帯には珍しく落ち葉積もる)


(高山不動・三社峠への分岐)


(檜の大木が育つ緩やかな道)


(モミの木を見上げる)

418のピークの手前は広い鞍部になっている。踏み跡がないとちょっと不安になる所だが、西側から山頂へ向かってしっかりと明瞭な踏み跡が延びている。418のピークは狭く樹木に覆われた何の変哲もない所だ。ただ樹木に418のピークであることを示す標識が付けられていた。なお、「バリエーションウォーキング」によるとここは坂石山というらしい。418のピークを過ぎても景色は変わらない。依然として檜や杉に覆われた尾根で、時折モミの木が大木となってその存在を誇示しているくらいだ。

(坂石山)


(ここも植林帯だが落ち葉が…)

フラットな道を進んでいると林道のような広い道に出る。この道はパノラマコースから延びているものだ。少し先にベンチがあり、急な尾根道になっている。既に一時間ばかり歩いてきたので、ここで少し休憩を取っていくことにする。今日はかなり人出が多いのか、パノラマコースを登ってくる人の流れが途切れない。その内の老夫婦と挨拶を交わすと今歩いてきたコースについて教えてくれた。三社の辺りは吾野小の小学生たちのハイキングコースとなっているとのことだ。この老夫婦と入れ替わりに先へ進むことにした。

(パノラマコースに合流)

ベンチのある所から比高60mくらいまでがパノラマコースで最も急な登りだ。シバハラ坂と異なり、直線的に登るので結構しんどい。左手に大岩が見えてくると緩やかな登りになる。間伐実施林の看板が立つ所が大窪方面への分岐だ。道標には吾野駅・あじさい館と書かれている。地形図には描かれた道だが、何故か手持ちのエアリアには載っていない。フラットな道を進めば石地蔵が置かれたシバハラ坂との分岐に出る。ここはエアリアなどには特に明記されていないが、「峠のむこうへ」によると赤坂と呼ばれているらしい。檜に覆われた広い空間で、北側は尾根の壁になっている。落ち着いた所で一息つくにはちょうど良い。

(石地蔵のある赤坂)

ここから先は特に厳しいアップダウンはなく、まずは555のピークを南から巻き、一旦尾根に出た後、小さな祠がある分岐で高山集落へと下っていく。竹林を抜けると高山不動の境内に着く。眺めの良い広場になっていて、樹齢800年の大銀杏が聳えている。日の当たる所は黄色に、それ以外はまだ緑を残していた。それでもこれだけ紅葉する大銀杏を見たのは初めてかもしれない。広場には落ちた銀杏の葉が一面を黄色く染めていた。狭い石段を上がると高山不動の不動堂の前に出る。高山不動は正式名称を高貴山常楽院といい、飛鳥時代の創建とされている。不動堂のそばにはモミジの木があり、枝先だけが赤く色づいているところであった。

(関八州見晴台への分岐に立つ大木)


(高山不動の広場)


(真っ黄色)


(大銀杏)


(不動堂)


(まだらに色付く)


(不動堂内部)

不動堂の横にあるお手洗いの脇から不動茶屋へ上がる。ボクが奥武蔵の山を歩き始めた頃からここは既に閉まっていた。建物の老朽化も進み、テラスへも上がれないようになっていた。茶屋向かいの駐車場から山道に入る。この辺りは桜の木が多いのか、皆葉を落とした後であった。芝草の美しい丸山のピークを巻いて林道に出る。ここまで来れば関八州見晴台も近い。赤く色付いたツツジが疎らに植わる斜面を登りきると高山不動の奥の院のお堂が建つ関八州見晴台(771.1)の頂上に着く。疎林に囲まれた山頂は明るく開けていて、主に南西側の眺めが良い。空気の澄んだ時期ということもあり、遠く丹沢、特に三角の形が顕著な大山が目立つ。富士山と同じ高さに聳える奥多摩の山並の手前には子ノ権現、古御岳・伊豆ヶ岳、蕨山や武川岳などこれまで当ブログで紹介してきた山が一望できる。今日の最終目的地である正丸山は川越山とともに武甲山の下で台形の尾根を形作っていた。

(不動茶屋脇のモミジ)


(これも茶屋の建物だったのではないだろうか)


(丸山)




(関八州見晴台の紅葉)


(丹沢山地)


(富士山 手前は子ノ権現)


(大持山から武甲山 武甲山の下に正丸山・川越山)


(天覚山と大高山 見えている集落は吾野宿辺りか)


(古御岳と伊豆ヶ岳)


(武甲山と二子山・甲仁田山、両神山)


(南東側の眺め 目立つ双耳峰は越上山だろうか)




(南西側の眺め)

いつまでも眺めていたい景色ではあるものの、まだ行程の3分の1しか消化していない。とりあえず次は刈場坂峠を目指そう。山頂から北へアンテナ施設のある民家脇を抜けていく。周辺は葉を落とした雑木林が広がる。初冬ということもあって風がやや強いものの、明るい陽だまりの道は暖かい。二つ目の建物を過ぎた辺りでグリーンラインへと出る。少し車道を歩くが、北側に広い尾根が見えたので、適当に尾根へ上がる。整備された道は無いが歩き難いということもない。檜の植林帯を抜けると770のピーク手前に出る。ここからは踏み跡がある。尾根を左から巻いたりしながら進むと車道の分岐点に出る。右へ行くのは梅本への林道で、グリーンラインは左に入る。

(建物の脇を抜けていく)

グリーンラインを少し進むと尾根へ上がる踏み跡がある。上がった先のピークは「バリエーションウォーキング」によるとカンナタテ(稚児ノ墓)と呼ばれているらしい。山頂らしき所には大日如来の石碑が置かれていた。カンナタテから下って車道を横切り793のピークへ取り付く。道は山頂を巻いていくが、試しに山頂へ上がってみると立派なベンチが設置されていた。名のあるピークではないので、多くが巻いていってしまうのだろう。793のピークから下ってくると冬枯れの林の向こうに二つの飯盛山が見える。

(カンナタテにある石碑)


(カンナタテ付近)


(793のピーク下にある岩場)


(二つの飯盛山)

車道へ下りると越生町の最高峰である飯盛山の下に出る。しかし飯盛山への道は無い。ガードレールの切れ間から山に取り付くと薄い踏み跡が付いている。先ほど見たときにも感じたように急な斜面の登りで、踏み跡はジグザグに付けられている。意外と登山者に優しい作りだ。それほど苦しむことなく山頂(795.2)へ到着。檜に覆われた狭い山頂で、以前訪れたときは何もなかった。ところが現在は龍ヶ谷地域活性化推進の会による立派な山頂標識が設けられていた。山頂標識によるとこちらは龍ヶ谷富士と呼ばれているらしい。

(龍ヶ谷富士の山頂)

龍ヶ谷富士から飯盛峠へは明瞭な踏み跡がある。ここは以前訪れた所なのでわかりやすい。飯盛峠には埼玉県と旧環境庁が合同で設置した標識がある。旧環境庁が関わっているのはここが関東ふれあいの道に選定されているからだ。峠とはいっても峠道は無い。尾根道を緩々と上がっていくと関東ふれあいの道が認定する飯盛山(816.3)だ。こちらも「バリエーションウォーキング」によるとセンズイという名が付けられているらしい。アンテナ施設を含む山頂周辺だけが暗い檜の植林帯になっている。

(飯盛峠)


(センズイの山頂)

植林帯を抜けると広く緩やかな雑木林の尾根となる。明るく気分の良い所なのだが、尾根の一部は私有地となっていて、自由に歩けないのが残念だ。一旦車道へ下り、ヘアピンカーブの所から再び尾根に入る。この辺りに廃車が突き刺さっていたはずなのだが、今回は何故か気付かなかった。冬枯れの雑木林を下っていると樹林越しに三本ブナの山頂が見えた。この辺りでは存在感の大きな山だ。車道へ復帰し、檥峠まで進む。782のピーク手前に道標があり、北川・西吾野駅を指している。山道は782のピークに向かっているようなので、林道を指しているのだろうか。車道が右に曲がる辺りから尾根に上がれそうだ。782のピークへ寄ってみよう。尾根上に踏み跡は無いものの、下草は無く、気持ちの良い広場になっていた。

(センズイ西の雑木林)


(奥に三本ブナが見える)


(782のピーク付近)

檥(ぶな 山毛欅とも書く)峠に下るとここにも関東ふれあいの道を整備した際に設けられたと思われる標識が出迎えてくれる。ここを訪れたのは新柵山に登ったとき以来だ。波郷の碑の前で一旦休憩を取り、三本ブナへと登る。山頂へは広い尾根が続いていて、東側は笹薮が広がっている様子が窺える。檜の林に覆われた三本ブナ(山毛欅山 833)の山頂には縦走路を示す道標以外には特に標識などは設けられていない。遠くから見たときの印象に比べると地味な所だといえよう。

(ぶな峠)


(波郷の碑)


(碑の前にある石仏)


(三本ブナの山頂)

笹の生える縦走路を下り、またも車道を進む。あと車道歩きが必要なのは820のピークとツツジ山との間だけだ。杉檜が植えられた820のピークを越えると立木に黄色のビニールテープが巻きつけられている。テープにはここが旧刈場坂峠であると記されていた。ときがわ町の竹の谷地区へ下る道はいずれ歩いてみたいと思っているが、こうした明確な分岐があるのは好材料だ。

(三本ブナからの下り この辺りは笹が多い)


(旧刈場坂峠)

笹薮を抜けて車道に下り、今日の行程での最高点であるツツジ山を目指す。尾根道に入ると南側は杉檜の植林、北側は雑木林とはっきり分かれている。傾斜は比較的緩やかな道だが、直線的に上がるため、水流によって深く抉れている所もある。それでも初めてツツジ山に登ったときに比べれば、かなり歩きやすくなった印象だ。頭上が開けてくれば山頂(879.1)に到着。ここは半年前に来たばかりなので、それほど感慨深いものは無い。ただこれまで歩いてきた三本ブナや飯盛山のピークが一望でき、これまでの行程の長さを実感できる。

(ツツジ山の山頂)


(左が三本ブナ 右のアンテナが建つピークがセンズイ そのすぐ右に龍ヶ谷富士 右端辺りが関八州見晴台に当たるのだが…)

ツツジ山からは早々に下り、刈場坂(かばさか)峠へ。車道が分岐する広い峠で、現在駐車スペースになっている所にはかつてりんどう茶屋の建物が建っていた。今日は品物を積んだワゴン車がお店を開けており、ドライバーやライダー相手にコーヒーなどの温かいものを売っていた。峠の北側は急斜面になっていて、堂平山やときがわ町の市街地などを望むことができる。ようやく今日の行程の3分の2を終えることができた。予定通り、このまま正丸峠を目指すことにする。

(刈場坂峠)


(峠から北側の眺め)

峠から別荘地の裏手を通って牛立久保へ。この辺り一帯は雑木林が広がっていて、半年前歩いたときは新緑が美しかった。今日眼前に広がるのは色を失った冬枯れの林。でも樹間越しに眺められる緩斜面には不思議な広がりを感じさせる。ボク以外にこの林を歩く人は無く、広い空間を独り占めしたような錯覚を覚える。道標が立つ鞍部から緩やかな沢地形を下っていく。ここは踏み跡が薄く、目印のテープがないと道を外してしまいそうだ。西の尾根に上がる前に薄の生える湿地帯がある。この辺りはいつも湿っぽい感じがしていたのだが、どうやら伏流水となっているようだ。

(牛立久保からの下り ピンクテープを頼りに)

暗い杉林に入り、尾根道を進む。葉を落とした大木が立つ小ピークを越えると縦走路は南東の尾根を下っていく。が、今日は更に尾根を辿って、直接虚空蔵峠に取り付いてみたい。踏み跡に引きずられないように尾根を西寄りに歩く。途中までは広い尾根が続いていたが、下るについて傾斜が急になる。下を覗き込むと伐採が入っていて、谷には沢が流れているらしい。伐採地の歩きやすそうな所を適当に下っていくと沢を挟んだ対岸に虚空蔵峠の東屋が見えた。丸太橋で対岸へと渡る。沢は東にある高麗川ではなく、西の横瀬川へと注いでいるようだ。刈場坂峠から正丸峠へと続く尾根は分水嶺とも言えるものなので、今下りてきた尾根は縦走路からはやはり外れた存在なのだろう。

(虚空蔵峠)


(峠の石仏)

虚空蔵峠の東屋でしっかり休憩を取り、先の行程に備える。何せここからが関東ふれあいの道名物、土留めの木段地獄の始まりなのだ。東屋の裏手から急斜面に取り付く。スタートからそろそろ5時間を経過するということもあり、体を持ち上げるのも一苦労だ。何とか急斜面を登りきると笹原の中を抜ける緩やかな尾根道になる。檜に覆われているので見晴らしは無いが、ベンチがあるので時間があれば休憩していくのも悪くない。小ピークの手前で南に尾根を外れ、大きく巻いていく。鞍部へ下り、次の737のピークも東から巻いていく。巻きの途中に601のピークへ続く尾根が派生している。はっきりとした尾根なので、歩く人もいるのかもしれない。

(笹原の尾根道)

737のピークを巻くと北西側が雑木林、南東側が杉檜の植林となったフラットな尾根道に出る。この下には国道の正丸トンネルが通っている。そしてトンネルの上辺りにサッキョ峠があったという。南東側はかなり急な斜面で、木の間からは大高山と天覚山が見える所もある。北西側は幾分かは傾斜が緩そうだが、峠道のようなものは何もない。ただ谷間を犬に追いかけられた獣の鳴き声が谺するだけだ。木段が付いた小ピークの手前に関東ふれあいの道の道標があり、サッキョ峠と書かれていることだけが、ここが峠であったことを示している。

(サッキョ峠付近から大高山・天覚山の眺め)


(サッキョ峠)

鬱陶しい木段を登りきると笹の生える尾根道が続く。刈場坂峠から正丸峠までの尾根は見晴らしの良い所は無い分、道そのものを楽しむには良い所だ。尾根が細くなると岩がちの道になる。疲れも出てきている頃なので、慎重に通過する。木段の登りをこなし、道標の立つ706のピーク横を過ぎると旧正丸峠に下り立つ。東側は暗い植林帯、西側は葉を落とした雑木林と笹薮で、狭い鞍部に明瞭な踏み跡が乗り越している。小さな峠だが、慎ましい美しさというものがある。

(木段を登りきるとしばらくは穏やかな道)


(岩がちの道 尾根が細いので結構怖い)


(旧正丸峠)

時計は14時を少し回ったところ。まだ暗くなるまでには1時間くらい余裕がある。もう一山越えるとしよう。次の川越山へは比高100mを距離200mほどで登らなければならない。のっけから厳しい木段の登りで、流石に休み休みでないと登れなくなってきた。木段を登りきると急斜面を直線的に登っていく。このまま山頂へ行けるかと思いきや、再び木段。ここを登るのは初めて独りで山を歩いた時以来だから、もう9年以上前のことだ。それでもこの登りがきつかったことだけはよく覚えている。木段を登りきると川越山の肩のような部分に出て、山頂へは広い尾根が続いている。冬枯れの尾根を行けば川越(かんぜ)山(766.4)に着く。三角点と道標があるほかは展望のない地味な山だ。

(川越山)

川越山から正丸山へはフラットな尾根が続いている。そのためこの二座を伊豆ヶ岳などから見ると一つの大きな台形の山に見える。暗い檜林を抜け、小ピークを越えると雑木林が広がる。西日を追いかけながら歩いていると旅路を急ぐ昔日の旅人になったかのような気分だ。正丸山へ登り返すと小さな梨のような実がたくさん落ちている。家に帰ってから調べてみたらヤマナシの実だという。生で食べられるものではなく、漢方薬の原料にしたり、果実酒にしたりするそうだ。緩やかに登り返すと正丸山に着く。こちらも杉檜に覆われ、展望は無い。それでも峠からは登り応えのある山だから、意外と訪れる人は多いのかもしれない。

(正丸山へ向かって)


(ヤマナシの実)


(正丸山)

正丸山からは急な木段を下っていく。すると下の方から子供の声が聞こえてくる。観光客でも歩いているのだろうか。木段は急斜面の途中で終わり、岩がちな道をそろりそろりと下る。急斜面を下りきると穏やかな檜林の道になる。歩きやすくて自然と歩みは速くなる。すると先ほどの声の主が見えてくる。どうやら小さな男の子を連れた親子連れのようだ。正丸峠が近づくにつれ、周囲は雑木林となり、傾斜もまた急になる。ベンチのある辺りで親子連れが先を譲ってくれた。男の子はしきりにボクが山を歩いてきたことを羨ましそうにしていた。まあ小学校に上がれば先生が連れて行ってくれるさ。

(急斜面が終わると緩やかな檜の小道に)


(正丸峠付近は雑木林になっている)

車道の乗り越す正丸峠に下り立つと奥村茶屋の駐車場は一杯であった。今日は茶屋を開けているということか。茶屋の裏手からは沢沿いに下っていく。何度も歩いていて、しかも割と整備されている道なので、比較的容易に下ることができる。但しそろそろ15時。冬場は陽が低く、おまけに道は東に向かって開けている。したがって登山道はかなり暗い。それでも渡渉を繰り返しつつ下る道はなかなか楽しい。両岸の岩壁がそそり立つ所もあり、夏場、陽の高い頃ならもう少し景色が楽しめそうだ。民家が見えてくれば沢沿いの道も終わる。ここから先は舗装路となる。そのまま下っていけば伊豆ヶ岳への道が分かれる馬頭さまに着く。ベンチがあるので、ここで遅い昼食を取る。駅まではあと少しだが、余計なお金は使えないので、のんびりとラーメンを作る。20分ほど滞在して、正丸駅へ向かう。民家の点在する大蔵山集落を抜け、駅に着く頃には周囲もだいぶ暗くなっていた。朝遅かったというのもあるけれど、それ以上に初冬の行程にしては今日は長すぎたように思う。体力も落ちてくる年齢だし、もう少し短い行程にしたほうが良いのだろう。

(奥村茶屋)


(茶屋前からの眺め)


(正丸峠 正丸山方面は随分と急な斜面だ)


(沢沿いを下る)

DATA:
西吾野駅8:31~8:47山之神~8:59送電鉄塔~9:18三社峠分岐~9:31坂石山~9:42パノラマコース分岐~10:01石地蔵(赤坂)~10:18高山不動10:28~10:50関八州見晴台~11:49飯盛峠~12:09檥峠~12:19三本ブナ~12:29旧刈場坂峠~12:44ツツジ山~12:53刈場坂峠~13:05牛立久保~13:28虚空蔵峠~13:53サッキョ峠~14:10旧正丸峠~14:24川越山~14:32正丸山~14:45正丸峠~15:54正丸駅

地形図 正丸峠

トイレ 高山不動

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 6年目を迎えて | トップ | 地形図の話 ~準備~ »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

奥武蔵へようこそ」カテゴリの最新記事