☆心に留まった光景☆

ささやかな感動した景色、出来事を載せてゆきたいです。

⑫マドリッド

2014年10月28日 | Weblog

コルドバからマドリッドまで超特急列車のAVEに乗りました。
AVEは "Alta Velocidad Española"(高速」)の略称で、と言う意味で、翼を広げた鳥が列車のシンボルマークになっています。
マドリッド・ゴルドバ間の345kmを早いと1時間30分で駆け、平均時速230km、最高時速300kmで走るそうです。
夫が電車の時速280kmをを見てすごく早いので驚いていました。さらに新幹線より揺れが少ないと言っていました。
マドリッドのアトーチャ駅はとても素敵な外観です。

        アトーチャ駅

マドリッドの目抜き通の終点に位置のスペイン広場スペインの文豪、セルバンテス(1547~1616年)を記念して
セルバンテスのモニュメント、その前には小説の主人公ドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの像があります。
その後、国立聖ソフィア王妃芸術センターでピカソのゲルニカを始めダリ、ミロの作品を見ました。

                     
     


次に行ったプラド美術館歴代のスペイン王家のコレクションを展示する美術館で、
ベリスケス、エル・グレコの作品をガイドさんの説明聞きながら見ました。
エル・グレコの作品展の時期で外にも大きなグレコの作品が展示されていました。
隣の教会が可愛いので写真を載せました。
              

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑪コルドバのメスキーター(聖マリア大聖堂)

2014年10月26日 | Weblog

コルドバローマ帝国によって大河グアダルキビル川上流の船舶が通航できる限界の場所に築かれ、
1000年前のイスラムの時代には100万都市として繁栄していました。今は38万人。
グアダルキビル川掛っているローマ橋は全長230mで16のアーチで支えられ、
イスラム時代、さらにキリスト教徒の時代に改修され使われてきました。長い歴史を思います。

                   

グアダルキビル川のローマ橋を渡りきった岸辺にメスキータ(聖マリア大聖堂)あります。
711年 西ゴート-王国の教会の地にイスラムのモスクが作られ987年に今の形の大きさになったそうです。
しかし1236年にコルドバはキリスト教徒に征服されてキリスト教の礼拝堂として使われ、

メスキータの西側ファザード外壁装飾はイスラムの美しい細工が残っています。

       

 オレンジの中庭と回廊
          

メスキータの「円柱の森」現存は854本、最大時では1000本以上あったそうです。
馬蹄形のアーチ白い化粧漆喰赤い石(レンガ)によってつくられています。

            

ガイドさんの説明で大理石の柱に作った人の名前が入っているそうです。

      

16世紀円柱の一部が取り払われカトリックの大聖堂が作られた。
教会を作った国王カルロス5世は、素敵な円柱見て、一部を教会の為に壊した事を嘆いたそうです。

しかしメスキータの内部の大聖堂の完成は250年もの年月を費やしているだけ、本当に立派な作りです。

           

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞岡公園 秋の収穫

2014年10月24日 | Weblog

昔住んでいた所の近くにある舞岡公園に何年振りかに行きました。
子供が小さい時に本当に良く通った公園なのに、公園の中を通る大きな道路がいつの間にかできて駐車場が分からず車でウロウロしました。
やっとたどり着いた公園は昔のままです。
少し紅葉が始まっていました。つわぶきや毒きのや木の実や色々。

       

               

公園の中の畑は半分ぐらい収穫されていました。
風もなく良い天気で小学生や幼稚園児等や色々な年代層の人達が広い公園の自然を楽しんでいました。
畑には刈り取った稲を脱穀したり、わらを畑に播いたり、草刈りをする公園のボランティアさんもたくさんいました。 

   畑にわらを  草刈り

そして魅力的な案山子が一杯。
         

案山子の人気投票もありました。
   

公園傍の傍の農家の喫茶「舞岡ふるさと村 かねこふぁ~む のあとりえで一服しました。
私は柿の葉茶とリンゴケーキ。季節が良いので外の大きな柿の木の下でのんびりしました。
もう一つはホット紫蘇です。 

       

農家なので喫茶で売っていた珍しい
シカクマメと柚子を買いました。
中華風にいためて食べたら歯ごたえもあって美味しかったです。   

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楽しいひと時 七五三

2014年10月19日 | Weblog

いつの間にか10月半ば過ぎです。
子供からメールで大井松田近くから、富士山の初冠雪の写真です。
雪の富士山は本当に神々しくてきれいです。
      秋  

少し早目の七五三。孫の成長を見る楽しいひと時でした。 
着物をきるのをあんなにいやがっていたのに、神社についたらご機嫌。
赤色の運動靴から草履に履き替え、3歳なのにちゃんと歩いたのに
驚きました。

          
でもお参りしたらまた運動靴に。
そうなるとさらに元気になりジャンプしたり、木の実を拾ったり楽しそうに動き回っていました。 
3歳は幼いので、帯を略して被布を着せて楽に過ごせるようにしているようです。
他のの3歳児も皆被布を着て、身軽だからみんな元気に走り回っていました。

先週の写真ですが酔芙蓉と秋明菊が毎日綺麗に咲いていました。
畑も頂いたブロッコリーと白、の苗を植え、
春菊と小松菜の種も植えました。 
                
 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑩セビリア豪華なカテドラル

2014年10月12日 | Weblog

スペイン広場の次に、ムリーリョ公園からサンタ・クルス街細く入り組んだ石畳の路地を通って大聖堂まで歩きました。

ムリーリョ公園にコロンブス記念塔がありす。 
女王イザベル1世の援助を受け1492年サンタマリア号等3隻がセビリアから出港してアメリカ大陸を発見しました。
船の舳先は新大陸(アメリカ)を向いているそうです。
右の写真の壁はアルカサル(王宮)の城壁の一部で、壁の中を古代ローマ時代の水道管が通っているそうです。

                   


サンタ・クルス街
15世紀までユダヤ人が住んでいた場所で、街はまるで迷路のように細い道が入り組んでいるそうです。
           

路地を通り抜けると世界遺産大聖堂が見えてきました。
      

大聖堂の内部には、世界最大といわれる黄金で塗られた祭壇衝立(ついたて)があります。
この衝立を塗装するために3トンもの金が使われてます。
スペインは4世紀からマリア信仰が盛んで、この衝立の真中に鎮座するのがキリストではなく聖母マリアという点です。

コロンブスが発見した新大陸では莫大な金銀が発掘され、セビージャは貿易の拠点として空前の繁栄を極めていたようです。
右の写真はスペインの4人の王様がコロンブスの棺をかついでいるそうです。
  アップ   

ヒダルダの搭は高さ98mで大聖堂に隣接してます。
塔の内部は螺旋状の坂道で階段ではありません。登って行くと大聖堂も下に見えてきました。 
らせん状の坂道をグルグル登るのは大変で、チョット休憩を入れて、窓から下の景色をみました。
        
登り切ったヒラルダの塔の鐘楼には28個の鐘がありました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑨セビージャ(セルビア)  スペイン広場のタイル芸術

2014年10月11日 | Weblog

セビージャ(セルビア)のスペイン広場は1929年のセビリアの万国博覧会のパビリオンが建てられた広場だそうです。
入口から入る時に建物のあちこちにタイルがはめ込んでいました。
    
アンダルシア地方の典型的な建築様式の両翼に半円形に延びる回廊と、スペイン各県の出来事を描写した壁面タイルの絵が特徴だそうです。その
うち2つを載せました。

    

建物のあちこちに素敵なタイルが使われています。橋も本当に可愛くできています。
         

 

昨日夕方、ホテルの隣の街角の広場で子供達が自由奔放に遊んでいました。それと落ち葉を集める掃除の車です。
        

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑧白い村「ミハス」

2014年10月08日 | Weblog

地中海に沿って続く全長約350キロにも及ぶ海岸 「コスタ・デル・ソル(太陽海岸)」があります。
ここに白い村が点在して、その中の一つミハスにつきました。
ミハスは山の中腹にあるため町の端の展望台からは、海に向こうにアフリカのモロッコを見ることができるほどのすばらしい眺めになるそうです。
     

漆喰の白い壁が、この地方特有の強烈な太陽の日差しをおさえるためです。
日本では漆喰をコテで塗り上げるのに比べここでは刷毛で塗り足して幾重にも塗り重ねられ優しい表情をだしています。
中心街で食事をしてお店を回りました。
教会  

添乗員さんから教えられた展望台に向かって散策。植木鉢は最近青色に統一されたそうです。
    

さらに青い空の下の白街並みを登って上がると、最初の写真の海の見える景色の所に着きました。
知らない道、本当に小さな路地を登って行くので、ドキドキしながら上がって行きました。
    到着 


帰り道ある家の伯父さん
がどうぞ自分の庭からの景色と花を見てくださいとジェスチャーで言ってくれました。
昔からあるこの家の植木鉢は赤色ですが、この色で良いようです。玄関のレンガに素敵な自分の家のタイルの額です。

階段道      


ベランダ    

庭の先端からはまた地中海が見えました。 素晴らしい景色と花に囲まれてます。
地元の家に一歩入れたことが、ミハスの旅が何倍も楽しく印象に残りました。ありがとうございます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑦アルハンブラ宮殿

2014年10月04日 | Weblog

スペインの旅4日目9月16日は、スペインの新学期の始まりです。
グラナダの朝は子供を学校に送る親達で道路は大渋滞です。長い夏休みが終わりました。
             

バスからグラナダの朝の街の様子を見た後、少し乗って丘の上に建つアルハンブラ宮殿へ着きました。
2時間ちょっと、イヤホンガイドから流れるガイドさんの説明を聞きながら足早に宮殿のなかを散策しました。

最初に夏の離宮の「
ヘネラリフェ」の庭園」へ
いたる所にシエラ・ネバダ山脈からの雪解け水を利用した水路や噴水があり水の宮殿とも呼ばれているそうです。
      

宮殿は丘の上に建つので、下に素敵な景色がみえました。
   
糸杉の植えられた遊歩道を通るとパルタル庭園へ。
ここで沢山植わっている糸杉は高さが30mるヒノキ科の常緑高木で地中海沿岸原産の木で,
乾燥した土地に向いた木だそうです。

               

メスアール宮現存するアルハンブラ宮殿の中でもっとも古い建物です。
箱根の寄木作りに似たの寄木がお城の天井にあり、びっくりました。
土産 天井    

寄せ木細工は象嵌細工の一種です。金属の代わりに、硬質の木片を使う技法です。陶片を使うモザイクも同種の技法だそうです。

象嵌は古代エジプトでも用いられていたようですが、シルクロードを経て、日本にも伝来しました。
直線を基調とした幾何学模様が特色のイスラムのデザインに親近感を覚えます。
寄木作りに似たお土産も売っていましが、買う暇なく残念です。 

   

     


コマレス宮

アラヤネスの中庭とと
北側柱廊、その背後に高さ50mのコマレスの塔
3枚目の写真はアラヤネスの中庭南側柱廊です。

     


ライオン宮

ライオンの中庭には愛嬌のある12頭のライオンが放射線状に並んでいます。
    

二姉妹の間にある鍾乳石の天蓋と壁面は目がうばわれました。
天井に施された彫刻は、いわゆるルカルナスと呼ばれる形式の鍾乳石を使ったの天井装飾です。
数種類のみの基本となるタイルを組み合わせる事によって、蜘蛛の巣状のモチーフを立体的に表現したそうです。

  

素敵な手の込んだ細工の柱達
            
           

建物の間に馬などが通る道がありました。
        

この芸術品の塊のアルハンブラ宮殿歴史を少し調べました。
13世紀の中ごろスペインのあるイベリア半島の中のコルドバ、セビージャまでもキリスト教徒の手に落ちました。
残ったイスラム勢力が作ったのがイスラム最後の王朝グラナダ王国(ナスル朝)でした。
初代の王ムハンマド1世は、グラナダの小高い丘に残されたローマ時代の砦跡に、
丘を2キロほどぐるりと取り囲む城壁を作り、その中に作った宮殿アルハンブラ宮殿です。
7代目のユスフ1世の時代で、グラナダの人口は40万人に達し繁栄しましたが、
しかし1492年1月2日、ついにカソリック両王のフェルナンド王とイサベル女王夫婦に
最後の王となったムハンマド12世はアルハンブラ宮殿の鍵を手渡して無血開城になりました。
そのあと宮殿は荒れ果てていましたが、米国作家の「アルハンブラ物語」に寄って注目され、
今は有数の観光地になり訪れる人を魅了しています。
 

最後にカルロス5世宮殿 
箱型の宮殿はイスラム建築に対して、16世紀初めに孫にあたるカルロス5世によって建設が始められたけど完成はせず、
今はアルハンブラ博物館が置かれ、またコンサートの会場として利用されています。 
イスラムの建物とは違って見えました。 

      


夏疲れでいまいち体調が元に戻らず、そのまま旅に出て帰って半月、まだ胃腸がいまいちです。
今までは海外旅行から帰っても元気でしたが、やはり歳には勝てないと思いました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

⑥グラナダの街のお祭りと、フラメンコ

2014年10月01日 | Weblog

イスラムの最後の王朝の都のグラナダ、その街の中心街のホテルに着きました。
たくさんの人が花束を持ってお喋りをしながら長い長い列に並んでいました。
                  

1年に1度の教会のお祭りで、集まった花束を教会の人達が飾っていました。
長い列の隣はパレードの人達が色々な衣装で並んでいました。
                         
                          
  

次の日の朝教会へ行って見るとたくさんの花が飾られていました。 

       アップで

中心街で泊まったホテルはイス
ム風で素敵でした。

      

食事の後に洞窟フラメンコを見に行きました。
フラメンコアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏の組み合わせです。
日本で見るより素朴な感じでした。
    

そのあと少し細い路地を高台まで歩いて、ライトアップされたアルハンブラ宮殿を眺めました。
             

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする