蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

武田邦彦先生の発言が素敵だ!!:STAP細胞事件の言論構造

2014年03月20日 | 20110311東北関東大震災と政治
Turedure Keizaiさん:財出28新著『日本国債のパラドックス・・』紹介Ver.2でのコペルニクスの解説から。コペルニクスの宇宙図は天動説の宇宙図とそれほど変わっていなかった。)
1.「裁判官づら」の偽善メディアに弔鐘を
 高圧的なメディアがのさばる時代はろくなことはない。そうしたメディアは、一種の疫病神、死神の使者である。なんでそんなことを言うのかと言う方は、前大戦を思い出していただきたい。1930年代、中国大陸との戦争を煽動し、太平洋戦争を声高に叫んでいたのは、他ならぬ『朝日新聞』『東京日日新聞(毎日)』である。NHKも同罪で、現在の既成メディア大手は大日本帝国を破滅させた亡国の使者であり、現在まで続く大きな禍根を東アジアに刻み付け、太平洋方面での無数の戦死者の魂を吸って戦後も生き延びている魑魅魍魎なのである。
 もともとこうした性格のメディアが、現代日本では「裁判官」になって善悪を決めている。STAP細胞問題は、まさにその病毒が日本社会全体を狂わせた事例だろう。もともと自ら悪を好んで犯し、世界を惨禍に巻き込み無数の人々の生き血を吸っていたものが、現代では平気な顔をして善悪の裁き手になっている。まさに、「偽善」という定義そのもののために生まれて来たような悪魔的存在だろう。

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長周新聞さん: 『朝日』が中国侵略で果たした役割「横暴なシナ制裁」と扇動
 「数発の銃声」を全面戦争へ
 その出発点となった中国への全面侵略戦争は、1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋で、示威的な夜間演習をおこなっていた日本軍が射撃をおこなったとき、「数発の銃声音がした」といっていいがかりをつけることで始まった。
 中国・華北の軍閥長・宋哲元はすぐに日本軍に屈服し、11日には停戦協定を結んだが、同じ日東京では近衛内閣が中国に軍隊を派兵することを決定。同時に、政財界やマスコミ代表を招いて挙国一致の協力を訴えた。
 当時の『朝日新聞』を見ると、政府に先がけて「暴支膺懲」を掲げ、数発の銃声を本格的な戦争に拡大しようと意図的な世論誘導をおこなっていたことがわかる。
 1937年7月9日付『東京朝日新聞』夕刊は1面トップで「北平郊外で日支両軍衝突」「不法射撃に我軍反撃」の見出しを掲げ、同社の現地特派員報告「硝煙の戦線を行く」では「今回の事件は支那側の挑戦的不法射撃によって発生せるものなること1点の疑ひもなく、戦友中に死傷者さへ出した。我が将兵一同の痛憤もさこそと思はれる」と報道。同時に、日本の現地駐在武官の「日本軍の攻撃はやむをえぬ自衛行動であった」との談話を掲載している。
 7月13日付『東京朝日』は、「北平の邦人遂に引揚ぐ」という見出しで、「信義を無視する支那軍は幾度か約束を破って我が方に挑戦してくる。しかもその兵力は刻々増大して何時いかなる重大事が勃発するかも知れぬ情勢にあるのだ。この不安な北平の刻々迫りつつある不気味な空気を前に在留邦人は12日以来続々引揚げを開始した。北平発津浦線は夜の厳戒に先立って北平を脱出しようとする婦人子どもを中心とした邦人の群で満載だ」と不安を煽っている。
 同じ紙面で日本軍の支那駐屯司令官にインタビュー、「帝国の望むところは常に和平解決であったが、最早支那側の不信極まる態度、その暴虐は黙して居られなくなった。ここにおいて正義の軍を進めて支那の暴戻を断固膺懲すると共に北支の権益と在留同胞保護のため中外に声明を発して最後の態度に出ることに決した」との談話を引き出している。
 7月21日付『東京朝日』の社説「支那の挑戦的回答」は、中国側が「日本に対する最小限度の要求」として「主権を侵す解決策は絶対に拒否す」などの独立国として当然の要求をのべたことに対して、それを「あたかも宣戦布告」だとみなし、「その調子のあまりに挑戦的であって、必要以上に興奮状態に陥っているといはねばならぬ。かくては平和破壊の責任は当然支那が負うべきであらう」「救うべからざる最後通牒に向かって自らを追い込むことになるであろう」と、逆に宣戦布告的な主張をおこなっている。
 「拉致」「虐殺」と誇大な宣伝
 その後の『東京朝日』は、「拉致の宮崎水兵」という上海からの特派員電で「陸戦隊宮崎一等水兵は規定の門限たる7月25日午前6時15分までには遂に姿を見せず、いよいよ支那人に拉致されたこと確実と見られるに至った」という記事を載せたり、「恨み深し!通州暴虐の全貌」という天津からの特派員電で「天津にいた支那人の保安隊が突如鬼畜と化し、日本家屋は1つのこらず滅茶苦茶に荒らされて無惨な死体が雨に当たり散乱し、身体の各所を青龍刀で抉られ可憐な子ども、幼児迄も多数純真な生命を奪われている」という記事を載せている。
 また「邦人大量虐殺の陰謀」という記事では「3千人の支那兵が、天津租界内の邦人1万5000人を虐殺し略奪をほしいままにしたうえ、日本租界を占拠しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する意図を有していた」などという「恐るべき計画」について、扇動している。戦後、これらはデッチあげであることが明らかになっている。
 さらに特派員電「恐怖の都・漢口を逃る――避難船に同乗して」では、「乗ってくるものの中には漢口生活40年という長老氏など1人でせっせと働いて、こしらへた財産を残して来たといふ気の毒な人やその他30年以上働いたものも4、50人もいて船中で集まると“膺懲支那”の1語に尽き徹底的抗日弾圧の気勢はむしろ避難民とは思はれぬ程の元気に満ち満ちている」と書いている。
 こうして7月29日付1面で「皇軍遂に膺懲の兵を進む」が載り、その後は連日「皇軍の向ふ所敵なし 暴支膺懲第1日戦績」などが、写真入りで掲載されている。8月11日付3面では、「支那が停戦協定(昭和7年)に違反して軍備を増強した」と非難しているが、その同じ紙面が、中国大陸で大増強される日本軍の戦車や大砲の写真特集となっている。
 そればかりではない。日本軍が上海攻撃を終えた同年10月28日付『大阪朝日新聞』は社説で、「この快勝の報に接し我が陸、海、空将兵の勇戦奮闘に対して謹んで満腔の敬意と謝意を捧げたい。同時に銃後の国民として戦勝気分に酔うが如きは尚早であって、支那抗日戦にとどめを刺すために、いっそう銃後の覚悟を緊張させなければならぬのである」と主張。コラム「天声人語」は、これだけの犠牲を払ったのだから占領地に傀儡(かいらい)機関をつくるなどのなすべきことを遠慮なくやれといい、そうしなければ、「たぎりたった国民の愛国熱が承知しないだらう」と政府の尻をたたいている。
 国内では戦争非協力者攻撃
 南京が陥落した12月ごろの『大阪朝日』の紙面では、「天声人語」で「学問はもとより時の政府の御用を勤める存在ではない、それはよくわかっているが、さりとて、今日ほど国家闘争が激化している場合“国家に超然たる学問”といふものが無条件に存在し得ると思ふのは空想ではないか」「学問の独立とか大学の自治とか、言葉は綺麗だが、大学を国家と対立する機関のやうに勘違ひさせる恐れが多分にある」「官立大学教授といへども国家の1微粒子であり国家機関の1員である以上、学問の名に甘えて国家および国民を見くびってはならぬ」と書いている。名指しで戦争政策に従わぬ知識人を攻撃し、「滝川事件を思い出せ」といって、大学におれないようにしていったのである。
 これとは対照的に、同じ12月に「銃後女性の譽れ 感謝の町民葬」という記事が掲載されている。「事変に伴う出征兵士の見送りや遺家族慰問に、文字どおり寝食を忘れて活動した」国防婦人会の副分会長が、数日間病をおして奮斗した結果、午前0時ごろ突然昏倒し、絶命したことに対し、「日本女性の模範」と写真入りで称揚している。
 さらに盧溝橋事件後には、朝日新聞社の事業として「軍用機献納運動」の募金活動を大大的に開始。その意図を「我が国をめぐる極東の情勢にいたっては実に容易ならざるものあり、東亜安定の柱石としてこの地域に平和の確保せらるることを根本義とする帝国としては、今や挙国緊張して国防の充実に邁進しなければならぬ。わけて空軍の充備如何は近代戦争においてその勝敗に決定的関係あり」とした。紙面には連日寄付に訪れる国民の様子を掲載、とくに「坊やまで軍用機熱」という記事で「僕も早く大人になって飛行機に乗るんだ」という9歳の男子の意見を大きく取り上げている。
 国民を戦争に狩立てる道具
 こうして国民からなけなしの金まで軍備のためにまきあげることに一役買い、同時に青少年を戦争の肉弾にするために役割を果たした。『朝日新聞』の「コドモノページ」では「宇垣大将から少年少女諸君へ! 君らは第2の皇軍 健康で勉強して御国を守れ!」などを掲載し扇動している。
 『朝日新聞』を例に見たが、このように当時の大新聞は、「軍部の弾圧によってものがいえなかった」「だから被害者である」というようななまやさしいものではない。みずから先頭に立ってときの権力に阿諛(あゆ)追従し、青少年を戦場に駆り立て日本を廃虚にする無謀な戦争の泥沼に国民をひきずりこむうえで、積極的に協力したのである。それは戦後も一貫しており、追随する相手が占領者アメリカとそれに従属する日本政府にかわっただけである。
 「公正中立」を掲げるすべての商業新聞、ブルジョア・マスコミの戦前・戦後の歴史の事実は、それがつねに戦争とともにあり、権力者の支配の道具となって、大衆世論を巧みに歪曲し誘導してきた歴史であった。かれらが今日、「横暴な北朝鮮を制裁せよ」と叫ぶことは、かれらが第2次大戦で果たした犯罪的な役割をなんら
反省しておらず、再び戦争を扇動する道具となりはてていることを示している。
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戦争を煽った新聞社:半藤一利「昭和史」から
新聞が戦争報道に熱心だったのは、戦争の記事が良く売れるからだ。戦争のことを書き、勝った勝ったと叫びたてればたてる程新聞は良く売れるのだ。だから新聞各社は、軍部と結託して戦争熱を煽り、読者の熱狂を新聞の売り上げに結びつけようとした。軍部もそれをよく理解していて、戦争遂行に最大限新聞を利用した。
戦争記事が紙面を賑わすようになるのは、満州事変のすぐ後からだ。新聞各紙は毎日のように、戦争の状況を報道し、国民の熱狂を煽っていく。新聞社は記事を派手にするために、巨額の金を使って現地取材を行い、また高級軍人に取り入って情報ネタを仕入れようとした。半藤さんは、新聞社の幹部が「星ヶ岡茶寮や日比谷のうなぎ屋などで、陸軍機密費でごちそうになっておだを上げていたようです」と書いている。
そうしたうわさは民間にも流れていたようで、永井荷風などはそれを日記の中で取り上げ、慨嘆した。
「同社(朝日新聞社)は陸軍部内の有力者を星が岡の旗亭に招飲して謝罪をなし、出征軍人義捐金として金十万円を寄付し、翌日より記事を一変して軍閥謳歌をなすに至りしことありという。この事もし真なりとせば言論の自由は存在せざるなり。かつまた陸軍省の行動は正に脅嚇取材の罪を犯す者と云ふべし(昭和七年二月十一日)」
これは、朝日が一時期戦争に批判的だったことの根拠のひとつとして引合いに出されるところだが、ともあれその朝日も、陸軍の尻馬に乗って「売らんかな」のため「笛と太鼓」で扇動した事実を消すことはできない。
満州国の建国に際しては、朝日新聞は次のように書いて、祝福した。
「新国家が禍根たりしがん腫瘍を一掃し、東洋平和のため善隣たる日本の地位を確認し、共存共栄の実をあぐるに努力すべきであろうことは、いうだけ野暮であろう」
癌腫瘍とは反日運動のことをさす、そんなことはやめて日本と共存共栄しようと新国家に呼びかけているわけだ。
満州事変をめぐって国際連盟での風当たりが強くなり、日本が孤立を深めるようになると、新聞は次のように言って、孤立を恐れるなと、発破をかける始末。
「これ実にこれ等諸国に向かって憐みを乞う怯惰の態度であって、徒に彼らの軽侮の念を深めるのみである・・・我が国はこれまでのように罪悪国扱いをされるのである。連盟内と連盟外の孤立に、事実上何の相違もない」(東京日日新聞)
そして国際連盟が日本軍の満州からの撤退勧告案を採択すると、新聞は連盟からの脱退に向けて、政府の方針を尻押しする。
新聞はまた、日独伊三国同盟の締結に熱心であり、そのために反英世論を煽ることにも努めた。昭和14年におこった天津事件を巡って、日本軍はイギリスとの間で緊張状態に入ったが、その時に日本の新聞社は次のような共同社説を載せて、反英熱を煽った。
「英国はシナ事変勃発以来、帝国の公正なる意図を曲解して援蒋(蒋介石を援助すること)の策動を敢えてし、今に至るも改めず。為に幾多不祥事件の発生をみるに至れるは、我等の深く遺憾とするところなり。我らは聖戦目的完遂の途に加えられる一切の妨害に対して断固これを排撃する敵信念を有するものにして、今次東京会談の開催せらるるに当たり、イギリスが東京における認識を是正し、新事態を正視して虚心坦懐、現実に即したる新秩序建設に協力もって世界平和に寄与せんことを望む。右宣言す」
随分と勇ましい宣言だが、その勇ましさに的確な現実認識が伴っていないことに、当時の大新聞をはじめ日本国民全体の不幸の原因があったわけだ。
戦争末期になると、新聞は事実の報道と云う本質的な機能を全く果たさなくなり、国民に対して嘘の報道ばかりするようになる。というより、軍部の傀儡となって、軍部のいうことを単に横流しするだけの、情けない存在に堕していったのである。
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- 決定打となる政府による言論弾圧  -
大戦中、各新聞社は、政府発表をそのまま掲載して、みずからも戦争を煽動するなどして、全国民に多大な犠牲を与えました。なかでも政府の公式見解である大本営発表を受けた新聞各社は、ミッドウェー海戦以降は、あからさまな虚偽報道を行うようになり、勝敗と正反対の発表さえ恒常的に行われました。また、ラジオ放送においても、戦時中のNHKが、戦意高揚目的の虚偽発表は864回にのぼります。 (中奥宏 『皇室報道と「敬語」』より)
そのため大本営発表といえば、今では、「内容を全く信用できない虚飾的な公式発表」の代名詞にもなっています。
焼夷弾の威力を虚偽報道。国民が逃げないように誘導しました。この報道を信じた大都市の人々は非難することなく、空襲の犠牲となったのです。
さらに大空襲後も被害を過少に虚偽報道。国民が逃げないように誘導しました。
多くの国民が貧困に苦しむ敗戦後においても、大手新聞各社は、戦時中の虚偽報道を反省することはありませんでした。
朝日新聞は、敗戦後当初、上層部はほとんど辞職しようとしませんでした。昭和20年8月の敗戦、3ヶ月後の11月にようやく、「国民と共に立たん」という社告を掲載し、社長以下重役が総辞職しましたが、数年後には、辞職したはずの村山社長は会長に復帰、さらにその後には社長にまで復帰して、昭和39年まで経営の実権を握りました。
また、読売新聞社では、当時社長であった正力松太郎が、GHQから戦犯容疑指名を受けた4ヶ月後にようやく辞任することを表明しました。しかし、昭和26年には、社長に復帰し、昭和44年まで経営の実権を握りました。虚偽の報道を続け、国民を欺き、戦争へと駆り立てながら、会社は潰れることなく、現在も存続しているのはなぜでしょうか。新聞社にまったく戦争責任に対する意識がないことは明らかです。
そして、戦争責任をとらない大手新聞各社が、戦後の日本において、テレビ局を設立していき、さらにマスメディアとしての力を獲得していきます。
昭和20年8月15日正午、天皇の肉声を放送する「玉音放送」で、日本の降伏が国民に告げられました。
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 文字通り、私たちは自分達の社会の「歴史問題」を決して忘れてはならない。腐敗した組織が再生することはありえない。組織の本質は、それを動かしている人間の本質が変わらない限り絶対変わらない。『朝日』『毎日』『NHK』は、大戦前から国民を見下して、根拠のない憶測を並べあげ、国家を破滅に導いた。その責任は、永久に消えることはない。また、同質の事件は今までも繰り返し行われてきた。
 朝日新聞の正体
 毎日新聞問題の情報集積wiki
 NHKの不祥事年表

 もちろん、悪魔のようだから有益だという見方もできるが、それには金の払える側に常につくという醜悪な条件が付いている。要するに、偽善の皮を被ったただの営利企業なのである。
 今年2月のSTAP細胞問題は、こうした既成メディアの邪悪さを端的に示した、日本社会への警鐘である。邪悪な意図を秘めたメディアの低劣な煽動にいとも簡単に多くの市民がのってしまう、そんな国家がまともに発展していけるわけがない。こんなものを信じるぐらいなら、みなでうわさ話でもしていたほうがましだ。
 暴力の時代2:軋む21世紀の世界で(その1)
 暴力の時代2:軋む21世紀の世界で(その2:間接戦略と直接戦略の目標選択)
 STAP細胞問題について、あるいは中華人民共和国支配下の『朝日』『毎日』の間接戦略
 ”侍Japan”が聞いて呆れる”文明国”「日本」の恥辱:STAP細胞言論弾圧事件

 もちろん今回の事件もまだ直接証拠があるわけではないので、ただの憶測の積み重ねに過ぎないが、それにしては今回の批判側の関係者の行動は「不自然な偶然」が重なりすぎている。「不自然な偶然」の重なりには、何らかのバイアス、外からの力あるいは作為が必要で、重なりの焦点を産み出している黒い影を想定しないわけにはいかない。
 日本市民がこれ以上、偽善者の悪魔の言を信ぜずに、今回の問題はもう忘れて、専門家の判断に任せていけば、今回の大損害はまだ回復できる余地はある。前回、理性的で合理的な判断の見本として紹介した、OPENブログさんは「捏造」は理研の中で複数の関係者で行われたと推理した後、3月19日に以下のように述べている。

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OPENブログさん: STAP細胞事件の解明3(リンクは書式不正と出るため貼れません)
では、STAP細胞そのものは真実ではなかったのか? 
 「もちろん捏造があったのだから真実ではなかった」
 と思う人が多いだろうが、実は、これはまったくの別件である。無能な人が捏造をしようがするまいが、真実は捏造とは関係なく存在しているからだ。真実というものは、無能な人の実験結果には左右されないのである。
 私個人の予想を言えば、こう思いたい。
 「乳酸菌による多能性細胞が真実であるらしいので、STAP細胞が真実である可能性は十分にある。また、Muse細胞に似た STAP幹細胞が真実である可能性も十分にある」
 ただし、それらが真実であるかどうかは、まったく不明である。話は振り出しに戻ってしまった状態だ。
 とはいえ、今後、理研の再現実験が続けば、「STAP細胞は真実であった」という結果が出る可能性は、かなりある。もし「真実であった」ということになれば、「ひょうたんから駒」というよりは、もうちょっとマシな結果になるだろう。「災い転じて福となす」というのとはちょっと違うな。「詐欺師の置き土産」みたいな感じとなるかな。
 ま、それはそれで、将来の話題としよう。当面、STAP細胞事件については、これで完結となるだろう。
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 また、実験過程を詳細に検討している、科学コミュニケーターブログさんは、中間報告の資料からTCR再構成があったと判定できる根拠があり、細胞の初期化が起こったのは可能性が高いと判断している。

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科学コミュニケーターブログさん
キメラマウスになった細胞は、本当にSTAP細胞だったのか?
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 科学的発見としては、未知の部分が多い、それが現段階で言えることである。現在、「捏造」を主張している側は、STAP細胞ではなく再生医療に引きずられた、今回の実験の後半部分のSTAP幹細胞の真偽に関心を持っているが、原理からいえばSTAP細胞の後の細胞の一つに再生医療でも使えるSTAP幹細胞があるのであって、大切なのはSTAP細胞のほうである。元の細胞の状態が初期化されても、それがすぐに何にでもなれる幹細胞になるのかどうか、両者の関係は単純ではないだろう。理研も、「体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見」と言っているだけで、それから先の再生医療云々方面の内容は「万能細胞を誘導」と暗示しているだけで標題にも出ていない。

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体細胞の分化状態の記憶を消去し初期化する原理を発見-細胞外刺激による細胞ストレスが高効率に万能細胞を誘導-
背景
ヒトを含めた哺乳類動物の体は、血液細胞、筋肉細胞、神経細胞など多数の種類の細胞(体細胞)で構成されています。しかし、発生をさかのぼると、受精卵にたどり着きます。受精卵が分裂して多様な種類の細胞に変わり、体細胞の種類ごとにそれぞれ個性付けされることを「分化」と言います。体細胞はいったん分化を完了すると、その細胞の種類の記憶(分化状態)は固定されます(図1)。従って、分化した体細胞が、別の種類の細胞へ変化したり(分化転換)、分化を逆転させて受精卵に近い状態(未分化状態)に逆戻りしたりすること(初期化)は通常は起こらないとされています。動物の体細胞で初期化を引き起こすには、未受精卵への核移植(クローン技術[7])や未分化性を促進する転写因子と呼ばれるタンパク質を作らせる遺伝子を細胞へ導入する(iPS細胞技術)など、細胞核の人為的な操作が必要になります(図2)。
一方、植物では、分化状態の固定は必ずしも非可逆的ではないことが知られています。分化したニンジンの細胞をバラバラにして成長因子を加えると、カルス[8]という未分化な細胞の塊を自然と作り、それらは茎や根などを含めたニンジンのすべての構造を作る能力を獲得します。しかし、細胞が置かれている環境(細胞外環境)を変えるだけで未分化な細胞へ初期化することは、動物では起きないと一般に信じられてきました(図2)。小保方研究ユニットリーダーを中心とする共同研究グループは、この通説に反して「特別な環境下では動物細胞でも自発的な初期化が起こりうる」という仮説を立て、その検証に挑みました。

研究手法と成果
小保方研究ユニットリーダーは、まずマウスのリンパ球を用いて、細胞外環境を変えることによる細胞の初期化への影響を解析しました。リンパ球にさまざまな化学物質の刺激や物理的な刺激を加えて、多能性細胞に特異的な遺伝子であるOct4[9]の発現が誘導されるかを詳細に検討しました。なお、解析の効率を上げるため、Oct4遺伝子の発現がオンになると緑色蛍光タンパク質「GFP」が発現して蛍光を発するように遺伝子操作したマウス(Oct4::GFPマウス)のリンパ球を使用しました。
こうした検討過程で、小保方研究ユニットリーダーは酸性の溶液で細胞を刺激することが有効なことを発見しました。リンパ球を30分間ほど酸性(pH5.7)の溶液に入れて培養してから、多能性細胞の維持・増殖に必要な増殖因子であるLIFを含む培養液で培養したところ、7日目に多数のOct4陽性の細胞が出現しました(図3)。酸性溶液処理[10]で多くの細胞が死滅し、7日目に生き残っていた細胞は当初の約5分の1に減りましたが、生存細胞のうち、3分の1から2分の1がOct4陽性でした。ES細胞(胚性幹細胞)[11]やiPS細胞などはサイズの小さい細胞ですが、酸性溶液処理により生み出されたOct4陽性細胞はこれらの細胞よりさらに小さく、数十個が集合して凝集塊を作る性質を持っていました。次にOct4陽性細胞が、分化したリンパ球が初期化されたことで生じたのか、それともサンプルに含まれていた極めて未分化な細胞が酸処理によって選択されたのかについて、詳細な検討を行いました。まず、Oct4陽性細胞の形成過程をライブイメージング法[12]で解析したところ、酸性溶液処理を受けたリンパ球は2日後からOct4を発現し始め(図3)、反対に当初発現していたリンパ球の分化マーカー(CD45)が発現しなくなりました。また、このときリンパ球は縮んで、直径5ミクロン前後の特徴的な小型の細胞に変化しました。(YouTube:リンパ球初期化3日以内)
次に、リンパ球の特性を生かして、遺伝子解析によりOct4陽性細胞を生み出した「元の細胞」を検証しました。リンパ球のうちT細胞は、いったん分化するとT細胞受容体遺伝子に特徴的な組み替えが起こります。これを検出することで、細胞がT細胞に分化したことがあるかどうかが分かります。この解析から、Oct4陽性細胞は、分化したT細胞から酸性溶液処理により生み出されたことが判明しました。

これらのことから、酸性溶液処理により出現したOct4陽性細胞は、一度T細胞に分化した細胞が「初期化」された結果生じたものであることが分かりました。これらのOct4陽性細胞は、Oct4以外にも多能性細胞に特有の多くの遺伝子マーカー(Sox2、 SSEA1、Nanogなど)を発現していました(図3)。また、DNAのメチル化状態もリンパ球型ではなく多能性細胞に特有の型に変化していることが確認されました。
産生されたOct4陽性細胞は、多様な体細胞へ分化する能力も持っていました。分化培養やマウス生体への皮下移植により、外胚葉(神経細胞など)、中胚葉(筋肉細胞など)、内胚葉(腸管上皮など)の組織に分化することを確認しました(図4)。さらに、マウス胚盤胞(着床前胚)に注入してマウスの仮親の子宮に戻すと、全身に注入細胞が寄与したキメラマウス[13](YouTube:100%キメラマウス_STAP細胞)を作成でき、そのマウスからはOct4陽性細胞由来の遺伝子を持つ次世代の子どもが生まれました(図5)。これらの結果は、酸性溶液処理によってリンパ球から産生されたOct4陽性細胞が、生殖細胞を含む体のすべての細胞に分化する能力を持っていることを明確に示しています。小保方研究ユニットリーダーは、このような細胞外刺激による体細胞からの多能性細胞への初期化現象を刺激惹起性多能性獲得(Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency; STAPと略する)、生じた多能性細胞をSTAP細胞と名付けました。
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 理研が1月末に発表した上記発表資料では、少なくとも青字の実験は問題がなかったように見える。攻撃側が集中攻撃したのは、緑色の部分の性質の検証部分と、赤字より後の初期化された細胞が万能細胞として機能し得ると主張した部分である。しかし、STAP細胞が現在の人間が思っているものとはまったく次元が違う細胞の性質や機能の手掛かりであると仮定すれば、緑色以降の後半の部分、つまり今の常識で見たDNAの組み替えの検証方法や再生医療に使えるかどうかなど実は全然問題ではなくなるとも言える。むしろ、実験の中盤以降の「再生医療という金儲けの視点で歪んだ判断」を入れて、今回の実験をデザインしないほうが、「新しい現象」の発見に繋がると思われる。少なくとも、「特別な環境下では動物細胞でも自発的な初期化が起こりうる」という仮説を立証しただけで、実は今までの通説を打破した画期的な実験である。今までの生物関係研究者(天動説)は誰もこんなバカな説(地動説)を認めず、だからこそ小保方氏は孤立していたのである。
 『朝日』『毎日』など親ナチス中国系メディアが主張する「捏造」は、青字の部分、つまり「特別な環境下では動物細胞でも自発的な初期化が起こりうる」という仮説に関する実験が嘘だった場合(していなかった、したが失敗した、できなかった等)の話しで、この部分の実験が本当にされていた、その結果「リンパ球を30分間ほど酸性(pH5.7)の溶液に入れて培養してから、多能性細胞の維持・増殖に必要な増殖因子であるLIFを含む培養液で培養したところ、7日目に多数のOct4陽性の細胞が出現」すれば、今回の論文の基本的発見は支持され、新発見が確定する。再生医療に使えるかどうかは「特別な環境下では動物細胞でも自発的な初期化が起こりうる」仮説とは本来まったく関係がない。再生医療を勝手に付け加えたのは人間の主観、欲望に過ぎない。できたものが何なのかは、今の再生医療というバイアスをかけずに、検証した方がきっと人類史により大きく貢献するだろう。 

 いずれにしても邪悪なメディアの口車に乗せられて小保方氏と理研を攻撃し続けて大損害を受けるのは他ならぬ日本社会自体なのである。人類史を変えるかもしれない発見を自らの手で潰してしまう恥辱を歴史に残すような愚行を犯さないほうがいい。そんなこんなことももう分からなくなっていたとしたら、・・・・。

2.「研究」という価値観
 私自身はいろいろな専門がものにならないので、いつも自分の専門が変わっている。まじめな研究者の世界から見れば、まったくの役立たずである。でも、それは一つのテーマを深く徹底的に極めるのが善で、正解だという価値観で見た場合で、変動の時代には様々な領域の融合が次の可能性を見出すという観点で見れば、ずっとひとつのテーマをしている研究者より、あっちへふらふらこっちへふらふらのいい加減な人のほうが方法としては正しいことになる。「正しさ」は常に相対的で、ある場合には「悪」にすらなる。

 今回、悪魔の使者・偽善メディア『朝日』『毎日』等は、みなさんを以下のような価値観で、徹底的に洗脳しようとした。
1)研究文書は、いかなるミスも許されない、完全無欠な作品でなくてはならない。←論文の説明が違っている、文献表が整っていない等々
2)研究文書は、いかなる形でも他者の資料を利用してはならず、全部オリジナルでなくてはいけない。←コピー&ペースト批判
3)研究文書は、すべて新しい内容でなくてはならない。←写真等の使い回し批判

 建て前としてはそうだが、じつは1)~3)は原理的に不可能で、実は人間にはこんなことはできない。
1)研究文書は、いかなるミスも許されない、完全無欠な作品でなくてはならない。
 研究をしている人なら、誰でも分かることだが、研究文書も、一般のビジネス商品と同じで、同じ製品が多くなれば価値がなくなり、コモディティー化していまう。何もしなくても価値はどんどん低下していく。そんな世界でいったい「完全無欠」「いかなるミスも許されない」というのは何を意味しているのだろうか。そればかりではなく、当然、時間的に前の製品は時間的に後の製品より、品質や機能に問題があるのは自然なことで、だからこそ「進歩」という思想を私たちは信じることができる。研究も同じで、実は何もしなくても新しい研究が出てくれば、前の研究は古くなり、それだけ完全無欠さが失われていく。誰も時間を止めることはできないし、新しい次の製品が出るのを止めることはできない。書式や資料の作り方など、今回重箱の隅をつつき回すような頭の悪さがにじみ出てくるような議論がされていた部分も同じで、今の基準で100年前の論文を見れば、「なんだこの書き方は、バカか」となってしまう。時の試練を受けている論文は、Ciniiでも見られるし国立国会図書館にもいくらでもPDFがある。
 時間の試練に勝てる製品は存在しない。よって、「いかなるミスも許されない、完全無欠な作品でなくてはならない」は原理的に成り立たない。時間が経てば、ミスでなかった部分がミスになり、前の時代に完全だったものは自然に不完全になっていく。今、完全だと自己満足するのは勝手だが、そうした傲慢は歴史を知らない無教養をさらけ出している人間として恥ずかしいふるまいの最たるものだろう。
 そして何より「ミス」「完全無欠」の基準は、時間の経過とともに急速に変わっていく。いくらその時代は全盛だったと言って、1970年代の服を今、得意そうに着ていれば、「なんだこいつは、気違いか」と言われるのと何ら変わらない。文書のスタイルにも定性は存在しない。また、その時代は気狂い扱されても、100年後の世界で評価されるような発見、発明、作品はいくらでもある。地動説しかり、印象派しかり、哲学者のニーチェしかり、大陸移動説しかり・・・。
 また、2)も同じで、研究はゼロからはじまることは不可能である。例えば、実験装置や実験手法はすでに他の誰かが以前に開発したもので、それを使って初めて、つまり先行する業績を「引用(コピー)して」使うことで、初めて研究者は実験ができる。勉強も同じである。私たちが学校で学んでいるのは、すべて先行する時代の誰かの業績やなんらかの伝承を集成したものだからである。
 今回「捏造」と言われた論文などでの言語の引用だけでなく、実はこうした行動や思考の模倣も実は引用(コピー)であり、その議論は1970年代のバルトなどの引用論の新しい展開(引用の織物としての作品)を知っている人なら常識である。2)を唱えた人は、こうした文化の「引用」を否定したことになる。もちろん、文献の引用には手続きがあり、その方法を遵守するのも常識であり、それを博士論文で守らなかったことは規則違反には違いない。しかし、誰が書いても似たような部分(通説、概念説明、方法説明等)、つまり様々な先行業績の「引用」でしか研究ができない部分に関して、そうした部分には実は著作権は存在しない。三平方の定理を今までの方法と同じやり方で説明したとしても、その説明には著作権が認められないのと同じである。私の分野で言えば、「名詞」「動詞」などの通説の説明に著作権がないのと同じである。常識には著作権などない。文化のすべてにオリジナリティーがあるかのように錯覚しているのは、全部を金に換算する、むしろ文明や文化を滅ぼしかねない傲慢な思考の歪みである。文化は、その成員には誰でも学ぶことができるような一種の共通パターンであり、一種のスキーマの総体だからである。「箸の持ち方の著作権」、「鼻紙の使い方の著作権」「日本語の挨拶の著作権」・・・こんなことを言い始めるのは、「金」以外の価値観を持てない後進的大陸性専制国家群の成員と何ら変わらない。
 全部オリジナルなものなど人間の社会にも個人の行動にも存在し得ない。何よりまず、ある自然言語自体がオリジナルではまったくない。全部「引用」されて初めて意味があるものばかりである。
3)の回答は、1)と2)から言えば、分かるだろう。全部、新しいということはありえない。また、同じ機能を持っている部分なら、いろいろなものを使い回ししても別に問題はない。私の使っている言葉も、大半は使い回しである。ただ、今回はある一回限りの実験の証明、証拠として使っていると思われるので、その1回限りの実験の写真が存在しないとすれば、それは明らかな虚偽になる。しかし、私たちの文化、文明は繰り返しによって基本的に成り立っている。研究も同じである。ビジネスも同じである。だから、すべてを新しくすることはその文化、文明や私たちの生活を根底から破壊することになる。3)の洗脳思考の害悪は、実はそうした傲慢な破壊衝動を助長する点で犯罪の温床になり、戦争と暴力の引き金になりかねない。

 では、研究文書の本当の価値は何なのだろうか?それも正解はないだろう。地動説を例に考えてみれば、古代世界での哲学的な説の存在は先駆的な役割を果たしたとされるが、それは現代から見てそう見えるということであって、天動説の提唱者がそれを知っていたかどうかは分からない。

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コペルニクスの地動説
理論
コペルニクスの地動説は、単に天動説の中心を地球から太陽に位置的な変換をしただけのものではない。地動説では、1つの惑星の軌道が他の惑星の軌道を固定している。また、全惑星(地球を含む)の公転半径と公転周期の値が互いに関連しあっている。各惑星の公転半径は、地球の公転半径との比で決定される(実際の距離は、この時代にはまだ分からない)。同様に、地球と各惑星の距離も算出できる。これが、プトレマイオスの天動説との大きな違いである。プトレマイオスの天動説では、どんな形でも、惑星間の距離を測定することはできなかった。また、地動説では各惑星の公転半径、公転周期は、全惑星の値がそれぞれの値と関連しているため、どこかの値が少しでも変わると、全体の体系がすべて崩れてしまう[6]。これも、プトレマイオスの天動説にはない大きな特徴である。この、一部分でもわずかな変更を認めない体系ができあがったことが、コペルニクスにこの説が真実だと確信させた理由だと考える研究者も多い。
コペルニクスの地動説では、惑星は、太陽を中心とする円軌道上を公転する。惑星は太陽から近い順に水星、金星、地球、火星、木星、土星の順である(この時代、天王星や小惑星はまだ発見されていない)。公転周期の短い惑星は太陽から近くなっている。ただし、実際には、単純な円軌道だけでは各惑星の細かい動きの説明がつかず、コペルニクスの著書では、プトレマイオス説でも使われていた離心円が運動の説明に使われた。実際には惑星の軌道が真円ではなく楕円であるため、単純な円では運動の説明がつかなかったためだが、コペルニクスは惑星の運動がいくつかの円運動の合成で説明できると信じていたため、楕円軌道に気付くことはなかった(実際にはコペルニクスの使った値の精度は悪く、どちらにしても楕円軌道を発見することは困難だった)。
コペルニクス後の地動説
コペルニクスの後、地動説に同意する天文学者はなかなか現れなかった。しかし、当時の学者がより古いものを正しいものと考え、新しいものを排除しようとした、というのは若干史実とは異なる。支持者が多く現れなかったのには明確な理由があった。コペルニクスの著書は、どちらかというと理論書に近く、1年の長さは算出することはできても、5つの惑星の動きを完全に計算する方法は記されていなかったからである。計算に必要な値も、著書のあちこちに散らばって記されており、その著書だけで惑星の位置予報を行うのは困難であった。当時の多くの天文学者が欲していたのは、理論書ではなく、表にある数値をあてはめて計算すれば惑星や月齢が計算できるより簡便な星表であった。
その後、1551年に、エラスムス・ラインホルトが、コペルニクス説を取り入れた『プロイセン星表』を作成した。しかし、プトレマイオスの天動説よりも周転円の数が多いために計算が煩雑であり、誤差はプトレマイオス説と大して変わらなかった(実際には、わずかだがプロイセン星表のほうが誤差が小さい)。惑星の位置計算にはそれ以降も天動説に基づいて作られたアルフォンソ星表が並行して使われ続けた。ただし、オーウェン・ギンガリッチは、アルフォンソ星表はこの時代にプロイセン星表に取って代わられたと主張している。
それまで、惑星の位置予報はプトレマイオス説を使用しなければ行えなかった。似た他の方法が考案されたこともあったが、プトレマイオス説をしのぐ精度で予報ができるものは存在しなかった。しかし、コペルニクス説を使用しても、同等以上の精度で惑星の位置予報が行えることが分かったこの時代に、唯一絶対であったプトレマイオス説の絶対性は大きく揺らいだ。
ティコ・ブラーエは、恒星の年周視差が当時の望遠鏡では観測できなかったことから、地球は止まっているものとしたが、太陽は5つの惑星を従えて地球の周りを公転するという折衷案を唱えた。最初に地動説に賛同した職業天文学者は、コペルニクスの直接の弟子レティクスを除けばヨハネス・ケプラーだった。ケプラーはブラーエの共同研究者であり(助手という記述もあるが、ケプラー自身は共同研究者として迎えられた、と主張しており、また、ブラーエ自身がケプラーに送って残っている書簡にも、助手として迎えるという文言はない)、ブラーエの膨大な観測記録から1597年、「宇宙の神秘」を公刊。コペルニクス説に完全に賛同すると主張してコペルニクスを擁護した。これらに追随する形で、ガリレオ・ガリレイもまた地動説を唱えた。
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 コペルニクスの説は、円軌道をとった点で間違っていたが、恒星系を動的システムと見て太陽を中心とした惑星の配列の点では正しかった。後代の引用者たちは、どの方法がより正しく各惑星の動きを計算できるかという方向に進み、惑星の動きは楕円軌道で計算できるとしたケプラーの法則に繋がって、現代社会の理論的基礎のひとつが確定した。ケプラーの法則は、現代でも引用されて用いられている。
 新しい発見とはこうした次の新しい引用を産み出すベクトルの起点のことで、今回のSATP細胞批判に使われているような、それによって全部が変わってしまうという先に述べた洗脳3)のようなものでは全くないということは言えるだろう。

 いずれにしても研究に関して無から有が生まれる虚無から存在が生まれるかのように現代の邪悪なマスコミが喧伝しているのは、まったくの間違いであり、それこそが存在しない事実を言葉で造り上げる「捏造」「詐欺」にほかならない。文明人、文明社会としての日本の見識が今回の問題では大きく問われている。

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小保方論文騒動に武田邦彦が仰天見解 「写真違っていたなら『眠たかったから』と言えばいい」2014/3/14 19:45
武田氏は13日、CBC(中部日本放送)の情報番組「ゴゴスマ-GO GO!Smile!-」で、小保方氏の論文騒動を解説した。その中で、STAP細胞論文の画像転用問題について聞かれると、昔と今の研究者の生活環境の違いを説明し始めた。
武田氏によると、昔の研究者は裕福な家庭環境で育った人が多く、時間的、金銭的にも余裕があったが、今の研究者、特に女性は家事や子育てなどで余裕のない生活を送っている。そのため、「どうしても昔みたいにちゃんと(論文を)書けないんですよ」というのだ。石井亮次アナウンサーに「忙しいということ?」と聞かれると、「忙しいし、色々ある。審査官があれこれ言ってくる。『ここ変えて、次写真ここ入れ替えろ』って一生懸命やっているうちに、だいたい間違えるんです」と語った。
これに納得しない石井アナが「いやいや、論文に載せる写真ってめちゃくちゃ大事でしょう!」と反論すると、「目が霞んでいたんですよ」と驚きの回答。出演者陣はどっと笑ったが、あながち冗談ではないようで「目が霞んでいていいんです。そんなところを厳密にしたら日本の若い人が論文を出せなくなる。国際的にものすごく遅れる」と訴えた。欧米では新発見や学問的な進歩があれば論文が不十分でも評価される傾向にあるといい、そういった観点から武田氏は今回の画像転用をさほど問題視していないようだ。
「20ページはだれが書いても同じ文章になる」
さらに武田氏は、小保方氏が早稲田大学に提出した博士論文で20ページにわたる「コピペ」が指摘されている件についても「全然いいんですよ。第一そんなやつ持ち出すなと。人間は過去までほじくり返したら、色んなことがある」と全く意に介さない。「コピペ」とみられているのは、幹細胞の基礎知識を説明する部分であり、武田氏は「これ著作権がないんですよ。(科学の)事実は誰が書いても同じなんです。だから、彼女の20ページは世界中のだれが書いても同じ文章になる」とする。
科学者の目的は金や利権ではなく「自然現象を明らかにすること」である以上、こうした文章は「人類共通の財産」であるため、引用を示す必要もないというのが、その理由だ。むしろ「アメリカ人が書いたやつを持ってきたほうが、日本人が下手な訳で書くよりいいんです」と、コピペを歓迎する発言まであった。
再現実験については「長い目で見るべき」と話し、論文撤回についても「著者本人が判断すべきで、(周囲が)圧力をかけてはいけない」と主張する。最後に小保方氏が今やるべきことを問われると、「もし写真が間違っていたら、『眠たかったから』と言えばいいんです。小保方さんは、出てこないほうがいいと思いますよ。これだけ誤解がある以上、一般的には『なんだお前は!』ってなるから。『眠たい』なんて言ったってね」と笑いを誘った。
出演者陣は納得していたようだが…
最初は驚いてばかりいた出演者陣も最終的には概ね同意したようだった。だが、リアルタイムで放送を見た人や書き起こしを読んだ人たちからは賛否両論があがっている。
インターネット上では「新たな観点から問題を捉えることができた」「俺は同意出来る部分が多いけどな~」「論文には論文の常識があるってことなんだなたぶん」と理解を示す声がある一方、「明日にも職を追われていいレベルの失言を越えた失言じゃね…」「武田邦彦氏も眠たかったからこういう発言したんですよね?」「そんな無茶苦茶な論理で騙されるのは、アホなタレントだけ」「デタラメな奴がデタラメを擁護している」と厳しい意見もあがっている。
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 武田先生の発言は、先に述べたメディアの悪魔の洗脳教育1)~3)を完全に笑い飛ばした発言で、さすがである。武田先生の発言の意図が理解できなかった人は、もっと一人ひとりにまじめに「勉強」してほしい。謙虚に今までの文化と文明の伝承を学んでほしい。何よりもまず、こうしてお互いに日本語でブログを書いて読めること自体が、それ自体ではまったくオリジナリティーのない言語システムの完全な引用に拠っているのだから。


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