蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

奴隸制国家「日本国」の呪われた毎日2:「死地」に立つ市民

2012年07月29日 | 20110311東北関東大震災と政治
(写真:東京築地警察署で警視庁特高係長中川成夫による拷問で慘殺されたプロレタリア作家・小林多喜二/「日本国」の警察は今も特高憲兵官僚出身者に動かされている)
1.末期症状の「日本国」既得権益階級
 繁栄した国家の最期は、それを構成する市民の能力の衰えによるとも言える。「日本国」の白痴マスコミや蒙昧知識人は、国家=組織=法=物的存在のように、この20年余り喧伝してきたが、全くの謬見と言わざるをえない。国家=人材=精神=能力・知性・スキルであって、国家の衰えはまさに人的資源の枯渇、才能の衰弱を意味する。
 奴隸制国家「日本国」の呪われた毎日1:崩壊を誰も止めることはできない
 前回書いたように「日本国」の人的資源養成は各地の「特権階級」によってすでに途上国レベル以下に落ちており、「日本国」は先進国を維持できる人材を十分に育成できる状態にない。人的資源の枯渇は、発想の硬直化、思考の停止、探求心の衰退を招き、「鷄頭は死ね!!牛後がすべてだ」式の人間と発想が日本社会を支配している。そればかりではなく、「日本国」は法治国家としてももう瀕死の状態にある。

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女性警官に集団セクハラ、服交換やキス強要/大和 
2012年7月28日
 大和署に勤務していた30代の男性警察官4人が今年3月、後輩の20代の女性警察官に大和市内のカラオケ店で服を脱ぐことを強要したり、キスしたりするなど、集団でセクハラ行為をしていたことが27日、県警への取材で分かった。県警は立件を視野に調査を進めるとともに、4人を処分する方針。
 県警監察官室によると、セクハラ行為をしたのは、同署刑事2課の巡査部長(現在・県警暴力団対策課)、交通2課の巡査部長、刑事2課の警部補、刑事1課の巡査長。
 4人は3月上旬の午後、勤務時間外に同市内で飲酒後、カラオケ店に女性警察官を呼び出した。交通2課の巡査部長が女性の頬にキスをしたほか、刑事2課の巡査部長が女性に対し、服を脱いで交通2課の巡査部長の服と交換するよう指示。女性は拒んだが断り切れず、ブラウスとズボンを脱ぎ、交換した。今後の女性の仕事に影響が出ることを示唆する発言があったほか、すでに異動が決まっていた女性を送別会名目で呼び出したという。
 県警のこれまでの調べでは、警部補と巡査長はセクハラ行為に直接関わっていないが、止めることはしなかった。当時、部屋には5人だけだった。
 女性が今年4月に異動となり、新しい上司に申告して発覚。女性は県警の調査に対し「仕事に影響すると思い、従った。後輩の女性警察官たちのためにも許してはならない」という趣旨の話をしているという。被害届は出していない。4人は事実関係を認め「女性に申し訳ないことをした」と話しているという。
 名和振平警務部長は「現段階では立件は難しいとの印象を持っている」とした上で「被害届提出の意思を再度確認する。予断を持たず、立件の可否も含め厳正な調査を継続する」としている。
◆続く不祥事に抗議電話多数
 大和署ではこの1年間、署員の不祥事が続いている。2011年10月、刑事2課の男性警部補(46)=当時=が署内のシャワー室で20歳代の女性署員を盗撮した容疑が発覚。建造物侵入と県迷惑防止条例違反の疑いで書類送検された。翌11月には刑事1課の男性巡査長(29)=同=が無職少女(17)=同=にわいせつな行為をしたとして県青少年育成条例違反の疑いで逮捕された。
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 治安維持や刑事事件を摘発する警察官が、自ら治安の根幹である女性(弱者)に対する暴力禁止規定を率先して破り、、「女性に対する性的暴行」=セクハラをおこなっている。大津事件(注:今後、類似の「特権階級」による隠蔽殺人事件が全国でこれ以上起きないよう、また「特権階級」として地域を荒廃させた加害者、関係者全てが厳しい社会的制裁を受けて「特権階級」としてこれ以上君臨できないようにする意味で、実名、顔写真を公開したページを紹介する)が「いじめ」という名で支配階級によりカムフラージュされた殺人事件であるように、今回の事件も「セクハラ」という名でカムフラージュされた性的暴行事件である。しかも職權を利用して集団で女性を侮辱し暴行(キスだから程度が軽いのでしてもいいというような腐れマスコミの詐言にたぶらかされてはならない、あなたの家族や恋人が被害者だったら・・・自分の立場で考えてみれば分かる)を加えるという、特別公務員による婦女凌虐暴行事件である。
 刑法関連法にも、今回の事件のような行為が犯罪であると明記されている。

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公務員職権濫用罪
 本罪は、刑法193条以下に規定された、公務員が職権を濫用して、またはその職務を行う際に違法な行為をすることを内容とする犯罪(職権濫用の罪)のひとつである。職権濫用の罪の保護法益には、公務の公正さに対する信用という国家的法益と、職務濫用行為をされた相手方の行動の自由という個人的法益との両面があるとされているが、刑法学界においては、個人的法益の側面が重視される傾向にある。
 また、職権濫用の罪は、犯罪の性質上、検察官が起訴を不当に怠る場合が生じる可能性が高いため、検察官の起訴独占主義の例外として、裁判所の決定により審判に付する手続である準起訴手続が適用される(刑事訴訟法262条)。
「職権濫用」の意義
 公務員による職権濫用というためには、当該公務員が一般的職務権限(職権)を有していなければならない。判例によると、本罪でいう「職権」とは、必ずしも法律上の強制力を伴うものであることを要せず、それが濫用された場合、職権行使の相手方に義務のないことを行わせたり、行うべき権利を妨害するに足りる権限であれば十分であるとされる(最高裁判所第二小法廷昭和57年1月28日決定刑集36巻1号1頁)。
 「濫用」とは、当該公務員の職権の範囲内にある事項につき、「実質的、具体的に違法、不当な行為」をすることをいう。
一般的職務権限に属さない事項につき人に義務のないことを行わせた場合等は、強要罪の問題となる。
法定刑 [編集]法定刑は、2年以下の懲役又は禁錮である。
特殊な類型
 公務員の職権濫用行為を内容とする犯罪は、公務員職権濫用罪以外にも刑法その他の法律に規定されている。
刑法における職権濫用の罪
特別公務員職権濫用罪(刑法194条)
裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者がその職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、6か月以上10年以下の懲役又は禁錮に処せられる。
特別公務員暴行陵虐罪(刑法195条)
裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者が、その職務を行うに当たり、被告人、被疑者その他の者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときは、7年以下の懲役又は禁錮に処せられる(刑法195条1項)。また、法令により拘禁された者を看守し又は護送する者がその拘禁された者に対して暴行又は陵辱若しくは加虐の行為をしたときも、第1項の罪と同様である(刑法195条2項)。
特別公務員職権濫用等致死傷罪(刑法196条)
刑法194条又は195条の犯罪を犯し、よって人を死傷させた者は、傷害の罪と比較して、重い刑により処断される(結果的加重犯)。すなわち、致傷については職権濫用罪又は暴行陵虐罪と傷害罪の法定刑を比べ、致死については職権濫用罪又は暴行陵虐罪と傷害致死罪の法定刑を比べ、下限・上限ともに重いほうを選ぶということである。具体的には、職権濫用致傷・拘禁者への暴行陵虐致傷の場合は「6月以上15年以下の懲役」、その他の暴行陵虐致傷の場合は「1月以上15年以下の懲役」、職権濫用致死・暴行陵虐致死の場合は「3年以上の有期懲役」となる。
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 市民で、この署の関係警察官4名を以下の罪で刑事告発するのが相当であろう。

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特別公務員職権濫用罪(刑法194条)
 裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者がその職権を濫用して、人を逮捕し、又は監禁したときは、6か月以上10年以下の懲役又は禁錮に処せられる。
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 勤務時間外であり、女性警察官を職務外の目的で呼びだしたのは、明らかに「職権を濫用」である。また、女性警察官を密室に呼びだしたのは「監禁」に相当する。いつから「日本国」はかの隣国と同じようになったのか?前回書いたように、「いじめ」や対教師などの校内暴力激化の背景には校外の権力関係(、朝鮮人、政治家、地域の財界、権力者)が学校に入り込み、その人間関係に支配された教員と生徒が、率先して弱者に対する暴力(おとなしいまじめな生徒、地味な教員、女性徒や女性教員)をふるう構造がある。
 今回はたまたま4名が明るみに出たに過ぎないが、大津殺人事件と同じ構造があるとすれば、神奈川県の公務員には、人間関係で法律を曲げたり、不法行為を隠蔽する腐敗体質が癌のように広がっていると見るのが自然である。

 警察のような上下関係の厳しい社会では、犯人の最下級公務員・巡査部長や巡査長は、30代で組織内でのヒエラルキーは低いため、上司が類似の行為をしていても罸せられないのを見て、模倣してやっていた可能性が高い。そうでない場合は、犯人の中に大津事件のような「特権階級(上部や外部の暴力権力組織との人間関係で保護されている特別待遇者)」がいた可能性が高い。や朝鮮人団体あるいは暴力団などとの特別な関係も考えられる。「上司の模倣」か「特権階級」か、日本的組織犯罪の特徴はこうした類型を常に考えるのが自然である。そして、大津殺人事件のように、こうした構造犯罪には「常習化」が必ず付隨する。女性職員についてこんな暴行目的の呼び出しを、神奈川県警や行政組織でも日常的に行っていた可能性すらある。神奈川県警は、女性に対する性的暴行を常習的に行っている犯罪組織と言わざるをえないであろう。

 いずれにしても最下級公務員(巡査部長・巡査長)が、職權を濫用して女性を凌虐し暴行を加えたことは、非常に深刻な腐敗の広がりを暗示している。公務員のヒエラルキー関係から考えると、こうした婦女暴行凌虐行為が神奈川県警ひいては神奈川県の公務員全体で常習化しており、神奈川県の公務員組織は職権濫用セクハラ集団=暴力団=特権階級と化していると言っても過言ではない。神奈川県関係のニュースで見れば、腐敗の根は上層部は元より最下級公務員(警官、教師、自治体職員)にまで広がっていると考えられる。

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女性にセクハラ、男性職員を停職3カ月の懲戒処分/大和市2011年5月17日
 大和市は17日、女性職員にセクハラ行為を繰り返していたとして、収集業務課の男性職員(39)を、停職3カ月の懲戒処分とした。
 人財課によると、男性職員は、みどり公園課公園管理事務所に所属していた昨年5月~ことし1月まで、同じ職場の女性職員に対して下品な声をかけるなどのセクハラ行為をし、女性職員から注意を受けた後は仕事上の嫌がらせをしていたという。
 市は、男性職員の上司にあたる事務所所長(56)も職場環境の改善を怠ったとして戒告処分とした。
(以下、類似の事件が多数)
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 法律を社会に適用する専門家として雇用されている公務員が公然と法律を破り、自らの義務を放棄して、犯罪をおこなう。しかも、人間関係を理由にして、こうした不法はまったく法的に告発されないで、内部処分のままである。これを「特権階級」と呼ばずに、どこに「特権階級」がいるのか?すでに「日本国」は、中華人民共和国や北朝鮮と同じレベルだろう。まさに奴隸制国家である。

 そして、この問題の大きさは道義、正義の維持の困難にとどまらない。公務員の腐敗は、適正な競争の条件がないことから起こっている。つまり、大津事件と同様に、人間関係ですべてが左右され、決まった人間関係以外の市民はそこから排除される腐敗構造が神奈川県にひろがっているのである。こんな状態で、地域の活力が生まれるわけがなく、次世代を担う若者が育つわけもない。個人の努力や工夫を越えて、「全てが最初からもう決まっている」身分制奴隷社会になってしまっているのである。
 絶望的なことに同じ事件は全国で起こっている。つまり同じ腐敗構造は「日本国」の公務員全体、しかも上部から末端まですべてに「社会の癌」として、「共同体の死に至る病」として広がっているのである。

 「いつものことだ」「そんなこと私には関係ない」・・・果たしてそうだろうか?「日本国の衰退」と、身近な日常的な事件は、実は密接な関係にある。市民がそれに気づかないから、「日本国」は衰退し続け、崩壊し始めているのである。

 さらに、事件の悪質さから言えば、1930年代、腐敗軍人の権力を嵩に着て、日本国民への暴行凌虐をほしいままにした、特高警察や憲兵隊のような公権力暴力の前兆が、この事件なのである。日本だけに見られるSM系AVの起源は、戦前の特高警察や憲兵隊が日本人女性などに権力の名を語って個人的に行っていた性的暴行、性的拷問にあると言われている。実は、腐敗軍人が今も恩給をもらって悠々自適で暮らしているように、特高警察や憲兵隊は、戦後も摘発されず、戦後の警察でも幹部として君臨していた。今回の事件はそこから来ていると考えても不思議ではない。今回の事件の加害者は、「先輩」が特高警察や憲兵隊から、こうした暴行の習慣を受け継いだことから、同じ事をしたのである。ただの推測ではない。歴史的事実が神奈川県に残っている。被害者の証言が残っている。
 神奈川県警特高の拷問の実態

 堤防が小さな穴から决壞するように、今後、あなたの家族や恋人に同じことが起こるとしたら・・・、自分の市民生活を守りたいなら、今まだ可能な中に徹底的にこうした警察官の暴力を摘発し、関係者と関係組織に徹底した社会的制裁を加えるべきだろう。防ぐのは今である。攻撃は最大の防御である。

(追記)
 「まじめな警察官も多い、警察を批判するこの反日野郎!!」と思われた読者も多いであろう。しかし、公権力の暴力=白色テロ=独裁政治=虐殺、惨殺という構造は、ナチス・ドイツ、ソビエト、中国、台湾の歴史を見れば明らかである。日本帝国にも同じ構造があった。戦後、特高、憲兵官僚は多数が国会議員として、戦後の日本社会を支配してきた。この事実を隠蔽するのは、語り手に何か隠された動機(人間関係、利権)があると見るしかないだろう。「真摯」な市民のみなさんには事実を正視していただきたい。
 国会議員になった特高官僚の名は?
 白痴メディアにたぶらかされて私達は騙されていたが、「日本国」の警察や行政は、腐れ蛆・特高、憲兵出身のサディスト、殺人狂、SM狂が支配する呪われた組織だったのである。
 田中楢一
 なお、こうした品性の腐敗は当然、自衛隊にも及んでいる。
 2007.07.20 目の前で一つのブログが消された!
 セクハラ天国の自衛隊―女性自衛官の7.4%が強姦・強姦未遂、18.7%が性的関係強要の被害
 そのうち世界中で、日本人男性=拷問SM狂という評価で、「人類外の存在」と見なされる日は遠くないかもしれない。

2.真摯さを失ったマネージャーは組織の癌
 なぜ日常的な事件は、社会全体の崩壊に繋がるのか?理由のひとつはドラッカーが教えてくれている。

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ドラッカーの言う「真摯さ」とは何かを考えてみた
■「真摯さ」が何か、よく分からなかった
 僕がバカだからというのがあるんですが(苦笑)、この本を最後まで読んで思ったのは、「真摯さ」の意味がよくわからなかったということ。以下は、本の中で引用されたドラッカーの言葉です。
 "(マネジャーには)根本的な素質が必要である。真摯さである。"
 "うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりはしない。このような素質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきがいがよかろうと、またいかに有能であって聡明であろうと危険である。そのような者は、マネジャーとしても、紳士としても失格である。"
 "真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。それはまず、人事に関する決定において象徴的に表れる。真摯さは、とってつけるわけにはいかない。すでに身につけていなければならない。ごまかしがきかない。ともに働く者、特に部下に対しては、真摯であるかどうかは二、三週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。彼らはそのような者をマネジャーに選ぶことを許さない。"
 「真摯」という言葉をヤフーの辞書検索(大辞林)で調べると、「まじめで熱心なこと」と出てきました。よく「皆様のお言葉を真摯に受け止め……」という言い方をしますので、「まじめ」とか「純粋」とか、そういう意味かなと前々から思っていました。しかし、「まじめ」という意味だけだと、ストーリー終盤の展開(「真摯さ」とは何か、ということがキーワードとなっています。ネタバレしたくないので、あまり書けませんが)の中で、「本当に主人公は真摯さというものが分かったのか」がよく分かりませんでしたし、「態度が悪かったら真摯じゃないのでは」と思っていました。
 ドラッカーの言う「真摯さ」とは、どういうものなのでしょう。
 ■原文では、何と書かれているか
 ここで知りたくなったのは、原文(英文)では何という単語で書かれているか。和訳しているせいで伝わりにくい部分もあるのかな、と思ったので。そこで、原書を持っているわけではないので、グーグル先生のお力を借りて調べました。その結果、「integrity」という単語が「真摯さ」と訳されていることが分かりました。
 "They may forgive a person for a great deal: incompetence, ignorance, insecurity, or bad manners. But they will not forgive a lack of integrity in that person.(無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない)"
 integrityをヤフーの辞書(プログレッシブ英和中辞典)で調べると、「正直、誠実、高潔、廉直」という、やはりそうかといった訳が出てきました。英和ではなく、英英辞書(Longman)で調べたところ、以下のような説明が出てきました。
 "the quality of being honest and strong about what you believe to be right"
 (あなたが「正しい」と信じていることに関する正直さと強さの質)
 自分がこうだと思っている信念は決して嘘や偽りがない(心から思っている)ことで、時と場所によって考えが変わることもない、といったところでしょうか。
 つまり、integrityとは、「正直さ」や「誠実さ」が一貫している、という意味なのではないかと考えました。
 どれだけ態度が悪くとも、固い信念をもって仕事に取り組む人の方が、他人の顔色を伺ってばかりで自分の信念など持っていない八方美人な人より素晴らしい、ということなのかもしれません。
 八方美人のような「正直さ」に欠ける人は問題ですが、逆に正直だけど「誠実さ」に欠ける人も問題だと思います。例えば、誠実さに欠ける医者から「あなたはガンです。今後は闘病生活です」とストレートに告知されたら、その患者さんの落ち込み方は半端じゃないですから。誠実さを持っていれば、もう少し言い方を考えて、患者さんの精神的なダメージを抑えるような伝え方ができるわけですし。
調べて、考えた結果、「一貫した正直さ」と「一貫した誠実さ」を持って仕事(組織)に貢献することが「真摯さ」なのだと思いました。そう考えると、ストーリー終盤の展開も納得できました。
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 実は、以上のブログ記事を書いた「It’s Party Time!」さんの行動が「真摯さ」なのである。当たり前のことだが、「真摯さ」って何と思ったら、それについて探求してみる、何かわかったらそれを形にしてみる、「真摯さ」とはそうした行動の連続のことである。目にするもの、経験するもの、日常的なものに疑問を持ち、なぜ、どうしてと探求してみる、それがすべての新しい挑戦への始まりだからである。
 ドラッカーは20世紀後半の社会を「知識社会」と初めて定義した研究者で、経営学者というより社会哲学者である。「知識社会」における「真摯さ」=探求心(疑問+解決への誠実な努力+結果の表現)、まさに創造的革新の一番基本になる点ではないだろうか?

 ドラッカーが練習や学習では身につけられないマネージャーの資質を「真摯さ(Integrity)」と書いたのは、すばらしい名言だと思う。ドラッカーは著書の到るところで、日本の明治時代のすばらしさを「奇跡」と書いているので、「真摯さ(Integrity)」が最も大切な資質だとしたのは、明治維新で倒れた志士たちを念頭に置いていたのかもしれない。
 「真摯さ(Integrity)」について「もしドラ」では、「ひたむきさ」と解釈していた。野球への各メンバーの「ひたむきさ」がストーリーになっていた。同時に、「ひたむきさ」は、「野球とは何?」「メンバーの野球とは何?」と次々に疑問の輪を広げ、探究の連鎖を生みだした。それが協力者を広げ、メンバーの誤解を昇華し・・・、ドラッカーがマネージャーの天賦の資質と言ったのは、「真摯さ」が全ての始まりになるからである。

 こうした「真摯さ」の反対は何か?そう考えてみるのもおもしろい。「日本国」の支配階級には「真摯さ」の反対の事例が溢れている。何も考えずに先輩の行動を疑わず、自分の行動の結果も想像できずに、ただ豚(豚さん、ごめんなさい、もっといい比喩はないか、あなたのほうが神奈川県警の公務員などくらべものにならないぐらい真摯だ。台湾では「豬八戒」を色魔の比喩としている。)のように自分の欲望の満足だけで生きている先程書いた品性下劣な最下等公務員の刑事部長、巡査長+警部補等(下等動物!!(注)溜まった事件を無視してカラオケに入り浸り、職権を濫用して女性に暴行をはたらく無能白痴の意味)の性犯罪がまさにそうであり、自己の利益のために1万年を越える日本列島の人間の歴史に、回復不可能な放射性物質汚染を惹起した「日本国」の政治家、官僚、経営者がそうであり、それを弁護しているジャーナリストがそうである。

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「脱原発デモ」の意味を理解していない野田首相
 16日に開かれた「さようなら原発10万人集会」は、広い代々木公園を埋め尽くした。毎週金曜日に行われている首相官邸への抗議行動は回を重ねるたびに参加者が増え続けているという。
 今回のデモや集会は、政党や団体が開催しているものではない。ネットを通じて自発的に集まった人たちだ。自発的に参集した人たちの熱意とエネルギーは、動員された人たちのそれと比べて、優に10倍の強さがあるだろう。
 16日の集会は、作家の大江健三郎氏や音楽家の坂本龍一氏が呼びかけたという。呼びかけた人が信頼できる人だと安心して出掛ける人も多くなるはずだ。老婆心ながら、参加者数の「主催者発表」は必要ない。参加者数ばかり気にしているような誤解を与える。メディアにでも推定させればよいだろう。
 脱原発運動が水量を増しているのは、その中核に、今まで原発に無関心だった人、黙認、容認してきた人などがいるからだ。そんな人たちの反省、後悔が一段と大きな広がりをもたらしている。
拡大化する「脱原発デモ」にも
“事なかれ主義”な野田首相
 さて、野田佳彦首相は、官邸を囲む大きな抗議の声を耳にして「大きな音ですね」とつぶやいたと伝えられた。いくらなんでもこれは何らかの誤解か聞き間違いであると思いたい。
 これに懲りたか、その後首相は「しっかりと受け止めたい」と発言した。いかにも事なかれ主義の空虚な言葉で、心に響くものがない。
 首相は、ごくふつうの人がデモや集会に立ち上がっている深刻な事態の本質を全く理解していない。
「若い人の考えが反映されない世の中になっている気がする。変えるにはこれしかない」
 これは16日の集会に参加した人の言葉である(17日毎日新聞)
 この言葉は事態の本質を語っている。
 要するに、政治に任せておけば、間違った方向に誘導されるという強い不信感が根底にある。歴史が示すように、直接民主主義が発動されるのは、間接民主主義が機能不全に陥ったとき。国会を通じて意向を反映することができなくなったとき、人々はたまりかねて街頭に出たり、広場に集まる。その意味ではアラブのデモと本質的には違わない。
“声なき声”に耳が傾けられない今、
間接民主主義がかつてない危機に
 私は60年安保当時、大学2年生。20歳そこそこの学生たちが、ときの政権と真っ向から対峙した。だが運動の背景には、日本の社会主義革命を志向する極左勢力があった。だから岸信介首相は「私は“声なき声”に耳を傾ける」と言って、安保改定を強行したが、岸発言にも一理はあった。
 しかし、今回は疑いなくその“声なき声”が声を出して立ち上がっているのだ。もっと端的に言えば、自民党に失望して民主党に期待した人たちの声だと考えてよい。民主党の支持者たちが、米国にも官僚にも財界にも自分の意見を言うことができず、平気で公約違反をする首相に強く抗議して立ち上がっている。
 私も官邸中枢の政策決定に少なからず関与した経験があるが、首相が米国、官僚、財界の言いなりになっていれば、日々是好日である。本丸の中さえ平穏であれば、外堀の向こうをむしろ旗が取り囲んでいても眺めていればよいからだ。
 最近、首相は「増税の前にやるべきことがある」という党内外の抗議に対して、そういう姿勢が逆に問題解決を遅らせてきたと発言した。
 これこそ語るに落ちた話ではないか。ガソリン漏れを直さないで給油しようとするから反対されるのだ。首相は「消費税増税はシロアリ退治をした後の仕事」という自分の最優先の公約に戻るべきだ。そうでなければ、自らシロアリと化していることになる。
 政権交代当時の民主党代表であり首相であった鳩山由紀夫氏は、マニフェストの最終責任者であり最高判定者。その彼が「野田首相は公約と真逆のことをしている」と怒っている。
 それでは何のための選挙なのか。何のための公約なのか。議会政治(間接民主主義)の正当性がかつてない危機に直面しているのである。
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 この記事は二重に今の「日本国」に「真摯」さが欠けている証拠だと思われる。まず、私は「ダイヤモンド」誌の最近の論調は比較的支持しているが、以上のような評論家を登用するのはいただけない。民主党はもともと人間関係だけで動いている政党なので、民主主義的「公約」などないのだから「公約」を実施していないという批判の論点はまったく呆けていて、論自体が老人性癡呆症のようだ。「真摯」な人なら、自ら「告老(引退)」するだろう。批判するなら、もっと「真摯に」、それこそ命がけで書いてほしい。評論家の意地があるなら、「真摯に」原発族の利権構造を摘発すべきだ。当然、政治家と原発利権との関係も具体的に書けるはずだ。それを書かないのは「ジャーナリズム」の死である。生活のため、人間関係のためにジャーナリストをするのは、職務命令で婦女暴行をする下等な警官と同じだ。
 三権力(立法、司法、行政)に反抗する第四の権力=ジャーナリズムである以上、鋭さ(取材、分析の真摯さ)がないジャーナリズムはすでに死んでいる。呆けは「真摯」さの欠如のもっとも端的な例である。
 やはりフリーで必死に活動しているジャーナリストを応援すべきであろう。
 烏賀陽弘道:報道の脳死

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鉛板、原発構内に投棄させる 役員が指示 被曝隠し問題2012年7月22日(日)03:19
 東京電力福島第一原発の復旧工事を下請けしたビルドアップ(福島県)の役員(54)が、作業員の被曝(ひばく)線量を少なく見せるために線量計「APD」を鉛カバーで覆って作業させた後、原発構内に鉛カバーをすべて投棄させていたことがわかった。厚生労働省は、本当の被曝線量を調べるには現物の鉛カバーで放射線の遮蔽(しゃへい)効果を確かめる必要があるとして回収を目指す。
 ビルド社の役員が21日、和田孝社長に説明したところによると、役員は昨年11月、工事現場である原発1号機西側の高台を下見した際に、高い線量を感知してAPDの警報音が鳴ったのに驚き、実際の工事では鉛カバーでAPDを覆うことを決意。作業員9人が約3時間、鉛カバーを着けて資材を運ぶなどの作業をしたとしている。
 作業員の一人によると、現場の線量は思ったほど高くなかったため、鉛カバーは1回装着した後は使うのをやめ、原発構内にあるビルド社専用の車の中に隠していた。その後、役員が「ばれたらおおごとだから捨てよう」と投棄を指示したという。
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 捏造は「真摯」の最大の敵のひとつである。今までのデータは全部デタラメだったことがこの証言から分かる。核反応装置の放射線量も、こうして偽装されている可能性が高い。
 1930年代拷問をほしいままにしていた特高、憲兵の犠牲になったのは、こうした過酷な奴隷的現場で働いていた労働者とそれを守ろうとした知識人市民である。
 プロレタリア文学
 多くの市民が特高、憲兵の拷問、暴力、性的暴行で死に至らしめられた。しかも、特高、憲兵は戦後も名目上は公職追放されたが、恩給生活でのうのうと生き続け、戦後の警察にも計り知れない悪影響を与えている。
 大津殺人事件の加害者グループの背後にも似た背景を想定した方がいいかもしれない。
 告発 戦後の特高官僚 反動潮流の源泉 柳河瀬精著
 憲兵・軍規
 言論の自由を失った社会の恐ろしさ
 MENU 「ちあんいじほう」って?
 「日本国」警察には無能軍事官僚と同じ、「品性下劣」漢の”輝かしい”伝統がある。あなたはこんな下等動物のために税金を払い続けるのか?人間関係だけで生きている下等警官を処罰しなければ、告発した女性警官のような「真摯」な警察官を殺してしまうことになる。

 もう一つ困るのは「生半可」という点だろう。これは気がつかないうちに陥りやすい、誰でもはまる罠である。
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其の7「死地に陥れて、然る後に生く」(孫子の「兵法」)
やる気のない部下をやる気にさせる
 野田首相が消費税増税にひた走っている。民主党内から、小沢一郎グループを中心に反対論が巻き起こり、何人もの議員が離党した。そんなことにもお構いなしだ。
 今まで増税をして選挙で勝った政党はないから、離党する議員は次の選挙で落選したくないという思いが強いのではと勘繰る向きもあるが、いずれにしても小泉さんのように「民主党をぶっこわす!」とは言わないが、今にも壊れそうなことだけは事実だ。
(中略)
「死地」に追いやる
 さて野田首相のことだ。この人、「どじょう」だとか何とか言っていたが、私から見ると、意外にリーダシップがあるじゃないかと見える。
 今までの首相は、思いつきの行動ばかりで一貫性がなかった。野田首相だけは、消費税を上げると言って代表選に登場し、その公約通りに突き進んでいる。最近は、「ネバー、ネバー、ネバー、ネバーギブアップ」というチャーチルの言葉をパクって、自分の決意を伝えようとしている。
 野田首相は、民主党の議員を孫子の言う「死地」に追いやっているのではないだろうか。
 孫子の「兵法」、九地篇に戦いの場所について、そしてそこでの戦い方についての説明がある。そこに「死地」が登場してくる。これは力の限り戦わなければ、滅亡するという戦場のことだ。
 戦いに勝つ秘訣を孫子は「これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。それ衆は害に陥りて然る後によく勝敗を為す」ことだと言う。
 軍隊は滅亡するような状況、死んでしまうような状況に陥れてこそ、死に物狂いで戦い、生き延びるもので、兵士と言うのは、そういう危難に陥って、初めて勝敗を決する戦いをするものなのだと言う。この戦法で有名なのは、漢の高祖劉邦に仕えた戦略家の韓信の「背水の陣」だ。たった1万の兵士で20万の趙軍を相手に、河を背にした陣を敷き、兵士に引きさがることを許さない戦いをし、見事に趙軍を破った。
 野田首相の今回の消費税にかける戦いは、民主党を「死地」に追い込むことで、本気で戦わせ、活路を見いだそうとしているように思える。消費税増税という「死地」に追い込まれた民主党は、今、死に物狂いで野党と、世間と戦わねばならない。その中で党としての一体感も生まれる可能性がある。これが上手く成功すれば、野田首相はリーダーシップのある人物ということになるだろう。
(以下略)
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 「リーダーシップを磨かねばならない」という結論は当然だ。しかし、問題は磨き方だろう。私もネットで書いていると原典にあたっていない時がかなり多い。専門ではないものが大半だからだ。実は、「死地に陥れて、然る後に生く」もそうである。日本では以上の記事のように、「軍隊は滅亡するような状況、死んでしまうような状況に陥れてこそ、死に物狂いで戦い、生き延びるもので、兵士と言うのは、そういう危難に陥って、初めて勝敗を決する戦いをするものなのだ」という精神論的解釈が常識として、いたるところで使われている。果たしてそうなのか?私も前は疑っていなかった。しかし、この記事が野田のことを書いたので、「え!」と思ってしまった。
 元もとまったく関係のない「背水の陣」を勝手に「死地」の解釈に使っているだけではないだろうか?「野田」や腐敗支配階級が「背水の陣」なのは分かる。税金がなければ腐敗公務員組織と奴隸制国家「日本国」の制度は維持できないからだ(2012年は公務員人件費は最低24兆円、隠れた必要経費は計算できない。しかし、税収は30兆円前後しかない)。
 しかし、最下級指揮官ですらない一般の社員、チームメンバーは?立場が全然違うものに使えるのか?道理に反していないか?

 「死地」を『孫子』で調べて見て、先ほどの記事を職業として書いている日本人知識マネージャー=ジャーナリスト、評論家の「生半可」が大変な失敗に繋がっていることが分かった。孫子は「死地」を何回も使っていたのだ。原典で見ると、二つの篇に合計7回出ている。当たり前のことだが、「真摯」な読み手は全部の例を考えて、語の意味を定義する。知識労働では一番基本的な技術である。学校の知識、伝聞、二次資料、メディアのニュースなど他人の情報で知っていると思ったことは、実は、完全に間違っていることが多い。だから、いつも原典、現場、当事者に確認していくのは、知識の信頼性、情報の確実性を保証する上で一番大切な基本なのである。「既知」「怠慢」は「真摯」の最大の敵、最悪の罠なのである。

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九變篇第八
  孫子曰:凡用兵之法,將受命于君,合軍聚眾;圮地無舍,衢地合交,絕地無留,圍地則謀,死地則戰,途有所不由,軍有所不擊,城有所不攻,地有所不爭,君命有所不受。故將通于九變之利者,知用兵矣。將不通于九變之利者,雖知地形,不能得地之利矣。治兵不知九變之術,雖知地利,不能得人之用矣。(以下略)
九地篇第十一
  孫子曰:用兵之法,有散地,有輕地,有爭地,有交地,有衢地,有重地,有圮地,有圍地,有死地。諸侯自戰其地者,為散地。入人之地而不深者,為輕地。我得則利,彼得亦利者,為爭地。我可以往,彼可以來者,為交地。諸侯之地三屬,先至而得天下之眾者,為衢地。入人之地深,背城邑多者,為重地。山林、險阻、沮澤,凡難行之道者,為圮地。所由入者隘,所從歸者迂,彼寡可以擊吾之眾者,為圍地。疾戰則存,不疾戰則亡者,為死地。是故散地則無戰,輕地則無止,爭地則無攻,交地則無絕,衢地則合交,重地則掠,圮地則行,圍地則謀,死地則戰。(中略)
  將軍之事,靜以幽,正以治,能愚士卒之耳目,使之無知。易其事,革其謀,使人無識,易其居,迂其途,使人不得慮。帥與之期,如登高而去其梯,帥與之深,入諸侯之地而發其機。若驅群羊,驅而往,驅而來,莫知所之。聚三軍之眾,投之于險,此將軍之事也。九地之變,屈伸之利,人情之理,不可不察也。
  凡為客之道,深則專,淺則散;去國越境而師者,絕地也;四達者,衢地也;入深者,重地也;入淺者,輕地也;背固前隘者,圍地也;無所往者,死地也。是故散地吾將一其志,輕地吾將使之屬,爭地吾將趨其後,交地吾將謹其守,衢地吾將固其結,重地吾將繼其食,圮地吾將進其途,圍地吾將塞其闕,死地吾將示之以不活。故兵之情,圍則禦,不得已則鬥,逼則從。
  是故不知諸侯之謀者,不能預交,不知山林險阻沮澤之形者,不能行軍,不用鄉導者,不能得地利,此三者不知一,非霸王之兵也。夫霸王之兵,伐大國則其眾不得聚,威加于敵,則其交不得合。是故不爭天下之交,不養天下之權,信己之私,威加于敵,故其城可拔,其國可墮。施無法之賞,懸無政之令,犯三軍之眾,若使一人。犯之以事,勿告以言;犯之以利,勿告以害;投之亡地然後存,陷之死地然後生。夫眾陷于害,然後能為勝敗,故為兵之事,在于順詳敵之意,併力一向,千里殺將,是謂巧能成事。(以下略)
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 興味のある方は、原典の注釈をいくつかお読みいただくとよい。「死地」の解釈は、全体の解釈につながる。だから解釈は多様な解釈が可能で、決してひとつではない。ただ、大事なことは全体を読んで部分を知るという原則である。今の日本人のように「九地篇第十一」の最後の一例で「死地」の定義をするのは知識労働としては最悪の邪道であり、一番やってはいけない「捏造」なのである。紙数も尽きたので、ここでは「九變篇第八」を読んでみることにする。
 孫子は、「死地」を将軍=指揮官=マネージャーの知るべき「九変」の一つとしている。書き下し文で見ると、

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孫子曰く
凡そ兵を用ふるの法、将、君に命を受け、兵を合はせ衆を聚(あつ)む。
圮地(ひち)には舎する勿れ、衢地(くち)には交を合はし、絶地(ぜっち)には留まる無かれ、囲地(いち)には則ち謀り、死地には則ち戦ふ。
途(みち)に由らざる所有り、軍に撃たざる所有り、城に攻めざる所有り、地に争はざる所有り、君命に受けざる所有り。
故に将、九変の利に通ずる者は、兵を用ふるを知り、将、九変の利に通ぜざる者は、地形を知ると雖も、地の利を得る能はず、兵を治めて九変の術を知らざれば、五利を知ると雖も、人の用を得る能はず。
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 1)圮地、2)衢地、3)絶地、4)囲地、5)死地に加えて、5つの「有所不」がある。これでは、十になってしまう。九変とは戦時に偶然に起こる緊急事態と考えると、「凡用兵之法,將受命于君,合軍聚眾;圮地無舍」は、戦闘前なので、区切れを変えて、「合軍聚眾、圮地無舍。」までを一文とする。以後はいつ戦闘があってもおかしくない場所が4つ、2)衢地、3)絶地、4)囲地、5)死地)に加えて、指揮官としていつも起こる5つの「有所不(するかしないか決断を迫られるケース)」がある。こう考えると、「死地」は四つの必ず戦闘になる場所のひとつである。ここで分かるのは、このぐらいである。
 実は、後半の「九地篇第十一」全体の「有散地,有輕地,有爭地,有交地,有衢地,有重地,有圮地,有圍地,有死地。」に関係しているので、戦闘の起こる9地点のひとつとして「死地」は読まなくてはならない。また、紙幅の関係で省略した「九變篇第八」の後半はまさにマネージャー論だったので、次回に、さらに読んでみることにしたい。
 なお現行の注釈は山鹿素行のものがベースになっているようで、上に引用した訓読文はかなり原文を書き換えてしまっている。それが、山鹿素行を聖書にしていた前大戦の無能軍事官僚の無能な作戦、指揮にも繋がっている。日本人の誤読の歴史は長く、禍根は極めて大きいと言わざるをえない。
 なぜ「日本国」は衰退するのか2ー2:奴隸制社会を支配する無能なキャリア

 つねに「真摯」であれ!!日本人の姿勢を常に支持してくれたドラッカーは、今、こう語りかけてくれている。 


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