日中歴史共同研究 南京攻略によせて 東中野修道氏 史実 どう考えるのか

2010年02月11日 | news
日中歴史共同研究 南京攻略によせて 東中野修道氏 史実 どう考えるのか
2010.2.9 07:45

 日中両国の有識者による歴史共同研究委員会が初の報告書を出した。昭和12(1937)年の南京占領の犠牲者数について、日本側は2万人、4万人、20万人以上、中国側は30万人以上という数字を挙げている。本稿では忘れられた基本的な史実を示す。これらはどう考えればよいのであろうか。

 南京の市民は陥落前に命令により、ほぼすべての市民が安全地帯に避難していた。その人数について、陥落前、南京の警察庁長官は20万人と公表し、南京に残留した欧米人も、陥落直前の12月12日、20万人と記していた。

 20万人、30万人の市民虐殺ならば陥落後の人口はゼロとなるはずだが、欧米人は陥落10日後も20万人、1カ月後は25万人と記録していた。30万人の虐殺はありえない。30万人説成立のために時間的空間的拡大がなされている。

 遺体の数も、それを示している。陥落から2カ月後、治安を回復させた日本軍は埋葬に入った。南京大学のベイツ教授は、南京城内外で約4万体が埋葬されて、埋葬は「すべて終わった」と『南京救済国際委員会報告書』に記している。埋葬を指揮した人もそう証言する。30万体を埋葬したという南京の軍事裁判の記録には裏付けがない。

 では、4万人、2万人の数字は妥当だったであろうか。

 ベイツ教授は長文の「メモランダム」を、ティンパーリ編『戦争とは何か』に寄稿した。そこに初めて、先に示した全埋葬体の4万を“虐殺”、すなわち、日本軍の戦闘行為(掃討作戦)をも“虐殺”と主張する一文が出た。

 ところが、その4万人虐殺を主張する「メモランダム」が、国民政府軍事委員会直属の特殊情報機関が刊行する『日本人の戦争行為』など5冊の英語本に転載されたときには、肝心の4万人虐殺を主張する一文が削除された。ベイツ教授や国民政府軍事委員会は、削除せざるを得なかったのだろう。なぜなのか。埋葬された4万体を虐殺体と断定できなかったからではないか。それは次の記録から裏付けられる。

 南京の避難地帯を管理した国際委員会がさまざまな「市民重大被害報告」をまとめた『南京安全地帯の記録』は、陥落2カ月間の殺人は計26件であった。そのほとんどが目撃者のない出所不明の「風評」だった。南京に戻ってきた米国領事は陥落1カ月後に、また英国領事は2カ月後に、日本軍の不法行為を「掠奪強姦」だとみていた。

 南京の国際委員会も外交官も武官も、漢口の国民政府も、上海の特派員も、市民大量殺害、不法処刑に言及したことはなかった。

 中国の2人の首脳、共産党の毛沢東も、国民党の蒋介石も、シナ事変1周年のとき、半年前の南京の“虐殺”に言及したことはなかった。

 第2次国共合作下の共産党の毛沢東は、日本軍が南京を包囲しながら皆殺し作戦に出なかったことを下手な戦術だと講演していた。蒋介石の国民党宣伝部も陥落から3年半後の極秘文書に「敵軍が南京に侵入したあとの姦淫、放火、掠奪」と総括した。もちろん拡大宣伝であったが、それでも「南京虐殺」の4文字はなかった。それゆえ陥落後300回も漢口で記者会見が開かれながら、虐殺非難の政府声明は出なかった。外国人記者からの質問もなかった。

 このように、南京虐殺と言うには未回答の記録が多く残ったままなのである。当時、埋葬体4万は戦闘による兵士や市民の遺体、合法的に処刑された不法戦闘員の死体と認識されていた。だから削除がなされたとしか思えない。

 今回の報告は公式見解のような錯覚を生み、やがては学問と言論の自由が縛られると思えてならない。(亜細亜大学教授)

                   ◇

【プロフィル】東中野修道
 ひがしなかの・しゅうどう 昭和22(1947)年、鹿児島県生まれ。大阪大学大学院博士課程修了。日本「南京」学会会長。近著に『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100209/acd1002090749004-n1.htm






【日中歴史研究】私はこう読む 現代史家の秦郁彦氏 「日本弾劾色」に変化
2010.2.1 00:10

 南京事件について、中国側の報告書は典拠を明らかにした事実関係の記述にほぼ終始しており、日本の弾劾から始まるプロパガンダ色が強かった従来の歴史論文と比べると、大きく変わったという印象を受ける。
 事件の事実経過に限れば日本側とほぼ同じと言っていいが、大きく違うのは「30万人以上」とする被害者総数だ。報告書では中国側の軍人参戦者を計15万人とし、市民の被害者については、ほぼ唯一の推計である「スマイス報告」から約3万人とする数字を挙げている。しかし、これだと軍人が27万人殺されたことになり、15万人の参戦者をはるかに超えてしまう。
 従来の「30万人」を撤回しにくい中国側が、矛盾を承知で報告書を出したとするならば、中国における歴史研究と公開の自由度はかなり高まってきているといえるのではないか。(談)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010010002-n1.htm



【日中歴史研究】私はこう読む 藤岡信勝・拓殖大教授 研究無視の政治論文
2010.2.1 00:09

 南京事件について虐殺数を「20万人を上限として4万人、2万人」などとする日本側の報告書は、この10年間に進展した学問的研究を一切無視した、問題の多い内容だ。
 事件をめぐっては、10年前に日本「南京」学会が発足し、事件の客観的証言者とされた西欧人ジャーナリストが中国国民党宣伝部に雇われていた事実が明らかになるなど、虐殺自体の存在を疑わせる証拠がいくつも出てきた。しかし、報告書では一切これらに言及せず、逆に「大虐殺」を主張する研究者の論文はふんだんに利用している。
 学術論文は、たとえ自分に都合の悪い研究であってもその結論を引用し、コメントする義務がある。それを果たしていない今回の報告書は、日中歴史共同研究という枠組みの中で、政治的妥協を学問めかして書いただけの政治論文と言わざるを得ない。(談)

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010009001-n1.htm



【日中歴史研究】私はこう読む 中嶋嶺雄・国際教養大学学長 友好史観で対立回避
2010.2.1 00:08

 長大な論文で大変ごくろうさまでしたと、まず申し上げたい。中国側の教科書にしばしば欠落していた日露戦争にも言及しており、「南京事件」や盧溝橋事件についてもバランスを配慮して書いている。
 これは委員の顔ぶれから予想されたことだが、日本側の論文は学会主流の無難な学説の併記に終始している。全体的には江沢民前国家主席や胡錦濤主席の演説に触れた“日中友好史観”だといえよう。
 〈古代・中近世史〉に関しては、朝貢外交や冊封体制に言及したり、聖徳太子の「十七条憲法」が中国の古典に学んでいるといいながら、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に至す。恙(つつが)なきや」という国書を太子が隋の皇帝に送って、新興の日本は中国と対等だと示した重要なポイントには日中双方とも触れていない。
 〈近現代史〉に関しては、西欧からの衝撃に対し日本は近代化に努めて成功し、中国は「中華思想」で失敗したのが日中近代史の原点であり、この点を双方は冷静に見つめるべきだ。
 戦後史を発表しなかったことをはじめ、日中双方が対立点をあえて回避しているという印象も受けた。戦後、日本は一度も戦争をしたことがなく、一人も国家権力によって犠牲にしていないのに、中国は朝鮮戦争から中越戦争まで何回も戦争した。文化大革命や天安門事件、チベット、ウイグルなど国家がどれだけ人民を犠牲にしてきたかを今後は共同で研究してほしい。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100201/plc1002010008000-n1.htm






【日中歴史研究】日本側座長・北岡伸一東大教授の談話
2010.1.31 23:02

 日本側座長の北岡伸一東大教授 歴史の政治化は好ましくない。政治の課題は現在と未来であるべきだ。だが現実はこれまでの日中関係が示している。両論併記は不十分であっても、形を残したことは意味があると考えている。
 現代史については、中国側が「資料不足」「現代史は距離をおく必要がある」-を理由に非公開を主張した。だめならすべての論文作成をやめ、簡単な報告書ですませたいとまで言った。非公表は不本意だったが、今後の課題として研究を継続することで同意した。苦渋の決断だった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100131/plc1001312304015-n1.htm








「人民の敵」人気沸騰? 中国で蒋介石ブームの謎
2010.2.11 01:20

 【北京=矢板明夫】中国では最近、台湾に渡った中華民国の故蒋介石総統がブームだ。関連書物などが相次いで出版され、浙江省にある蒋氏の旧家は人気の観光スポット。毛沢東時代には「人民の敵」と位置付けられた蒋氏だが、急発展する近年の中台交流で素顔が知られ、これまでのイメージとのギャップに市民は関心を持つようだ。また、蒋氏がにわかに評価されるようになった背景には、台湾統一工作を狙う中国当局の思惑もありそうだ。

 ■書店に専門コーナー

 1月下旬、英国人作家、ブライアン・クロージャー氏が1976年に出版した「蒋介石伝」が中国で初出版された。同書は蒋氏の生涯を客観的に分析したと評されるが、中国では長年、発売禁止とされていた。しかし、発売が解禁されると大反響を呼び、中国メディアは「等身大の蒋介石がようやく上陸した」と絶賛する。

 さらにその直後には、政府系の団結出版社が「蒋介石書簡集」を出版。中国建国後、初めて発売が認められた蒋氏自身の文章をまとめた同書は、再び話題を集めた。このほかにも、蒋氏の人生哲学や権謀術数に関する書物が多数出版され、北京市中心部にある王府井の書店では最近、蒋氏に関する専門コーナーが設けられた。

 ある北京の出版業者は、「中国の映画に登場する蒋介石は1980年代まで、短気で無能、無頼漢のような人物として描かれた。それが宣伝のために作られたうそと分かった今、読者は蒋介石の真の姿を知りたがっている」と分析した。

 ■旧家は観光スポット

 蒋氏の出身地である浙江省渓口も最近、人気の観光スポットとなっている。旧家は全国重点保護文化財に指定され、連日、台湾と中国国内からの観光客でごった返す。蒋氏の好物といわれる小麦粉でつくった「千層餅」は今や地元の名物。顔立ちが蒋氏に似た「そっくりさん」が観光客に記念写真を撮らせる商売も登場しているという。

 歴史学者による蒋氏の再評価も進められ、各地では蒋氏に関するシンポジウムが開催されている。1月中旬に江西省廬山で開かれた「蒋介石と日中戦争」をテーマとするシンポジウムでは、中国と台湾の学者約50人が参加し、双方は日中戦争で果たした蒋氏の業績を高く評価することで一致した。従来の中国では「蒋介石は日本軍の侵略に抵抗しようとしなかった」との見解が主流を占めていた。

 ■独立の動き牽制か

 ただ、中国当局が蒋氏を積極的に再評価するのは、蒋氏を尊敬する台湾の馬英九総統に善意のメッセージを送るためだとの指摘もある。「中国との統一」を主張する蒋氏を持ち上げ、台湾の独立の動きを牽制(けんせい)して、統一に向けた工作の一環という見方も浮上している。

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100211/chn1002110124001-n1.htm







【外信コラム】台湾有情 いつか来た街
2010.2.11 02:56

 台北に赴任してほぼ1年になるが街角でふと「いつかここに来たことがあるのでは?」と妙に懐かしい思いにとらわれることが少なくない。「既視感(デジャブ)」の一種かもしれない。
 住宅街の路地裏に迷い込んだときや、場末の商店街奥の小さな道教の廟(びょう)に出くわしたときなどにこの感覚にとらわれる。子供のころにかえったような、なんともいえないほのぼのとした解放感に癒やされるのだ。
 通りがかりのおじいさんに道を聞くと日本語で丁寧に教えてくれたうえに、「日本の陸軍兵としてフィリピンに行っていた」などと親愛感たっぷりに語ってくれるからたまらない。道行く人々の服装、背格好が日本と大差ない。しかもあちこちに日本統治時代に建設した明治・大正時代の建物が大切に保存されている。
 「台湾の原宿」と称される市南西部の西門町(せいもんちょう)は地名も日本時代そのままだ。日本人建築家、近藤十郎が設計し、1908年に完成した「紅楼」は八角形2階建ての赤レンガ造りで、まるで東京駅が台北の繁華街に引っ越してきたようだ。
 当時は高級品店や日本食店がひしめく、最高のショッピングセンターだった。館内には和服の若い日本女性の写真や広告ポスターなどが展示され、往時をほうふつとさせる。昨年の台湾への日本人観光客は100万人と、中国(97万人)に猛追されている。もっと多くの日本人に台湾の魅力を味わってもらいたいものだ。(山本勲)

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100211/chn1002110256005-n1.htm






台湾南部にダム建設 日本人技師、八田與一の記念公園
2010.2.11 01:03

 【台北=山本勲】日本統治時代の台湾南部に当時としては東南アジア最大の烏山頭ダムを建設した日本人技師、八田與一氏(1886年~1942年)の業績をたたえる記念公園の着工式が10日、台南県官田郷の同ダム近くにある故居前で行われた。
 式典には、毛治国・交通部長(交通相)や、地元の蘇煥智・台南県長らが出席した。総工費1億台湾元(約2億8000万円)で、来年の八田氏の命日となる5月8日の開園を目指すという。
 記念公園は八田氏の故居や建設に参加した日本人技術者の宿舎などを含む約5万1000平方メートル。廃虚となっている建物を復元し、庭園を整備して当時の関係文物や資料を展示する。
 1930年に完成した烏山頭ダムは、干魃の被害にさらされていた嘉南平野を台湾最大の米穀産地に変えた。ダムは現在も使われており、友好的な「日台関係の象徴」と位置付けられ、馬英九総統は昨年5月、同地で開かれた八田氏の慰霊祭で、その功績をたたえる公園建設計画を発表していた。 

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100211/chn1002110105000-n1.htm








「朝鮮海」表記のオープニングムービー修正へ ネトゲ「大航海時代」
2010.2.12 00:10

 日本製の人気オンラインゲームのオープニングムービーで「日本海」が「朝鮮海」と表記されていた問題で、開発したゲームソフト大手「コーエー」(横浜市)が、問題の部分を含まない内容にムービーを大幅変更することが11日、分かった。日本政府の見解と異なる表記に対し、ユーザーらから批判が相次いだことに配慮したという。

 問題となっているのは、日本人ユーザー向けに昨年12月に公開されたオンラインゲーム「大航海時代 Online」シリーズの「El Oriente(エル・オリエンテ)」。歴史上の大航海時代を舞台にしたロールプレーイングゲームで、オープニングムービーに登場する古地図の日本海の部分に「MER DE COREE」(朝鮮海)と書かれている。

 これに対し、同社公式ホームページ(HP)の掲示板にはユーザーらから「大変不快」「どこの国の企業なんだ?」などの非難が殺到していた。

 同社は今年1月にHPで「オープニングムービーを刷新する」と発表。関係者は、朝鮮海と書かれた地図の採用について「制作側のミス」とし、事実上の修正と認めた。来月には刷新する予定だという。

 日本海の表記をめぐっては、韓国や北朝鮮が「朝鮮海」への表記変更などを主張。日本は「日本海は国際的に確立した唯一の呼称」との見解を示している。

 同社は、「信長の野望」「三國志」などの人気ゲームを開発している。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/100212/edc1002120012000-n1.htm


【ネトゲ】日本製ゲーム「大航海時代Online」、韓国に配慮して日本海の「東海」表記を導入
コーエー人気ゲームに「朝鮮海」 修正を求める声が殺到
ネトゲ「大航海時代」で日本海を「朝鮮海」と表記 ユーザーの批判殺到








陸自連隊長発言「首相を揶揄、許し難い」 北沢防衛相
2010年2月13日19時36分

 北沢俊美防衛相は13日、長野市での会合で、陸上自衛隊の連隊長が「同盟関係は『信頼してくれ』などという言葉で維持されるものではない」と発言した問題について、「一番の指揮官である首相の言葉を揶揄(やゆ)する発言を幹部自衛官がすることは許し難い」と厳しく批判した。防衛省はすでに連隊長を注意処分としているが、北沢氏は15日に火箱芳文陸上幕僚長にも直接、注意する。

 北沢氏は、連隊長の発言は外交における政府の意思決定をないがしろにする行為だとして、「クーデターにつながる極めて危険な思想だ」と指摘。「(こうした行為で)規律が乱れ、組織が機能しなくなると、独断専行や下克上が起こる」と強く戒めた。
http://www.asahi.com/politics/update/0213/TKY201002130232.html

※関連スレ(北沢防衛相の認識関連)
・【政治】 「中国を刺激するから」と与那国島への陸自配備撤回の北沢防衛相に、与那国町長が配備要望
 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263359110/

・【政治】 北沢防衛相 「中国を日本の脅威と考えたことはない」「中国の軍事パレードの凄さ、心から賛嘆した。進歩を感じた」
 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259573020/

・【政治】 北沢防衛相 「外国人参政権付与しても、国防の危険性はないと思う。衆院選のとき、民団の人々と接してわかっている」★7
 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1265875150/














海外留学生過去最高 受け入れトップ早稲田大学
2010/02/16(火) 17:37

  独立行政法人日本学生支援機構の2009年度外国人留学生在籍状況調査の結果、国内の大学や大学院、短大、専修学校などに学ぶ留学生(2009年5月1日現在)は13万2720人と過去最高になったことが分かった。前年度より8891人増加していた。

  留学生の受け入れ数では早稲田大学が3144人と最も多く、次いで立命館アジア太平洋大学(2786人)、東京大学(2473人9だった。1000人以上の留学生受け入れ大学は筑波、大阪、九州、京都、国士舘、東北、名古屋、大阪産業、立命館、拓殖、東京工業、日本、慶応義塾、神戸の17大学だった。

  在学段階別では、大学院が3万5405人、大学や短大、高専が6万7108人、専修学校(専門課程)が2万7914人、準備教育課程が2293人で各段階ともに前年度より増加している。

  留学生の出身国別では中国が7万9082人で全体の59.58%を占めた。次いで韓国(1万9605人、14.77%)、台湾(5332人、4.01%)、ベトナム(3199人、2.41%)、マレーシア(2395人、1.8%)になっていた。留学生の92.3%はアジア圏からの留学で、欧州・北米地域からの留学は4.9%だった。また、13万2720人のうち、11万9317人は私費による留学生だった。(編集担当:福角忠夫)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0216&f=politics_0216_008.shtml

中国から優秀な留学生が来ないー「留学生政策」は根本的に見直しが必要
中国で「日本留学ブーム」「恵まれすぎ待遇」に疑問の声 一人当たり年間220万円の給付
留学生計画:30万人受け入れへーさらに加速する外国人留学生優遇、日本人学生差別
莫大な国費投入で『中国の頭脳』を育んでいる『日本の大学』

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