goo blog サービス終了のお知らせ 

しょう油の起源は韓国?? 日本メーカーびっくり

2008年06月05日 | news
【社会】 「しょう油の起源が日本だという誤解を正すため、韓国メーカーが世界戦略」報道に、日本のメーカーびっくり★9
https://mamono.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1212751888/l50

しょう油の起源は韓国?? 日本メーカーびっくり

 「しょう油は韓国が元祖」だと、韓国の3大紙の一つ「中央日報」が伝えている。日本起源のように誤解されているのを正すため、今後韓国メーカーが世界戦略を発動するのだという。日本メーカーは「初耳」と驚き、ネットではこの記事が話題になっている。

■「日本の製品のように認識されているのを正したい」

 「中央日報」の2008年6月4日付けの電子版によれば、韓国の液体調味料会社「トンウンFC」が2年以内に米国アナハイムに支社を設立。世界戦略を開始する。記事には、

  「世界市場で韓国の伝統発酵食品のしょう油が日本の製品のように認識されていることを正したいという。初期には日本のテリソースをベンチマーキングして世界市場に軟着陸した後、世界の人の舌を変えていく計画だ」

と書かれている。

 世界各国で日本食ブームが広がる中、「しょう油」は今や日本発の世界語だ。キッコーマン広報によれば、同社1社だけで、アメリカの家庭で使われるしょう油の約60%を占めているのだという。キッコーマン広報はJ-CASTニュースに対し、

  「しょう油の韓国起源説は初耳です」

と話し、驚きを隠さない。

 ネットではこの記事が大きな話題になっていて、

  「このように自信満々に書かれると『醤油』が本当に韓国を元祖にしたモノなのかと思ってしまうから不思議」
  「昨日まで無かった歴史や伝統がある日突然あった事になる国」

などという意見が出ている。

 日本醤油協会によれば、鎌倉時代にお坊さんの覚心が中国から持ち帰った味噌の製法から作り出されたのが「たまりしょうゆ」の始まり。現在家庭で広く使われている大豆や小麦を使った濃口の「本醸造しょう油」は江戸時代初期に生まれた日本オリジナルのものなのだという。「中央日報」の記事は違っているということになるが、同協会ではこの記事に対して、

  「抗議するとかそういう考えは今のところありません」

としている。

 「よむ地球 きる世界?日本はどうなる編」 (彩雲出版刊)などの著書がある元静岡県立大学教授で国際政治学者の大礒正美さんは、

  「日本は甘い!」

と力説する。

■武士や日本刀、剣道も朝鮮半島がルーツ?

 日本起源のものを韓国側が自国がルーツと主張し、庇を借りて母屋を取るようなことが繰り返されている、というのだ。これを「ウリジナル」と言うそうだ。世界中の様々な物、事の起源は全て朝鮮半島にあるいう「ウリナラ(我々の)」と「オリジナル」を足した造語だ。

 こうした主張は、(1)武士や日本刀、剣道も朝鮮半島がルーツ(2)日本の桜ソメイヨシノも韓国済州島から伝わった(3)「日本の多くの神社は韓半島の祖神を祭神としている」(中央日報電子版06年1月2日付け)など、数えればキリがない。また、日本以外の「ウリジナル」では、サッカーの起源は朝鮮半島、イギリス人の先祖は韓国人、などといったものもある。

  「何でもかんでもこじつけてしまうわけです。特に日本を見下し、何を言ってもいい、という感覚がある。韓国国民が起源説を信じているというよりは、ワーワー言うのが楽しいという感じ。それにメディアが乗っかって話を大きくするわけです」

と大礒さんは説明する。

  「ウソであっても、正しいという主張を繰り返せば、海外の人はウソを信じてしまうわけです」

 そのため、様々なものが韓国に「乗っ取られる」危険が出ているのだと言う。しょう油業界も何が正しいのかを直接、またはホームページなどを使って英語で世界に向けて主張しなければならない。大礒さんはそうアドバイスする。

6月5日19時36分配信 J-CASTニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080605-00000002-jct-bus_all

しょう油の起源は韓国?? 日本メーカーびっくり : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2008/06/05021320.html?p=all

みそ、しょうゆ~醤の宗主国韓国、日本の醤に宣戦布告
「しょう油は韓国が元祖」世界進出計画
【韓国】 セムピョ醤油開発秘話~日本で発酵微生物の秘密得ようと深呼吸、その鼻くそ培養
「韓国のしょうゆ、みそ唐辛子、みそは日本のそれとは別物。海外で固有名詞化されるべき」→「(ジャン)Jang」をキーワードに戦略
寿司を韓国起源と主張の韓国 つじつま合わせにわさびも主張

「憂慮すべき韓国の夢想自大主義」(06/01/14)
「続・憂慮すべき韓国の夢想自大主義」(06/01/27)
『SAPIO』06年4月26日号








心が元気になる話 知られざる日本の功績(1)
朝鮮の海苔養殖
hideおじさん
■ No.1450 ■ H20.06.06 ■

今では、世界各地で海苔を食べることができるが、元々は東アジアにしかない
食文化であったそうである。ーーー例外的にイギリスでも食されていた地方が
ある。グリーンランドなど北極圏の一部でも食されていたとの記録もある。

日本の場合、8世紀頃(奈良時代)中国から紹介されたとの記録もあるが、それ
以前にも食べていたという文献も残っている。ーーー当時は非常な貴重品だっ
たそうで、一部の貴族しかお目にかかることはなかったようだ。

現在のような板海苔は、江戸時代の1680年頃に生まれ、当時有名だった再
生紙の「浅草紙」に製法が似ているところから「浅草海苔」と呼ばれるように
なったともいわれる。

さてその海苔であるが、中国、朝鮮では、時代とともにだんだんその食文化が
廃れてしまった。13世紀後半の朝鮮の書物に「海衣」という文字が残ってお
り、これが海苔のことだといわれているが、どのようなものだったか、詳細は
分かっていない。

日本と同じように、貴族や地元漁師以外には口に入らなかったようだ。

朝鮮においてこの海苔文化が復活するのは、日韓併合時まで待たなくてはなら
なかった。

朝鮮総督府は、朝鮮の産業復興の一環として水産試験場を設立、それまで細々
とした沿岸漁業が主だった朝鮮に、近代的な漁法を伝え、また科学的な沿海・
海洋調査や漁業資源の調査など膨大なデータは、現在の韓国漁業の基礎を作っ
たものである。

その中で特筆されるのは、初めて「養殖」という技法を伝えたことである。

「養殖」という観念は、それまで朝鮮には無く、大正時代に総督府が設立した
この水産試験場においての「淡水魚の養殖」がスタートだった。

その中で、「富士川きよし=[サンズイ+摎の右側]」という東京帝国大学出身
の水産試験技師が、それまですっかり廃れてしまっていた朝鮮の海苔に目をつ
け、その生産を復活させた。

朝鮮独自の技法を参考に改良を加え、海苔の養殖に取り掛かったのだが、これ
をきっかけに朝鮮海苔の生産が飛躍的に伸びた。

朝鮮の海苔は、需要が多かった日本へ輸出され、高麗米と同様、朝鮮の重要な
輸出品目となった。まだ工業製品の発展をみなかった朝鮮において、海苔もま
た朝鮮財政の一役を担ったのである。

そして富士川きよしは、1942年、地元住民から感謝され、彼の功績を称え
る記念碑が建てられるようにまでなった。

彼は、終戦後も朝鮮進駐軍の依頼を受け、新生朝鮮に残り、朝鮮戦争が始まる
まで海苔養殖技術を韓国で広めていったのだった。富士川が作った海苔養殖技
術は、その後日本に逆輸入という形で有明海苔に生かされることになる。

日本統治時代の海苔増産により、朝鮮においても、それまで一部貴族の滋養食
品であった海苔が一般市民の口にも届くようになり、「キムパプ」といわれる
海苔巻きは、韓国の庶民の食べ物として現在に至っている。

悲しいかな現代の韓国では、板海苔も海苔巻きも韓国が起源であると強弁して
おり、富士川らの努力は記念碑の破壊とともに全く韓国の歴史から消されてい
る――――。

たしかに、日本の養殖技術が直ぐに朝鮮の人々を裕福にしたわけではないかも
しれない。しかし、近代漁法を朝鮮にもたらしたその功績は、我々日本人だけ
でも覚えておきたいものである。

ちなみに、総督府が設立した水産試験場は、

釜山水産専門学校とともに、戦後「国立水産大学」に改名、そして同じく日本
統治時代に設立された工業補修専門学校(戦後、国立工業大学)と合併し「釜慶
大学」として、現在でも韓国のトップ10に入る狭き門の有名大学として存在
している。








「世界七帝国の一つ」欧米列強、徳川政権下の日本を認識
2008年06月03日12時18分
 交易の窓口を長崎などに絞り、諸外国との交わりを極端に制限していた徳川政権下の日本。しかし当時の欧米列強の間では、ロシア、中国、トルコ、神聖ローマ帝国などと並ぶ「世界の七帝国」の一つとして認識されていたらしいことが、東北大の平川新教授(日本近世史)の研究で明らかになった。
写真18世紀にアムステルダムで発行された「日本図」。欄外に「EMPIRE」の文字が見える

 「七帝国」に関する記述があるのは、蘭学者・桂川甫周が1794(寛政6)年に編集した『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』だ。

 10年のロシア生活の後、1792年に日本に送り返された漂流民・大黒屋光太夫への聞き取りなどを基にまとめられた本で、光太夫がペテルブルクで聞いた情報として、「帝号を称する国をイムペラトルスコイといい、王爵の国をコロレプスツウといふ。(中略)帝号を称する国僅(わずか)に七国にて、皇朝其一(そのひとつ)に居る」というくだりが出てくる。漂流民の歴史に詳しい平川教授が確認、先頃開かれた研究者向けのセミナーで発表した。

 「帝号を称する国」とは帝国、「王爵の国」とは王国のこと。ここで「帝号を称する(略)僅に七国」と書かれた日本以外の国々は、ムガール帝国(インド)、ロシアなどといった大国ぞろいである。

 では、「帝国」と「王国」はどう違うのか。蘭学者・山村才助は『訂正増訳采覧異言』(1803年)で、「威徳隆盛にして諸邦を臣服する大国」のことを「帝国」と呼んでいる。つまり複数の王国を支配する国というわけだ。

 平川教授によると、16世紀以降、来日した宣教師らによって、戦国大名が割拠し、分国を支配する日本の姿はヨーロッパに逐一報告されていた。徳川幕府が成立すると、それら「諸王」(大名)に君臨し、統括する幕府の将軍を「皇帝」とみなし、皇帝が治める日本を「帝国」とする見方が強まる。1785年に太平洋を探検したフランスのラペルーズの航海記にも日本が「帝国」と書かれている。

 当時、列強の間では、「帝国」は「王国」より上の最上級の国家とみなされた。大黒屋光太夫も、ロシアでの経験として、「王国の民だと言っても誰もとりあってくれないが、私の国は帝国だというと皆、上座を譲ってくれた」と語ったとされる。

 光太夫はロシア滞在中に、7回もエカテリーナ女帝に召し出されるなど、非常な厚遇を受けた。「これまでその理由がよくわからなかったが、彼が帝国の臣民とみなされたからだと考えれば納得がいく」と平川教授は語る。

 「日本が中国と並ぶ世界の帝国の一つという考え方は、ロシアから帰国した大黒屋光太夫や石巻の若宮丸漂流民などによって伝えられ、19世紀には知識人の間にかなり広がっていた。漂流民がもたらした異国情報が、当時の人々の日本という国に対する自己認識の形成に大きな影響を与えた可能性もあるのでは」

 菊池勇夫・宮城学院女子大教授(日本近世史)は「帝政ロシアが徳川日本を同等の帝国と認識していたとの指摘は重要だ。これを機に、世界史の中での近世日本をめぐる議論が活発になることを期待したい」と話している。(宮代栄一)

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200806030124.html







最良の観光客は日本人、中国人は最下位 米社がランキング

 ネット旅行販売最大手の米エクスペディアは4日、ホテルマネジャーの各国の観光客に対する評価「ベストツーリスト2008」をまとめた。100点満点で各国の観光客を採点したところ、日本人が68点でトップになった。首位は2年連続で、現地のエチケットを守るといった行儀のよさや礼儀正しさ、部屋をきれいに使い、苦情が少ないことなどが評価された。
 2位以下はドイツ人とイギリス人(53点)、カナダ人(51点)、スイス人(49点)の順だった。一方、同社が順位を公表した31カ国の中での最下位は中国人で27点。30位がインド人(28点)だった。行儀が悪いことや部屋を汚すことなどが低い評価につながったという。
 調査は「騒がしい」「チップをくれる」など10項目の質問を設定し、3月下旬に欧州、南北アメリカ大陸などのホテル3万2000軒にメールで送信。4004人のマネジャーから得た回答を同社が100点満点の点数に換算した。(14:44)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20080604AT3K0400I04062008.html

http://www.expedia.co.jp/htmlpromos.do?PromoID=480&ContentType=null&isPreview=false







アイスランドとノルウェーが日本への鯨肉輸出を再開

【6月3日 AFP】アイスランドとノルウェーが日本への鯨肉輸出を18年ぶりに再開したことを両国の業界代表が明らかにした。
 アイスランドのミンククジラ捕鯨業者協会のGunnar Bergmann Jonsson会長によると、日本向けの鯨肉80トンを積んだ船が2週間ほど前にアイスランドを出航しており、すでに日本に到着していているはずだという。
 1990年を最後にアイスランドの日本向け鯨肉輸出は停止していたが、Jonsson会長は、2006年に日本政府から鯨肉輸出許可を得ていると明かした。
 日本は世界最大の鯨肉市場だが、北欧産水産物に含まれる水銀やダイオキシンに対する懸念から、日本市場への需要はこれまでなかった。
 しかし、ノルウェー漁業省職員によれば、これまでの鯨肉の輸出先はアイスランドおよびフェロー諸島のみだったが、今年から日本にも鯨肉を輸出していることを明らかにした。しかし、日本がノルウェー産鯨肉を受けいれるようになった経緯については「日本側に聞いてほしい」とかわした。

 ノルウェー、アイスランド両国は1986年に発効した国際捕鯨委員会(International Whaling Commission、IWC)の商業捕鯨モラトリウムをうけ、商業捕鯨を中止していた。しかし、ノルウェーが1993年に商業捕鯨を再開、アイスランドも2006年にこれに続いた。現在、商業捕鯨を行っているのは世界でこの2か国のみ。(c)AFP

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2399634/2991818









「マティーニともよく合う」 柿の種が米進出
2008年06月07日12時13分

 ビールのおつまみや、お茶菓子として、「柿の種」は国民的な米菓だ。ちょっぴり辛みがあり、風変わりな形をしたこのあられが新潟県内に誕生して85年。米菓最大手の亀田製菓(新潟市)は今年、米国での試験販売に乗り出した。「柿の種」から「Kakinotane」へ。新潟の味が世界へ羽ばたく。

 亀田製菓は4月、カリフォルニア州トーランスに「柿の種」を販売する100%子会社「KAMEDA USA」を設立した。同社の海外進出は初めてだ。

 新潟市の本社工場で製造した「柿の種」に、現地で米国産ピーナツを加えて詰める。ロサンゼルス市内のスーパー数店舗で試験販売が始まった。

 「出足はほぼ順調」と本社経営統括本部主任の吉田琢弥さんは話す。

 同社によると、米国内の米菓市場は小売り金額で約200億円ほど。米国人の健康食品ブームに乗って脚光を浴びつつあるという。

 「実は、これまでも柿の種は米国内のスーパーで売られていました。輸入業者が日系人向けに扱っていたのです」と吉田さん。

 が、今回の米国進出は「メーンストリーム」(主流層)が狙い。その多くが肥満に悩んでいるという報告がある。

 「いわゆるチップス系のお菓子に比べ、米菓は低カロリーかつ低アレルギー。米国では自然食品を扱う『スペシャルストア』がブームで、そこで米菓の販売が伸びている。柿の種のヘルシーさをアピールしたい」

 西海岸を中心に取り扱い店舗を増やしてゆき、全米に広げたい考えだ。

 ■帝国ホテルが考案

 果たして、外国人に受け入れられるのだろうか。

 「昔からとても人気がありますよ」と、帝国ホテル(東京都千代田区)・オールドインペリアルバーの担当者。ここでお酒を注文すると、無料のおつまみとして「柿の種」が出る。日本人よりむしろ外国人に好評だという。

 実は、この帝国ホテルこそ、柿の種とピーナツを組み合わせた、いわゆる「柿ピー」を日本で初めて考案し、提供したという伝説を持っているのだ。

 広報課副支配人の宮崎真理さんによると、現在の本館が完成したのは70(昭和45)年。だが、「柿ピー」は、フランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテル時代からバーで提供されていた。

 開業119年を誇る同ホテルは、外国の要人を泊める施設として国策で建てられた。西洋にならい、酒のつまみとしてサービスナッツを日本で初めて出したのも同ホテルだ。「その際、なにか日本らしさを出そうとして、柿の種が選ばれたのでは」

 このバーでは、新潟県内産の柿の種と千葉産のピーナツを7対3の割合で配合。外国人には「ジャパニーズライススナック」と紹介している。

 ビールはもちろん、ジントニックやマティーニなどのカクテルにも驚くほど合う。

 「ちょっぴり辛いので最初は戸惑う。でもすぐにクセになる。外国のお客様は本当によく召し上がります」

 「柿の種」は、バリエーションも豊富だ。

 「瑞花(ずいか)」(新潟県長岡市)のものは、「からし」と「わさび」の2種類で、大きさは亀田製菓などの2倍。ピーナツはない。「ピーナツと一緒にどさっと食べるのではなく、一粒一粒を味わってほしい」と、社長の郷礼子さん。

 親会社の岩塚製菓(同市)とは一線を画した高級感が売りだ。販売も直営店や百貨店などに限られ、価格も高め。東京・銀座にも2店の直営店がある。

 チョコレートで包んだ「柿の種」も瑞花が先駆け。「チョコの種」「コーヒーの種」「あずきチョコ」「きなこチョコ」の4種類ある。

 商品化のきっかけは、「ポッキーと柿の種を一緒に食べたらおいしかった」という社員の声。溶けやすく、冬季限定の商品だが、クリスマスやバレンタインデーの贈り物としても人気があるという。

 竹内製菓(同県小千谷市)は、原料にこだわり、昔ながらのあられ作りに徹している。「極上柿の種」は国内産もちごめを100%使用し、値段も量産品の3倍。「うちの特徴はもち米ならではの香ばしい風味」と竹内和孝社長。

 国内の菓子メーカーのうち何社が「柿の種」を発売しているか判然としない。期間限定商品を含めると、「無数にある」(あるメーカー)。ネットで「柿の種」を検索しただけでも、「マヨネーズ味」「塩だれ味」「カレー味」「たこやき味」「青のり味」などと百花繚乱(りょうらん)の感がある。

 ■金型つぶれて柿型に

「柿の種」を最初に作ったのは、長岡市摂田屋町の「浪花屋製菓」だ。創業は19(大正8)年。やがて薄く切ったもちを何枚かに重ね、小判型の金型で切り抜いてあられを作り始めた。が、その金型をうっかり踏みつぶしてしまい、元に直らないのでそのまま使用したところ、ゆがんだ形のあられができた。得意先から「柿の種に似ている」と言われ、ヒントを得て、23(大正12)年に「柿の種」が誕生した。同社製品を「元祖 柿の種」と呼ぶゆえんだ。創業者は米菓振興のため進んで製法を伝えたため、多くの業者が追随したという。ピーナツ入り柿の種を県内で初めて商品化したのは亀田製菓で、66(昭和41)年に発売された。(三沢敦)

http://www.asahi.com/business/update/0607/TKY200806070023.html




インドで柿ピーが大ブーム? 国際親善

2007年5月3日
スズキのインド子会社、マルチ・ウドヨグ社で、いまインド人の間で大ブームになっている食べ物がある。それは日本の代表的なつまみ、柿ピーだ。

なんでも、日本人スタッフがインド出張の際、酒のつまみにと自分用に買っていったものをインド人スタッフに食べさせたところ、大いに気に入り、「これはなんという食べ物だ」となった。日本人スタッフが「カキピー」と答えると、あっという間に「カキピー」という言葉がインド人スタッフに広がり、日本人を見つけると「カキピーを知っているか」と話すようになった。

インドにはポテトチップスやピーナッツぐらいしかつまみになるものがなく、柿ピーのようなピリ辛のものはなかった。辛いもの好きのインド人には柿ピーの辛さがたまらなかったのである。

以来、インド人スタッフは日本からのお土産として柿ピーを頼み、また浜松の本社を訪れたときにはスーパーで柿ピーを大量に買っていくとか。

「機会があって、インド人の家庭に訪れたとき、テーブルの上にはカレーと並んで柿ピーがありましたよ」とスズキ関係者。インド人と仲良くなるには、柿ピーを持って行くといいかもしれない。

《山田清志》
http://response.jp/issue/2007/0503/article94314_1.html

最新の画像もっと見る