子ども手当は社会主義の論理から導かれた政策ー家庭ではなく、国家が子供を育てる

2010年03月10日 | 支那朝鮮関連
朝鮮民族は日本の「朝鮮学校統治」を容認するのか
2月28日13時7分配信 産経新聞

 高校無償化法案に関する国会審議がついに始まった。高校無償化は民主党が衆院選マニフェスト(政権公約)に掲げた目玉政策の一つ。実績を上げたい政府・与党は4月からの実施に向け、今年度中の成立を図りたい考えだが、朝鮮学校を制度対象に含めるのか、否か。この点だけでもわずか一ヶ月の性急な議論で済ます話ではない。今回は同じ民主党の目玉政策、子ども手当とともにその是非を論じたい。

 ■似て非なる子供観■

 「これからの時代の子育ては個人に任せず、国や社会が面倒を見るのだ。従って当然の措置である」

 子ども手当について鳩山首相はもちろん、民主党関係者からはこのような説明が聞かれる。子供が親だけでなく国や社会の宝であることに何の異論もない。しかし、子供が社会の宝なのだから親や家庭が手塩にかけ、責任を持って育てるべきだと言う発想と、「子供=社会の宝」だから、個人(親、家庭)に任せず、国や社会で面倒を見るべき(だから子ども手当が不可欠)だという発想は似て非なるものだ。

 ■家庭重視と対極にある民主党■

 今の子ども手当は社会主義の論理から導かれた政策だろう。家庭や親の営みを否定して、子供を国家が育てる-こういう流れの一里塚に今回の子供手当がある、そんな疑念が払拭できないのである。

 親の保護下にある子供だけを手当の対象にする、というのだが、子供は宙に浮いた存在ではなく、家庭で育てられているのである。教育基本法改正時に「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」(10条)とされたばかりではないか。子供は親の責任と監督のもと、家庭という営みを通じて大人になっていく。民主党の今の政策の流れはそんな家庭の営みを重視する考えとは対極にあるといわざるを得ない。むしろ家庭の営みを蔑ろにし、家族の絆を分断する発想に立っているように映る。

 ■家庭に階級闘争を持ち込むつもりか■

 選択的夫婦別姓にも同じ思いだ。「扶養」という制度も民主党は目の敵にし「政策集INDEX2009」でこう述べている。  「次世代の社会を担う子どもたち一人ひとりの育ちを応援する観点から、所得税の扶養控除や配偶者控除を見直す」

 夫の働きで家族を養うという、ごく普通の家庭でみられる「扶養」という営みもまた、いとも簡単に否定されているのだが、これは「専業主婦いじめ」ではないのか。「家庭」という営みを個人個人にバラバラに見ていく政策の流れにどんな合理性があるというのだろう、そして一体どんな意図があるのだろう。

 まさか家庭という存在を階級闘争の場とでも捉えているのだろうか。夫が「支配者」で、妻は「被支配者」。大人が「支配者」で子供は「被支配者」。こういう対立構図を独善的に描き、その構図を壊すのを「階級闘争家」は好む。そして民主党にはそれに近い発想の政治家が大勢いる。

 「育ち」という言葉にも注意が必要だ。「子育て」ではなく「子育ち」。これは一部の左翼の方々が最近、好んで使う表現で「親が子供を育てる」のではなく、「子供の自律的、主体的な育ちを親が邪魔してはならない」といった具合に使われる。ここにもやはり親の軽視を感じる。

 ■社会主義や北欧の失敗を繰り返すのか■

 問題は政治家がこうしたことをきちんと認識し、説明を尽くしたうえで政策を論じているか、どうかだ。政策的な背景が何であるのか。社会主義から導かれた政策を一律に否定はしない。いいものであれば採り入れるべきだという立場も無論あり得る。しかし、ならばそれを隠さずにしっかり国民に説明すべきだろう。社会主義国は一様に破綻した。手厚い福祉という一見美しい目標を掲げた結果、北欧はどうなったのか。家庭の崩壊という深刻かつ重大な代償に頭を悩ませているではないか。民主党は日本の家庭を破壊するつもりなのか。そういう疑問が尽きないのである。

 ■胡散臭い美辞麗句■

 高校無償化にも同じことがいえ、「意志ある子どもに教育の機会を与えるべきだ」といった美辞麗句は要注意だ。この言葉はかつて革新自治体などで散々使われ、教育界に大きな禍根をもたらした言葉だからだ。 義務教育ではない高校教育を無償化する。これは、高校を義務化するに等しいことで憲法論議を要するくらいの大変革である。財源論議だけで済む話では到底ないのだが、ここではそれ以上深入りしない。

 ■無償化で高校中退者は増える!■

 ここで述べたいのは二つの危惧だ。ひとつ目は高校無償化で高校中退者が増えることだ。高校は義務教育ではない。従って入試で、入学するのに必要な学力が課され、一定の得点を突破した合格者にのみ「入学切符」が渡される。適格者主義が高校教育の前提だ。

 これが革新自治体では見直しの対象にされた。平等主義が説かれ、競争は否定されたのだ。相次いで学区を設けたり、合同選抜などが導入され、成績優秀者が広範囲に集まっていた公立の名門校を封じ込め、進学実績の凋落を招き、世間から見放されていったのである。

 ■教育荒廃地、広島の教訓■

 「定員内不合格者を出さないように」と叫ばれたのが教育荒廃の末、文科省の是正指導が入った、かつての広島県だった。同県では民主党が今盛んに唱える「意志ある子供に教育の機会を与えるべきだ」という同じ論理で、安易な高校合格が乱発されたのである。

 その結果、何が起こったか。目標のない生徒や、やる気のない生徒が校舎にあふれた。何より深刻だったのは生徒に高校に入ってもついていく学力が備わっておらず、大量の高校中退者が出たことだった。

 それと同様のことが起こる恐れが高校無償化にはある。

 「とりあえず高校に行っておこう」

 「どうせただなんだから、辞めても大したことではない」

 家庭では当たり前に説かれていた「ちゃんと頑張って勉強しないと高校にいけないよ」といった動機付けは影を潜め、むしろ「どこでも良いから公立高校に行きなさい」となるだろう。あるいは資金欲しさに「学校に来なくて良いから学校はやめるな」といった間違った指導がされるかもしれない。いずれも子供の志を歪めることにならないだろうか。

 ■結局は高校教育がダメになる■

 高校無償化がもたらす弊害-二つめに指摘したいのは、高校教育を受ける「有り難み」が社会から薄れ、高校教育が軽視、劣化していくことだ。

 今の大学を見ていてもそういう思いを強く抱く。総量規制をせずに大学設置を甘くした結果、大学がだぶつき、定員割れが続出している。経営の論理が優先し、合格者が乱発され、大学生は生まれる。とりあえず誰でも大学生にはなれる。しかし、大学という名に値しない大学が増え、大学生、大学教育への社会からの敬意は驚くほど消失している。わが国にとってそれが良かったとは思えないが、今度はそれが高校にもたらされるかもしれないのである。

 ■国民感情に反する朝鮮学校の無償化■

 最後に朝鮮学校を対象にするか、という論点にも一言述べたい。

 朝鮮労働党の党是に基づく金日成、金正日親子の礼賛、反日的で偏向した教育…と、今の朝鮮学校の教育課程に疑念が尽きないのは明らかだ。高校無償化の対象になるかどうかを問わず、そこが見直されなければならない。

 北朝鮮との間には拉致事件が懸案となったままだ。日本に向けミサイルが発射されたこともある。何よりもわが国の主権を蹂躙し安全保障を脅かす行為を繰り返しながら、真摯な反省がみられない。そういう国の国民教育をするのが今の朝鮮学校である。朝鮮学校に日本国民の税金をつぎ込む必要性、妥当性が問われるのは国民感情に照らして当然だろう。

 ■かつての文部省見解■

 昭和40年12月、当時の文部省は全国の都道府県に通達「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」を流した。

 通達では(1)朝鮮人学校は学校教育法一条に規定する学校の目的にかんがみ、これを学校教育法第一条の学校とすべきではない(2)朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮学校は、わが国の社会にとって、各種学校としての地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認めるべきはない(3)なお、このことは当該施設の教育がわが国の社会に有害なものでない限り、それが事実上行われることを禁止する趣旨ではない-となっていた。

 ■既に地方から補助金は出ている■

 しかし、都道府県の多くがこうした通達に従わず、各種学校として認可していく。特に昭和43年の美濃部亮吉知事は文部省の反対にも関わらず、朝鮮大学校を各種学校として認可。その後、文部省通達は平成12年の地方分権一括法の施行で失効し、朝鮮学校は地方自治体レベルで取り扱われるようになった。全国至る所で「教育研究助成」「保護者補助金」「就学補助」「新築校舎建築」など様々な名目で税金が充てられていった。だが、今日に至るまで国から朝鮮学校に補助金が出された例はないようだ。

 ■是非憲法89条との絡みでの議論を■

 朝鮮民族への差別の不当性が叫ばれ、それが今回の議論でも蒸し返されている。せっかくの機会なのでしっかり国会で議論して欲しい。特に憲法89条にいう「公の支配」の観点での論戦を願っている。無償化の資金は朝鮮学校を含め、私学の場合、学校法人など学校設置者に支払われるからだ。

 憲法89条とは「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」という規定だ。公の支配下にない民間の教育活動に税金を充てるべきではない-という規定で、私立学校への補助金が憲法違反ではないか、という指摘が今も根強くある規定である。

 結論から言うと私立学校への公金の支出は憲法違反ではない-というのが政府見解だ。いろいろな論点があるが、煎じ詰めると、私立学校は公の支配下にある-ということに尽きる。学校教育法や私学法、私立学校振興助成法に基づき、学校の閉鎖命令や学校法人の解散命令、収容人員の是正や予算変更勧告、役員の解職など様々な監督関係があり、私立学校は日本の教育の法体系のなかに位置づけられ特別な監督関係があるから「公の支配下」にある-というわけだ。

 ■朝鮮学校は「公の支配下」にあると文科省■

 以後、学校に対する補助金支出の是非は、株式会社立の学校、NPO立の学校、公設民営型、チャータースクール等など、多様な学校形態が生まれるたびに議論があった。しかし、朝鮮学校が正面から議論の対象となったことはない。

 文部科学省は朝鮮学校も「日本の教育の法体系のなかにあり『公の支配下にある』と認識している」(国際課)と説明する。しかし、これは先ほど述べた文部省通達の内容・趣旨に照らしても齟齬を感じる。単純に違和感を抱く人は多いのではないか。それに何より北朝鮮の方々が、これをどう受け止めるのだろう。

 ■最後に■

 今の朝鮮学校に大きな問題はあっても私は朝鮮人が朝鮮民族として誇りを持って生きていくための民族教育施設の存在そのものまで否定するつもりはない。だが、それには一定の条件があって、先ほど述べた日本にいながら日本人への敵視感情を駆り立てる教育を見直すことがまず重要だ。

 そもそも論でいえば、こうした民族教育は本来、朝鮮民族の英知と資金、それに見識と責任で賄われるべきであるということだ。まして他国の公金を使って、他国政府の監督支配下で、真っ当な民族教育が出来るとはどうしても思えない。日本の公金を受け取るということは日本の『公の支配下』になければならず、日本の統治下にあるということである。後で強制連行だ、植民地支配だなどと言われないように念押ししたうえで、日本の「朝鮮学校統治」を朝鮮民族は是認するのか。こうした疑義が朝鮮人から聞こえてこないのが不思議だが、これは朝鮮民族の矜恃の問題であり、よくお考えいただきたい問題である。(安藤慶太・社会部専門職)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100228-00000534-san-pol
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100228/plc1002280703003-n1.htm





5日の衆院厚生労働委での、自民・田村憲久氏と長妻厚労相・山井政務官らのやり取り。

田村氏「児童手当には『家庭の安定に寄与』とあったが、子ども手当法案には入ってない。なぜ『家庭』を法律から抜かれたのか」
長妻氏「子ども手当は所得制限を設けてないから、家庭の安定の文言を抜いた。社会全体で子育て応援すると」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm9928798












子どもは見ていた:東京大空襲65年/下 在日朝鮮人たち

 ◇家を失い、差別に泣く 両親、仕事求め渡日/裕福だった生活一変

 自宅の玄関に小さな防空壕(ごう)があった。豆電球がつき、食糧を入れていた。空襲が本格化するまで、子どもにとってはまるで秘密基地。朴基碩(パクキソク)さん(72)は暗闇にろうそくを立てて遊ぶのが楽しくて「防空壕で寝たい」と言っては両親を困らせた。

 基碩さんが住んでいた荒川区南千住には、朝鮮半島出身者が多かった。アボジ(父)も半島の貧しさから日本に渡った一人で、廃品回収業や海鮮物の販売をしながら一家8人を養っていた。

 45年3月10日の記憶は、家を逃げ出す場面から始まる。オモニ(母)は末っ子の弟をおぶい、妹と基碩さんの手を引き、姉はオモニのもんぺにしがみついた。六角形の細長い焼夷弾(しょういだん)が空一面から降ってくる。翌朝、焼け野原ではぐれていたアボジたちと奇跡的に再会し抱き合った。傍らで、女性が我が子の名を呼びながら黒焦げの遺体をひっくり返して歩いていた。その声が今も耳から離れない。

 約10年前から横浜市で韓国語教室を開いている。「朝鮮人」とばかにされ、幼稚園に1日しか行けなかったこともあるが、いま教室は日本人でいっぱいだ。

 「なぜ朝鮮人が日本にいたのか。日本で空襲に遭わねばならなかったのか」。子どものころの疑問は大人になるにつれ分かってきた。でもいまだに分からないことがある。「たくさんの朝鮮人が空襲の被害に遭ったことが、なぜほとんど知られていないのだろう」

    □

 軍需工場の多かった下町には、植民地だった朝鮮半島から仕事を求めて移住したり、連行された人たちが多く住んでいた。旧内務省の資料によると、45年時点で東京には約10万人いたという。

 本所区(現・墨田区)菊川に住んでいた李建中(リコンジュン)さん(74)は当時珍しかった黒革のランドセルを背負い、名門校へ越境通学していた。軍需工場を経営する父は幅広く事業を展開し、従業員たちは建中さんを「坊ちゃん」と呼び、毎日三輪トラックで学校まで送迎してくれた

 「大きくなったら戦争に行く」と思っていたが、父は「医者になれ」と、医療器具を買いそろえた。息子の将来を早くから案ずる姿に、若くして来日した父が成功するまでの苦しい道のりを感じた。

 そんな生活も戦況の悪化で一変した。44年4月、新潟県の寺に学童疎開した。食事は粗末で、栄養失調のようにやせ細った。

 7月、父が初めて面会に来た。チヂミをいっぱい持ってきた。「誰にもやるな。隠れて食べろ」。暑さでほとんど腐ってしまった。冬には背丈を超える雪が積もった。東京から履いていった革靴は凍ると硬く、登校中に足から血が出た。でも家族への手紙に「つらい」とは書けない。逃げ出して朝一番の汽車で東京へ帰ろうとする子もいたが、次の駅に先回りした先生に連れ戻され、みんなの前で木刀でたたかれた。

 翌年3月10日過ぎ。東京で大きな空襲があったと聞いた先生が様子を見に行き、帰ってきた。「全滅だ」。数日後から生き残った親たちが次々と迎えに来る。「うちはみんな死んでしまったのか」。残った友だちと抱き合って泣いた。

 従業員の兄弟という見知らぬ人が来たのは、8月13日のことだ。「なんだ、今ごろ来やがって」と強がった。「坊ちゃん。みんな死んじゃいました」。信じられなかった。

 千葉に疎開した祖父母の元へ身を寄せることになった。2日後、新潟駅に着くと、ホームや待合室で大人たちが泣いていた。「日本が負けた」と聞かされても、何とも思わない。ただ、肉親に会いたかった。

 遺骨さえ見つからない家族たち。「ひょっこり帰ってくるんじゃないか」との淡い期待も、年と共に薄れていった。父親代わりだった祖父も中学2年で亡くなった。高校受験では自分より点数が低い日本人の子が合格し、自分は不合格。中卒後、トラック運転手になり、還暦過ぎまでハンドルを握った。

 終戦で遠い祖国は解放され、日本には平和が訪れた。だが、建中さんは言う。「空襲さえなければ全く違った人生だった。戦争は生き残った者にも苦しみを与える」

 子どもが親や社会に守られ育っていく大切な時間を奪った空襲。一人一人の体験を聞く時間は、あまり残されていない。【木村葉子】

 ◇体験者の記録少なく

 東京大空襲による朝鮮人死者は少なくとも1万人とみられるが、正確には分かっていない。体験者の記録もほとんどが日本人によるものだ。「東京大空襲・朝鮮人罹災(りさい)を記録する会」の金日宇(キムイルウ)代表は「教育を受けた人が少ないうえ、戦後祖国に帰った人も多かったことから、体験が記録されてこなかった」と話す。

 関東大震災の犠牲者を鎮魂するために建てられた東京都慰霊堂(墨田区)に、空襲犠牲者の遺骨約10万5000柱が納められている。個人が特定された約3700柱のうち、名前などから朝鮮半島出身者とみられる遺骨は約50柱あるとされる。朝鮮人犠牲者を追悼する会は07年以来、毎年開かれている。

http://mainichi.jp/life/housing/news/20100310ddm013100151000c.html

4 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/10(水) 08:45:47 ID:3JJo4x2Y
> 裕福だった生活一変

裕福だったんじゃんw

7 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/10(水) 08:46:17 ID:keXYjikA
強制連行はウソでしたまで読んだ

13 :日本海 ◆JapanX.9G2 :2010/03/10(水) 08:50:03 ID:vc77bVOm
>>1

>アボジ(父)も半島の貧しさから日本に渡った一人で

「強制連行だったニダ!」って言わなくていいのか?w


156 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/10(水) 11:35:48 ID:jpW6ItAy
>高校受験では自分より点数が低い日本人の子が合格し、自分は不合格。
なんで他人の成績が判るんだ?

237 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2010/03/10(水) 18:43:07 ID:bQ+F6/0b
>>1
>当時珍しかった黒革のランドセルを背負い、名門校へ越境通学していた

差別されていたはずの朝鮮人がなんで名門校に通えたの?

>父が初めて面会に来た。チヂミをいっぱい持ってきた
>「誰にもやるな。隠れて食べろ」。暑さでほとんど腐ってしまった

腐らすくらいなら、他の子に分けてやればいいのに。

「日本に来たがってたの、大勢いたんだ」~大半、自由意志で居住 戦時徴用は245人
戦後の造語「朝鮮人強制連行」、大半は自由意思に基づく渡航







北朝鮮を単独制裁せよ
     志方俊之 日下公人 
 
日下 もし日本が北朝鮮との交渉を有利に進めたいのなら、六カ国協議などに頼らず、各省庁がほんの少しだけ自らの職務を果たせば済む話です。 それらを列挙すると、以下の様になります。
 第一に、経済産業大臣の権限で北朝鮮向けの貿易量を少し制限する。
 第二に、金融庁が北朝鮮への不正送金を止める。不良債権を返却せよという。
 第三に、外務省や法務省が出入国管理を徹底する。
 今日本にいる朝鮮の人たちは日本国籍も無ければ韓国国籍もありません。本人達は北朝鮮国籍だというかもしれないが、北朝鮮とは国交がないから、国とは認められない。つまり『無国籍者』です。彼らは出国時にあらかじめ再入国許可証を取得しなければならない。その手続きを少し厳しくする。
 第四は、国税庁が正しい課税を行う。いま上野や神戸に朝鮮の人がたくさん住んでいるのは、終戦直後に不動産の「即時取得」をしたからです。

志方 その話は初耳ですね。

日下 年の効です(笑)。日本が空襲で焼け野原になると、自分の息子が戦地から帰ってきたときのために、街のあちこちに父・母の疎開先名を記した看板がたっていました。その看板が立たない土地は一家全滅の印で、そこに朝鮮人や台湾人が家を建て、店を出して住み着いた。
 阪神・淡路大震災が起こるかなり前から、神戸市は「地震や火事の際に危険なので、入り組んだ街を整理します」という通知を出していたが、調査されると 不法占拠した土地だと分かるから、彼らは反対した。その結果、消防車も入れないような細い道が放置され、震災にともなう火災で焼死者が多く出ました。国は一〇兆円のお金を神戸市復興に投じたが、そのときもまた反対があって、五十年前と同じ道路になっている。こうしたことは国税庁も市役所も分かっているのだから、ただ「税金をきちんと納めなさい」というだけでよいのです。

志方 いまおっしゃったことは、北朝鮮に対する「国交正常化カード」になりますね。

平成十六年 Voice 1 月号 P.144

http://korea-log-01.hp.infoseek.co.jp/1077429167.html


【週刊新潮】 大臣が判子を捺さないので、戦後、在日重罪犯の国外追放はゼロ…治安上、死刑執行拒否より問題ではないのか





くず屋乃至バタ屋
昔は秋田の田舎にも「ピールピンにサイターピン」と言って朝鮮人が空
き瓶を回収に来た。戦後、彼らは暫く第三国人などと呼ばれて、東京な
ど大都会では肩で風を切って歩いたらしい。

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