『夜間飛行』

また靴を履いて出かけるのは何故だろう
未開の地なんて、もう何処にもないのに

『食の王様』 開高健

2012-09-04 | Books(本):愛すべき活字

『食の王様』
開高健(日:1930-1989)
2006年・グルメ文庫

++++

あるとき、いつものようにトトチャブして教室にもどってくると、私の机のなかに新聞紙でくるんだ大きな包みが入っていて、なにげなくあけてみたら、イモ入りのふかしパンだった。

その頃はメリケン粉不足をごまかすためにパンにイモを入れてふかすのがふつうであった。

フクラシ粉がないと重曹を使うが、それが白くかたまった箇所にいきあたると、ホロにがい。


誰かがそのパンをめぐんでくれたのだった。

そうとわかった瞬間にはずかしさとも何ともつかないショックにおそわれ、私は全身が熱くなり、顔が赤くなった。

そのまま私はたって、教室からかけだした。


すると、友人の一人があとを追ってきて、廊下のすみに私を追いつめ、赤い顔をしてしどろもどろに弁解した。


おれの言えは父も母も健在で何とかやっていける。

君のことを母に話したら、このパンを持っていけといわれた。

何もいわずに食べてくれ。

まずいもんやが、何もいわずに食べてくれ。

よかったらまた持ってくる。


彼は羞恥に圧倒され、口がもつれ、眼が血走っていた。

私とおなじほどに彼は苦しんでいたようであった。


私たちは稚くて、めぐみかたも、めぐまれかたも知らなかった。

わきまえておくことばも、身ぶりも知らなかった。

冬の雨がやぶれた窓から吹きこむ廊下のすみで、二人ともぶるぶるふるえつつ、たちすくんでいた。

++++ 


トトチャブとは、開口さんの友人曰く「メシのかわりに水を飲むこと」。

戦後、食糧難の時期に学校へ行くと、何よりつらいのが昼食時で、級友たちがいそいそと弁当を取り出すのをよそに開口さんは黙って教室を出て行く。

そして大量に水を飲み、ベルトをぎゅっと締め、30分か1時間くらい暇をつぶして教室へ戻るのだが、どうやら級友たちには「メシ抜き」であることを見破られていたようである。


それを見かねた優しい友人の気遣いは、しかし、開口少年の心を言い知れぬ程の恥辱で満たしただろう。

この後、この件もあって開口さんは学校へ行かなくなるのだが、成人し、作家となってからこの出来事を振り返って

「私は彼のことを思い出すと、あまり例のない感謝をいまとなっておぼえる」

と書いている。 


しかし、同時に、この優しかった友人に対して

「どうしていいのか、やっぱりわからないので腕組みしたまますわっている」

とも書いている。


幼少期のこんな想いを経てからやがて美食家になった人に、いざ「食」を語られると、こりゃまあ到底かないませんな・・・。 


本書は『食後の花束』、『小説家のメニュー』などから、開口さんの食に関するエッセーを集めたコンピレーション。

だから、全部どっかで読んでいるのだが、何度読んでも楽しいのが開口さんの「食」関連。
(俺は特に蟹の話が好きだ)


この本じたいは、なんかすげー適当な寄せ集めという気もしないではないけど、まあ読んでてすごく楽しかったので結果オーライ。


最後の締め口上、ラスト11行は名文すぎて死にました。

どんなに金や時間を費やしても、絶対に味わえない、誰にも語れない味があって、だからこそ食は永遠なんだろうなぁと。

そんな風に思った次第。
 

ところで、この角川春樹事務所のグルメ文庫なるシリーズのカバー・デザインには閉口しますが・・・。
(開コウなのにね!)

なんなの、この表紙。


ただ、このシリーズは、変な解説やあとがきが無いところは良い。

せっかく作家の世界に浸ったあとに出てくるよく分からない解説。

要りません、ノンノン僕ら。


■開口大兄
『私の釣魚大全』(1969年・文芸春秋)
『対談 美酒について ―人はなぜ酒を語るか―』(1982年・TBSブリタニカ)
『珠玉』(1990年・文芸春秋)
『食の王様』(2006年・グルメ文庫) 
『モンゴル大紀行』(2008年・朝日文庫) 

■YOUはShock(食)!!

『壇流クッキング』 壇一雄 (1975)
『土を喰う日々』 水上勉  (1978)
『よい匂いのする一夜』 池波正太郎 (1981) 
『喰いたい放題』 色川武大 (1984) 
『酒食生活』 山口瞳 (2002)
『そうざい料理帖 巻二』 池波正太郎 (2004) 
『食の王様』 開高健 (2006) 
『やさしさグルグル』 行正り香(2008) 
『ちびちびごくごくお酒のはなし』 伊藤まさこ(2009) 
『ごはんのことばかり100話とちょっと』 よしもとばなな (2009)
『小津安二郎 美食三昧 関東編』 貴田庄 (2011)
『サンドウィッチは銀座で』 平松洋子 (2011) 
『ひと皿の小説案内』ディナ・フリード (2015) 

 
<Amazon>
食の王様 (グルメ文庫)
開高 健
角川春樹事務所

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