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慈光の部屋 英語が当たり前に?(第52回-2)

2017年01月11日 | 受験・学校
【臼:臼杵さん(FMジャングル・DJ)、慈:久本慈光(寺小屋塾長)】

慈:今の子って、ものすごく忙しいんですよね。豊岡でもそういう状況ですから、東京のほうの子たちは、ものすごく忙
  しい中で生活をしているんです。だから、その上に英語塾も行って、中学受験の塾にも行くというのは現実的に無理
  で、そのどちらを選ぶべきかで悩むという話なんですね。
臼:なるほど。
慈:中学受験のための塾通いの是非も議論の余地はあると思うんですけど、それについては今日は置いといて、英語
  というものについて話をさせてもらいますね。
臼:はい。
慈:僕の感覚としては、英語というのは、あくまで道具なんですよ。しゃべれるようになるに越したことはないですけど、
  そんなに必死に追いかけなければいけないものだろうかと、僕は考えちゃうんですよ。
臼:僕らの世代の空気では、英語は特別なもので、しゃべれる人は一部のエリートだという感覚がありましたよね。
慈:ありましたね。それが小学校で必修になるんです。それが成功するかどうかは、今後検証していく必要があるかと
  思うんですが、もし文科省の思惑通り成功したとすると、英語がしゃべれることが普通になるということなんですね。
臼:特別なものだった英語が、誰でもしゃべれるものになるんですね。
慈:「ある程度は」ですけどね。文科省としては、ある程度は、誰でも英語がしゃべれるようになることを目指してるんで
  すね。
臼:そうですね。韓国が30年ほど前に成功して、きれいな英語かどうかは別にしても、皆が使えるようになってるそうで
  すね。
慈:そうですね。何で韓国人にそれができるかのと言うと、彼らがアグレッシブだからなんですよね。英語をしゃべること
  を、そんなに崇め奉ってもいないんです。
臼:日本人みたいに特別視してないのがいいんですね。
慈:そうだと思うんですね。
  (つづく)

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