
ウィレム・メンゲルベルクがナチ協力者の嫌疑により演奏停止処分を受けてから、ベイヌムが後任に就いた。友人Aはベイヌムのブラームスを中学時代に愛聴していたが、僕の好む演奏ではなかった。これは今も変わらない。50年間で築き上げたメンゲルベルク管絃團の芸術的な水準をベイヌムが引き継げたのかどうかは疑問だ(僕はそう誤解している)。
メンゲルベルクの演奏には、トスカニーニ的な厳しい練習によって支えられた完璧なアンサンブルと、濃厚な後期浪漫派の色合いの調和を聴くことができる。ベイヌムには前時代的な表現はない。しかし、1950年代に、パウル・ファン・ケンペンといふ指揮者がコンセルトヘボウに度々登場していた。
ケンペンの演奏は、とても明快な表現でアンサンブルも整っている。浪漫的な感性を聴き取ることもできる。何より驚いたのは、メンゲルベルクが原曲に手を加えた変更点がそのまま使われていたことだ。メンゲルベルクの細かな指示や音の変更はコンセルトヘボウ管絃團の楽譜に残されている。この書き込みとチューニングに30分もかけるといふ厳しい練習によって、弦楽器群全体に一糸乱れぬポルタメントをかけたり、変幻自在なテンポの揺り動かしが可能となったのだろう。
時代の移り変わりの端境期にケンペンの演奏が加わると、大きなギャップの穴埋めができ、僕としては大いに納得がいくのだ。それは、ちょうど32年間伯林フィルの監督として君臨したフルトヴェングラーの後任に非伝統的なカラヤンが就いたことで生じたギャップを、クナッパーツブッシュ、ベーム、ヨッフム、ブレッヒらが穴埋めしていたのと似ているやうに思ふ。
ケンペンのレコヲドは戦前から非常に多く、SP時代の名演も数多い。機会があれば紹介したいと思っている。

盤は、フィリップスのLP 。
メンゲルベルクの演奏には、トスカニーニ的な厳しい練習によって支えられた完璧なアンサンブルと、濃厚な後期浪漫派の色合いの調和を聴くことができる。ベイヌムには前時代的な表現はない。しかし、1950年代に、パウル・ファン・ケンペンといふ指揮者がコンセルトヘボウに度々登場していた。
ケンペンの演奏は、とても明快な表現でアンサンブルも整っている。浪漫的な感性を聴き取ることもできる。何より驚いたのは、メンゲルベルクが原曲に手を加えた変更点がそのまま使われていたことだ。メンゲルベルクの細かな指示や音の変更はコンセルトヘボウ管絃團の楽譜に残されている。この書き込みとチューニングに30分もかけるといふ厳しい練習によって、弦楽器群全体に一糸乱れぬポルタメントをかけたり、変幻自在なテンポの揺り動かしが可能となったのだろう。
時代の移り変わりの端境期にケンペンの演奏が加わると、大きなギャップの穴埋めができ、僕としては大いに納得がいくのだ。それは、ちょうど32年間伯林フィルの監督として君臨したフルトヴェングラーの後任に非伝統的なカラヤンが就いたことで生じたギャップを、クナッパーツブッシュ、ベーム、ヨッフム、ブレッヒらが穴埋めしていたのと似ているやうに思ふ。
ケンペンのレコヲドは戦前から非常に多く、SP時代の名演も数多い。機会があれば紹介したいと思っている。

盤は、フィリップスのLP 。