浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

橋本國彦の交響組曲「天女と漁夫」

2007年01月07日 | 日本國の作品
【前回のあらすじ】
橋本國彦の指揮したレコヲドは面白くないが、アルチュウハイマー(アルコール性痴呆)患者が彼が作曲した交響曲の旋律を覚えた。一方、文部科学省は評論家不要論を発表し、その後、宇野啓らは生死も不明となってしまった。

山田耕筰は早くからマスコミをうまく利用し、また、伯林フィルやレニングラードフィルを振って自作の管絃樂作品を紹介した。しかし、橋本にはそのやうなレールは敷かれてゐなかった。今、2人の作品を聴き比べるとオリジナリティーといふ点では、橋本に軍配を上げたい。

山田の作品はR・シュトラウス、ワーグナー、シューマン、ベートーヴェンの作風を模倣し、器用に繋ぎ合わせて一つの作品に仕上げてゐる。NAXOSから発売されてゐる山田の作品集には、物真似大賞を差し上げたい。日本人初の管絃樂作品である序曲ニ長調(1912年)はベートーヴェン、交響詩「曼荼羅の華」(1913年)はR・シュトラウスの模倣がある。このCDにはないが、有名な「赤とんぼ」もシューマンの洋琴と管絃の為の幻想曲にそっくりのテーマがある。

ちょん髷をとって半世紀、大正時代に独逸に渡り伯林高等音楽学校(ホッホシューレ)でヴォルフに学んだ山田によって日本の音楽界は牽引されていった。数百年の歴史をひとっとびに、雅楽から交響曲に変貌していったのである。このことを考えると、模倣できただけでも大変なことと言わなければいけない。日本の物真似は世界一と言はれるが、今年、数えで100歳になる僕の祖母の生まれた1908年には「ゼロ」だった日本の管絃樂作品は、僅か25年で、音楽史に名を残す名曲を幾つも生み出したのであった。

橋本が渡欧し、維納を中心に作曲を学ぶのは山田の渡欧から遅れること20年。その同じ頃、貴志康一も伯林フィルで自作品を演奏してゐる。山田は知られた作曲家だが、橋本も貴志も忘れられた存在だ。前回の第1交響曲に続き、交響組曲「天女と漁夫」の冒頭のオーケストレーションは既に日本独自の世界を表現してゐる。笙の音色を模倣した提琴群、「漁夫の踊り」「天女の舞い」の美しさは、他の作曲家にはない橋本の世界である。

評論屋には、こういった隠れた名曲を発掘する能力が無いようなので、僕たちがWeb上でネットワークを構築して頑張るしかない。その気でアンテナを上げるとすれば、学習意欲の旺盛な新人演奏家のプログラムや修士論文あたりに多くのヒントが眠ってゐるはずだ。

日本の評論屋の無能ぶりは、即ち音楽愛好家の程度の低さの反映でもあるので、我々は心を鬼に、評論屋の書くつまらぬCD評との決別を宣言しなければいけない。今後は、CD評につまらぬ記載があった場合にはレコヲド会社へ、評の中に誇大表現があった場合にはJAROへ、それぞれ報告することにしよう。そうすれば、つまらぬ評論屋は職を失わない為に勉強をするやうになる。大学教授も点数で評価される時代に、評論屋が評価するだけで評価されないのは許されるはずがないのだ。

そこで、お題の「今年の抱負」だが、今までの論点をまとめると、次のやうになる。

CDへの演奏評の無用を訴える為には健康が第一。よって、22回目の禁煙を宣言する。今までの21回の成功体験を無駄にせず、今度こそ。

盤は、NAXOSによるCD 8.555881J(橋本)と8.555350J(山田)。


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