浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

30年ぶりに訪れた懐かしい場所のこと

2007年08月16日 | 指揮者
先週、ブリッジのワルツを聴いてゐて、ふと京都の喫茶ソワレに行ってみたくなった。盆休みで神戸に帰った僕は、嫁さんを連れて(正確に言ふと「連れられて」)京都四条は木屋町通に足を延ばした。蒼い灯りに東郷青児の絵画が映える店内の様子は30年前と何ひとつ変わってゐなかった。

このお店には音楽が無いのだが、今、店のイメージを思い浮かべながら、メンゲルベルクのマーラーを取り出して聴いてゐる。アルマへの思ひを綴った有名なアダージェットのレコヲドだ。ソワレの店内でアダージェットやブリッジのワルツが鳴ってゐたらどんな雰囲気になるのだらう。ちょっと作り過ぎで嫌味になってしまふかも知れないが、妄想するだけで愉しみは広がる。

それにしても、30年経ってゐるのが分からないほど昔のままで、タイムスリップしたやうな感覚にとらわれる。このやうな世界が未だ日本にも残ってゐるのだ。さすが古都だけのことはある。ただ、一つだけ気になったのは、店がやけに狭く感じられたことだ。しきりに不思議がる僕に対して嫁さん曰く「あんたが成長したんとちゃうん?」。そっ、そう言へば当時よりも確かに30kgも成長した。1年に1kgの増加ペースだ。このままいくと、今世紀末には200kg近くになる計算だ。どうりで店内が記憶の約半分の広さになってしまったはずである。大いに納得して狭い店内をぶつからないやうに気を付けて進んで2階の窓側中央の特等席に座った。

美術館や渡邊暁雄指揮京響の演奏会に出かければ、必ず立ち寄ったソワレだが、あれから30年が過ぎ去ったといふ実感が湧いてくる。30年も経つので順序は定かではないが、この間に僕に子供が産まれ、嫁さんと出会い、結婚、そしてあの大震災を生き長らえた。しかし、リハーサルを見せてくださった渡邊暁雄氏も朝比奈のおっちゃんも、もうこの世には居ない。

あまりに変わってゐない空間に身を置くと、自分自身の変化だけが浮き彫りになり妙な気分にさせられる。【つづく】

盤は、英國Symposium RecordsによるSP復刻CD SYMPOSIUM1078。


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