浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

日本洋琴界の大恩人レオ・シロタのショパン

2006年12月14日 | 洋琴弾き
レオ・シロタは「荒城の月変奏曲」に続いて2度目の登場である。戦前の東京音楽学校には、レオ・シロタとレオニード・クロイツァーといふ巨人が居た。クロイツァーはラフマニノフの第2協奏曲初演時の指揮者であったことから知名度は高く、独逸時代のポリドール以降、数多くのレコヲドが残されてゐる。しかし、レオ・シロタは忘れ去られた存在となってしまった。このことは、シロタの生前の我が国への貢献を知る人たちには許しがたいことに違いない(と僕は想像する)。

戦時中も日本に留まり、日本国民とともに苦しい時期を乗り越え、さぁこれからといふときに東京音楽学校による冷遇を受け、米國に渡ってしまった。このやうなシロタに対し、僕は日本人として恥じる気持ちでいっぱいである。せめて、シロタの名演を伝え、少しでも多くの人々にシロタの音楽を知ってもらえればと、微力ながらここに取り上げた次第だ(ここに取り上げたところでどうなるわけでもなく、個人的な気休めと承知してゐる)。

「このやうな見事な演奏を聴いた後で、私は誰の演奏も聴きたくありません」この言葉を発したのは、なんと、かのフェルッチョ・ブゾーニなのだ。冷静な視点と実に浪漫的に歌わせる心とを持ち合わせた偉大な音楽家であることは間違いない。

例えば、ショパンの練習曲、作品10-9と10やワルツ作品70-2などを聴かれると、今までに聴いたことのないシロタ独特の解釈を味わうことができるはずだ。これが奇をてらうわけでもないが実に変わっていて、しかも自然な音楽の流れを感じる演奏なのである。このやうな偉大な音楽家に真の欧州の音楽を学ぶことができた学生たちは本当に幸せな人たちである。彼はまた、ヤマハピアノを世界的ブランドにまで押し上げる原動力を与えた人でもあり、その恩恵は一言では言い表せないほどである。

1952/3年の録音を中心に集めたCDアルバムだが、最晩年の78歳の録音も2種含まれてゐる。多少のミスタッチは仕方がないとしても、そのテクニックと熱っぽい音楽づくりは老いを全く感じさせない素晴らしいものである。「アンダンテ・スピアナートとグランドポロネーズ」作品22や、「ゆきのふるまちは・・」の歌詞で有名な「幻想曲」作品49のもの悲しい旋律には本当に泣かされる。

レオ・シロタの「荒城の月変奏曲」はこちら
blog.goo.ne.jp/tenten_family6/e/93c68838b72fe1e13bbd75baf6ac87f8

盤は、米國ArbiterによるSP復刻CD ARBITER137。


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