長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

♪京都の秋の夕暮れは・・・   の人が旅立った

2017-04-06 13:43:04 | Weblog

加川良さんの名曲「下宿屋」のまくら。昨日69歳で旅立たれた。

♪京都の秋の夕暮れは コートなしでは寒いくらいで 丘の上の下宿屋はいつもふるえていました。

から始まる「語り」がすばらしかった。ちょうど昭和51年に京都で初めて下宿をしたころだったので、

よく聴いたもんだ。

♪一杯飲み屋をでていくあんたの後姿を見ていたら・・・というくだりがあると、一杯飲みたくなり、

京都御所の近くの荒神口にあった「安兵衛」というおでんやによくいった。「うすあげとこんにゃく」

を頼んで、名誉冠という伏見の女酒を燗にしてもらって飲んだ。

うすあげには、九条ネギがいっぱい刻んではさんであり、そこにからしをつけて食べると、少し甘口の

名誉冠とあって、今流行りの「ペアリング」のはしりみたいなもんやった。

ぼくが最初に住んだところは鳴滝本町というところ。右も左もわからず、不動産屋にいって「立命館に近いとこ」

といって紹介してもらった。ところが、ぼくのいった法学部と文学部は、御所の横にあって、通学がすごく大変やった。

でもいろんな友達がいっぱいきてくれて、あまりに毎日どんちゃんさわぎをやるので、すぐに追い出され、

次は松ケ崎のボロボロの一軒家を借りた。ノートルダム女学院の運動場がある崎で、幽霊がでるとかいううわさの深泥池

も近い場所。これを「みどろがいけ」と読める人は、京都にくわしい人やね。今でも心霊スポットらしい。

京都に6年いる間に、もう一回引っ越しをした。そこが「下賀茂西本町」。

頼山陽という人も引っ越しが好き?なのか、そうゆう運命にあったのか「山紫水明処」という書斎に落ち着く前は

京都の中を転々としたらしい。大学のすぐ近くに今でも、その建物が残っていて、煎茶人たちのあこがれの「しつらえ」

として加茂川べりに立っている。京都にいた時は「珈琲」のみだったので、訪れたことはなかった。ただタクシーのうんちゃん

と話をしている時。「りっちゃん(当時、ぼくたちの大学はそんな風によばれた。)やったら、サンシスイメイドコロ、に一回は

いっといたらエエデ」といわれたことが頭に残っていた。

時々、お茶会をやるとき、頼山陽の軸を掛けたりするけど、その時は、なぜだか「安兵衛」で飲んだひとたちの

ことを思い出したりして、「ああ、あの人はいまごろどこで何をしているのだろう」とか思ったりする。

その掛け軸は、頼山陽が鳩居堂の主人に「甘酒の作り方を教えてください」と書いた手紙を軸装したものだ。

今日は「満つまめの会」をやっている。夜は「おとこかっぽれ」。かっぽれの後は「おでん」で一杯やることにしよう!

明日は「ダメから始める中国語」