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【蓮舫の祖母陳杏村の黒い霧事件の資料】 魚拓として保存

2016-09-28 23:13:25 | 反日

蓮舫の祖母陳杏村の「黒い霧事件」の資料 【第052回国会 農林水産委員会 第4号】 >>

より抜粋☟


参-農林水産委員会-4号昭和41年11月01日より
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○黒柳明君 大臣の時間が短いので、次長のほうもなるべく短く御答弁される、けっこうだと思うのですが、わかっている事実はどんどんしゃべっていただきたい、こう注文をつけておきます。説明が不十分ですから、私のほうで説明を補足したいと思います。けれども、もし不正確な点があったら、誤りがあったら、ひとつ訂正もしていただきたいと、こう思います。

 砂田勝次郎氏と陳杏村氏との関係は、陳杏村氏は、台湾バナナ輸出業者がつくっている連合組織である、ただいま申しました輸出同業公会の理事長もやったことがある。すなわち、台湾バナナ輸出業界の大物なんです、この人は。このことは決して知らないということはないと思いますが、いまの説明には知って言わなかったか知らないで言わなかったかわかりませんが、それが一点。

 二点は、この公会は、かつて日本が台湾バナナ輸入を自由化した当時から、国民政府によって輸出総量の五〇%の割り当てを与えられて、わが国の国内バナナ輸入業者に対して絶大な支配力を持っておる、こういう人が陳杏村。

 三つ目、陳杏村氏の令息に当たる人で謝哲義と謝哲信、こういう人がおります。今度はむすこさんのことですが、それぞれ砂田という日本人商社名をつけた多数のバナナ輸入会社を実質的に支配し、まかされております。この陳杏村氏のむすこさん二人が。たとえば、これは例として、謝哲信さんが取り締まっている会社は三興商事とか、いま言いました砂田産業その他です。

 謝哲義さんが取締役のポストにある会社としては福光貿易その他です。まだまだ数多くあります。それが三番目の関係です。

 四番目、この駐日弁事処は、日本の業者がかつて輸入バナナ一かごに何百円というリベートを持参しなければ台湾バナナを輸入しない、そういうようなことでリベートを取って、外為法違反容疑で警察から取り調べを受けた事件がある、こういうような点もはっきりしております。

 以上の四点、これは私が調べた陳杏村氏に関係すること、あるいは砂田勝次郎さんに関係すること、その他の事実です。これは私も自信をもって間違いがないと――謄本やなんかあります。これは客観的情勢から見て調べたことです。このことは、当然、いま説明が言われてみれば、そんなことはわかっていたと次長さんのほうはおっしゃるかもわかりませんけれども、そのことを説明していただきたかったと思うのです。

 そこで、通産大臣と農林大臣にお伺いしたいと思いますが、先ほども、通産大臣は、激励をする会、問題がないじゃないかと。私も、そのとおりだと、こう申しました。ところが、いま私が陳杏村氏についてあげた四点のこと、これは登記の書類によって調べたことなんです。また、バナナ輸入業界の精通者の意見、あるいは関係者の話も若干入っています。これは、あくまでも意見ですから、間違いがあるかもしれません。で、冒頭に言ったわけです。しかし、これはきわめて重大な問題です。通商局としても、もしこういう事実がわからなければ調査もし、また、私の発言に誤りがあったならば訂正もしてもらいたい、こう思うのです。こういう立場から、通産大臣として、こういうような裏面を持った、背景を持った、つながりを持った関係から、まず一点として、先ほど来の激励会が開かれた。まだまだあるのであります。

 まず一点として、そういう会が開かれているのです。こういうことを見ますと、黒い霧を晴らすためには、激励会をやったっていいじゃないかと、それだけじゃ済まされない。その背後関係、事実関係をあげただけでも、こういう四点があがっている。これに対して、もし次長さんのほうでこの事実を知らないとしたら、誤りがあるとしたら、至急大臣のほうでどういう関係があるのか結論を出していただきたい。そして、いま話題になっております綱紀粛正とか、黒い霧を晴らすとか、そういう問題に対して、さきに共和製糖グループ関係で、松野農林大臣が、私が陣頭指揮で黒い霧を晴らす、こういうことをおっしゃったと同じような態度を示していただきたい、こう思う。要望すると同時に、いま言った関係性を至急調査をさしていただきたい。いかがでしょうか。


  最近、蓮舫氏の家族事情がだんだんと判明し、温和な父親のみでなく、曲折を経て世に出た、政界・実業界の両域で非凡な才能を示した女丈夫の祖母のいる事がわかった。

 蓮舫氏一家の祖先は謝という姓で、台湾台南の白河鎮の出身である。祖父は早くに亡くなり、祖母陳杏村は第二次世界大戦中に台湾から上海に渡った。当時を知る年配者の記憶によると、陳杏村は並の女性ではなかった。孤立無援の時期に彼女は上海駐屯の日本軍高官と親密な関係を持っており、上海南洋煙草公司の総代理、英米煙草公司総販売などの利益の多い事業の経営権を得た。戦争の期間に陳杏村は個人の名義で日本軍に二機の戦闘機を献納し、それぞれ「杏村1号」、「杏村2号」と命名され上海では大変有名であった。1945年日本軍が降伏したのち、陳杏村は売国罪で起訴されたが弁護士に弁護を頼んで仮釈放となり台湾に帰った。台湾当局の裁判所は当時の社会的事情に迫られた事、国民党の地下工作と関係があった事の理由から「陳杏村売国事件」に無罪を言い渡した。

 台湾に帰った後も、陳杏村は依然として実業と政治の世界で大いに活躍する名声赫々たる女丈夫であった。彼女は大一貿易有限公司総経理、福光貿易株式会社社長、契徳燃料廠股処ヘ有限公司董事長を歴任し、更に台湾地区青果輸出業同業公会理事長を務めて、台湾が海外に進出を果たす、とりわけ日本向けバナナ輸出貿易事業において主導的な役割を果たした。

※ ある人の感想文

  この記事を読むと蓮舫氏の来歴は本省人と読めますが、蓮舫氏のブログでは親族を訪問するために中国本土との往来を認めていることを考えると、外省人である可能性は否定できません。一つ明確に言える事は、彼女は極めてペルソナングラータ(外交上、疑わしく入国を拒否された人物)に近しい存在であることは疑う余地は無いでしょう。

 

 この出生の秘密が、彼女の日本に対する背任行為とも受け取れる行動の源泉である可能性も高いと思われます。

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