光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

琵琶湖 入江干拓地と古代の筑摩江

2011年01月04日 | ぶらり探訪

琵琶湖と繋がる入江河口部は、水鳥が強風と波を避けていました。


寒々とした風景の中で、赤や黄色の花が際立ちます。

ビューという風の音が聞こえるでしょうか?





 カメラを構えると水鳥達は一斉に飛び立っていきました。  猟師と勘違いされたかな?



 中央の湖岸に建つ建物はリゾートホテル。 その左手の松林辺りに筑摩神社があります。



筑摩神社の裏手一帯に琵琶湖第二の内湖筑摩江があった。
現在は米原町入江いりえとよばれている。 干拓によって造成された農地は約三〇〇ヘクタールにもおよぶ広大なもの。

筑摩江の名は平安時代から都人に知られて歌に詠まれ、のちには歌枕となった。







藤原道信の歌 (972-994)
二十三歳で夭折した歌の名手。 百人一首にも歌を採られている。



女の下につかわしける



あふみにかありといふなる三稜草(みくり)くる人くるしめの筑摩江(つくまえ)の沼(後拾遺644



【通釈】近江にあるかという、三稜草を手繰る筑摩江の沼-----なかなか根が見えず人を苦しめるというその水草のように、逢ってくれずに私を苦しめるあなたですよ。



筑摩江の歌はこのように、水草の根を喩えにしたものが多いようだ。
この筑摩神社の場所は、昔、朝廷への貢物の魚類などを調達する筑摩御厨(つくまのみくりや)があったところ。
入江橋の北に朝妻の地名がありますが、ここも昔、琵琶湖の舟運の拠点だった「朝妻湊」があった。
 

黄色で塗ったところが入江干拓地で内湖だったところ。  筑摩江は、平安時代の琵琶湖の水位もあり、この大きさだったかは定かではない。
(つづく)

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