光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

古民家の雛祭りと梅の花

2021年02月24日 | 歴史、民俗

またまたまたピンチヒッターです。

昨日の天皇誕生日に、歩いて10分程のところにある古民家に行き、写真を撮ってきました。

立川市指定有形文化財の小林家住宅です。

嘉永5年(1852年)に建てられたこの住宅、武蔵野の農家として、上層に属する農家だった。

この古民家は以前にも紹介しましたが、それから9年程ご無沙汰していました。

先ず、門からすぐのところから。梅の木の左奥に土蔵が新しく建っている。


 

 

土蔵の全景と説明版。

 

 

 

土蔵内にある質屋の帳簿。 衣類などを頻繁に質に出し入れしていたんだ。

 

 

土蔵から、古民家を撮影。

 

 

入母屋造・茅葺の屋根に紅梅が似合う。

 

 

少し梅の花を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は風が強く、竹の葉もなびいていました。

 

 

古民家室内です。 雛祭りの人形が、いくつも飾られていました。

 

 

こちらの雛人形はかなり古そう。

 

 

 

お雛様の貌アップです。 ン? 楳図かずおの雰囲気、頭の髪の毛はメデューサの毒蛇に見える ウウ・・・

 

 

囲炉裏には薪がくべられていましたが、昔の家は寒さが厳しかったでしょうね。

 

 

お勝手

 

 

上層農家ですね。奥の間の欄間などは、高い技術が使われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝10時40分から小一時間ほど見学・撮影。 祝日とあって、コロナ禍でもちらほら見学客がいました。

 

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京都・富山アート巡り#4 京都文化博物館 総合展示

2020年05月23日 | 歴史、民俗

4階の特別展から3階に降りると "京の歴史をつなぐ "

と題されて、ICOM京都大会テーマ「文化をつなぐミュージアム-伝統を未来へ-」に関連した展示がありました。

最初に目についたのが、この写真パネル

 

巨椋池は、私も名前は知っていたのですが、この写真をみて、初めてそのイメージがつかめました。

撮影した黒川翠山氏(本名:種次郎 1882-1944)はアマチュアですが、明治中期以降、はやり始めた

新進芸術としての芸術写真に取り組んだ方で、当時、普及しだしたガラス乾板式のカメラで撮っています。

今のデジタルカメラのような機動性はないので、この写真も、漁師や小舟は演出して撮っていると思うの

ですが、しっかりした撮影技術や、構図の良さから、印象に残る作品になっています。

 

ところで、巨椋池、調べると非常に面白い!

巨椋池の場所は京都盆地の中でも最も標高の低いところです。 京都盆地には宇治川、木津川、桂川の

3河川が流れ込んでおり、天王山のある山崎を過ぎたあたりで3河川が合流し、淀川となって大阪湾に

注いでいます。

グーグルマップの俯瞰写真に、手描きでおおよその場所を示しました。

巨椋池の一帯は、豊臣秀吉が大規模な治水・土木工事を行い、地形が変わっています。(伏見城を築き、政治

経済の中心地にするため)   緑の点線で示したのは、秀吉の工事以前の巨椋池・・・池というより湖!

 

 

下の地図は、秀吉による工事前のもの。 宇治川が巨椋池に流れ込んで、氾濫原または遊水池の機能を果た

していた。 木津川や桂川も巨椋池の西端でつながっていて、洪水時にはさぞや逆流したことでしょう。

この一帯は、大雨が降れば洪水の常襲地帯となっていた。

幻の巨椋池~淀界隈を歩く : 歩きを楽しむ

 

 

下の地図は、明治42年のもの。(写真パネルの当時の地形)

宇治川が巨椋池を迂回するように、伏見を通って流れ、東一口(ひがしいもあらい)で、かろうじて宇治川につながっていたが

明治末期の改修工事で分離され、単独の池となり、次第に水質が悪化していき、蚊の大発生に悩まされる。

一方、池には蓮の花が群生し、見頃の時期には蓮見舟で賑わった。 

木津川も、明治元年、合流部の付け替え工事が行われたりしたが、洪水はその後もしばしばこの一帯を襲い、昭和28年の大洪水

では、干拓された旧巨椋池も含めて、流域一帯が水没した。

近年は、天ヶ瀬ダムの建設や、3河川合流部の改修などで、洪水被害は聞きませんが、警戒が怠れないエリアに違いはない。

 

 

 

次は羅城門、平安京の正門です。 羅城は、もともと都を囲む城壁の意味ですが、平安京を囲む城壁はなかったようで

このため、羅城門はお飾り的な意味合いしかなく、廃れ、無くなってしまった。

平安京羅城門模型(縮尺=1:100) 1980年制作  京都文化博物館蔵

 

平安京の内裏の位置は、現在の京都御所の位置とは違うのですね。 知らなかった。

内裏の右下に現在の二条城がある。

 

 

 

 

 

黒澤明監督の羅生門のポスター。 中世以降は、羅城門は訛って羅生門と呼ばれるようになった。

 

 

 

この写真も黒川翠山氏の作品。 キャプションにもある通り、少し演出が入っているようだが、生き生きとした表情

がうまく捉えられている。

 

 

次は、京都文化博物館の別館=旧日本銀行京都支店の資料写真です。

 

 

 

 

 

 

 

移転閉鎖の後、一旦、平安博物館に変身。

 

 

 

 

 

 

私が、別館に入った時、音楽が聞こえていたのも、なるほどでした。

 

 

 

日本画家・山本 知克の作品。

「大きな屋根」  平成元年(1989)

 

 

 

 

京都文化博物館を見終えて、高倉通りを歩いていくと、京都らしい町家。 

日陰を選びながら、次のアートフェア「artKYOTO]の会場、二条城に向かいます。

 

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軽井沢そして東北,アート巡り #7 本間家旧本邸

2018年07月04日 | 歴史、民俗

 本間家旧本邸に、午後4時前に到着。

閉館時間まで30分ということで、邸内説明の最後の組に滑り込みました。

長屋門です。 いい木を使っているのが、素人でもわかります。  なお、邸内は撮影禁止のため、外観のみになります。

 

 

 

 

 表玄関と伏龍の松(樹齢400年以上の赤松で、本間家では門かぶりの松と呼んでいる)

 

 

 

 

 

庭。 規模は小さいながらも、諸国から北前船で運んだ銘石などを配して、質が高そうです。

 

 

 

パンフレットです。  日本一の大地主だったので、もっと大きな邸宅もできたのでしょうが、華美を排して

地域・社会に貢献するという、近江商人的なコンセプトが感じられました。 長く続いたのも、そのせいでしょう。

どの部屋も、コンパクトでしたが、素材にすごくいいものを使っていました。


 

 旧本邸と道路向かいにある「お店(たな)」

「お店」は、本間家初代原光の「新潟屋」開業以来、本間家が代々商いを営んだ場所です。

 

 

 

 

 手前には、行灯などの照明具、奥には消火用の竜吐水など。 左端の行灯は、小堀遠州が考案したものとか。

 

 

 

 中は結構広い。

 

 

 

 帳場とその奥の庭。

 

 

 

 帳場。 

 

 

 

 

 

金庫が貫録!

 

 

 

大きい金庫の、ダイヤル錠

 

 

 

 

 薬の看板。  この看板を見ると、効きそうな気がしますね。

 

 

 

 

 

 

昔の写真。 六角灯台が最上川河口にある。                                      外国船のような気がします。

                         

 

 

 

 

 大火の多かった酒田、本間家の当主は火災予防に細心の注意を払っていることがわかります。

 

 

 

 翌日(4月19日)の朝、本間家旧本邸の前のバス停から、土塀を撮影。

 

 

 

 

上の土塀に続く、北西に面した旧本邸の土塀、土蔵やタブノキ。  これらが昭和51年の酒田大火から旧本邸を守った。

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軽井沢そして東北,アート巡り #6  酒田市立資料館

2018年06月24日 | 歴史、民俗

 本間美術館を出て、 酒田市立資料館に向かって歩き出すと、ローソク店を発見。

ローソク店てあるんですね、初めてみました。 ローソクだけでやっていけるんだ!
 
 調べると、酒田には3店のローソク店があり、元禄9年(1696)創業の老舗もありました。

ちなみに、人口1,000万の東京都では2店 !(キャンドル店は除く) 人口11万の酒田のローソク需要は凄い。

 

 


もう少し歩くと、Jazz Barが。ライブもやっているようですが、商売やっていけるのかなー・・・と余計な心配。

酒田では、音楽などでも進取的な人が多いのかな。

 

 

 酒田市立資料館に着きました。 狭いエントランスホールにも、展示品が所狭しと並べられています。

左にある柱時計は、大正時代に製作されたものですが、今でも正確な時間を刻んでいます。

中央には、酒田大火で焼け残った電柱・・・そう、この資料館に来た目的の一つは、この酒田大火

詳しく知りたいと思っていたからです。

 

 

 


すぐ横には、農作業のマネキン!  おー「はんこたんな」のキャプションもある!

 

 

 

 マネキンの顔が露出し過ぎと思い、目だけ見えるように”はんこたんな”を編集。 資料館の皆さん、お許しを。

 

 



展示フロアは2階なので階段を上り、振り返って撮ったもの。

今見てきた本間美術館や、明日行く、土門記念館のポスターがありました。

 

 

 

 

 上には、酒田の大凧。

 

 

 

 酒田市の航空写真がありました。 昔は、最上川の左岸に酒田の湊町があったらしいのですが、洪水の

影響の少ない右岸に移ったとのこと。

 

 


展示としては、縄文時代からの土器などもありましたが、湊として発達した以降に焦点を絞って紹介。

ただ、昔、出羽の国の国府が、酒田にあったことは重要なので述べておきます。(城輪柵遺跡)



千石船の模型。  船倉に米俵がびっしり、約千石(150トン)積めたので、語呂よく千石船と呼ばれたが、船形は弁才船と言うらしい。

 

 


この図をみると、最上川が山形県の大動脈であることが分かります。

品物で、入りの欄に”古手”とあるのがわかりませんでしたが、使い古した衣類のことなんですね。

 それにしても日本三大急流の一つ、最上川を遡行するのは、大変だったろう。

 

 

 

この資料館に来て、もう一つ興味が湧いたのが、戊辰戦争でした。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会津藩・庄内藩が朝敵・・・・薩摩・長州からみれば、会津藩は憎い敵というのはわかりますが、庄内藩はなぜ?・・・どうやら

薩摩藩が江戸でテロ挑発を行ったとき、江戸警備にあたっていた庄内藩が幕府の命を受け、江戸薩摩藩邸襲撃の中心となったからと思われます。

 

 

 

 

 

 戊辰戦争の説明パネルを読み終わって、浮かんできたのが映画「たそがれ清兵衛」のラストシーン。

清兵衛が、庄内藩士とし新政府軍と戦って命を落とし、その後、成長した清兵衛の娘が父を回想し、「人は清兵衛を不運な男だったというけれど、

私は、そうは思わない。 私たち娘を愛し、美しい朋江(清兵衛の妻)さんに愛され、満ち足りた思いで短い人生を過ごしたに違いない。そんな

父を誇りに思う。」・・・2002年に見た映画ですが、ラストの語りの岸恵子が、ふつふつと浮かんできました。

 

 

 

 さて、酒田大火のコーナーに来ました。

昔から、大火が頻発したんですね。

 

 

 

 

 撮影した写真の部分拡大をしたので、字が不鮮明になっています。すみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この頃には、いろは蔵も本間家が所有していたようだ。

また、山居倉庫の記事でも述べたように、山居倉庫は被害を免れた。 ※写真の黄色い文字は編集して加えたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火元となった映画館、進取的な映画館として有名だったんだ。

 



大火のとき、上映していたのが「愛のコリーダ」

 

 

 

 

 

 映画館の観客や従業員は避難して無事だったが、3日後に消防長の遺体が館内で発見された。

大火で唯一の犠牲者となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出火時の風向きは、西南西で、その後、西北西に変化している。

 

 

 


 焼け跡にポツンと残る、無傷の本間家旧本邸に人々は驚いたようだ。

 

 

 

 

自衛隊の迅速な出動が、被害を軽減し、復旧を助けてくれた。

 

 

 

 大火から2年半後、復興された酒田の街。復興は早かった。   ※本間家旧本邸の書き込みは、編集作業で付け加えました。

 

 

 

 この酒田市立資料館は、その焼け跡に昭和53年(1978)開館した。  ちょうど、開館から40周年を迎えている。

少し、手狭になっているように見受けましたが、貴重な資料を末永く、公開していけるよう願ってやみません。

 

次は、すぐ近くにある旧本間家本邸に向かいます。

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ソウルにて 国立古宮博物館

2016年08月13日 | 歴史、民俗

ソウル滞在最終日(6月30日)、徳寿宮館の現代アートを見てから、歩いて国立古宮博物館へ。

博物館の玄関前

 

 

 

玄関前から振り返ってみた光景。  景福宮の光化門が正面に見えます。(古宮博物館は景福宮の中にあります。)

 

 

館内の朝鮮王陵コーナ。  約500年続いた李王朝の陵墓で、ソウルの近郊などに約40基あり、ほとんどが世界遺産になっている。

 

 

第14代国王の宣祖の陵、王妃二人の陵です。 李王朝についてWebで調べていると、王朝内の政争が凄かったんですね。

韓流ドラマの格好の題材。 古代から、どこの国の王朝も、血で血を洗う陰惨な権力争いがあります。

 

 

 

展示光景

 

 

王室の文具

 

 

王の食事例。 小皿が多く栄養がありそう。 皿のデザインがシンプルなのが意外。

 

 

王室用の陶磁器類。  品格があります。

 

 

宮廷寝殿内部の例。  鏡があるので王妃の部屋でしょうか。

 

 

こちらは国王の部屋かな?   色使いに、韓国らしさを感じます。

 

 

王妃の衣装。 美しい。

 

 

 

 

 

韓国の宮廷衣装は色鮮やかです。

 

 

 王室の家族写真

 

No9の写真には、和服を着た女性が写っている。 出典も「日本之朝鮮」1911年となっており、1910年の日韓併合後、

日本と韓国の王族の結婚(政略結婚)などもあり、宮廷にも日本人が入ったのだろうか。

 

 

調度類も上品です。

 

 

 

 

屋根瓦の縁に置く、魔除けと思われる像。 昨年のソウル旅行の時、東大門の屋根上にあり、?でした。

 

 

左のケースが青銅龍  

 

 

 

十二支かなと思ったのですが、右端は沙悟浄、その隣が孫悟空…と西遊記の世界の像もあります。

 

 

 

王の印、いろいろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時報のからくり機械

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玉座

 

 

日本だと、襖絵とか屏風絵にあたる絵画。

 

 

 

 

 

 

 お供えの食物

 

 

 李王朝雅楽部の楽器類

 

 

旗がデザイン的も面白い。  朱雀旗

 

 

 

 

 

青龍旗。  ぶれてしまいました。

 

 

白虎旗

 

 楽しめた古宮博物館でした。

 昼食はホテルでアフタヌーンティ。 なんと、ケーキ類が山盛り 死ぬ思いで完食。 

 

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神田祭 2015

2015年07月17日 | 歴史、民俗

2015年の神田祭(5月9日(土)12時半頃)   2カ月以上過ぎての間の抜けた記事になってしまいました。

場所は、会社近くの交差点で、岩本町一丁目交差点から50mほど、東にいったところ。

一昨年も撮りましたが、そのときは見なかった神輿が目に入りました。

 

 

ひょっとこの踊りなど、初めてです。  

 

 

このとき、法被を着たおばさんから、掛川のお茶をどうぞと言われて、サンプル茶袋とリーフレットを頂きました。

なんで掛川茶なの?と戸惑いながら、リーフレットを見ると、この神輿と似たものが載っているではありませんか。

 

遠州横須賀の神社の祭りです。 遠州横須賀は、いまの静岡県掛川市

なかのページを読むと、神田祭との関係がわかりました。

 

遠州横須賀の祢里(ねり)が、神田祭に里帰りしたものだったのですね。

さて、神輿は静止し、神田神社の神幸祭の行列を待っているようです。 手前の町神輿が地元岩本町一丁目のもの。

 

 

この祢里を引くのは、か組の法被を着た人たち・・・掛川市のHPをみると、掛川市河原町の人たちです。

 

やってきました。

 

 神幸祭の行列は、朝8時に神田明神をでて、各町内を巡り、日本橋三越デパート前で頂点に達し、晩の7時に戻る延べ30kmの大変な行列。

天狗も高下駄ではたいへんでしょうね。

 

 牛車に見えますが、もちろん牛は人形です。  学生アルバイトをたくさん雇って引かせているようです。

 

 

地元の名士さんたちでしょうか

 

 本物の馬車です。  神主と氏子総代さんでしょうか。

 

 馬に乗った方も。  この方は一昨年の行列でも馬に乗っていました。 馬喰町の狭い通りで、馬が小暴れして慌てていましたね。

 

 

 

 芸人に大喜びのか組の人たち。

 

 

行列が去って、さー出発です。

 

 

沿道には、粋な法被姿のおかみさん。

 

 

掛川市河原町の皆さんも、子供から大人まで大勢で参加しています。

夜のNHKニュースでも、三越デパート前のこの祢里がアップにされていました。

 

 

ひょっとこ役はどんな人がやっているのでしょうか。 とぼけたユーモアがあります。

 

 

篠笛の方も熱演。

 

 

祢里にのっている娘を気遣うお母さんでしょうか。

 

 

犬も法被を着ています。  そうそう、うちのわんぱく犬のニキも、肥後農協の法被をつくる予定だ。(熊本生まれなのです)

 

 

長い竿は何だろうと思っていたら、これですね。 祢里のリンボーダンス。

 

 

 

 

 

 

こちらは鍛冶町二丁目の町神輿。 何人か女性が担いでいます。

 

 

さすがにきつそうですね。

 

 

後ろの担ぎ手、身長差で負担が違いますね。

 

 

終了は、拍子木の一本締め。

 

 

町内会長さんでしょうか、明日の宮入りも元気で頑張りましょうと挨拶していました。

 

一昨年は小雨の中での祭でしたが、今回は天気に恵まれていました。   いろんな光景が見られ、面白いですね祭りは。 

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ソウルにて ソウル歴史博物館#2

2015年06月26日 | 歴史、民俗

日本による朝鮮の植民地化が1910年に始まり、1926年(昭和2年)頃の映画の状況です。

 日本語のタイトルのポスターが目立ち,ハングル文字がでてきません。

 

 

 

 

 

 

朝鮮の人も日本の戦争に駆り出された。 そういえば、鹿児島の知覧特攻基地の慰霊施設付近にも、韓国人特攻隊員の慰霊碑がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の植民地から解放されたあと、また、苦難の時期を迎える。

 

 

1945.8.15の植民地からの解放

 

 

北朝鮮の奇襲攻撃で、全土で悲惨な戦争が。  このとき、双方の軍による一般市民の虐殺が多数発生した。

 

 

 

 

 

 

 

 

1960年頃の暮らしや街並み

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

展示光景

 

 

ソウル市全体の模型で縮尺は1/1500

 

 

窓は、カラーフィルムでも貼っているのか、カラフルです。

 

 

最後に、1階展示室で、再建時代のソウルなど、主に寄贈された写真パネルが展示されていました。

〇〇洞の上と下  1969年

 

 

楊南洞の掘立小屋  1969年

 

 

〇〇渓の川沿いのバラック小屋  1974年   下の写真はタイトル判読できず。  1972年

 

 

タイトル判読できず。  1967年  韓国の冬は厳寒のようですが、洗濯は井戸水を使えば、少し楽ですね。

 

 

万里洞 娘の家を探して  1968年

 

 

西界洞 犬と一緒に   1969年  最初に見たとき犬がわからなかった。

 

 

冬の飛び石を渡りながらの登校  1968年

 

 

 

最後に、「デジタル団地オゴリ」の街並みを再現した写真集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソウルの歴史と民俗を詰め込んだソウル歴史博物館、予定時間をオーバーして鑑賞しました。

 

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ソウルにて ソウル歴史博物館#1

2015年06月22日 | 歴史、民俗

ソウル旅行の記事もラストです。

国立現代美術館から、地下鉄で行ったのですが、案外近くでした。

 

 

建物です。 2002年に開館とのこと。 ちなみに江戸東京博物館が1993年に開館していますね。

 

五つのゾーンで構成されています。

 

 

 

 

 

城壁の構造と建造機具

 

 

官吏の生活部屋   そして子供達の学習ツアー。  熱心にメモを取っています。

 

 

 

ソウルの都城内のミニチュア

 

市場などのミニチュア

 

精巧につくられています。

 

 

帽子(黒笠)と金属製食器?を売る店

 

 

漁師

 

 

第2ゾーン

 

 

第2ゾーンは別棟になります。

 

 

光化門 1900年

 

 

 

 

普信閣  ソウルの四大門の開閉を知らせる鐘があったお寺。   1900年

 

 

第一ゾーンの展示の帽子(黒笠)と金属製食器を売る店の実物版  1904年

 

 

東大門  1904年  門の城壁が子供達の遊び場になっています。

 

東大門外全景  1904年  路面電車と商店街でしょうか。

 

 

展示光景

 

 

1911年と、1926年のソウルの俯瞰写真

 

 

1929年 朝鮮博覧会が開催されたんだ。

 

 

日本の軍国主義が、韓国の文化を毀損していたんですね。

 

 

白衣の服装がほとんどの韓国では、洗濯が大変だったでしょう。 奥では竈で炊いていますね。

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ソウルにて 国立民俗博物館ラスト

2015年06月10日 | 歴史、民俗

韓国の民家のミニチュアです。

藁葺き屋根の家。  日本の藁葺き屋根とちょっと違いますね。

 

 

瓦屋根の民家

 

 

藁葺き屋根で、説明によるとカササギの巣のようなむさくるしい家なんだって。  韓国では、カササギは国鳥で幸福をもたらすとか。

 

 

 板葺き屋根の住居。

 

 

こちらは、キムチをつくる作業風景。  実際、こちらで食べるカクテキは、酸っぱ辛くておいしい。

 

 

金属の食器類。  韓国の食堂では金属ボウルで、食事をする光景がよく見られました。

 

 

子供服は可愛い。

 

 

結婚式の光景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男子の成人式

 

 

 

 キャプションがわからず、光景が説明できなくてすみません。

 

 

 日本の寺子屋みたいなものかな

 

 

 宮殿での儀式の写真でしょうが、キャプションがわかりませんでした。

 

 

薬の製造

 

 

 還暦を迎えた両親を、盛大に祝う伝統があります。

 

 

 棺桶台だそうです。

 

 

 この展示は人だかりで近づけませんでした。

 

 

韓国では祖先を敬う心が厚く、旧正月と秋夕(韓国の感謝祭)の先祖への記念儀式での供え物。 

 

 

 

 10時15分頃から、本館の見学を始め、11時に見終えました。  つつじが満開です。

 

 

 まわりには岩山が見えます。

 

  

 十二支をかたどった石像に子供達が、手を振れて回っていました。  月曜日なんだけど、見学者が多いのにはびっくり。

 

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ソウルにて 国立民俗博物館その2

2015年06月07日 | 歴史、民俗

民俗博物館内の最初のコーナには歴史的な展示物があります。

その一つ、高麗王の広大な国土の夢と訳すのでしょうか、重厚な壁画があります。

 

 

 

そして芸術的な陶磁器。

 

 

一転、近代の日常生活の部屋

 

 

日本の近代の日常生活の用具とほとんど一緒です。

 

 

床暖房のためか、台所は居間よりも低くなっています。

 

 

次のコーナでは、いろんな人物がスライド映写される。  単純な映写なのですが、人物の表情、衣服が多くのことを語ってくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、現代美術家の作品かなと思いましたが、キャプションは探せなかった。

 

 

これは、屋外の石像の説明にあったボクスでしょうね。

 

 

日本だと、神棚のようなものかな?  絵柄が花札デザインのようで面白い。

 

 

昔の生活用具です。  韓国でも水汲みは大変な重労働だったでしょう。

 

 

川での漁具ですね

 

 

 

 

村祭りのミニチュアです

 

 

 

農旗と書いています。  日本でも幡やのぼり、大漁旗など祭の必需品です。

 

 

独特の衣服

 

 

 

 

100年ぐらい前の写真でしょうか。  当時は男女とも白衣がほとんどだった。

 

 

夏、暑い時の寝台かな。

 

 

仮面は分かるのですが、どういうときに着けるのかが分かりませんでした。

 

 

民家の模型がたびたび出てきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

布団がこんなに薄いのです。 オンドルの賜物ですね。

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ソウルにて 国立民俗博物館その1

2015年06月06日 | 歴史、民俗

ソウル旅行に戻って、今日は、4月27日(月)に行った国立民俗博物館を紹介します。

月曜日だったので、普通の美術館・博物館は休み。 国立民俗博物館は開館しているとの情報で、行ってみました。 隣の国立現代美術館には

翌日、行きました。  この日の行動は、国立民俗博物館→新羅ホテルで昼食→東大門で、地図にマークしました。 

 

 

地下鉄安国駅から歩いて15分ほど、朝鮮王朝の宮殿である景福宮の東門に来ました。 

 

 

中に入っていくと、見えてきたのが国立民俗博物館の建物です。

例によって、子供達の学習ツアー御一行

建物は韓国で有名な寺院である仏国寺などの、伝統文化建築様式を現代建築に応用し、建てたもので(1972年完成)、当初は国立中央博物館として使用され

ていたが1993年、国立民俗博物館として開館したもの。

 

 

屋外の展示物も面白い。

 

 

 

韓国の古民家。

 

 

 

入っていきます。

 

 

回廊式といってよいのか面白い構造です。

 

 

左隅にある箪笥、李朝時代の特徴である金具のデザインがいい。

 

 

布団はこのように畳んで使ったのですね。 床暖房なので布団は薄くてよかった。  タブレットはお遊び?

 

 

台所。この竈が床暖房であるオンドルの焚口で、床下に煙を流していた。  丸い換気窓が可愛い。

 

 

台所向かいの収納庫でしょうか。

 

 

客間でしょうか

 

 

 

冬の寒さは厳しいので、オンドルが、めぐらされていますが、竈がない別棟では、オンドル専用の焚口がつくられた。

昔は薪や藁を燃やしていたらしいが、1960年代から80年代にかけて練炭が主流になった。  しかし、一酸化炭素中毒で就寝中に死亡する事故が増え、灯油に切り替わった。

私も小さい頃、練炭炬燵にはいっていて、炬燵からでたときにばたっと倒れ、母があわてて私を外に連れていき、新鮮な空気で深呼吸をして大事に至らなかったことがあった。

ほかにも母のそうしたとっさの処置に何度助けられたことか。

なお、現在では都市部のマンションなどでは、温水式の床暖房が主流とのこと。

 

 

 

 

 

近くに水車もありました。

 

親子連れで、母親がいろいろ教えているようでした。

 

 

 

 

 

 

日本の石仏は背丈の低いものが多いのですが、韓国では立ち姿の石像が多い。

 

 

 

また少し歩くと、1950~60年代頃の商店が復元されていました。  怪しい人物が写っています・・・撮っているときは気が付かなかった。

 

 

コーヒーサロン

 

 

 

 

 

学習ツアーの子供達も興味深げに見ていました。

 

 

畑も復元したもの。 季節の花がまぶしい。

 

 

 

次回は民俗博物館の館内を紹介します。

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ソウルにて 国立中央博物館 先史・古代館、中・近世館 その2

2015年05月28日 | 歴史、民俗

広大な韓国国立中央博物館の紹介もラストです。

 朝鮮王朝の玉座と天蓋

 

 実物の写真です。

 

 

 

日本に派遣された朝鮮通信使の行列風景

 

 

 

 

 柳馨遠氏の書いた政治・社会の改革書?

 

 

 

 1900年代前半に入ります。

 

 

 

 

 

 当時の人々の衣装

 

 

 

 大衆向けの小説雑誌。

 

 

 

 近現代の幕開け

 

 

 展示の紹介はここまで

 

 

 次に行ったとき、土産を買おう。

 

 

 博物館の見学を終えました。 17時55分、約3時間半で回りましたが、ゆっくり見るには1日かかりますね。

 

 

 博物館前の広場に咲いていた花々。

 

 

 花は詳しくないので、名前は分かりませんが沈丁花の一種でしょうか、いい香りを放っていました。

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ソウルにて 国立中央博物館 先史・古代館、中・近世館 その1

2015年05月26日 | 歴史、民俗

先史・古代館では、古代の高句麗からが面白い。

 

高句麗城   自然の地形を利用した城ですね。 中国遼寧省本渓市の桓仁(かんじん)という所にある「五女山」という山です。

 

 

 

支配者の冠、デザインもいい。

 

 

 

強力な騎馬軍団で領土を拡大した高句麗。  

 

 

 

江西大墓は、高句麗後期に作られた四神図の壁画古墳のひとつで、四神図の壁画では最も優れたもの。

古墳は平壌の南の南浦市にある。  日本のキトラ古墳の四神図も昨年、トーハクで展示されていました。

 

 

 

玄武図。

 

 

 

こちらは百済の古墳群の写真パネルと、出土品」。 日本の斑鳩の古墳群と雰囲気が似ています。

 

 

ここでも子供達の学習ツアーに出合いました。

 

 

馬具関係の展示。

 

 

先ほどの高句麗の騎馬武者の姿を使って、馬具の説明をしたパネル。

 

 

展示室光景

 

 

次は新羅

 

 宝石店かと見まがうばかりの金冠の展示。

 

 

 

古墳群の写真です

 

 

古墳と山並み。  いい感じです。

 

 

展示室光景。

 

 

出土品のガラス製品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宝飾品が輝いています。 支配者の富と権力は強大だったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中央通路に置かれた 月光寺 「圓朗禅師塔碑」

 

 

中央通路から天井を撮影。

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ソウルにて 国立中央博物館  書絵館

2015年05月24日 | 歴史、民俗

ここまで、3階を紹介してきました。 写真の右側がアジア館、左側が彫刻・工芸館
今度は、2階の左側、書絵館に行きます。 右側は寄贈館です。

 

 

書体の変遷が歴史順に掲げられていました。

 

 

 

韓国の書道は停滞期とか。 ほとんどの表記が、ハングル文字になっているので無理もないかな。

 

 

碑と碑文が展示された室内。

 

 

朗空太子碑  金生の書。 彼は新羅の王羲之と称されたとのこと。 確かに個性的な書体です。

 

 

 

ちょっと廊下で休憩、窓からの光景が面白い。

 

 

日本の京都、龍岸寺住職が、朝鮮前期の仏画「甘露図」を韓国中央博物館に寄贈した作品。 
持ち出された韓国文化財を、本来の国に戻すべきだとの考えから寄贈したとのこと。 素晴らしい。

「甘露図」は釈迦の十大弟子の1人、目連が、餓鬼道に落ちた亡き母を救済するため儀式を行うようすを描いた仏画。

 

 

 

 

 

巨大な仏画、掛仏。  高さ10mはありそう。 絵は平凡に思いました。

 

 

奥は、舎廊房(サランパン)の展示。 

朝鮮時代の家父長の空間である広間舍廊房は書斎つまり文房文房であり、男性客を接待する場所であり、社会的交流も主にここで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広々とした休憩コーナ。休みたいところですが、時間との勝負なので次へ 16時20分

 

 

寄贈館の最初のコーナです。  

 

 

アジア、木の物語と題して木製の神像などが展示されていました。

 

 

このインドネシア製、穀食神像も日本人からの寄贈品のようです。

 

 

 

 

容貌が独特ですね

 

 

 

 

 

 

 

ミャンマーの黒漆屏風

 

 

 

繊細な文様です。

 

 

ほとんどが、日本のkaneko Kazushigeさんの寄贈なんですね。

 

 

 

で2階は終え、最後の1階に向かうことに。 時刻は16時40分

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ソウルにて 国立中央博物館 仏像、陶磁器

2015年05月20日 | 歴史、民俗

3階アジア館の向かいは彫刻・工芸館になっています。

子供達が、引率者の説明を聞いている光景。  中央博物館以外でもあちこちで見ましたので、子供達の博物館見学が文化として定着しているのでしょう。

素晴らしいことだと思います。

 

 

 

 

 

 

この像のキャプションは見つけられませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

以下、青磁が続きます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品と似たものが、トーハク東洋館でも見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場光景

 

 

 

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