光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

隅田川べりを行く 旧安田庭園と国技館の壁画

2011年02月28日 | ぶらり探訪

国技館近くで、堤防を上って両国駅を目指して行くと、屋敷塀に囲まれた庭園を発見。
旧安田庭園といい、江戸時代に常陸笠間藩の下屋敷として庭園が造られた。 明治になって一旦、備前岡山藩主の邸宅となったが、明治24年に旧安田財閥の創始者の所有となり、安田翁の死去後、大正11年に東京市に寄付された。
清澄庭園や殿ヶ谷戸庭園もそうですが、財閥の手で造り直され、暫くは所有されるのですが、いずれ公共に供されるケースは多い。  文化財はやはり、みんなの財産なのだと思います。



江戸時代は隅田川の水を引いた池だった。







両国公会堂が奥に建っています。



 庭園を出て、50mほど行くと両国国技館。 相撲博物館が公開されていて谷風や雷電といった江戸の力士の手形や錦絵、歴代横綱の写真などが展示されていましたが、撮影禁止のため、国技館入口壁面の錦絵のみの紹介です。



勝負審判4人の年寄が、四本柱の前の俵の上に座っています。 最初はえー?と思ったのですが、昔はこのスタイルだった。 1930年の天覧相撲を機に、今のように土俵の下となった。



 



ところで、今日が、ブログ開設から1000日め。  眠い目をこすりながら作ったブログですが、読み返すと日々の出来事などが鮮明に思い出されます。  
思い出の目次をもっとわかりやすくしたいので、カテゴリ整理をしようと思います。
最近のブログアクセス記録で感じたのは、アート作品へのアクセスが多いことです。 特に、人形作家の平田郷陽氏の特集がTV放送されたあと、驚くほどアクセスがありました。 いくらかの参考になっているかと思うと、ブログの
つくり甲斐があります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隅田川べりを行く 蔵前橋と堤防壁画

2011年02月27日 | ぶらり探訪

蔵前橋の黄色は、グレートーンの街並みと川に映える。 黄金色の稲穂をイメージしたもので、江戸時代は94棟もの大米蔵があったところ。(写真右の東岸が該当)



ポップなアートの印象・・・・橋桁と構造





橋脚のデザインも可愛い。 この橋も昭和2年に完成している。 大震災の復興事業で昭和初期に完成しているものが多い。



客を迎えに行くのだろうか、屋形船が上っていく。



蔵前橋から、両国駅方向に少し行くと、川べりのテラスの堤防壁に絵が描かれていました。
この絵は向島の夜桜見物を描いたもの。 中央右端に浅草寺の五重塔や凌雲閣(震災でなくなった)が夕闇のなかに描かれている。  なお、手前の丸太の杭は、昔、隅田川沿いに多くの杭が打ち込まれていたことにちなむ。
「向島の夜桜」 中島石松 すみだ郷土文化資料館所蔵



「両国水神祭り夕涼みの図」  明治11年 揚州周廷筆
徳川吉宗が飢饉やコレラの流行で亡くなった霊を慰め、悪疫退散のため両国橋付近で水神祭りを催し、余興で花火を上げたのが由来。  今、両国川開きとして花火で有名になった。



「東京名所 両国川開き之光景」  黒木半之助  明治42年石版画 江戸東京博物館所蔵
橋は両国橋



まだ木造の柳橋と両国橋



葛飾北斎の絵も。 縦1.5m×8mほどの絵で、分割して撮影。 
「隅田川両岸一覧 {首尾松の釣舟・椎木の蝉}」     「隅田川両岸一覧 {新柳橋の白雨・御竹蔵の虹}」    



 「隅田川両岸一覧 {両国納涼・一の橋弁天}」  

都も親しまれる水辺の構築で、いろんなことをやっているのですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隅田川の橋

2011年02月26日 | ぶらり探訪
吾妻橋から蔵前橋の地図です。

<SCRIPT language=javascript type=text/javascript src="http://map.goo.ne.jp/blog/blogmap.php?MAP=E139.48.8.858N35.42.22.483&ZM=8&SZ=600,500"></SCRIPT>


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隅田川べりを行く 厩橋と屋形船

2011年02月26日 | ぶらり探訪

この付近から屋形船の係留が多く見られます。
奥のグリーンの橋が厩橋。  江戸時代、米蔵が西岸に並んでいて、荷駄馬用の厩があった。
この橋も昭和4年に竣工。 


駒形橋を振り返る。




重たいイメージの橋です。




橋下の鉄骨の重厚さ。



屋形船の中では料理の準備中。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隅田川べりを行く 駒形橋と彫刻

2011年02月24日 | ぶらり探訪

吾妻橋から下流の駒形橋です。  吾妻橋が朱色、駒形橋はブルー、更に下流の厩橋(うまやばし)はグリーン、その下流の蔵前橋はイェローと橋の色遊びが楽しめます。 川岸は幅5mほどのテラス式の歩道が整備されており、ジョギングや犬の散歩などの人が多い。  (フィルタ処理しています)




橋の下から。  紅い橋は吾妻橋




橋の東詰めには、昨年9月18日に紹介した彫刻があります。
このときは携帯電話のカメラでしたので、今日は一眼で再挑戦です。 今回の目的の一つです。
「昭和62年度 東京都文化のデザイン事業
休日の午後
制作 樋口 保喜」






なぜか、惹かれる彫刻です。 顔に鳥の糞のようなものが流れ落ちた跡があり、拭取ってあげたいのですが、勝手にできないので都に一度、聞こうと思っています。



橋の下を水上バスが行き交う。
満潮のときなど、橋桁とギリギリの間隔です。




 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隅田川べりを行く  アサヒビールのオブジェと吾妻橋

2011年02月23日 | ぶらり探訪

浅草から隅田川べりを下っていくことにしました。
吾妻橋西詰めの交差点で。 人力車とスカイツリー。  雷門あたりで人力車の車夫が客引きをしていましたが、結構な数が走っています。  人力車は軽車両扱いなので、車道走行。(写真はフィルタ処理をかけています)



吾妻橋西詰めから。  中央左のビルは墨田区役所、そしてスカイツリー、アサヒビール本部ビル、屋上に黄色のオブジェを持つスーパードライホール。(写真はフィルタ処理をかけています)



吾妻橋。  浅草寺と近いためか丹塗りイメージですが、もう少し明るい朱色です。 



白枠の中は塗装の記録で2003年8月に塗装しています。  その左下に橋の製造銘盤があり、昭和5年に造られた事がわかります。  造られて80年以上。



スーパードライホールに映ったスカイツリー。



ちなみにこのオブジェ、聖火と聖火台をイメージしたものとか。 1989年に完成しているので、22年たっており、馴染んできましたが最初に見たとき「ナニ、コレ?」と思ったものです。 それから、奥のアサヒビールタワーは黄色のビル壁と屋上の白い飾りがコップに注がれたビールをイメージしています。 これも説明されればうなづけますが、デモネー。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草へ その3 仲見世界隈

2011年02月22日 | ぶらり探訪

仲見世とその周辺のスナップ。
メロンパンでしょうか?行列が出来ていました。



洋装店のようですが、和風の趣のショーウィンド。 



すき焼き料亭。 写真左に待合室があり、多くの人が待っていました。



子供にとっては楽しいところ。 左側の店はカツラや仮面など。  右は人形焼屋



人形焼の製造実演販売。  先日、近所の方から土産でいただきましたが、私にはイマイチでした。



こちらは煎餅の実演販売。 こういうのって客が寄ってきます。



扇子や小物の店。 外人観光客を意識している感じです。 観光土産屋さんの品は、私は食指が動きませんが、観光客には面白く見えるのかな。



で、通りを一つ外れると、一般の商店街ですが京風の野点傘あり。 タバコを吸う若い女性のファッションと妙に合っていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草へ その2 浅草寺

2011年02月21日 | ぶらり探訪

浅草寺の宝蔵門。 ドデカイ提灯がシンボル。





宝蔵門をくぐると、特大草鞋とスカイツリーが。 
フィルター処理をすると、スカイツリーがまるで阿修羅のシルエット。



こちらもフィルター処理の五重塔



丹塗りの門柱や本堂。  私は、実は丹塗りの寺社は好きでない。  服装のこの色ならむしろ好きな色ですが。 
中国では高貴な色として、昔から王宮や寺院で使われていますが、私にとっては、これでもかといった具合に全体にこの色を使われると、毒々しさが感じられてダメなのです。 
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草へ 雷門と仲見世

2011年02月20日 | ぶらり探訪

2月19日(土)、江東区深川江戸資料館→浅草→吾妻橋~蔵前橋と撮影行脚。
まず浅草からアップしていきます。
浅草は、初めての訪問。   通算、20年近く東京に住んでいますが、なぜか足が向かなかった。
もぐりの東京人として、雷門、仲見世などをオノボリサン感覚で綴ってみます。



雷門、まさに観光名所。  私も雷門と写真を撮る人、撮られる人をスナップで。



これが仲見世か、としばし感嘆。 観光客相手の店オンパレード。
以前、香港に行ったとき、観光客相手のショッピング街である
女人街を思い出しました。  女人街ほどチープで狭くはないにしても、派手派手にして人を呼び込む商魂は一緒。



一応、店の構えは寺社の造りを取り入れていますが。



雷門を後ろから。 外国人の方も多い。



帯のショップ。 柄などやはり観光客目当ての感じがします。



こんなところに犬猫のショップも! 



新撰組の衣装! 祭りの浴衣や半纏なども。


横にスカイツリー。


大学の卒業式、謝恩会にでたお嬢さん達でしょう。 アジア系の女性の方が記念写真に納まっていました。 なお、和服のお嬢さん達、ボーイフレンドと一緒の参拝のようでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京国立博物館 陶磁器(2010年9月)その3

2011年02月19日 | アート 陶磁器

尾形光琳と弟・深省の合作。  深省は乾山のことであり、巨匠の合作ということになる。
光琳の軽やかなタッチがいい。



高取は九州直方市の窯。  秀吉の朝鮮侵攻で連れ帰られた陶工・八山が開いた窯。
私の故郷の近くだったのに、高取焼きは知らなかった。 それというのも、窯の移転がかなりあること、八山が帰国願いを出して、藩主から謹慎を命じられたりして、不運な歴史が刻まれているようです。 しかし、小堀遠州に
気に入られて茶器として、有名な窯だった。  でも、今で言えば拉致されて日本に来た八山、どんなにか帰国したかったことでしょう。  結局、日本で生涯を閉じることになった。



志野独特のミルクを垂らしたような文様が温かみを放っています。



グニャっとした鉢の縁、色合い、鳥の絵柄、いいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京国立博物館 陶磁器(2010年9月)その2

2011年02月17日 | アート 陶磁器

解説を読むと、日本からの注文で作られた花入れ。
1月30日のブログで紹介した加賀藩前田家江戸屋敷跡から出土した陶磁器もそうですが、17世紀当時でも国際的な文化交易があったのがわかる。



虫明は岡山の窯で茶席の焼き物としてよく用いられている。  確かに渋い色調は茶席によく合いそうだ。



伊万里の染付でも初期の作。 徳利の首から底にかけての曲線がいい。 持ちやすそうだし、絵柄も全体として見たとき、味わいがある。



中国の景徳鎮などの名窯に対抗しようと、中国の意匠を取り入れた伊万里の輸出作品。  後に独自の染付作品に発展していく礎の時期の作品として、当時の陶工の情熱が詰まっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京国立博物館 陶磁器(2010年9月)その1

2011年02月16日 | アート 陶磁器

東京国立博物館(略称トーハク)の作品紹介再開です。
トーハクに1回行くと、気に入った作品を四、五百枚撮ります。 解説も撮りますから、作品そのものは二百数十枚ですが、それでも膨大な量になります。  ネタ切れの心配はないのですが、整理してアップするのに少し時間がかかります。  この間、ナマモノの写真も撮れば、そちらを優先してアップするので、結局、紹介が遅れます。  今日、アップするのも昨年9月5日に行ったときのものです。
申し訳ないのですが、当然、今は陳列されていないものが多いことをご承知おき願いたいと思います。

薄い桃色で女性が好みそうな、風雅な作品です。



解説にも重厚な気分とありますが、まさにその通りです。



菊水というと、酒のブランドを思いだしますが日本的な美を体現した作品だと思います。



徳利の文様が面白い、私にはピエロの顔のようにも見えます。 両サイドの作品の説明は割愛します。



刺身やぬたなどの、お膳の飯碗などの向こう側に置くので向付けと呼ぶのですが、こんな小鉢で食べると、更においしく食べられそう。



京焼きとは対極をなす作品です。 じっくりと良さが伝わってきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥多摩 古里から鳩ノ巣へ その2

2011年02月15日 | ぶらり探訪

寸庭橋のたもとを降りていくルートは、トレッキングロード。
途中、何度か小さな支流の沢を越していきます。



小さな滝。



登りが続き、やっと尾根の上に出た。



尾根の上から見た鳩ノ巣の集落

鳩ノ巣の謂れ    Wikipediaから抜粋
江戸時代明暦の大火で荒廃した江戸の復興のために奥多摩の木材が多数伐採された。木材は多摩川を通じて江戸に運ばれ、この渓谷付近には人夫が寝泊まりする飯場小屋が建てられ、また水神社が祀られた。この水神社に二羽のハトが巣をつくり、それを村人達が霊鳥として愛護したことからこの地は「鳩ノ巣」と呼ばれる様になったと言われる。

下りの急勾配の道。 アイスバーンになっていて、へっぴり腰で降りていく。



鳩ノ巣のJR駅で。(フィルター処理しています)  鳩ノ巣の渓谷は次回の楽しみにして、帰途につく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥多摩 古里から鳩ノ巣へ その1

2011年02月14日 | ぶらり探訪

2月13日(日)奥多摩へ。JR古里(こり)駅で降りて、万世橋を渡り、多摩川沿いの道を遡行し寸庭橋へ。
ここからはトレッキングロードで川沿いの細道。 
鳩ノ巣の手前で山の尾根まで登り、そこから鳩ノ巣へ下るルートです。 残雪を期待したのですが思ったほどではありませんでした。
<歩行ルート図>



万世橋から多摩川の上流方向を眺める。 



多摩川に流れ込む小さな沢水が一部氷結



道路はさすがに凍結しているところが多い。 



ときおり多摩川をのぞく。 杉が綺麗に枝打ちされている。



私も小さい頃、枝打ちや、雪で倒れた杉の木起こしに行ったことがありますが、大変なんですよね。 森の荒廃が言われていますが、ここはキチンと管理されているようです。


雪は日陰に残っています。  林のなかの道は、樹の雪が氷となり、解けてカケラや水しぶきとなって落ちていました。

寸庭の集落近くで。  山の斜面にあるのはお墓です。



寸庭橋。 アーチ橋は強度もありそうだし、何より、見て美しい。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコの室内撮り その2

2011年02月13日 | 

ご不満気なレナお嬢様。 


横顔にもつまらない時の表情がありあり。 写真を撮る私はそれを楽しんでいるかも知れない。


ときおり、こういう表情で「ワタチ ツマンナイ」と訴えかける。


女房がやっと、相手にしてくれて喜ぶレナ。


ちょっと、気分が落ち着いたかアクビちゃん。


ご褒美がもらえるときの待機ポーズ。


キラも遅ればせながら、参加。 

こうして日曜日の昼が過ぎていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする