Unseasonable Shore

映画の感想を中心に、普通の生活をおくる30代ゲイの日々感じるできごと。

コクソン(ネタバレ注意)

2017-04-03 15:53:52 | 映画
今回は映画「コクソン」について。



韓国の映画ですが、このナ・ホンジン監督の「チェイサー」が面白かったのと、日本人俳優の國村隼が出演しているということで興味がありました。

ここで内容を・・・



警察官ジョング(クァク・ドウォン)が妻と娘と暮らす平和な村に正体不明のよそ者(國村隼)が住み着いて以来、住人たちは彼のうわさをささやいていた。やがて、村で突然村人が自分の家族を手にかける事件が発生する。犯人には、濁った目と湿疹でただれた肌という共通点があり……。



と書いてあります。



観終ってみると、なんともいろいろとその意味が変わって見えてくる不思議な映画だったと感じました。

ジョングの娘にも同様の症状が現れてくるあたりからストーリーはどんどん加速していくのですが、このよそ者である日本人が何者であるかというところがストーリーの面白さ。韓国語が話せないのに買い物する姿があって、何かコミカルな感じを出したり、村人の証言で裸で死んだ鹿の肉をくらっていてその目が赤かったという恐ろしい姿まで登場したり。

また、連続殺人の詳細を知っているという謎の女性が現れ、その女性はあのよそ者が全て悪いとジョングにアドバイスしてきたり。その女性がよそ者を監視しているのも気になります。

このよそ者は本当に悪なのか、その悪から救ってくれる存在なのか、ラストまでなかなかはっきりしないけど、飽きさせずにストーリーを引っ張る手腕は監督ならではなのかもしれません。

チェイサーや、黒く濁る村、母なる証明などの韓国映画を観ていると、どこか、横溝正史シリーズを思い起こさせ、現代の話なのに、私たちにとったは、どこか昔のような感覚になるのも面白さです。スマホをもっているのにたらいで洗濯をしているとか。そして、貧富の差が激しいことも。

ゾンビ映画にもオマージュを捧げ、韓国の悪魔祓いを使ってエクソシストのような雰囲気もあり、面白い映画でした。

興味がある方はごらんになってみてください。

ここからはネタバレです。ご覧になっていない方は絶対に読まないでくださいね。


















自分の娘に同様の症状が出て、ジョングは悪魔祓いを頼み、よそ者にも喧嘩を売りにいきます。

この悪魔祓いのシーンがすごくおもしろいのです。悪魔祓いをしているシーンと、よそ者が何か儀式を行いながら、くるしみもだえるシーンがカットバックされて、あたかも、悪魔祓いが効果をなしているかのようにみえます。でも、少女は苦しみながら「悪魔祓いをやめて」とジョングに頼みます。いたたまれなくなったジョングは途中でやめさせてしまうのです。




数日経って、娘の症状はやわらぎ、食欲も旺盛となって安心します。そして、よそ者を自分の手で殺そうと思い、家に向かいます。そして、よそ者は倒れ、決着がついたかのように思われました。


悪魔祓いはよそ者がいなくなったことから街を出ようとするのですが、そこへ無数の蛾が現れ、よそ者が復活したことを知るのです。
悪魔祓いとよそ者はグルだったのです。なんとなくその伏線が見えるシーンがあって、両者とも「ふんどし」をつけているということがわかります。韓国ではふんどしがかなり珍しいものなんですね。初めて知りました。


よそ者とも対決で身心ともに披露して家にもどったジョングですが、そこに娘の姿はありません。あわてて探しに行くジョングそこで悪魔祓いから「あの女性こそこの事件を引き起こした悪魔だ」と言われます。

そして、再び謎の女性と出会ったジョング。その女性の周りには家族を殺していった犯人たちの持ち物あり娘の髪留めもありました。ジョングはこの女性こそがやはりすべてを操っていたのではと疑いだします。

ジョングはこの謎の女性から、「娘を救いたければ、家に戻るな」と言われます。自分がそこに罠をしかけたから。そして、今もどれば、お前も殺されるとも言われます。謎の女性のことを信じられないジョングは家に戻ってしまい、予言とおり娘に殺されてしまいます。

謎の女性は天使として現れ、人間の猜疑心や弱い心がもたらしたこの事件をなんとかくいとめようとしていたんです。ですが、人は自分が信じたいものだけ信じてしまうので、結局殺されてしまうことになっていったということ。


あの謎の症状はキノコから作られたサプリメントが原因だったとニュースで流れます。


復活したよそ者は洞窟の中で儀式を執り行っていました。そこへ、ジョングとともに通訳として同行した神父が現れます。それはジョングの同僚も自分の家族を殺していたことから、よそ者がまだいることを確信し、再び、彼のもとへ行くことにしたからなのです。

神父はよそ者に尋ねます「お前は何者か?悪魔なのか?」

よそ者は「お前はもうすでに、答えをもっているじゃないか」と答えます。

神父は「もうこれ以上村人に何もしなければ、こちらも何もしないで村にもどる」と言うのですが、よそ者は「村にもどる?私がお前を村にもどすと思っているのか?」と答え、その姿はキリスト教で信じられている悪魔の姿になっていたのです。これがラストシーン。

こう書くと、日本人を悪魔にした反日映画のように見えますが、神父が彼を悪魔と思ったから悪魔になり、彼をきちんと信じれば良かったのかもしれないし、あの症状もキノコの幻覚作用とアレルギーがもたらしたとニュースでは報告しているから、よそ者が本当に関与していたのかどうかもわかりません。天使といっていた女性にしても、結局は誰も救ってはいないし、人間を試しているようにも見えて、天使ってそんなことする?って思います。

なんていうことが、ぐるぐる頭の中を巡ってしまう映画なのです。

人は自分が見たいものだけをみて、信じたいものだけを信じてしまう。でもそれでは、「対立を生むだけ」とこの映画は言っているように思いました。







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